July 08, 2008

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その153回ー「ジャズ批評144号」の巻ー

えっーと、お久しぶりの更新です。しかし、出鱈目、出まかせ、荒唐無稽な妄想を書くにしても、まあ、ウソは書けない訳で、結構行き詰まるもんです。
ゼンさんという主人公をこれからどうするか、突然やってきたスリピー狂紫朗をどうするか、そこに登場するあの世からの大物アーティスト達・・・本当にこんないい加減な話でも150回以上となると、ネタ切れというか、集中力の欠如ですね。
・・・・なんちゃって、一方では相変わらずジャズ批評に書いています。
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今回は自分では好きなブルーノート盤5枚に投稿しました。別途、ジャズ批評から依頼原稿が来まして、ブルーノートにおけるアルフレッド・ライオンとアバンギャルド・ジャズという切り口でコールマンやセシル・テイラーを書いて欲しいと・・・そう今回はライオンの生誕100周年記念号なのです。
まあ、内容は書くわけにはゆきませんが、どうせここにお出でになる皆さんはお閑なのでしょうから、是非買ってお読み頂きたいと思うのです。

ということで、久々に登場しましたが・・・今回はジャズ批評のお知らせでした!

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March 18, 2008

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その152回ーー「ブルースの真実」の巻ー

<幻想と妄想のジャズクラブ「Kind of Blue」にようこそ・・・ここでは、ジャズに関しては何でもあり・・・大いなるウソをお楽しみください! 中傷誹謗大歓迎、罵詈雑言大歓迎、もらい物大歓迎・・・お世辞も大歓迎です。>

春めいた夜風が心地よい。
夜9時過ぎに狂紫郎が、ゼンさんのクラブ「Kind of Blue」にやってきた。
ハウストリオの河田吾郎のピアノがOn a cleardayを弾き始め、2コーラス目のソロを取っていた。ミディアムアップのテンポにのって軽快にスイングしている。
狂紫郎は相変わらず紫の着流しで帯に篠笛を挟み、背中にはソプラノを筒に入れて背負っている。
ポニーテールで手入れの行き届いた髪は半分はもう白いものが混じっていた。
ゼンさんがココとピアノ後ろにある丸いテーブルを指した。
店内はほぼ満員状態でキャンドルの煌きに皆の顔が上気しているのがわかる。
もう一人後ろについて入ってきた外人がいる、やはり楽器のケースを持っている。
ベースの山田とドラムの大野が狂紫郎に会釈をした。

ゼンさんは何も言わずにドライマティーニのグラスを一つ狂紫郎の前においた。
そして、もう一人の男と一言二言、ゼンさんはカナディアンクラブ・・・CCをロックのグラスに注いで置いた。

On a cleardayのエンディングで半音上げて転調しかなり泥臭いフレーズでブルージーに終えた。
「オッ、イエッ!」と掛け声が掛り拍手がおきた。

河田吾郎が振り向いた、そして促した、狂紫郎はソプラノではなく、篠笛を出した、もう一人の男はテナー・サッスクを取り出した。フランスセルマーにラーセンのマウスピースをつけている。
その男が曲を指示しテンポを出した。
「ストール・モーメンツ」だ。
篠笛とテナーな微妙な4度のハーモニーを作り出している。
このブルースにして、そのブルース色を敢えて殺し、何処までブルースコードの中でペンタトニックの展開をさけ、泥臭いフラット5を避け、でも如何にブルースにするか・・・これが大いなるブルースの実験であるのだ。
狂紫郎の篠笛のソロは、音数を減らし、耽美なまでのフレーズを、正に置いてゆくという表現がピタリだ。
しかし、ピアノとベースはあくまでもブルースの進行をドッシリと守り、ミディアムスローのスイング感を出している。
大野のドラムは左手のオカズをスネアのリムに近くで叩くことにより、甲高く抜ける音でフィルインしている。
その日、店内にいた全員がその音色とフレーズにのめり込んでいた。
3コーラスの篠笛のソロを終えて、テナーの男にソロを渡した。
その男のテナーの音色はよく抜けるクリアーな金属音で音に伸びと哀愁があった。
フレーズにはあまりブルーノートを使ことなく、ブルースコード載せて、正に哀愁のフレーズを積み重ねていった。
山田のベースがこいう時は大事だ、太い音で低音部をシッカリと伸ばし、タイム感でスイングさせなければならないし、またそれが軸になって、ドラムもピアノもミディアムスローのスイング感をだすのだ。
テナーのソロは3コーラス目に入っている。
その時、聴き入る皆の顔にまさかという表情が浮かんできた・・・。
そのテナーのフレーズは高音から低音まで、伸び伸びとユッタリとしたフレーズで吹き語られてゆく。

その後でピアノは1コーラスだけソロを取ったというより、最後テーマに入るお膳立てをした。
ストールモーメンツが、あの伸びのあるテナーの音色とフルートよりより芯の在る高音を篠笛が出してテンションを高めてメロディーが演奏された。
テーマの最後のフレーズは思いっきりブルーノートをかませて終った。
拍手は静かに始まった、そして長く続いた。

ゼンさんがマイクを取った、「Lady & Gentlemen,Oliver Nelson!」
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その時、ドラムの大野が声をかけた、「ホーダウン!」
ネルソンのテナーと狂紫郎のソプラノが一斉にアノテーマを吹きだした。
アルバム「ブルースの真実」は名盤である、オリバー・ネルソンはこの一枚で名を上げた。
このアルバムには正にブルースとは何かというイディオムが沢山詰まっている、そしてジャズの原点と基本はやはりブルースだということを実験し証明している。
ドロフィーの存在もフレディーハーバートの存在も前衛的でありながらブルースであり、ピアノがビル・エヴァンズでありながら、そのハモにブルースの芯をたたき出している。
チェンバースのベースは軸になり、ロイ・ヘインズのドラムは歌っておりファンキーでさえある。

周囲が皆、モード手法に流れ出した時期、もう一度ブルースの限界に挑戦した大きな意義をもつアルバムが「ブルースの真実」でだとおもう。

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February 22, 2008

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その151回ーー「ジャズ批評を買ってください!」の巻ー

ジャズ批評・142号 2008年3月号に私のインタビュー記事が掲載されました。
同時に「着物でジャズ」のリポートも・・。

ジャズへのこだわりの話をしたのですが、短い時間で全部を語れなかったのが残念で、心残りです。
しかし、ジャズ界での一番のこだわり人間、ジャズ批評主宰の松坂妃呂子さんにお会いできたことが、最高の喜びでありました。

発行部数、広告数を考えても、商業主義から程遠い、雑誌です。
是非、皆さん、「ジャズ批評」を買いましょう!

立ち読み禁止!

この雑誌は、永久保存版です、何年経過しても内容が劣化しない、雑誌です。20080222_018
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February 08, 2008

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その150回ー「スリーピー・狂紫朗・ジャズ無頼帖 オーディオを斬る」の巻ー

おかげさまで、150回を迎えました、そしてご来客数も30000ヒットを越えました。
これも、お閑で酔狂で物好きな皆様のお陰です。
遠くは北海道や沖縄、いや、欧米や豪州から・・・。
相変わらずの校正、推敲なしの書きなぐり、誇大妄想、ウソとホントのミックスジュース。
お知恵、アイディアはいつでも頂きます、アイデイア料はお払いしません。念のため。
批難、中傷、誹謗、絶賛、大歓迎!
では、40000ヒットを目指してまっしぐら!

<前回より続く>
「スリーピー・狂紫朗、ジャズ無頼帖 オーディオ斬り」の巻

狂紫朗は、寒波の押し寄せる黄昏時、中央線沿線のとある駅前を歩いていた。
路地を覗くと「JAZZ」という大文字の看板が目に飛び込んできた。
ふらっと、扉を開けた。
途轍もない音量が耳をつんざく、店内に客は僅かに3人。
狂紫朗は静かに空いていた隅の席についた。

店の主と思わしき人物が愛想も無く、傍に立った、「マティーニ、ドライ・マティーニ」と耳元で繰り返した。主は首をかしげながら、遠ざかった。
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店内にはセロニアス・モンク「ミステリーオソ」が流れている、ジョニー・グリフィンの金属音テナーの後ろでコードを叩くモンクの姿が浮かぶ。
しかし、いかにせん、音量が大きすぎる、本物の音より大きい。
オーディオには疎い狂紫朗にもスピーカーがJBLパラゴンであることくらいはわかった。

その時、マティーニが机の上に無言で置かれた。
一口マティーニを舐めた、甘い・・・味にシマリがない、この音と同じだ。
たしか、ドライと言葉を加えたはずなのにと思った。
店内はジャズ喫茶特有のレイアウトで、典型的な配置、椅子はみなスピーカーに対座している。

アルバムが変わった、「スリー ブラインド マイス」、ジミー・メリットのベースのイントロが始まり、シダー・ウオルトンが加わり、ブレイキーがレガートを付け始めた。
三管編成のテーマが始まった・・・しかし何だこの音は、実際より音量が大きいだけではない、音質が違う、実際にコンサートで同じ編成を生で聴いたことがある狂紫朗は「ちがう!」と声を出した。

主と思わしき人が近づいてきた、「お客さん、お静かに」
「こんな音が静かに聴けるか」
他の三人の客が振り向いた。
ウエイン・ショーターがソロを取っている・・・しかし、ショーターの音色ではない。
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「うちのオーディオは都内でも有名な装置だ、この音に文句つける奴は初めてだ!」
主が息巻いている。
「どうだ、このクリアーさ、低音の伸び、最高音だって割れずにシッカリと伸びているだろう、シッカリ聴け」
「しかし、ショーターの音色はこんなに角ばっちゃいない、もっと角の丸い音色だ、それにこのマウスピースはまるでメタルマウスピースの音だな、この時はショーターはハードラバーだと思うが・・・・」
「なにお、聞いたようなことをいいやがって、俺の店にケチつけにきたのか、代金は要らないから、さっさと帰ってくれ」
「いや、帰りたいのはこっちの方だが、この音が本物だと思って聴いているお客さんが気の毒だな」
「ショーターの本物の音って?」とお客が声を張り上げた。
「もっと太い、低音がバリバリとくる音だ」
「なにお、この当時の本物の音が何だか知っているのか、エッー、分かってない奴はこれだから困る」と主が言う。
「この同じ編成で来日したとき、私は最前列で聴いている、1963年の時だ、曲も同じものを聴いている」
ソロがハーバートに変わった。ブレイキーが煽る、ハーバートの高音がヒットした。
「ハーバートの音はもっと輝きをもっているな」
「・・・・・」主は無言になった。
「なら、どんな音が本物の音だというんだ」

それから暫く、音を少し落とせとか、低音にシャを被せてとか、スピーカーの中に人がいるみたいだ、もっと距離感をだせとか・・・30分ほど続いた。
「少しはましになったな」
「しかし、これでは音がボケて聴こえないかな・・」と主。

「ピアノトリオでも聴いてみろ、一目瞭然だ!」
アルバムがピーターソンに変わった。
「ナイト トレーン」だ。
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お客の一人が思わず「ああ、ピアノがそこにあるみたいだ、ベースもドラムもしっかりと識別して聴こえる」
主が不思議な顔をして聴いている。
「どうだ、ピアノの中に頭を入れて聴く客はいないだろう、これがピアノから数メーター離れて聴く音だ」
「では・・・本物の音より良い音など無い」

主が気がつくと、不思議な風体の男の姿はなく、テーブルの上に1万円札が一枚とメモが置いてあった。
メモには「ハンク・モブレイを聴け」と・・・。

<続く>

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January 25, 2008

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その149回ーー「篠笛」の巻ー

小春日和の昼下がり、狂紫郎が港区のとある繁華街から少し入った静か住宅街の往還を歩いていた。
今日は背中にソプラノサックスの筒を背負ってはいない、脇差風の西陣織の煌びやかな笛袋だけを腰に差している。
とある、門の脇に姿のいいみこしの松のある日本家屋に入っていった。
狂紫郎は10畳ほどの日本間に正座していた、その向いに座っているのはもう80歳にならんとする村上アヤである。
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福原流 篠笛の重鎮である、村上アヤは普通弟子をとらない。
ある日突然、玄関に現われた狂紫郎を見て、一度は断わったが二度目に現われた時に座敷に上げた。
襖戸を開けて部屋に入ると端座とはこのことだと思える姿勢で30分を待ちつづけた。
アヤの試験の一つであった。
続いて、笛を出させ、基音を出させた、唇の当てかた、息の吹き込みに難点があったが、ロングトーンにブレがなかった。基本は習得が終わっている、それを確認してアヤは狂紫郎を弟子にした。

村上アヤは鼓の名人でもあった、篠笛の基本技術を教え、むしろその笛に併せてアヤは鼓を打った。
篠笛と鼓の絶妙な間合いの練習をした、その合間に唇と笛の確度、唇の形などで音色の変化をだす技術をおしえた。
そしてフルートでいうところのタンギングは篠笛では「指打ち」という技術でだす、息の吹き込みと孔を指で叩く、このタイミングでタンギングと同じ効果をだせる。
今日はその練習が主だった。
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「唇と笛口の角度がちがいます、右手が下がります」毅然と注意する。
ロングトーンを出しながら、笛の角度と息遣いを変えることでスラーをかけて半音を上下する、指のポジションでの半音だと西洋音階を表現するには良い、しかし、狂紫郎はもっと妖艶で無我の世界の音を表現したかったのだ。

「しかし、エリックはんの音色は七変化ですなぁ」京都なまりが混じった言葉でアヤは思わぬことを口にした。
そう、エリック・ドロフィーのフルートをしっていた。
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「さあ、稽古は今日はここまで、狂紫郎はんのメロディーを聴かせてください」
狂紫郎は一度背筋を伸ばし、息を静かに吐き出しきった。
「サマータイム」をノーリズムの世界で展開した。
メロディーの美しさを透明感をもった音色で吹ききった、アドリブに入った、ブルーノートやフラット5の音をスラーをかけて半音をずらし表現した。
一瞬、早いパッセージを吹いた、そして最高音へ運ぶとき、息の吹き込みと指打ちで細かいタンギング音を表現した。
音色に独特の煌きが走った。
エンディングは半音ずつ下降させ、7THの音で余韻を残し終わった。
「結構な音色ですなぁ、でも少し怖い音どすなぁ」
「怖い?」
「そう、音の中に殺気みたいな気を感じます」
しばし目を閉じて、「まだか・・」と独り言のようにつぶやいた。

<次回につづく>

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January 21, 2008

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その148「閑話休題・オスカー・ピーターソンのミスタッチ」の巻ー

あのジャズピアノの最高峰に耀くピーターソンにもミスタッチが・・・あった。
あの名盤「ロンドン ハウス」の中にある。
1961年から62年にシカゴのジャズクラブ、ロンドンハウスで実況録音された歴史的な名盤である。
ピーターソンもレイ・ブラウンもエド・シグペンも絶妙のコンビネーションでその演奏に一点の曇りも無い。
私がこのLPを最初に聴いたのは1963年で、「ザ トリオ」と「ロンドン ハウス」が二枚組のボックス入りで発売されたときである。
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「トリクロティズム」や「オン ザ グリーンドロフィン ストリート」などを快適に聴き進んでいった。
曲が「シカゴ」にかかった。
この曲は、最初、ピーターソン独特のイントロのリフから入る、次いでご当地ソングとして有名なメロディがミディアムテンポにのって快適にスイングを始める。
ピーターソンのソロは益々ノリ、完全にピーターソンのバカテク・スイングの境地に入ってゆく。
後半、シグペンのレガートがアフロ的なリズムに切り替える、ブレイクする、ピーターソンが1音を最高速且つピアニッシモで連打する、「さあ、始まるぞ、倍テンポになるかな・・ならないかな・・」
と思わせ、再度高速ソロに入る、そして2小節のブレイク、溜め込んでレイとシグペンが行くぞと構えるその時、16分音符の連続フレーズの中の一音が抜ける・・・・聴いていて一瞬「ウッ」と息が詰まる瞬間である。
この速さで16分音符は80分の一秒くらの速さであろう。
しかし、連続的経過音なので一瞬抜けたと私は感じた。
曲はそのまま、何事も無かったようにドンドンと進みエンディングに入る。

私は、初めてこの盤を聴いていらい、ここはきっとピーターソンは一瞬指がひっかかったに違いないと思った。彼の頭の中ではいつもアドリブのメロを歌っている、彼はその時も歌っていたに違いない、しかし、頭の中でのインプロビゼーションのメロディラインからたった一音が抜けた。

今回、この文章を書くにあたって、再度聴き直した、何度も聴いた、やはり、一音抜けていると・・・。
完璧を期す名人だけに、これは抜けたに違いないと思うのである。
このLPを聴いたのは100回ではきかない、しかし、聴く度にこの個所で私はピーターソンは実は連続的に弾きたかったに違いないと・・・人のアラを探すようだし、別にこのミスがあったからと言ってこの演奏の値打ちが下がるわけではない。
いずれピーターソンにこのことを聞いてみたいと思っていたが、今はもう聞けない。

次ぎは、「ピーターソンの左手とレイ・ブラウンの音選びは、考え抜かれた計画的な音だ」というお話でもしようか。

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January 15, 2008

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その147回ーー「本田竹広の命日に・・」の巻ー

2006年1月12日に「浄土」に旅立って今年でもう2年が経つ。
蛮からで無骨で不器用で繊細なピアニスト。
黒っぽいフレーズで強烈なリズムで、でもロマンティックな語り口もいれて、彼はジャズシーンに登場していらい、我々を魅了し続けた。
彼と個人的なかかわりをもって接した方、沢山のライブを共に聴いた方、そのような方々は沢山いらっしゃるだろうから、個人にまつわる話はその方々にお任せしよう。

この1月12日の命日には、本田さんのLPやCDを沢山聴きながら、徒然、こんなことを思い出し、考えていた。

1968年、彼がまだ音大の学生のころ、私は中学、高校時代からのジャズ友でジャズ評論をやっていた故軒口隆策君が「おい、凄いピアノがいるぜ、一緒に聴きにゆこう」という誘いで、ジャズクラブというより、今流に言うならカフェでのライブというような場所で彼を聴いた。
彼のファーストアルバム「本田竹広の魅力」が1969年の録音だからそれ以前だった。
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早稲田大学のジャズ研に所属していた軒口君の情報だったので、きっと鈴木チンさんや増尾好秋君から聞いて知ったのだろう。
音が大きい、音数が多い、早いフレーズが多い、しかしリズムが走る・・・でも、こんなピアノが弾けたらいいな・・・大学でジャズピアノを弾いていた私の最初の印象であった。
同時に、音大と聞いて羨ましかった、「それはそうだろう、ピアノは上手いはずだ」とも思った。

それからは、毎年数枚のアルバムをリリースし、話題の人となっていった。
「ネイティブ・サン」を結成する前、渡辺貞夫Gにいたときに初めて短い話をした。
夏の蒸し暑い夜、ライブハウス「ジロキチ」の表の歩道でだった。
この話は亡くなった時の追悼ブログにも書いたことがある。
何しろあのライブハウスは狭い、そして満員に詰め込む、3ステージのうち2ステージが終わり、休憩時間にはミュージシャンの居場所もない。
皆、涼みに表に出て一服していた。
私は歩道に腰掛けて仲間と一服してた・・そこに本田さんが横に座った、勿論グラズ片手にである。
「暑いな、汗だくだ」とヒゲモジャの顔で言った。そして「皆も暑いのに凄いね」とあまり普段喋らないと思っていた本田さんが話し掛けてきた。
皆、一列になって歩道に座って休憩をしていた。
「本田さん、何故音大行って、クラシックへは行かなかったの?」と、我々からみたら、得体の知れない学校、音大はみなクラシックの勉強にゆくと思っていた。ジャズなどやったら退学になるくらいに考えていたので、そんなことを聞いた。
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突然、横にいた貞夫さんが「同じじゃない、クラシックもジャズも」と言った。
「俺、好きなんだジャズのノリが」と本田さんが言った。
後は何を話したか覚えていない。
休憩が終わり、皆中に入った。
木製の長いベンチ椅子とやはり傷だらけのテーブルを店内の片隅に積み上げて、お店の中に皆立っている。
貞夫さんがカウウントを出す、サンバのリズムにのって「トリステーゼ」が始る。
店中が踊り出した。
貞夫さんも本田さんも延々とソロをとった。ドラムソロになると全員が空き缶をもって叩いた。
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本田さんは、間もなくNYへゆき、ローン・カーターとトニー・ウイリアムスと録音をした。
これを聴いたとき、このままNYで活動をすれば良いのにと思ったのは私だけだろうか。
何故なら、この時の二枚(「アナザー・ディパーチャー」と「リーチング・フォー・ヘブン」)の録音内容が素晴らしく、いつになく、ノリまくりながらも、抑制が効き、三人の内容が絶品に仕上がっていた。ロンもトニーも本田さんを認めて、対等にインスパイアーしあっているのが分かる。
そして、このまま、本田さんは大好きな黒い感性の息づく街NYでそのまま黒い世界で演奏をした方が良いのではないかと単純に考えた。

その後、本田さんは「ネイティブ・サン」をつくり、人気バンドとなった。
時代が望んでいた、そして、誰しも電気楽器で表現をしてみたい、そういう時代背景があった。
しかし、どれを聴いても表現内容に大きな差を感じないフージョンの世界は、半分は理解できても半分は理解できなかった。
何故、半分かというと、電気楽器を駆使したフージョンの世界は演奏するほうは実は音の世界に入り込み純粋に楽しいのだ。しかし、聴く側になると、同じリズムパターンが続き、アドリブ、インプロビゼーションの範囲が限られ、似て非なるサウンドの連続となる。
これで満腹感となり長く聴き続けられなくなるのである。
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1978年に録音した「イッツ・グレイト・アウトサイド」でコーネル・デュプリーとやった演奏がジャズの限界ではと・・・これは私の個人的な感性と価値感の問題だ。
彼はフュージョンからR&Bなどを取り込んだ、ブラック・ミュージックの世界に行きたかったのだろうか。アフリカに回帰したかったのだろうか・・。
この本質は、出発点から変わっていないなとも思う。

「I LOVE YOU」で4ビートで快適にスイングさせながら、当時のヒット曲「サニー」を8ビートでやっている。ジャズになりにくい、でも黒っぽいメロで内容はR&B的なソロになっている。
そして、彼の特長、ノリだすとリズムが走る・・この「サニー」でもそうである、気持ちがはやるのだろうか・・その気持ちは聴く側にもよく分かる。Imgp0107


しかし、70年代はNYでロンやトニーと大きな飛躍をしたにも関わらず、まだ別世界へとイメージを飛ばせていたに違いない。
70年代の本田竹広(本田竹彦、竹廣<変換が出ない日へんのヒロ>)が何故か私は好きだ。
「ミスティ」で弾く本田は伸び伸びとして、黒い雰囲気をたっぷりと味わいながら演奏をしている。
私はいつも彼はこんなお客の中で、このようにやりたかったのではと思う。

「ワッツ ゴーイング オン」にいたってはマービン・ゲイの曲まで取り上げている。
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最近、音源が発掘された「ライブ イン 鹿児島」は数すくないライブ盤で、まるでマッコイ・タイナーと古沢良治郎のエルビンがやっている凄い迫力だ。録音は悪いが、内容は素晴らしい。
「サラーム・サラーム」はオリジナル中心で構成されているが、その作曲について「ジャズ批評」のインタービューで答えている、作曲は作りこみではなく、浮んだイメージをそのまま書く方式だと。
インプロビゼーションと同様、思いついたメロをモチーフに作曲をしていたのだ。
「コードは単純に、アドリブがし易いように書く」とも言っている。

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ネイティブ・サンは峰厚介が抜け、藤原幹典がはいり、メンバーも徐々に変わってゆく。
この頃の演奏はあまり生でもCDでも聴こうという気を起こさせないのは単に趣味の問題なのだろうか、それとも彼はスランプの状態にいたのだろうか。
私が想像するに、もっと早く方向転換をしたかった・・・が売れに売れたネイティブ・サンをレコード会社が離さなかった。
ギャラもいい、経済的にも安定する、しかし、彼の中では既に違う世界が描かれていたに違いない。
その安定した世界には安住するつもりは無かった、彼は無頼の人であった。

無頼とは、自分を貫き通すという意味である、ある意味、孤高でもあり、自己のダンディズムを保持することである。

その後かれはアコースティックな世界へと回帰する。
ベース、鈴木良雄、ドラム、日野元彦で1990年から91年にかけて、素晴らしい録音を残している。「バック・オン・マイ・フィンガーズ」はその中でも秀逸で、70年代にくらべ垢抜けた、粒ぞろいの音色が見事である。そしてファンキーでグルーブさせる展開は以前にも増して一層パワーフルでもある。
「アーシアン エアー」もいいし、ソロ・アルバム「シー オール カインド」は完成度がとても高い本田のソロの世界を聴くことができる。

そして、本田竹広は次の目標を見つける。
「EASE」と名付けたグループで三管の分厚いサウンドを展開する。
「ブギ ブガ ブー」では、やはり本田の世界・・・そうあの黒い世界へと引き込んでくれる。

1994年、97年と病に倒れ、幾たびかの危機を乗り越え、ピアノを弾くためにリハビリをし、人口透析をしながら、まだリサイタル、演奏とつづけ、「ふるさと オン マイ マインド」をつくり、「ナウ オン ブルース」を、そして「紀尾井ホール リサイタル」まで、ピアノにこだわった。

取り留めのないことを書いてきた・・・しかし、これも彼の命日がさせたのだろう。
そういう意味ではまだ彼は私の中で生きているのは確かだ・・・。
沢山のLPやCD、彼について書かれた書物を前にして、当時を思った。

私が、もし神様から「ピアノを自由に弾くことができるようにしてやる、どんなピアニストになりたいか」と問われたら・・・本田竹広・・と応えるだろう。

ジャズのLPやCDは沢山棚に並んでいる、しかし、繰り返し聴くアーティストはそんな沢山はいない。マイルス・デイビス、ホレス・シルバー、アート・ブレイキー、セロニアス・モンク、ウイントン・ケリー、ソニー・ロリンズ、ジョン・コルトレーン、オスカー・ピーターソン、そして本田竹広・・・。
みな、何度も聴きたくさせるエネルギーを内在させているアーティストだ。

本田竹広の三回忌命日にそんなことを思い出し、偲びながら彼の音を再現して聴き続けた。

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January 11, 2008

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その146回ーー「ジャズ無頼帖その1」の巻ー

正月の音出し始めも終わり、振る舞いのただ酒をいいことに飲みすぎたコメント常連客もやっと引き上げた。
店の片付けも終わり、スタッフとハウストリオのメンバー、そしてスリーピーも加わって母屋での夜食会となった。
この夜食会はすでにこの物語の初めの部分で度々登場している。
しかし、途中から読み始めた方の為に状況シーンを少々説明しよう。

ジャズクラブ「KIND OF BLUE」の入口とキャッシャー、クロークは一階にあり階段を降りて地下がライブハウスと厨房になっている。
一階は小さな洒落た小さな家という感じである。中庭を挟んで母屋があり二階建てでこの主人公ゼンさんの住まいだ。
中庭には、大きな欅が一本ドッシとたっている。ゼンさんの車二台とシェフの長さんのバイク、ドゥガッティーが停めてある。
母屋は扉を開けると、大きなリビングがあり、30人の食事会ができそうな広さと大きなテーブル、趣味の良い食器棚と食器、グラス類、シンプルなオーディオセット、ソファー、ホームバーが片隅に、そして以前ライブハウスで使っていたスタンウエイのコンサート・グランドが置いてある。

週に二度、スタッフが集まり夜食会を行う、簡単で美味しい賄い料理をつくってくれるのは、シェフの長さん、そしてスタッフの二人、ギャルソンの山ちゃんとキャッシャーのヨーコちゃんだ。
これに、レギュラートリオの面々が加わる。
このジャズクラブはご存知のように、ゼンさんが主宰する株の投資で経営・運営をしている。
お客さんからのチャージだけではこれだけのジャズクラブを隆々とやっていける訳がない。
そう、株で稼いで、経営上の運転資金を賄っている。
ジャズクラブや株投資をやっている会社を「BLUE IN GREEN 社」という、略して「BIG」という会社だ。スタッフの面々も少額ながら出資している。
そして、タップリと給与と配当を受けている。
ここの夜食会がいつも投資先相談会議の場であり、投資状況の報告の場でもある。

「どうだろうか、今日は狂紫朗こと恩田君が参加している、新年会でもあり昨年末の他のジャズクラブの話など聞きたいと思うのだが・・」とゼンさんが切り出した。
「ききたいなぁ」と山ちゃんが言い出した。
食卓には3種のパスタと5種ほどのチーズがもってあった。
「今日は正月だ、シャトー・ラトゥール97年でも開けるか」とゼンさんが山ちゃんに指示した。
バカラのワイングラスが何気なく配られ、乾杯となった。

「じゃあ、少し話してみようか」とスリーピーが話し出した。
音楽はエセル・エニスがかかっている。

「それは暮れの横浜での話なんだ」
俺は昔よく通ったジャズクラブがあるはずだと探しに行ったがもう見つからなかった。
そう20年も経てば変わるさ。
そこでその傍にあったジャズクラブに飛び込んだ、「D」というクラブだ。
内装もまあまあ、当日の演奏者というかメンバーはここによく出ている名で、ピアノトリオだ。
見るからに真面目な若いジャズ研究者という様相だった。
演奏技術は稚拙でもいいからマインドのいい音やフレーズが聴きたいものだと入っていた。

店のヤツは俺の格好を見て一瞬引いたが、ジャズクラブには変なヤツもよく来る、何も無かった様に6分ほど埋まった席の一つに案内された。
俺は、先ず、いつもの通り、ドライマティーニを注文した、そう「ドライだぜ」と念を押してね。
「ジンは一滴でいい」とも付け加えた。
やがて演奏が始った、そのトリオは二曲ばかりスタンダードを演奏した、そして一人の若い女性ヴォーカルが出てきた。
まだ、歌いはじめで、歌の歌い方にその若さが出ていた、でもそれも真面目に歌おうという気持ちが伝わったので、まあいいかと、マティーニを舐めていた。
最初の曲「There Will Never Be Another You」をミディアムテンポで歌い終えた。

その時、店の奥でなにやら騒がしい一団が、「リクエストだ」という声も聞こえた。
ジャズクラブでリクエストとは随分無粋な奴らだなと思った。
でも、その歌手はなにやらおびえ気味にその方向を見ている。
「You Be So・・・」と「柳・・・」をやれと酔って言っている。
普通は無視であるが、若いヴォーカルはそっとピアノの彼をみた。
ピアノ君は少しうなずいて、「You Be So Nice Come Home To 」のイントロを弾き始めた。
しかし、このヴォーカル嬢にはこの歌は似合わないし、先ず歌いたいという気がない。
いやいや歌っているのがミエミエである。
「やはりこれだよな****」という声が聞こえた。
近くを通った店のスタッフを呼び止めた、マティーニのお代わりを頼みついでに聞いた。
「あれは何者なんだ」「えーー、少し言葉に詰まったが、声を一層低くして、ちょっと恐い人たちで、あの子のファンでいつもあの子が出るとやってくるんです、騒がしくてすみません」と申し訳なさそうな顔をした。

「おい、どした、次ぎは柳だ、あのウイロウ何とかだ!」とどなっている。
俺はそっと脇差から篠笛を抜いて、ピアノの傍に行った、そして言ったんだ。
「俺も参加させてくれ、悪いようにはしないさ、君はこの歌知っているのか?」とヴォーカルに聞いた。「なんとか歌詞は・・・」
「まあいいさ、おれは勝手につけるから、任せておけ、そして君たちの自由にやれよ」
そう言われてピアノ君もヴォーカル嬢もベースやドラム君達も、「じゃあやろうか」という顔になった。
「おい、なんだ今度は笛も加わるのか」「なんだアイツの格好は、ポニーテールちょんまげに、紫の着物・・・変な格好だな」「いいからささっとやれ!」

「WILLOW WEEP FOR ME」のイントロはピアノがつけた。
そしてテーマの歌に入った、このブルージー満点な曲に俺は篠笛で、かすかにブルーノート・フレーズを絡めた。
歌がノリだした、無意識にフェイクする音が見つかるらしい、よりブルージーな装飾音が自然に入る。
俺は小声で、グッドと言ってやった。彼女はニヤと笑って歌を終えた。
続いてピアノがソロをとった、俺は2コーラス目からバックリフをつけた、3コーラス目にはピアノ君のソロフレーズに篠笛を絡めていった、ピアノ君は俺の顔見て次には途轍もないフリキーなフレーズを弾き始めた、「いいぜ」と小声で囁いてやった、ベースもドラムも自然に音の中に入っている。
ドラムのレガートとベースがピタリと一致している、これはやろうと思ってできることではないが、相手の音を自然に聴けるときは自然に一致するものなのだ。

4コーラス目で俺はピアノ君のソロさせたまま、篠笛のソロをかぶせていった。
演奏全体が大きくスイングしだした、それまでのシンバルレガートとベースの4ビートによる刻みとは違うもっと大きな弧を描いたスイング感になっていった。
笛の音色は澄みわたり、研ぎすまされ、大きなスイングの弧の上で空気を切り裂くような一音を発した。
いままで騒いでいた集団が皆何事かとバンドに注目し、目が点になっていた、口は間抜けにも空いていた。
早いフレーズ、キレのよい音、和笛独特の音程の不安定さもなく、一本の光りのような音色が空中を飛び回り始めた、目を閉じるとまるで100色の色彩をもった星がちりばめられているようだ。
低音から最高音まで半音階づつ素早くせりあがった、その瞬間、その店全体が大きく揺れ出したように感じた。
あの恐いお兄さんの集団は立ち上がって何か言おうとしているが、立ち上がれないでフラフラしている。
俺はテンションをすこし緩めて、歌に戻した、ヴォーカル嬢はどこから入るか普通ならかなり難しい状況だったが、我々の演奏をしっかりと追ってきたのだろう、素直にテーマに入った。
お客もお店のスタッフも皆時間が止ったような顔をしていた。
そして暫しの間のあと、大きな拍手がきた・・・がアノ集団だけは白けた顔をして不満そうだった。

俺は席に戻った、そして冷えたマティーニを一気に飲み干した。
ピアノ君が傍にやってきた、「ありがとうございます」礼儀正しく挨拶をした。
そして「あんな笛、聴いたことないです」とも付け加えた、そして傍らにあった、細長い筒をみて「ソプラノも吹くのですか・・」と。

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その時、例の集団がヴォーカル嬢を呼んでいた、親分格と見られる男が「おう、もう仕事を終わりにして食事に付き合えよ」などと言っている。「もうあんな音楽やるなよ、うるさいだけじゃないか、話もできないぜ」と若いものが言う。

「あいつら何なんだ」と俺は再度ピアノ君に聞いた。
「あれは地元のヤクザさんでね、暴れるわけではないけど、ジャズが好きだとか、あの親分みたいな人、横野さんっていうらしいけど・・、いつも歌のあの子がお目当てで、でも迷惑みたいで、逃げているけど・・結構うるさいんだ、それで店はいつも料金はダータ(無料)でね、おまけにミカジメ料っていうのかな、お店が渡して引き取ってもらっているらしい」
「アイツラが来ていると、演奏をやる気が失せてしまってね、やっていてもみな乗り気では無くなってしまうんだ」とも言った。

スリーピーは静かに立ち上がると彼らに近づいていった。
「もういいだろう、十分に飲んだらしいし、お前達が音楽を聴く場所じゃないな、ここは」と親分格の人物に言った。
一瞬、周囲が色めきたった。
「なにを!このチョンマゲ野郎!」と若い一人が詰め寄った。
「兄貴、どうします?」
「・・・・どこかで見た顔だな・・・」親分格の兄貴と呼ばれた男がつぶやいた。
「旦那、お久しぶりです、その節はお世話になりました」と丁寧な挨拶をした。
そして「さああ、帰るぜ」と号令をかけた。
「まだ帰さない、ちゃんと料金を払って帰れよ、ツリはチップだよな、リクエストまでしているんだから」そう念を押した。
傍でマスターが縮こまってただ立っているだけだった。
「これで」と1万円札を5枚ほど置いて、足早に立ち去った。

他のお客もスタッフもただじっと見ているだけだった。
マスターが恐々と話かけた、「また仕返しにくるのでは?」
「いや、来ない、二度とこの店には来ない」と自信をもって言い切った。

「さあ、次のステージでも一曲お手合わせしてもらおうか」

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January 07, 2008

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その145回ーー「新春共演」の巻ー

<明けましておめでとうございます、新春ブログ初めです! 今年も荒唐無稽なお話を宜しく御願いします>

「スリーピー・狂紫朗 新春共演の巻」

長い正月休みも終わり、街にも喧騒が戻ってきた。
「KIND OF BLUE」の音だし初めも今夜からだ。
特にイヴェントを企画する訳ではないが常連はいつものように集まってきた。
正月らしいといえば、振舞い酒の為に菰かぶりの一斗樽が入口に据えられていた。
北海道からはDUKEさん、近隣のKAMIさん、しんじさんに、Basscleffさん、みんなただ酒が飲めるというので早くから出来上がっている。

ハウストリオのメンバーも常連も一合升を片手ににぎやかだ。
「さあ、そろそろゆくか」とリーダーの大野が声を掛けた。
ピアノの河田吾郎がブロックコードを叩いた、ベースの山田と大野がすかさずミディアムスローでバックをつけた、「サテンドール」からの始まりだ。
落ち着いたフレーズで大きくスイングしている、まるで年末に亡くなったピーターソンに捧げているような雰囲気だ。次第に音数が増してくる、密度の高い音でウネリを作り出す、粘っこいスイングに練りあがってくる、そこでテンポが倍になる、ここからは超アップテンポになる切れの良いシングルトーンフレーズが途切れなく続く、2コーラスをアップテンポで進み、二拍三連を二小節続けてもとのテンポに戻った・・・ここで拍手がきた。
一曲目からみなノッテいる。

そんな時、階段を濃い紫色の着流し姿で階段を降りてきたのはスリーピー・狂紫朗だ。
みな、もう前回の登場で彼が何者か分かっている、年末は都内のライブハウスに飛入りして演奏者の度肝を抜いたらしいが、演奏の内容が刺激的ではあるがジャズ以外の何者でもない、むしろ本質をついた音を出すのでその場に居合わせた人たちはかなり喜んだらしい。
但し、いい加減な音で対応した共演者は例によって、円音奏法により金縛りにあい一音も出せなかったと噂が飛んでいた。
彼は一人の連れを伴って入ってきた。
細身の黒人でボルサリーノを目深にかぶり静かな雰囲気をもっていた。

ドラムの大野が声を掛けた、「何かやりますか?」
スリーピーは帯から脇差風の篠笛を袋から取り出した、「彼も一緒にいいか?」と大野に聞いた。
「彼も何かやるのですか?」「うん」それしか言わなかった。

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その彼はポケットから小さな楽器を取り出した。
お客が少しざわめいた、「何あれ?」と見慣れない楽器だ。
「もの知りの富田さんがいった、ポケット・トランペットだ!」
スリーピーが吾郎にキーを囁いた、スリーピーの篠笛とポケットトランペットがユニゾンでテーマを吹き出した。「WELL YOU NEED’T」だ。
その男はポケットトランペットにミュートをつけていた。
テンポの間合いがタイトだ、リズムとフレーズの乗りに緩んだ間がない、間あるが100分の1拍すら感じさせる演奏だ。
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ソロは最初はスリーピーがとった、45センチの篠笛でD♭キーがベースになっている。
ロングトーンはあくまで澄んだ音色を震わせ、早いパッセージではキレの良いフレーズを吹いた。
和笛にある音程の不安定さは無い、むしろ吹き込む息つかいが音色にかぶって緊張感を高める。
2コーラスが終わって次にポケットトランペットが登場した。
そのノリはリズムの微妙なタイミングに音を置いてゆくようなフレーズだった。
まるでモンクがペットを吹いたらこんな音のおき方になるのではと思うような、ノリだ。
でも不思議なスイング感をもっているし、フレーズと音色はブルージーだ。
2コーラスが終わってテーマに戻った、スリーピーの篠笛がメロをとりポケット・トランペットがオブリガートを絡めた、そして最終のメロをペットが篠笛を追って最終音でピッタと一致して終わった。
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場内は心地よい緊張から解きほぐされた、そして拍手が起きた。
ゼンさんが皆に紹介した「ドン・チェリー!」
お客が顔を見合わせた、その男がシャイなのだろう、恥ずかしそうに会釈をした。

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そう、ペットのドロフィーとでも言えばよいだろうか、モヒカン刈でカムバックしたロリンズを一層過激にインスパイアーしつづけた「OUR MAN IN JAZZ」での存在はいまだに新鮮であり、凄い。
でも一方においては、シンプルなブルースを温かい音でやさしく吹く男でもある。
ドロフィーはコルトレーンを触発しドン・チェリーはロリンズを触発した。
のみならず、彼は色々なセッションで周囲を煽り、インスパイアーしつづけた、サラ・ボーンは彼とブルースを演奏するのが好きだった。

「KIND OF BLUE」の新春最初の飛入りゲストはドン・チェリーだった。
ゼンさんがスリーピーに話し掛けた「今夜店が終わったら久し振りに母屋で夜食会にでも参加していってよ、他のライブハウスでの出来事も知りたいし・・」
「いいさ、まだ正月気分だ」とスリーピー・狂紫朗が応えた。

<次回に続く>

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December 28, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その144回ーー「オスカー・ピーターソンへの賛歌」の巻ー

2007年12月23日、オスカー・ピーターソンがこの世を去った。
思えば随分と長いつきあいであった・・・・とは言え、個人的な交流が特にあった訳ではない。
1961年の1月にジャズに魅せられて以来、アート・ブレイキーやマイルスと共に長いつきあいであったような気がする。
しかし、ピーターソンとは何か別な繋がりというか、少々次元の異なる繋がりではと思う。
そこで、彼へのオマージュという意味も含めて、出会いからを整理して書いてみよう。

初めての出会いは1953年のJATPで来日割いた際に母親に手を引かれて聴きにいった、しかし、意識して聞いていた訳ではないので母親から聴いたといわれて、そうだったのかというくらいの感覚と記憶しかない。
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1962年頃にやたらに早くピアノを弾く奴がいると、高校時代のバンド仲間4人の間で話題になった。
シカゴはロンドンハウスでのライブ盤を聴いた一人、アルトの軒口君が言い出した。
早速その速さとやらを聴いてみたいとおもい、通いつめていた数寄屋橋のハンターへ出向いた。
あった!
それも二枚組みで箱に入っている、高いかなと思ったら、バーゲンで二枚で3000円という。
当時モノラルが1500円でステレオ盤が1800円というのが国内盤の定価であった。
分厚いボール紙でできたLPの箱に入っているだけで高価そうだ。
3000円は大枚であったが、なけなしの持ち金をはたいて購入した。
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「グリーン ドロフィンストリート」で始まり。「トリクロティズム」「シカゴ」「ビリーボーイ」などワクワクとさせるスリリングな展開の連続であった。
「おい、すごいよ」と翌日仲間に話した。
4人のバンド仲間での評価は半々であった。
早く弾けば良いというもんじゃないよ、という奴、でもあのスイング感はたまらないぜ、という奴。
そこから、テクのあるピアニストとテクはないが感性で勝負は誰かなどと論争は発展していった。
同時にスイングジャーナル誌でも紙上論争があり、ピーターソンはスイングするかしないかというテーマであった。

1963年6月2日、産経ホール、ノーマン・グランツの司会でコンサートは始まった。
先ず、ドラムのエド・シグペンが呼ばれ、ブラッシュでスネアを叩き始める、続いてレイ・ブラウンが登場しミディアムアップの4ビートにあわせたブルースコードのウオーキンベースを弾き始める。
最後に御大、オスカー・ピーターソンの登場だ、先ずは「リユニオン ブルース」。
三人の呼吸の合い方が凄い。

最前列の席は高額で高校生には買えない、立見券で入った仲間4人は暗くなるや走って最前列の前の通路に腰をおろして聴いていた。
きっと今では通用しないだろう、直ぐにつまみ出されること間違いないが当時は結構許されていた。

目の前にエド・シグペンがいる、切れ味の鋭い左手のアクセント、ハイハットの音が生で聴こえる・・・レイ・ブラウンはピアノに近く寄り添うように立っている。
大きなステージに三人がシッカリとくっついて纏まったセットになっている。
レイ・ブラウンの低音ながらシッカリと通る大きな音。
ピーターソンは何気ない顔をしてサラッと素早いフレーズを弾く、このフレーズが途切れない、コチラの呼吸が続かなくなるほどだ。
そしてピーターソンのフレーズを唸る声も生で聴こえてくる。
ドラムのピッシ、パッシときまるリムショット、すかさず入るレイ・ブラウンのブゥヲーンという超低音・・何から何までが名人芸に聴こえ、観え、鳥肌がたった。

この日はライブ録音をしていた、後年この盤が発売になった。
「LIVE IN TOKYO 1964」というパブロ盤のCDが出ている。
これを聴いて驚いた、何と最前列でイェーとかイヤァとか叫んでいる声が録音されている。
この声は間違い無く、仲間の故軒口隆策君の声だ。拍手もまじかに大きな音で録音されているのが、我々の拍手だ。
「アイリメンバー クリフォード」、「カドタス ダンス」「ライク サムワン イン ラブ」最後の「自由への賛歌」まで、当日の演奏順に並んでいる。

休憩時間、4人の意見は一致した、「ピーターソンはスイングする!それもただのスイングではない、強烈だ!」産経ホールから東京駅までの帰り道、評論家のピーターソンの評価はあてにならないと、あらぬ方向に話題がむいた。
アルトの軒口君は田町で降り、私とドラムの故小林君は蒲田で下車、私はそこから私鉄に乗り継ぐ、ベースの安藤君は川崎までゆく。その間、ピーターソン トリオの素晴らしさを語り続けた。

しかし、一方内心私は別の不安があった。
ピアノはああ弾かなくてはいけないと思われたら・・・これは大変なことだ。
そして家に帰り、あの二枚組のロンドンハウスを聴いた。
翌週、数寄屋橋のハンターで別のピーターソンを探していたとき、「ストラットフォード、シェークスピア フェスティバル」という、ギターのハーブ・エリスをいれたLPを発見。
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これを聴いて、再度ぶっ飛んだ。
ドラムなしのピアノトリオで聴いたことのない速さで演奏している。
ギターのストロークとベースが完全に一致して強烈なスイング力だ。

ドラムの小林君が聴きたいと、LPをもって彼の家にゆき、彼はそれをターンテーブルにのせ、音を聴きながらドラムを叩く、これが丁度いい練習だという。
でも、ブラッシュでアップテンポを叩こうとするが直ぐにおいてゆかれる。
彼はLPの音量を本物の音と同じくらい上げ、ステレオ装置に向かう形でドラムをセットして練習を続けた。
或る日、小林君曰く、「あいつらは凄い、ドラムも無いのに高速のテンポが一定で狂っていない」と・・・当人が聞いたら、「当たり前だ、お前には言われたくない」と怒りそうなセリフを吐いた。
それから、「ナイト トレーン」「ウエストサイド ストーリー」等など、新譜を追っかけた。

しかし、実際に演奏する段になるとあの指の動きは不可能で、真似をすることを諦め、「あれは真似するものじゃない」といい、私はウイントン・ケリーを追い始めた。

やがて4人は私立男子校から大学へ進学した。
アルトの軒口君は早稲田大学のジャズ研へ、ベースの安藤君も同じ、ドラムの小林君は外語大へ、私は学習院へと進んだ。

私の入った大学は男子60%、女子40%と女子の比重が大きい。
早速、フルバンドにピアノとドラムの両方で参加したり、アルトとペットのクインテットを組んだりしていた。
大学2年になったとき、フルバンにドラムとベース志望の1年生が入ってきた・・がこれがなかなかやる。
フルバンとは別にピアノトリオを結成しようということになった。
少しは指も動くようになった私は、インチキでいかにもピーターソン風に派手に弾く物真似ができるようになっていた。
三人でトリオを組むさいに、ピーターソン トリオ風でゆこうと、無謀な話をしていた。

或るとき、キャンパスで女性を交えて話をしているとき、何か聴きよいジャズがないかと聞かれた、とっさにそれはオスカー・ピーターソンでしょうと答えた。
私の二枚組LPはいろいろな人の手に貸し出されることになった。
そしてそれは概ね好評であった。
当時はボサノバの流行たてであり、ゲッツ・ジルベルトとピーターソンの「ウイ リクエスト」は我が大学では引っ張りだこであった。
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我々、ピアノトリオもインチキな物真似でも当時ジャズをやるピアノトリオは珍しく、結構もてはやされた。
その背景には、ドラムの川島君がやたらテクニシャンで上手かったこと、ベースの森君が音が大きく、どんな早いスピードで何時間も弾ける腕力をもっていたことがある。
私は、再度来日したピーターソンを何度も聴き、その特徴を分析し、物真似につかっていた。
13度も届く手は持ち合わせていない、あのような完璧な音楽才能もない、・・・。
ピアニストの八城一夫氏はピーターソン弾きをしていたが、小さい手であれをやるには、両手が彼の片手に匹敵する、そういう指使いをしないとできないと言っていた。
しかし、私にはそんな指使いは分からない・・・・・。

ピーターソンは最初、シングルトーンなどで静かに出てくる、徐々に音数を増す、倍テンポになる、最後にブロックコードやグリッセンドを多用し、三連符を使い、フォルテッシモに盛り上げる、フレーズの切れ目でドラムのフィルインと合わせるリフをつくり、クライマックスになる。
このような構成の流れを真似するだけで結構それらしくなり、ドラムの川島君のテクの凄さと呼吸のよさで、素人ながら上手く合わせることができた。
そして、このピアノトリオは学園祭では結構人気があり他の大学の学園祭にも呼ばれることがあった。

卒業の間際に、卒業コンサートを開いた、当時私はバンドを二つもっていた。
一つは「セルジオメンデスとブラジル66」のコピーバンドで結構人気があった。
もう一つがこのトリオで結構自信に満ちたインチキジャズをやってヤンヤンの喝采を得た。
1970年大学を卒業した。

1970年代にはピーターソンは何度も来日し、私も何度となく聴きに行っている。
新宿厚生年金ホールで行われたコンサートで、あまり深い考えのない、そして心無い人種差別主義者の投石事件がおきた。
ピーターソンに向けられた投石は幸運にも石はそれた。
演奏は一時中断され会場はどうなることか、これで公演は中止かと・・・。
でも、再度ステージに登壇したピーターソンは静かに「自由への賛歌」を弾き始めた。
いろいろな録音されたこの曲があるが、この時聴いた「自由への賛歌」はまた別の意味をもった感動的な「自由への賛歌」であった。

1995年頃であったろうか・・・私は昼食をホテルオークラのテラスレストランでとり、出口を出た廊下で車椅子にのったピーターソンに出会った。
周囲には彼と夫人以外誰もいなかった。
私は思わず声をかけてしまった、そして6歳のとき1953年にJATPで来日した際に母と聴いた話、1963年に初めて意識して聴いたこと、等など、その間約5分、彼はへぇーという顔をしながらそんなに以前からとか合図地を打ちながら、私のつたない英語での話しを聞いてくれ、最後に握手をした。
大きな手を意識したが、大きさより柔らかさが印象に残った握手だった。

今、レコードやCDの棚に誰の作品が多いかとみると、明らかにピーターソンはトップ3に入る。
ある人は、ピーターソンはどれを聴いても同じでしょうという人がいるが、実は微妙に年代によって異なり、その違いを聴くのも楽しいものだ。
また、ロンドンハウスの二枚組LPに加えることに、そのロンドンハウスで録音したコンプリート盤が5枚組ででており、当時のロンドンハウスに二日間も居るがごとき演奏を味わえるのである。

ヴァーブ時代、パブロ盤、EPSドイツ盤など・・録音の特色もあるし、後年になればなるほど、ヴェーゼンドルファーの特色ある音色を聴くこともできる。

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ピーターソンが死んだと聴いた日の夜12月25日、私は、先ず1964年6月の産経ホールのライブ盤二枚組をそのまま聴き目を閉じた。
そこには、あの日の三人がそのまま登場し、あの演奏をやってくれた、目の前にピーターソンはいた・・・

そしてこれからもずうーっと居続けてくれることだろう。
まだまだピーターソンは弾き続けてくれる。

THANKYOU OSCAR! I MISS YOU!
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December 21, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その143回ーー「スリーピー・狂紫朗という男」の巻ー

<前号より続く>
(空想と幻想と思いつき、架空のジャズクラブ「KIND OF BLUE」へようこそ。幸か不幸か、貴方は下らない口から出まかせ、推敲なし、構成無しのお話に付き合わせれることになる。中傷誹謗、罵詈雑言多いに結構、灰皿投げるも、布団を投げるも多いに結構・・・しかし、コメント欄にお世辞の一言くらいは書き残すが礼儀・・・・ナンチャッテ、またまた続くデタラメJAZZ小説なのであります。)


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金曜の演奏時間はとうに過ぎ、もう夜中の1時半を廻っていた。
しかし「KIND OF BLUE」の店内はまだ熱気に溢れかえっていた。
飛び入りでソプラノでブルースを吹き始めた男は続いて帯に挟んでいた脇差の様なものを取り出すと、濃い紫の筒状の袋から竹の横笛を取り出した。
やおら、曲目も言わず、吹き出したメロディーは「オレオ」だ。
でもこの日本の民族楽器でもある竹製の横笛はフルートと違い、かすれた音を伴い独特の音質を産みだしていたが、音程は安定しフルート以上に西洋音階をとらえていた。
さすがに吾郎達だ、キーを捜しだし、伴奏に入った、キーはD♭だ。

読者にはこの男の素性を紹介しよう。
すでにかなり以前、マスターのゼンさんの学生時代の仲間が店に来てはジャムっていたことをご存知だろう。
そのうちの一人、天才アルトの恩田君がこの人物だ。
彼は大学を卒業し、警察に入った、公安の特殊な部門ゆえ、仕事の事は言えないといいながら、天才的なジャズセンスをもった恩田君はアルトを抱えてよく店に遊びにきていた。そんなシーンも覚えている方もいらっしゃるだろう。
彼は今年定年になった。警察を辞め、これからどうしようかとゼンさんのところに話にきていた。
どうせ独り身の恩田は、いよいよジャズをやりたいと言い出した。
「今、どこのジャズクラブ行っても、軟弱なジャズというか、聴いていられない音が多い、俺は今更プロになって稼ごうとは思わない・・が・・だっ、少々渇を入れてやりたい」という。
退職金をゼンさんのファンドに預けて、全国のジャズクラブを廻りたいというのだ。

そのいでたちがこの格好だ。
「スリーピー・狂紫朗」なんだか、松本英彦の愛称と眠狂四郎を掛け合わせたような名前だ。
しかし、今までの職業柄、目は鋭く、公安刑事の勘も優れている、そんな「気」を消すように突拍子もない格好を思いついたのだ。
今夜はそのデビュー最初の夜であった。

横笛、バンブーフルートの音色は益々冴え渡った。
早いフレーズと「間」、そして一瞬を切り取る鋭い一音、それに素早く反応するピアノとドラム、ベースはいつも以上に低音部を強調し、コントラストをつける。
音にも陰影があることが見えてくる。
ピアノとベースとドラムが一体となった大きな弧を描くスイングをたたき出す、その上で横笛の音が渦を巻き始める。
3コーラス目からはフリーの世界になっている。
聴衆は不思議な心地よい感覚に取りこまれ、闇の中から一閃の光が迫ってくる錯覚に入る、否、錯覚なのだろうか・・・・アクアマリーンのような透明感のある光が闇の中から迫り来る、眩しい限りの輝度で、でも目はシッカリとその光を見ている。光が見える・・・・。

ピアノ、ベース、ドラムが横笛とのインプロビゼーションで会話を続けるうちに、心を素直に音に集中させると奏者は自然に音に反応させられてしまう。手が音を自然に選んでしまうのだ。
もし、素直に音が聴けないと、その奏者の手は凍りついたように動かなくなり、何も出来ないで、ただただ無力感と敗北感にさいなまれるだろう。
しかし、ここで演奏している三人は素直にその音に入っていった。そして自然反応の如く、互いの音からインスピレーションを受け、インプロバイズされた感性から素直な音を出していた。

「音」というものがこの自然界というか宇宙にあって、空気の振動である物理現象であり、その振動は瞬間に伝播し人の心、すなわち、奏者や聴衆をも振動させエネルギーに昇華させる。
それは例えれば、ジョン・コルトレーンとエリック・ドルフィーの相互インプロビゼーションにも聴けるといえば良いのだろうか・・。

横笛が静かに低音部へと降りてゆき、オレオのテーマに戻ったところで、聴衆は我に帰った。
この混沌なのか秩序なのか・・・不思議な時空の中で異様な「光」を見た。
テーマが終っても暫くは、店内は静まったままだった、皆の顔は満ち足りた顔をしていた。
深呼吸ともつかぬ、ため息のあと、大きな拍手が起きた。
それは、賞賛の拍手ではなく、感謝の拍手に聴こえた。

それこそ、後年、「月光奏法」と名づけられた、スリーピー・狂紫朗の独特の奏法であった。
彼は、静かに横笛を鞘袋にしまい、帯に挿し、一礼をした。
共演をつとめた三人も満足感に浸っていた。

ソプラノ・サックスを筒にしまい、まるで佐々木小次郎の如くそれを斜めに背に負うて、竹の横笛を脇差の如く、さあ、スリーピー・狂紫朗はこれから何処へゆくのだろうか・・・・。


<次回に続く>

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December 14, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その142回「スリーピー 狂紫朗 見参!」の巻ー

<前回より続く>

・・・いよいよ、空想と妄想のジャズクラブで何が起こるか、何が始まるか・・・ジャズ界の仕置き人登場か!・・・

金曜の「KIND OF BLUE」は常連で混みあっていた・・といっても所詮30人で満員だ。
コメント常連のDUKEさんやKAMIさん、BASSCLEFFさん、しんじさんもテーブルを囲んで休憩時間にジャズ談義だ。
最近ではMIXI口からの常連客もよく店にきてくれているようだ。
ハウストリオの河田吾郎、ドラムと大野、ベースの山田といつもの顔ぶれが次の曲を決めていた。
「枯葉って、スタンダードではかなり録音されているよね」って、ベースの山田君が切り出した。
「そう、ティモンズなんていいよね」と河田、大野は「やはりマイルスの印象が強いな」と、「次にやってみる」「イントロは何かつくろうよ」とゼンさんが加わった。
「じゃあ、俺がリズム無しで、スローでSMILEを8小節弾くから、そしたら枯葉のテーマに入るのインテンポで・・・」と河田が言い出した。
「じゃあ、時間だから」と大野がドラムの椅子に座った。
ザワついていた店内が少しづつ静かになって、ローソクの煌きだけが揺れている。
吾郎が、SMILEをシングルトーンでユックリとメロを辿った・・・8小節目で音を止めるとベースがミディアムファーストのテンポで高音がら半音階下降で下がりながらFまでもってくると、そこで全員が「枯葉」のテーマに入った。テーマから凄いスイング感を感じさせる冴えた入り方に思わず「イエェー」と声が掛かった。
吾郎のソロは延々と6コーラス目に入った、益々ベースが絡む、ドラムが煽る、吾郎の三連符が大きな弧を描く、お店中がスイングを始めた瞬間だ、これがこの店「KIND OF BLUE」の本領発揮だ。
ベースにソロが廻る、山田君は1コーラスをピッチカットで2コーラス目からアルコで弾き出した。
アップテンポでありながら音色に哀愁が篭っている・・・最近にないグルーブ感が漂っている、続いてドラムとの4バースになり、最高潮に盛り上がってゆく。

そんな時、紫がかった大島の着流しに何やら細長い筒を背負った、長髪ポニーテールにヒゲ面の男が階段を下りてきたことに気付いたのはゼンさんだけだった。
演奏が白熱している中で、ゼンさんは「久しぶり」と小声で言った、男は静かにうなづいて、背負った長い筒をおろし、カウンターの横にこしかけた。締めた角帯には何やら脇差のような物を挿していた。

延々20分におよぶ「枯葉」が終わり、お客がヤンヤの喝采をおくっている。
吾郎がチラッとカウンターの横の男をみた、「やる?」、声はでていないが、しぐさでわかる。
男は、長い筒から、金色に輝くソプラノ・サックスを取り出した。
皆が、変なヤツが・・と思っている、何しろ着流しの男・・・今日は「着物でジャズ」の日ではないのだ。
マウスピースをつけながらピアノの横にたった、「何?」と吾郎が聞いた。
男が静かに言った「Dナチュラル・ブルース」、途端に出だしのテーマ、4小節を一気に吹いた、ドラムの二拍のロールを合図に全員が入った。
引き締まった空気と、緊張感のあるブルースが始まった。
音数はそれほど多くはないが、ノリのタイミングに緊張感がある、いつになく、ピアノのフィルインが鋭いし、ドラムのアクセントもきつめに入ってくる。
その男は静かに目を閉じたまま、ブルージーなフレーズを吹くというより置いてゆく。
フレーズの合間に微妙な間を置く、その間が聴く者をじらせるが、それがまた心地良い。
「惹きつけられる音だね」と常連のマナブ君が言った。
「でも一体何物なの、あの人?」とデザイナーの京子ちゃんが言った。

少ない音数から徐々にエキサイティングな音量とフレーズへと上り詰めてゆく、ドラムのシンバルとバスドラのコンビネーションが重く大きなスイングを生みだしている。吾郎のピアノも低音部での展開が多く、ピアノの左手にベースのアクセントが絡む、全体で複合リズムを作り出している、その上にソプラノの高音がコントラスト鮮やかに訴えている。ソプラノサックスの音が一音一音、空気を斬っていることには変わりない。

「スリーピー・狂紫朗っていうんだって」とスタッフのヨーコがマナブ君に囁いた。

<次回に続く>

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November 26, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その141回ーー「ランキングの話」の巻ー

今回はランキングの話であるが・・・・実は「おもいでの夏」ルイス・ヴァン・ダイクを買ってしまった!

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THE SUMMER KNOWS・・「おもいでの夏」というルグランの名曲はそのメロが切なくも、愛おしく、哀愁をさそう。
今までの人生で60回の夏を経験しているが、やはり若い時の夏は出来事が印象深くのこっている。
16歳くらいからの10年間の夏は特にそうである。
そんな特別の思い出を、タイムマシーンの如く、一挙にその時空まで飛んで脳裏に浮かばせてくれるのが音楽である。(この話は再三ここにも書いたが・・)

THE SUMMER KNOWSはそんな曲である。
従ってこの曲に対する思いいれもある、簡単に、粗末に演奏をして欲しくない。
この名曲を演奏題材にするジャズミュージシャンは多かった、サラ・ボーンとルグラン、フィル・ウッズ、ビル・エバンス、ヘレンメリル等など、みな優れた歌であり、演奏だった。何度も聴いている。

特に、アート・ファーマーのリーダー作「THE Summer Knows」は秀逸だ。
フリューゲルホーンの最初の一音から、その哀愁の密度が群を抜いている。
シダー・ヲルトンのピアノもいい、私はこの曲を聴くなら、先ずはアート・ファーマーと思い込んでいる。

この曲を他のプレイヤーがやったと聴くと先ずは聴いてみる。
なかなかファーマーを越える演奏は無い。

今般、SJ誌がルイス・ヴァン・ダイクのアルバムを大見出しで推薦した。
この曲以外にもルグランの曲を取上げている・・・選曲は良いではないか、評も良いではないか・・。
K氏などは5つ星で絶賛している。
即座に買いに走った、そしてこの三連休にユックリと聴いてみた・・・・・が・・。

しかしである、ルイスに文句をいうつもりはない、ルイス流のクラシカルな展開、ところどころに、フーガや対位法などを用いてルイス風味満点である。
表現方法は如何なる方法でも良いが、曲想を解釈し、アドリブ(即興)に入ってからは物語を語って欲しかった。
即興部分・・いわばジャズの真髄の部分ではルイスの「おもいでの夏」を語って欲しいのである。
音楽的に見事な展開をしているか否かは別にかまわない、いかに聴き手の心に染入ってきてくれるか・・・である。
それが無い、聴き終わって消化不良と不満が残った・・・でも大評論家諸氏が二人も推薦している盤である、何かあるはずであると、再度聴きなおした・・・が同じであった。
沁みてこない、語ってくれないのである。
きっとルイス・ヴァン・ダイクの夏にはそういう思い出が無かったのであろうか・・・・。

何度も言ってきたが、「ジャズとは人生という譜面を演奏し語ること」だ、音楽的な構成が近代的でセンスが良くても、ジャズにはならない。
きっとBGMというジャンルなら良い点をもらえるにちがいない。

最近、レコードの星評価に疑問を持っている。
どうも、広告主の新譜には悪い評価をつけられないのではないかと、また、来日を絡めた新譜だと観客の動員に影響がでるので、それを気にしての遠慮評価をしているのではと思うふしを感じるのは私だけだろうか。

もう星取表は不要ではないか・・・新譜の情報、再発の情報だけを掲載してもらえれば、後は自己責任で購入すればいい。
その結果、聴き手が皆で評価や感想を述べ合えば良いではないかと思っている。
初心者の手助けというなら、その感想や論争を聞いて判断してもらえば良いのではと思う。

情報が過多になると、情報にランキングをつけたがる、これが情報発信手と受け手の需要と供給問題だ。
このランキング評価に人為的な操作が加わると、間違った方向に誘導してしまう危険が出てくる。
情報の発信はできるだけ、生のままで、そのままの姿で発信して欲しいものだ。
その昔、SJ誌でノースターと5つ星の論争があった。
レコード会社がクライアントであることなど関係ない!
コマーシャリズムこそジャズが拒絶するものとの心意気があった。

星は不要・・・むしろコメントを大事に書いて欲しい、そこにプロとしての評価者の感性を読みたい。

時まさに、ミシェランがどうのこうのと・・・私の娘も購入したので、読ませてもらった。
星3個から1個まで、いろいろと食べにいったレストランが出ていた。
私の中学高校の同級生がオーナーで板場をあずかっている精進料理屋が星2個であった。
すこし嬉しかったが、本人はきっと迷惑がっているに違いない、だから祝電もうたない。
せいぜい電話で「大変なことになったな」というくらいだろうか。
因みにここのコメント欄には誤記を発見した。
ミシェランのコメントって・・・とてもウスッペライ、パンフレットの切り抜きのようだった。
素人の私の方がまだ増しに書ける(表現できる)店があると感じたが・・・。

先ほど、近場に昼食に出た、その通り路に星2個のふぐ屋さんがあった。
平日の昼は通常は静かに玄関を閉じている・・・が今日は見たことが無い看板が出ていた。
「本日は昼、夜とも予約で一日中満席です」という看板だ。

世の中、ランキング流行り、もういい加減に、ランキング付けは止めて欲しいものである。

是非、質の良い、評価文(コメント)をプロとして書いて、そして読ませてください。

音楽も食べ物も・・・・。

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November 09, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その140回ーー「着物でジャズ」の巻ー

去る、2007年11月3日18時より、横浜のジャズクラブ「KAMOME」にて、「着物でジャズ」なる企画が行われた。実はその企画の片棒を私が担いでいることもあり、既にMIXIへは掲載しているものの、コチラにも、ブログ風にアレンジして掲載をしました。

着物でジャズ@KAMOME In Yokohama    

去る11月3日、MIXI内のジャズ好きと着物を着てみたい、というグループが出会い、冗談からコマで実現した「着物でジャズ」が横浜のジャズクラブ、「KAMOME」で開催された。

最初は、ある女性が着物を着てよくジャズを聴きにゆくと、一方でやはりMIXIメンバーが、山本剛氏のピアノや古野光昭氏のベースをよく聴きにゆく、私が大隅寿男の後援会をしているなど、要はジャズ好きのMIXI仲間が、「じゃあ、この三人の編成でピアノトリオを聴きたいね」となった。
とは言え、売れっ子の三人が一緒でやってそうで実は中々一緒ではない、そこで大分先になるけど、と言うことで、私が大隅氏にこのメンバーをどこかで組んでもらい、そこへ着物で集まろうと言う段取りになった。

企画が整ってからは、今度は参加者集めとなったが、MIXI内で着物を着たい人、着物でジャズを聴きたい人集まれ!・・と掛け声を。
主催、運営者の努力が実り無事当日を迎えることができた。
わたしは単に還暦を迎えた長老というだけで会の顧問とやらを仰せつかり、あまり準備に協力が出来なかった。
当日は、最近あまり横浜に行ってないので道に迷わないようにと、ドラムの大隅氏と第三京浜の入り口で待ち合わせ、車二台で迷わずに到着することができた。

当日一番大変だったのは着付けを指導された方で、着物は着たいが着方が・・・という方々に早くから着付けをしてあげるという、重労働を・・。
男性会員なども普段着から着流しへと見事な早変わりをし、運営責任者のお一人はどこぞの若旦那という感じで大島を着こなし、役員も雰囲気満点。
わたしは、当日は昼から中学、高校の同窓会がありそこから駆けつけるというバタバタで、着物は無理。
洋服で失礼をした。
しかし、こう写真で見ると、男の着物姿というのは・・・ジャズより任侠物がやはり似合いそうだ。(笑)

ジャズクラブが着物の女性で満員になるという、前代未聞の状況で「スーパートリオ」の演奏が始まった。

日本を代表し1974年のモンタレイ・ジャズフェスにソロピアノで参加した新潟県出身の1948年生まれ山本剛。
今や日本のベースの第一人者、特にアルコ奏法では耽美的な哀愁を表現する、三重県伊勢市出身の1947年生まれの古野光昭氏。
そして最年長、1944年生まれで福井県芦原温泉出身、南里文夫賞を受賞し、今、乗りにのっているドラム大隅寿男。
合計年齢182歳のこのスーパースターが3人一緒に演奏をする・・・きっと「着物でジャズ」以外の方にもヨダレの出る企画だっただろう。

演奏曲目は、第一部、ブルース、ウエーブ、ベッサメムーチョ+イン・ア・センチメンタルムード、枯葉、ブルースと・・・第二部で、スイングしなけりゃ意味がない、キャラバン、ミスティ、ソング・フォー・マイ・ファーザー、ムーン&サンド(山本剛歌)、ダイナ(山本剛歌)、ウヲーター・メロン・マン、アンコールで何故か山本剛氏がホワイトクリスマスを弾きだした。

1時間二回のステージがあっと言う間に・・・まだまだ聴きたい余韻を残して「着物でジャズ」の会は成功裏に終了。
アフターアワーズも出演者と一緒に写真を撮ったり、初めて生のジャズを聴いて感動したり、出演者が夫々ファンを増やしたりと・・・熱気が残り、夜はふけていった。
ここに「和」と「ジャズ」の融合が始まった。

因みに、日本を代表する「着物でジャズ」の方は、コルトレーン研究の第一人者 藤岡靖洋氏とジャズ批評社を主宰する松坂妃呂子さんではないかと思う。次回はこのお二人も御誘いしよう。
このサイト、「Fのブルース」の「KIND OF BLUE」のご常連方はいかがかな・・・?

写真は出演者と着物姿の方々、運営責任者達、唯一洋服が私、・・・ジャズクラブが着物で埋るというのは凄い光景でした。

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<さあ、このKIND OF BLUEでも「着物でジャズ」をやりますか。

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October 23, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その139回ーー「ジャズ批評にまたまた」の巻ー

ジャズ批評、140号、11月号、「私のこだわりジャズ」に拙文が掲載されました。
P80からP83までの4ページにわたる超大作です。
タイトルは「ジャズはライブにこだわって」
私が何故ジャズが好きか、ライブにこだわる理由などが・・・ダラダラと書かれております。

御用とお急ぎでない方は、立ち読みでもしてきてください、その際、本屋のオヤジにたたき出されても責任は負いかねます。

読後感はどうせ、このサイトのご常連のこと、罵詈雑言が浴びせかけられるに決まっていますが、まあ、浮世のウサの晴らしどこと思って、なんでもどうぞ!

但し、歯の浮くようなオセイジも贈答品も歓迎いたします!

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<次回に続く>

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October 12, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その138回ーー「枯葉」の巻ー

ろそろ、秋風がたち・・・木々の葉も色ずきはじめ、ジャズクラブ「KIND OF BLUE」の中庭の楓も秋の様相をかもし出していた。

ゼンさんは母屋のソファーに寝転がり、穏やかになった平日の午後の日差しを感じていた。

日本人は「枯葉」が好きだなと。
しかし、「Autumn Leaves」が何故「枯葉」なのかと、不思議な題名の邦訳を気にしていた。
「そうか、Autumn In New York という曲も・・・」と思いを数年前の秋のNYCにいた時を思い出していた。

日本の紅葉は葉が紅く色づく・・しかし、NYやボストンで見た紅葉は紅ではなく、99%の落葉樹が黄色くなる、そこに夕陽があたりまさに金色に輝く木々の群れであった。
そこで、納得がいったのだ、枯葉の歌詞の中にある、♪・・・Turn To Gold・・・♪という歌詞を。

そうだ、セントラルパークの紅葉を観に行こう、ボストンのチャールスリバー河畔の紅葉を観にゆこう・・。
そんな思いをしているうちに心地よい午睡に入っていた。

日本のジャズファンにリクエストを採ると、「枯葉」がダントツになる。
ハンガリー出身のコマスが書き、詩はプレベールがつけ、グレコが歌ってヒットしたシャンソンだ。
その後でジョニー・マーサが英語の詩をつけ、ポピュラーとして米国でも流行った。

ジャズで最初に取上げたのは・・・マイルスが・・・というところだが、実はスタン・ゲッツがルースト盤でやっており、これがなかなか良い味を出している。
ジャマールも取上げているが、ジャマールに大きな影響を得たマイルスがあのイントロを工夫して「Something Else」でヒットさせた。名義はキャノンボールだが。
以来、マイルスは何度と無くこの曲を素材として使った、年々テンポを上げてゆき、1964年7月に初来日をしたマイルスの幕開けの第一曲目が「枯葉」だったが、この時のテンポはかなりのスピードである。
マイルスの「枯葉」だけをテープやCDに集めて聞き比べてみると面白そうだ。

「枯葉」・・・この扱いやすいコード進行・・・とストーリーの創りやすいメロディーでジャズでは多くの名作がある。
サラ・ボーンはメロなしで、いきなりアドリブ・スキャットから入るがこれが見事で、強烈なスイング感がたまらない。
ボビー・ティモンズ トリオも名演だ、聴くべし。
ビル・エバンスとラファロのインタープレイも聴き逃せない。

そして、ジャズを始めた初心者が最初に取り組むのもこの曲だ。
しかし、コード進行からゆくと、「Autumn In New York」の方がいい、コードをたどるだけで素晴らしいハーモニーを感じることができる。
シンガーズアンリミテッドの「ア・カペラ」は隠れた名演奏だとおもう。
ハンプトン・ホーズもいいかな・・・・。

今はもう秋、誰もいない海・・・♪
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September 07, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その137回「夏バテには何が効くか」の巻ー

さて、最近、夏バテ気味で、ジャズを聴きこむ意欲が出てこない。
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こんな時は、黙って、静かに時を過ごし、たまに、ブログ仲間のサイトを訪れて、要らぬコメントを書いて、邪魔をするくらいが良いのかもしれない。
しかし、それでは、ジャズブログの名に恥じるので、では・・・御題を一つ!

「夏バテに効くジャズは何か?」
クスリみたいなジャズがあるものか・・・、ここでご意見をお聞きしたいのだが。

実はこの「Fのブルース」はこのような形式になる予定ではなかった。
あくまでも空想小説風に話をもってゆきたかった、そう「KIND OF BLUE」というジャズクラブを拠点にして。

・・・・ある雨の夜、客は2人しかいなかった。
そこへ、一人のずぶぬれになった男が入ってきた。
ゼンさんはその男の顔をみた、男は小さく首を横に振った。
センさんは、男を店に置かず、裏の母屋へ案内した。
ヒゲをたくわえ、日焼けした顔、つば広帽子を目深にかぶり・・・でもゼンさんはそれが誰だか直ぐに分かった。
店をマネジャーのヤマちゃんに任せて、母屋でその相手と話をしていた。
「何か飲むか?」 「・・・・バーボンのロックを」
乾いたタオルで男は、顔と頭を拭いた。
「あまり長居はできない」
「いや、今はここにいた方がいい」

「もう11時頃だろう・・」
「そうだ丁度11時かな」
「ちょっとTVのニュースを」
ゼンさんがTVのスイッチを入れた、何やらニュースが騒がしい・・。
「先ほど、北の某国が臨時ニュースを発表しました、それによると、3日前にk首席が外国の暗殺者と思われる人物に拳銃で撃たれ、重傷を負ったが、昨日亡くなったと報道発表をしました。まだ事の真実は明らかではありません。日本国としても事実を確認した訳ではありませんが、かなり事実に近い報道ではないかと、官房長官談話が出ています。」
ここでTVのスイッチを切った。

ゼンさんは静かに言った「おい、二階で風呂に入れるし、ベッドルームが一部屋空いている、しばらくはそこに居ろ」と、その男にいった。

一旦、ゼンさんは店に戻り、その日の締めをして戻ってきた。
男は、風呂を浴びてさっぱりした表情で、居間で目を閉じジャズを聴いていた。
コルトレーンの「BLADS」を聴いている。

・・・・・こんな感じの、出まかせ小説をジャズを交えて書き綴るはずだった・・・が・・。

今はちょっと夏バテで、創造力というか、妄想力というか、出まかせ力が落ちています。

では、「夏バテに効くジャズ」よろしく!

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August 22, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その136回「エグベルト・ジスモンチを聴く」の巻ー

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8月20日 第一生命ホールでエグベルト・ジスモンチを聴いた。16年ぶりの再来日で、この再来日に尽力されたのが、私の小学校の同級生の御嬢さん。お母さんは、ジャズピアニスト故本田竹広氏を同じ国立音大卒という縁で支援してきた方。(ジャズの世界に限らず世界は狭い)
手配を頂き、正面の5列目という絶好の席で聴くことができた。

1947年生まれというから同い年である。
レバノン人とイタリア人の子でブラジルで生まれた。
5歳から音楽教育をうけ、成人になってオーストリーへ留学、音楽教育をうける。
音楽家の道を平穏裡に辿るかと思われたが、ブラジル人としてのアイデンティティが薄いことに気がつき、アマゾンの密林でインディオと共に生活、ブラジルの土着音楽を研究し、独自の音楽性を創造した。

以前、偶然にもドイツで聴いたことがあった、それが始めてジスモンチを聴いた経験である。
フルートを吹き、ギターを弾き、ピアノを弾く。
ジャズでありクラシックであり、民族音楽でもあり、全ての融合体である。
私が聴いたのは、アイアート・モレイラと一緒にいた頃で、かなりジャズを意識していた頃であった。

昨夜は前半一時間がギターで後半一時間がピアノだった。
ジスモンチの演奏はジャンルを超越した音楽である、彼の「音」を聴き、「フレーズの語り」を聴き、音楽空間を感じる。
前半のギターによるインプロビゼーションは、「語り」であった。彼の10弦ギターは饒舌に語った。
目で見るとそのテクニックに圧倒されるが、目を閉じると、音の綺羅星が降ってきて、宇宙を感じる音になった。
根底にあるリズムの上でその語りは奏じられた、リズムは浮ついたものではなく、地に根ざしたリズムだ。
そのリズムに絡まる、コードもシングルトーンも透明で澄んだサウンドとなって語りかけてきた。
語りかけてくるのは、ジスモンチではなく、大地の生命と感じられた。
ブラジル音楽は深い、なんと哲学的なのだろうか・・。

休憩を挟んで、後半はピアノで表現した。
繰り返されるリズム、その中に置かれる粒ぞろいの音色・・。
ピアノは「語り」より癒しであった。
聴く者に沁みこんでくる音は、心を浮遊させ、余分な力を抜けさせる音だ。
やはりピアノでも、彼の音は宇宙のヴァイブレーションをもって包み込んできた。

丁度、ピアノの手が見える位置で聴いていたので、ペダルワークも運指も、指に掛かる力具合も見てとれたが、音の柔らかさに反し、タッチの強さは尋常ではないことは見ても聴いても分かった。
しかし、彼のギターやピアノの技術論をここで言っても始まらない、要は彼の音だ。
今般、この音を生で聴くことができたのは、貴重な経験であり無常の喜びであった。

しかし、同じ年であのエネルギッシュな演奏と集中力は凄い。

余談であるが、偶々、前の席がピアノの青木弘武夫妻であった、彼が大阪音大を出てジャズピアニストとして東京に来て依頼の25年以上の付き合いである。いまでは日本を代表するジャズピアニストに成長した。
彼とジスモンチを聴いて同じことを言った、「目を閉じると、聴こえる音の数が100倍になるね」と。

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August 16, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その135ーー「閑話休題・ラジオ関東・チコ・ハミルトン」

ラジオ関東 夜10時半のモンティ本多のジャズ番組を覚えていますか?
なんと言う番組だったのでしょうか、覚えているかたいますか?
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私が高校生のころ、昭和38年頃、ジャズ番組は少なかった。TVは勿論、ラジオでもである。
唯一毎晩定期的な放送が、ラジオ関東から流れるジャズ番組で15分だった。
司会がモンティ本多さん。
オープニングのテーマがチコ・ハミルトン5の「ブルーサウンズ」だった。
チコ・ハミルトンのマレットの独特のリズムにのって、バディ・コレットのフルートが流れてくる。
そのナンバーが入っているのがこのCD(LP)だ。
パーソネルは、バディ・コレット(Fl,As,Ts,Cl)フレディ・カッツ(チェロ)、ジム・ホール(G)、カールソン・スミス(B)、チコ・ハミルトン(Ds)
1955年半ばの録音だ。
そう「真夏の夜のジャズ」で控え室で練習するシーンにこのメンバーが出てくる。

聴きなおして驚いた。
なんと新しいサウンドなのか、出だし「The Nice Day」はまるでクラシックの室内楽である。
そして、「MY FUNNY VALLENTINE」となり、「BLUE SOUNDS」と続く。
チェロはジャンルを越えて好きな楽器だ。
ジャズでは珍しいが、完全に溶け込んで、このグループの中核サウンドになっている。
A面はスタジオでB面はライブでの録音だ。
全てが挑戦的で斬新で、ワクワクする音に出来上がっている。
特に「Blue Sounds」は圧巻である。
チコのマレットが三度にチューニングされたタムタムでメロディックなリズムをたたき出す、それに乗って、フルートがテーマを吹き、チェロがソロをとる、そして、ジムのギターが徐々にフラメンコ風になりそのリズムに絡めてゆきピークをつくる、鳥肌がたつ瞬間だ。

この音楽的コンセプトを創造し、纏め上げ、サウンドをつくりだしたこのチコ・ハミルトンというドラマーは只者ではなかった。
しかし、何故か過小評価されてきたアーティストだ。
バンドのメンバーにはエリック・ドロフィーが参加した時代もあった。
ドロフィーにとってこのコンセプトは大いなる刺激になったにちがいない。
こんど、別のチコ・ハミルトンを棚から引き出して聴いてみよう。

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August 10, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その134回ーー「馬さんが・・・フト立ち寄って」の巻ー

<前回より続く>

幻想と空想のジャズクラブ「KIND OF BLUE」は今夜も満員だ。カウンターにはいつものご常連が陣取って屁理屈をこねている。テーブル席も満員だ。お盆休みの直前とあって、仕事なんてやってられるか・・という御仁が開放感をジャズに求めてやってきている。
この暑い日になんで此処に来るのだろうか・・・涼しい所へ行っても良いようなものを・・とゼンさんは内心思っていた。

ゼンさんは気がつかなかったが、一人の外人客がカウンターで常連に挟まれて一人飲んでいる。
ハウストリオの河田吾郎トリオは今最後の曲をやっている。
暑い日に洒落た訳ではないが「SUMMERTIME」である。最初はスローで始まったが途中からバイテン(テンポを倍にすること)にして、ミディアムアップのテンポになっている。
河田のピアのがネバリに粘って、ゴスペル調の「SUMMERTIME」になっている。
フレーズがコール・アンド・レスポンスのになってくると、会場から「イャー」とか「イェー」とレスポンスが返る。
ドラムの大野は三連にして益々粘る、店全体がネバリスイングになる瞬間だ。
「ジャズはこうじゃなきゃ」・・DUKEさんがつぶやいた。KAMIさんが「いいねえ、このネバリ!」という。
やがて、三連がルバートして、テンポがオフになり、エンディングに入って、最終音でダダダダダーンと終わった。
拍手が高まって、そして休憩に入った・・・・・・その時、静かに聴いていた、一人の外人がカウンター席から立ち上がり、ピアノに近づいて行った。
普通なら、「お客さん、ダメです」と酔ってピアノに近づく人を制するのだが、誰も止めようと言う空気がなかった。
ピアノの河田や大野も何が起きるのか、見つめてしまった。

彼はピアノに座ると、やおら大野と山田を見た、彼らは何かに取り憑かれたように楽器についた。
踵でテンポを出した、かなりのアップテンポだ。
頭からテーマに入った、「I GAT RITHUM」だ。
軽快なノリで進んでゆく、音の構成が厚く、コードワークが巧みだし、ソロのフレーズが途切れない、加えてありきたりの展開をしない。
「いったい誰なのだ・・・そういえば・・・どこかで見たことがある顔だ・・・」ゼンさんは自分の頭の中で一生懸命確認をした。
「本当だろうか・・・そんな事があるのだろうか・・」、ゼンさんは目と耳を疑った。
ソロは一層軽快に快適にスイングし、止まるところを知らない、お客は皆、ピーターソンを意識したのではないだろうか。
ソロのアイデイアがたまらない、面白いし、スイングの弧が大きいし・・・。
そして、最後のテーマに入った、最終小節で繰り返し、盛り上げて終わった。
一斉にお客から歓声が上がった。でもお客は彼が誰だか知らない・・・。
ゼンさんがマイクを取って・・・「みなさん、今日の飛び入りゲスト! ハンプトン・ホーズ!」
「アンコール!」場内から一層の歓声が・・ベースの山田君はホーズと知って、目を白黒させている。

「馬さん」こと、ハンプトン・ホーズは終戦直後、横浜の基地に進駐軍として来ていた。
よくライブハウスや「ちぐさ」に現れては日本のミュージシャン達に多大な影響を与えた。

場内が静まったのをみて、馬さんが弾き始めた「GREEN LEAVES OF SUMMER」だ。
レッド・ミッチェルとの名コンビでの名演奏は数多く残されて、今も我々はそれを楽しむことができる。
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<次回に続く、次回は誰が霊界からゲストで来るのだろうか・・・。>

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August 03, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その133回ーー「エリック・ドルフィーという名の男」の巻ー

<前回より続く>

久々の休日、ゼンさんは一人で妄想と幻想のジャズクラブ「KIND OF BLUE」にいた。
人気の無い、クラブでピアノを前にして、壁のジャケットを見やっていた。
もう外は夕方6時を過ぎ、暗くなりかけていた、階段を下りてくる足音がする、誰だろうか?
一人の黒人が大きな楽器ケースを抱えて姿をあらわした。
どこかで見たような・・・?
「ハイ」と声をかけた、男は静かにうなづき、楽器を出し始めた。
見慣れぬ楽器だ、長い管楽器でマウスピースに至る部分はテナーの様だが異様に長い。
マウスピースを取り付けると、やおら吹きだした・・・オレオだ。

短い独特のテーマを吹く、センさんはピアノのふたを開けて、キーを確かめるようにコードをおいた。
キーはDフラットだ。
かなり早いテンポで進んでゆく、ゼンさんはむしろテンポより間を考えて音を置いた。
そう、低めの音よりピアノは高めの硬質な和音の方がよさそうだ。
楽器はバスクラリネットだ。
ソロに入った、重い音を出す楽器にしては流麗だ。
ゼンさんはコード進行を考えることを止めた、むしろ音を聴いて反応をした方が良いと思ったのだ。
その男はソロを延々と続けた、溢れるようなフレーズは留めを知らず、一体どれほどのアイデアを持っているのだろうかと・・決してマンネリな繰り返しフレーズが出てこない。
20分ほどソロをとった男はゼンさんの方を見て頷いた。
ゼンさんがソロをとった、かなりフリーな演奏だ、ブロックコードでパーカッシブなフレーズを続けた。
陰陽、序破急を明白に決める表現で弾き続けた、15分ほど弾いただろうか、男は急に超低音から一気に高音に駆け上がっり、再びソロに入り、テーマに戻った、エンディングをカデンツァ風につくりあげ、最高音で音が徐々に消えていった・・・らその音と共にその男の姿も消えていた。

ゼンさんは不思議な満ち足りた気持ちになった。
その男の名はエリック・ドルフィー・・・・。51eguqujc5l_ss500_
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<今、ドルフィーの本を読んでいました・・・転寝の中で見た夢かもしれません>

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July 20, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その132回ーー「またまたガラクタショー」の巻ー

ご来店の皆様、ここのところ、集中して物を書く時間がとれません。
何か良いテーマで短文をと思っても、思考に集中できないと・・・ストレスを感じますね。
そして、またまたガラクタショーでごまかそうと・・・姑息な手段に出ました。
ここでガラクタショー等と言っていると、何れ私がこの世からいなくなると本当にガラクタになって燃えないゴミに出されるのでしょうね。
誰かガラクタを必要とする人はいるのでしょうか・・・コレクションって・・・虚しいですね。
特に、今回もそうですが、地震などの災害があると、また考えさせられます。
物という、形あるものの虚しさですね。
そこへゆくと、形の無いものはある意味永遠性をもっていますね。

今回はミニチュア楽器展です。
国内、欧州で集めました。やはりピアノが多いですね。1015_018

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以上で十分の一でした・・・。
また来週、この週末には仕事が入らないように・・・「Fのブルース」を書いてきます。

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July 12, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その131回ーー「夏はジャズ・フェズ」の巻ー

夏ともなると、日本のみならず、世界のあちらこちらで、ジャズフェスが開催される。
多くのジャズフェスへ行ったが、やはり、映画「真夏の夜のジャズ」で観たモンタレイ・ジャズフェスティバル以上のものは無い。
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日本のジャズフェスの走りは、「軽井沢モダンジャズ・ミーティング」と銘打ったジャズフェスあたりが最初と思う。
私が最初に観たのは、1963年、16歳のときに、軽井沢で開催されたジャズフェスであった。
南軽井沢の人口湖のほとりで野外であった。
西条孝之助カルテットや白木秀雄クインテット、デキシーも出てきたし、マーサ三宅さんやテリー水島さんなども登場した。稲垣次郎、三保敬太郎、宮沢昭・・・日野テルマサはまだここでは出てこない。
渡辺貞夫はボストンにいた。
最後が、原信夫とシャープアンドフラッツで、それに出演者全員が加わって「マンティカ」のジャムセッションになったのを覚えている。
白木、猪俣、白木、・・・ドラム合戦も盛んであった。
ジミー竹内がシャープのドラムでド派手な叩き方をしていた。

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軽井沢は夕方になると高原独特の天気でよく夕立がくる。
雲が出てきて、もう来るなと思ったらもう遅い、凄い集中豪雨が雷と共にやってくる。
雷は大きな立ち木にバリバリと落ちる。

そんな、夕立がジミー竹内のドラムソロの最中にやってきた。
彼は、ソニー・ペインばりのロングソロをとっていた、遠くでカミナリがなった、ゴロゴロゴロ・・・、
彼はそれに応えるように、バスタムをドドドドド・・・、カミナリがバリバリバリ・・・、スネアをザザザザザ・・・、カミナリがドカーンと落ちた、シンバルをドシャーン・・・・!!!
カミナリとの共演となった。
原信夫がもっとやれとけしかけた。

会場は露天で土砂降り、私は一人傘をもっていた・・多分そうなると思っていたのだ。
午後3時過ぎに軽井沢の街の上の見晴し台の山に雲がかかったら、夕方から夕立雷雨になる確率が高い。
その日は夕方4時の開演だったがボロ別荘を自転車で出る3時には街の上の方に雲が出ていた。
周囲の満員の観客は皆、後ろや脇の小さな屋根の下に避難している。
一人、スチールパイプの椅子に腰掛て、傘をさして観ていたのは私一人だった。
そんな私を見て、原さんが手を振った、僕は傘を振った・・・。

シャープは毎年、町外れの前田郷というところで、合宿をやっていた。
或るとき、友人の父親の伝で、見学させてもらう機会があった。
そこで、色々なメンバーと知り合い、夜のジャムセッションパーティーに出させてもらったのは良い思いでである。そこで、あの時、傘をさして一人観ていたのは僕です、手を振ってくれたので、僕は傘をふりましたと言ったら、原さんが「あれは違うよ、カミナリが危ないから、屋根の下へ行くように手で指図をしたんだよ」と言った。

今年も、日本中でジャズフェズが盛んである・・・がみな同じような企画ばかり、何か新鮮な企画が欲しいものだ。
また、「真夏の夜のジャズ」を観るとするか!

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July 06, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その130回ーー「ジャズはライブにかぎる」の巻ー

ご来場の諸氏諸嬢の皆様には以前、ジャズはライブに限ると、ここでも書かせて頂き、この空想のジャズクラブ「KIND OF BLUE」でもライブレコーディングをしたことがあります。
勿論、ライブハウスが一番ということにご異論のある方は少ないはずというか、ここにご参集の方々は特にライブ狂ばかり。
ではではでは・・・・皆様に問う!
モダンジャズにおけるライブレコーディング(大きなコンサート会場は除く)の傑出BEST3と言えば・・・何を推挙されるか!
また、その理由を端的に述べよ!(偉そうに言っちゃって)

などと偉そうに言うからには・・・先ずは己より、お話もうそう。(段々時代劇調になってきてしまった)
そもそも、ライブとなれば、先ずは臨場感、まるでその場に居合わせる感覚、そしてそこで繰り広げられる生の演奏、一発勝負の迫力、何が起きるか分からないスリリングな展開、時としては大物アーティストやベテランも間違える、でもそれがそのまま録音に反映され、反って迫力となる。
などなどを考え併せ、当然自分の趣味、主義、主張、意地、屁理屈、を加味し・・。

1、 アート・ブレイキーとジャズメッセンジャーズ アット バードランド(BN)
※ はやりハードバップが誕生しつつある現場の興奮が如実に伝わってくる。
※ 演奏内容に迫力があり、思わず観客になれる。
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2、 ホレス・シルバー ビレッジ・ゲート「DOIN‘ THE THING」
※ シルバーがリーダーで自分でアナウンスをしながら演奏を進める場面が手に取るようだ。
※ 演奏内容の良さとお客のノリと興奮がそのまま聴くことができる。
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3、 マイルス アット ブラックホーク
※ マイルスの初めてのライブレコーディングで、ライブでの強さ、荒々しさがたまらない。
※ サイドメンの出来がよい、モブレイも特にウイントン・ケリーのノリが最高。
※ マイルスのライブの現場の演奏の進め方は興味深い。
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まだまだある、エバンスのワルツ フォ デビーの冒頭のナイフとフォークの音ははどうしてくれる、ピーターソンのロンドンハウスは、モンクやドルフィーも外せない・・・サラ・ボーンの何度も歌詞を忘れる「THANKS FOR THE MEMORY」もライブならでは・・カーメンのダンテスだっていい。(そういえばダンテスが閉鎖だそうで残念です)
トレーンやロリンズのライブはとなる・・・、いやああ、BEST5にすればよかったなんて言えば、今度はBEST10がとなる・・・小さなクラブのライブは何しろ最高だ、ジャズはライブに限るのだ!

皆さん、小さなクラブのライブレコーディングのBEST3を活発に宜しく!
初めてのかた、初心者大歓迎!
MIXIからご来場の方も大歓迎!
なんだか、キャバレーの呼び込みみたいになってきた。

<次回に続く>

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June 29, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その129回ーー「歴史は繰り返す」の巻ー

今回も、写真BLOGと相成りました。なかなか文章を書く時間がとれなく手抜きです。

本棚を引き続き整理していました、最近よくお世話になる「ジャズ批評」の古い保存版が出てきました。
今見ても、そのまま通用しそうな、タイトルと内容です・・いや内容は以前の方がハードだったようです。
思わず、読み返しました。
ジャズ批評を読むたびに考えることがあります。それは広告の少なさです。私はレコード会社から多額の広告費を貰ってしまったら、酷評は載せられなくなるのではと・・・・。Jazzbooks070618_038

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いくつかのキーワードが浮かびます・・・コルトレーン、エバンス、60年代、ハードバップ、ジャズピアノ・・・人気のキーワードなのでしょうか?

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June 22, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その128回ーー「チャーリー・パーカーに捧ぐ」の巻ー

<前回のヴィデオテープのガラクタコレクションの中から、「パーカーに捧ぐ」に人気が集中しました。そこで今回はその一部をここにご披露を・・・>

このコンサート、つわもののアルト四人にボビーが加わって、バードのフレーズを連発、会場からはヤンヤの拍手・・・聴く側もバードの特徴あるフレーズなどを知っているのですね。良い雰囲気と環境のなかで盛り上がってゆきます。この4人が並んで、ソリを吹く・・たまりませんね。音をお聴かせできないのが残念です。>

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以上、静止画像だけのご紹介でした。

<今月のジャズ批評7月号の110~111ページに投稿が掲載されました、お暇なかたはどうぞ!>

そうだ!次回は古いジャズ批評から面白そうな特集号でも紹介しましょう!

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June 15, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その127回ーー「ゼンさんのジャズ・ガラクタ」の巻ー

<前回につづき、手抜きの週です。どうも記事を書く時間が・・・・で今回はジャズ関連?ガラクタを虫干しです>

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これは、ヴォーカル用のミュージック・マイナス・ワンです。カラオケとの違いは、譜面がついていて、メロが出てきません。完全にオーケストラをバックに歌うことができます。
プロ用です。結構遊べます。

動画像はVHSのテープが結構あります。
DVD化されていないものもあるようです。特に「真夏の夜のジャズ」がDVD化されていないようで、いち早く再発して欲しいと思うのです。

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以上、VHSを中心としたガラクタシリーズでした。
何か、興味のあるものでもありましたか???

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June 07, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その126回ーー「ゼンさんの本棚」の巻ー

最近、忙中閑ナシで、BLOGのアップもままならず・・・そこで考えた奥の手!
日ごろゼンさんの机の周囲にあるジャズ関連の本、雑誌、どんなものがあるのか・・・抜粋を少々。

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これは所謂「1001」というもので、ご覧のとおり海賊版です。「1001」とは言え、中味は800曲くらいです。

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これらは、レーベル別のアンチョコというところ、これを見て、何か未だ持っていない盤があるかな?などとニヤニヤして読むこと数百回・・。

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これらのジャッケト写真集はいくら眺めても飽きない。
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これはジャズピアニストを志す人、必修の本。
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アメリカ製の1001といったところ、これは本当に1012曲ある。NYで購入、持って帰るのが重かった。
楽譜類も机の周辺には結構ある。
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これは1960年代の「平凡パンチ」の付録。付録の割には一杯譜面が入っていた。
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なにか分からないことがあると、このような本の登場となる。
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このような画集や写真集は何時見ても楽しい。
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エスカイヤーという雑誌にはいつも驚かされる、良い写真、記事の充実・・。
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こんな本格的な本も参考になる、ビリー・テイラーは学者肌の人だ。
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1990年頃に日本たばこ産業がジャズに関するアンケートを纏めた小冊子、アンケートBEST500が纏まっており、ランキングが面白い。
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最後に、世界を代表するジャズコレクターの方が自分のコレクションのジャケットをスキャナーで取り込み集大成をつくった。これはその表紙と中味の一部。こんなレコードの本物が目の前に出てきたら、同時にヨダレもでること請け合い。
<今回は写真ばかりでした、次回に続く>

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May 25, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その125回ーー「野人ピアニストの出現」の巻ー

<本日、20000アクセスを越えました。これも偏に皆様の異常なご趣味の賜物と・・感謝しております・・・が何も記念品はでません。これからも性懲りも無くダラダラと続くと思いますが、同じ穴のムジナ様ご一行におかれましては、今後とも宜しく御願い申しあげます。>

ゼンさんは夏みたいな気候を感じつつ、久々の休日を陽だまりの中で過ごしていた。
転寝をするゼンさんの夢に・・・「やあ、久しぶりだね」と語りかけてくる、褐色色の肌、口ひげをたくわえ、外人にしてはそんな大柄ではない。
「おう、ボビーじゃないか」

ボビーと会ったのは、1984年10月頃だったか・・。
とある行き着けのジャズクラブは混みあっていた。
その外人はゼンさんの隣に一人で座った。
演奏の休憩時間に、話しかけてきた。「オレはフィリピンやハワイで弾いているジャズピアニストなんだ」
「ヘェー、どんなピアノを弾いているの?」
「ピーターソンやトゥループの様な・・」
「トゥループって、ボビー・トゥループのこと、ジュリーの旦那?」
「そうだ」
そんな会話をしているうちに、今夜飛び入りで弾かせてくれるかな・・・と、そしてミュージシャン達と友人なら話をつけてくれよという。
ゼンさんは、その日のリーダー、サックスのRに話をした。
そして、Rはそのピアニストを途中で呼びだすことにした、彼は満足げだった。
一曲終わって、その呼び出しがあった、「今日は突然の飛び入りゲストがいます、ハワイで活躍しているピアニスト、ボビー・エンリケスさん、どうぞ!」

そんな名前は誰も知らない。
「何をやる?」
「BUT NOT FOR ME」
「キーは、テンポは?」
恐ろしい早いテンポを指示した。

それから先は曲芸だった。
ゲンコツ弾き、肘打ち、足弾き・・・お客は喜んだ、そんなデタラメをしながらも、アドリブはピッタリ合っているし、スイングする。
バンド全員がノラざるを得ない、ベースもドラムも必死でそのテンポについていっている。
ベテランサックスのRは負けじと早いフレーズを繰りだす。
その日は無事終わった。

翌日、そのクラブから近い別のクラブにゼンさんはいた、そこにまた、あのボビーがやってきた。
「昨日はどうも」
「やあ」と握手をして、その晩も飛び入りをしてお客を湧かせた。

そして、その晩のアフターアワーズで、ボビーはゼンさんに飛んでもないことを尋ねてきた。
「レコーディングをしたいのだ、頼むから、お願い」と。
「僕は音楽関係者ではないよ、ただの客だよ」といってもだめ。
「だって、クラブのオーナーも仲がよさそうだし、ミュージシャンもよく知っているし・・じゃあ、紹介してよ、レコード会社の人を」
これには参った。
その日から毎日このボビーはジャズクラブに出没し、何度も遭遇す、居ない時にはゼンさんの名をかたり、飛び入りを続けた。
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1ヶ月後、ボビーから連絡があった、「レコーディングができることになった、ありがとう!」
「それはよかったね、アルバムタイトルはアクロバティック・ジャズか?」と応えて、大丈夫かなと・・・心配をした。

後日それがリリースされた。

ゼンさんは転寝から目が覚めた。

<次回に凝りなく続く>

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May 18, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その124回ーー「今夜はブルースを歌う」の巻ー

ジャズTV番組の第二回が始まった。
今度は、「ブルースを歌う」だ。

タイトルバックが始まり、クラブの中庭で車を降りるふたり。
階段を下りるふたり・・。
「いらっしゃいませ、お席にどうぞ」
瞬くキャンドル・・・河田吾郎トリオの「Cジャムブルース」・・・・

司会のピーター・バラカンが口火をきる、「今夜のゲストは、この方です、ミスター・マーク・マーフィー!」
途端に、河田のピアノがプリミティブなブルースコードを弾き始める。
「♪GOING TO CHICAGO~♪」渋い声が響きわたる・・。
ミディアムスローが快適に聴こえスイングする。
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突然のビッグゲストがこの番組の売りだ。
最初に出たブルースはジミー・ラッシングとベーシー楽団でおなじみのブルースだが、ジミーよりソフィスティケイッテドな感じがする。
続けて二曲目に入った、自分で曲を紹介した、「ホレス・シルバーの名曲です、セニォール・ブルース」というなり河田がラテン的リズムに乗ったブルースリフを展開した、ベースとドラムが即座についた。
そしてイントロのリフが終わりブレイク!
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歌詞に入った。なんとファンキーでイカシタ導入部なのだろか、まるでホレスの世界がそのまま現れた雰囲気だ。
思わず店内から「いぇー」の声があがる。
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途中でインタビューになった、藤尚子が彼のキャリアについて話した。
「皆さん、1932年生れのこの歌手を聴いたことがありますか?
1950年代後半から自分名義のアルバムを録音するもあまりブレイクはしなかった。
60年代はRIVERSIDEに凄いアルバムを二枚残し、欧州へ、70年代に帰米後、MUSEからアルバムを出しました。」

「では続けてどうぞ!」
この夜、マークは立て続けにブルースを歌った。
* That‘s How I Love The Blues
* Jelly Jelly Blues
* Blues In My Heart
* Fiesta In Blues
* Rusty Dusty Blues

河田トリオにまるでテナーサックスが加わったような、決して歌が加わったと感じさせない、楽器と対等の演奏を聴いているようだ。
歌に絡む、河田のピアノ、ベースの山田、大野のドラムがかなり激しくプッシュして煽っても、堂々と対応しスイング感を増長させてくる。

「こんなジャズ・シンガーはもっと聴かれて良いのではと思う」とゼンさんがコメントいれた。
最期に、「Wee Baby Blues」を歌って締めたが、拍手が鳴り止まない。
「アンコール!」の声だ。

マークが河田の耳元で囁いた。
かなりなアップテンポで、「♪ソラシラソラシラソラシソラー♪」
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「MILESTONE」が始まった、この曲に歌詞があるとは知っている人は少ない。
お店の中から思わず「ウォー」という声と拍手だ。山田君のベースラインが快適だし、大野のリムショトが小気味いい。

「今夜は皆さん、お楽しみいただけましたか?今夜のゲストはマーク・マフィーさんでした、ではまた来週!」

<今回はマーク・マーフィーでした、私はこの人をジャズ・シンガーではなく、モダン・ジャズ・シンガーと位置づけております。いかがでしょうか?いづれのレコードも共演者が凄いですね。>

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May 11, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その123回ーー「号外!!新譜発表のお知らせ」の巻ー

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皆さん!友人のジャズドラマー、大隅寿男が新しいアルバムをリリースします。
それに伴い、新譜発表ライブも行います。
宜しく御願いしまあーす!
尚、ライブ会場にお出での際には、このBLOGを見たとか、この作者の知り合いだとか言って、どんどんお近づきください。

5月16日の新譜「ニューディール」の発売!
5月17日「銀座スイング」(03‐3563‐3757)にて、CD録音と全く同じメンバーで新譜発表ライブ!
みんな来てね!!!

5月18日は六本木「アルフィー」にて(03‐3479‐2037)
5月19日は横浜「バーバーバー」にて(045‐662‐0493)
この二日間はメンバー少し変わるけど、新譜キャンペーンです、宜しく御願いします。
また5月20日は鎌倉「ダフネ」でトリオでキャンペーンです。

ということで、どの様な内容のCDかをここでかいつまんでお話しましょう。

先ずはパーソネル
Leader&Dr.)大隅寿男
As)太田剣 近藤和彦
P)納谷嘉彦
B)井上陽介
トリオの演奏あり、アルト1本が加わったカルテットあり、そしてアルト二本のアルト・バトルクインテットあり・・

「WEll YOU NEED’NT」等のモンクナンバーあり・・。
かなりウルサイジャズファンにも期待をもって貰える作品。

因みにアルト・バトルとなると、正にアルバムタイトルが「アルトマドネス」というジャッキー・マックリーン+ジョン・ジェンキンスのアルト二本とウエイド・レグのピアノ、ダグ・ワトキンスのベース、アート・テイラーのドラムというレコードがプレシテージから出ている。

そのほかに有名なところでは、「フィル トーク ウイズ クイール」というフィル・ウッズ+ジーン・クイールのアルトバトルがEPICから出ている。

今度は日本人二人名うてのハードバッパーが渡り合う、こtれは面白いこと間違いなし。

CDで聴くもいいけど、これを生で聴くとさらに迫力あること間違い無し!

もしライブ会場で大隅氏に会ったら是非声をかけてあげてください。インターネットで書いてあったとか、ここの管理人の知り合いだとか言って下さって結構です。
もし新譜CDを購入されたらサインをしてもらいましょう!
そして握手も、彼は握手が好きですからね・・(後で手を洗いましょう(笑))

一家に一枚「大隅寿男」でCDも宜しく、応援してください。

尚、大隅トリオで5月24日から北海道、東北へ行きます。
26日からはゲストにマルタ(AS)が加わる予定です、また根室には阿川泰子さんも行く予定です。北の皆さん宜しく!
24日、25日:札幌「ジャムジカ」
26日:根室市文化会館
27日:弘前:「たけや」
28日:大鰐あずみ野ディセンター
29日:弘前:ケララ

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May 07, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その122回「いよいよTV番組のはじまり」の巻

 <架空のジャズクラブから空想のジャズライブTV番組を企画!いよいよ始まります>

悩みつづけたキャスティング・・やっと決まった。
ピーター・バラカンと藤尚子・・・この女性ヴォーカリストを知っている方はかなりの通です。
国立音大のクラシック畑からジャズに転向した人です。
ジャズヴォーカルでは今ひとつブレイクはしなかったが、かもし出す雰囲気は静かで品がある。
これなら大人のジャズ番組になるだろう。

そして気になる今夜のゲストは・・・・
いや、早まらずに番組を追おう。

前回の台本通り、番組は河田トリオの「Cジャム・ブルース」で始った。
カメラはお店の内部の雰囲気とお客さんを映し出し、トリオの三人を順に追ってゆく。
テーマの「Cジャム・ブルース」が終わると、間を開けずに、トリオで「OUR LOVE HERE TO STAY」がミディアム・ファーストで始った。
カメラは司会進行役の二人のテーブル、テーブルのキャンドルとトリオの演奏を淡々と映す、余分なセリフや解説は不要だ。
トリオは快適にスイングしている、臨場感がたっぷりだ。
TVを観ている視聴者もなんだかお店の中にいる気持ちになる。

演奏が終盤に差し掛かりゼンさんが司会役のテーブルにつく。
演奏が終わり、クラブ内は拍手・・・
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ここで初めて司会が口をひらく、「さあ、ゼンさん、今夜のゲストは?」
ゼンさんが答える「今日はこの番組の最初にふさわしい、ジャズらしい、一音聴いただけでジャズという音の渋いテナーを紹介しましょう、ハンク・モブレイです」
ピーター・バラカンが「では、早速、最初の曲を・・REMEMBER」

モブレイがミディアム・スローの伸び伸びとしたテンポでブルースフレーズを吹く。
いつもの、やさしい、哀愁をおびた音色で別に力むことなく、リラックスしたブルースだ。
聴く者の方からも力が抜けて気分が楽になってゆくのがわかる。
モブレイは3コーラスのソロをとり河田に廻した。
河田は、その雰囲気をそのままに、右手のシングルトーンによるアドリブをブルージーに展開し、あえて左手は付点八分の遅れでフィルインしアクセントを軽くつけるだけだ。
ダルなテンポだけど、緩まず、フレーズはシッカリと組み立ったている。
一本のテナーで雰囲気が一気に変わった。

お客はモブレイの独特の音質とフレーズの末尾のスラー気味の高音域に哀愁を感じ、時々はいる、超低音のアクセントが「ボッ」とはいる・・・モブレイらしさに酔いはじめている。
この十二小節の典型的なブルースを堪能して、モブレイがテーブルに来た。

1930年生れのシャイな男はシャガレ声で挨拶をした。
テナーは饒舌だが話は寡黙な感じだ、バラカンが質問をする「いろいろな人のセッションに参加していますね」
「うん、最初はR&Bのバンドにいたんだけど、マックス・ローチにさそわれてNYに来たんだ。それからいろんな人とやったね」
「ジャズメッセンジャーズともやりましたね?」
「うん、あの頃は良かったね、毎晩が楽しかったね、ブレイキーのバイタリティーに皆が乗ってね」
「ところでマイルスとはどうでした?」
「マイルスがやろうと呼んでくれたけど、彼はやはりトレーンを求めていたのだろう、またジミー・ヒースともやりたかったらしいけど、ジミーがヤクで捕まって保釈中で旅に出られなかった、だから僕に誘いがあったというところだな。」
「サンフランシスコのブラック・ホークでも何週間かマイルスとやったけど、テーマのアンサンブルを彼が指示してそれさえやれば、後は自由だった、ケリーやチェンバース、ジミーがバックだったから気の知れた中で楽しくスイングしたよ。でもそれがマイルスには通じなかったらしい。マイルスが求めていたものはもっと違う方向だったんだ。」
「そうだったのですか、当時の貴重な話をありがとう、では次の曲は?」
「IF I SHOULD LOSE YOU」

モブレイはテナーを抱えてピアノの脇に立った。
カウントを出した、少し早めの、ミディアム・ファーストのテンポだ。
相変わらず、中音域の音色が染み込んでくる。
こいうスイング感とグルーブ感こそジャズ本来の持ち味だろう。
山田の太いベースと大野のレガートのアフタービートがピタットあっている。
この気持ち良いリズムの上でモブレイの音の伸びがいい。
続く、河田のピアノソロはシングルトーンからブロックコードへと煌く音でファンキーな繰り返し三連符でころがる様にスイングしている。
大野のドラミングも、コーラスの末尾からスネアロールが入り頭でバーンときまる。
ピアノのソロの次にドラムとテナーの4バース・チェインジで徐々に盛り上がってゆく。
再度テーマに戻り、ゆったりとした大きなノリで最後が締めくくられた。

店内の拍手が凄い、ハウストリオがエンディング・テーマ「THANKS FOR THE MEMORY」を始める。
司会の藤さんが「ではまた次回をお楽しみに・・次回のゲストは男性ヴォーカルの登場です」と締める。
ピーターと藤さんが、二人で店を出て、車に乗る、車が中庭からユックリと出て行く、画面がテーマにのってフェイドアウトする・・・。

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April 27, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その121回「TV番組ジャズライブ放送」の巻ー

<臨時報告・・・「ジャズ批評 5月号」のジャケ買い特集に私の拙文が掲載されました。もし時間があれば本屋で立ち読みでもしてください、お金持ちの方はお買い上げください。なお77ページに掲載されておりますのが、私です、宜しく!>
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<前回より続く>

ゼンさんが母屋のリビングでソファーに腰掛、何やら難しい顔をして、二人の見慣れない人と話している。
一人はスーツ姿の男性で50歳くらい、もう一人は黒のパンツスーツの女性で30歳くらいとみた。
「狭い店だからTVの映像には耐えられないと思うけど」
「いや、大丈夫、その雰囲気がいいのですよ」
「是非やらせてください、ジャズの雰囲気作りやはり現場で経験を積んできた人でないと出来ないのですよ」
「月に一度ですから」
「いつものままでいいです、小野田さんのやるままで・・」
「オレはテレビという柄ではないし、やったこともないし・・」
「それは、相手役が上手く誘導しますから」
何やら、ゼンさんを懸命に口説いている様子だ。
そこに、ドラムの大野が入ってきた。
「どうしたの、難しい顔をして」
「いや、うちのライブハウスからTVの中継というか、録画なんだけど、月に一回だけどね」
「いいじゃない、やろうよゼンさん!」大野が畳み掛ける。
男はTV局の企画部長で女性は番組プロデューサーだ。
昨今のジャズ流行りで、ジャズ番組が知らないうちに結構できている。
しかし、どれも納得のゆく番組内容になっていない、どうしたらジャズの現場の雰囲気がTVで出せるのか?
その結果考えついたのが、実際に本物のジャズをやっている現場をそのままライブ感満載で制作しようというものだった。
その白羽の矢がゼンさんに当たった。
ライブ収録は月初めの金曜、放送は翌週の土曜の夜24時から1時間番組となった。
番組タイトルは「サタデイ・ブルース」
番組の進行は、男性と女性の常連客が毎週登場し、ゼンさんにインタビューしながら、また出演者やゲストのお客にも話しを聞きながら、ジャズを聴く番組だ。
ゼンさんが付けた条件は、クラブ「KIND OF BLUE」の臨場感、いつもの雰囲気のままを伝えること、そして自分が監修に参加できること。

記念すべき第一回の放送は4日後の金曜日に収録となった。

ゼンさんは番組の出だし、つまり開始のタイトルバックにこだわった、ジャズだっておなじ、出だしの8小節できまる。
ここでスリリングに始まらないことにはジャズ番組が台無しだ。
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先ずは、車でクラブに乗り付ける、車はゼンさんのモーガンを使う、これに男女二人が乗って、クラブの中庭に乗り入れ、停める、男が先に下りて、女性側のドアーを開けてエスコートをする。


<この場面のBGMは「Cジャムブルース」、ミディアムスローのフォービートで、先ずはベースがブルースコードを・・・4小節を過ぎてシンバルレガートが入る、この辺でドアーを開ける場面、12小節が過ぎ、階段を下りる当たりで、ピアノがテーマを弾く。>

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この場面までは顔を写さない、足元から胸元まで。
そして、クラブのドアーを開けて入ってゆく。クロークに女性がコートを預ける、そしておもむろに階段を下りる二人の足元・・・。
段々とジャズの音が聴こえてくる。<Cジャムブルースのテーマ>
席に着く二人、煌くテーブルのキャンドル・・・。
「今夜もようこそ!」とフロアーマネージャーの声。

ハウストリオの紹介に続き、本日のゲストを紹介する。
記念すべき第一回のゲストは・・・???
<次回に続く>

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April 18, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その120回ーー「ウエスが飛び入り」の巻ー

4月のとある金曜日、「KIND OF BLUE」は満員のお客さんで溢れていた。
気候も良くなり、春の夜風に吹かれて、ジャズ好きが浮かれ出てきた。
河田吾郎のピアノも大野のドラムもいつになく弾んでいる。
「Sometimes I‘m Happy」をミディアムファーストで流麗にスイングさせている時に、階段を下りてくる大柄な黒人がいた、手には楽器のケースを提げている。

ゼンさんが満員の中から座れるスペースをピアノの後ろの常連席につくった。
彼は大きな身体を小さくして座った、そして楽器のケースを指して、「良いか?」と目でゼンさんに合図を送った。
ゼンさんが小さく頷いて、リーダーのドラムの大野を目で指した。
彼はそれだけで理解し、演奏中のドラマーを横から見た、ドラムの大野も小さく頷いた。

これは飛び入りで加わる際の礼儀と合図だ。
彼は楽器のケースを開けた、中からギターが出てきた。
やがて曲はエンディングに入り、べースの山田君がエンディングを作って終わった。
ヤンヤの喝采で常連をはじめ、お店が乗りはじめている。
ピアノの河田が振り向いた、「いったい飛び入りは誰だろうか?」と顔を見て、驚いて握手をした。
山田君は未だ気がついていない、ギターのアンプをピアノの下から引き出すのを手伝っている。
そして大野につぶやく声で「あれって、そうですか?」と目を見開いている。
大野がニヤッとして頷いた。
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彼はギターをアンプにつなぎ、音を出した、直ぐにピアノが調音の音をだして、直ぐにチューニングは終わった。
彼がしゃがれ声で言った「F」、そして指でギターのボディとトントンと叩いてテンポを指示した。
柔らかい音と快適なテンポでテーマが始まった。
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「NO BLUES」だ。
Fのキーで1コーラス、テーマを弾き、直ぐに2コラース目にはG♭へ転調した。そして、コードを刻みながらテーマを弾き、ソロに入った。
河田のピアノが三連符で絡んでゆく。絡みながら、彼のフレーズの後を追う、絶妙の呼吸だ。
ジャズは飛び入りでも直ぐに呼吸が合う・・これができるから気持ちもいいし、一流の証だ。

ピックを使わない、指ではじく奏法だ、それだけ音がソフトになるし、深みがでる。

そう、今飛び入りで弾いているギターリストは・・・ウエス・モンゴメリー!
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バックのリズムセクションが気持ちよく弾む、ベースの若い山田君ですら、思い切り低音を弾いている。
ドラムの大野はレガートでスイングさせている、もう余分なことはしないでも、大きなスイング感の中に入りつつあるのが分かる。
ウエスがコードを親指で連続的にシンコペーションをとらまえて刻む、「ザッ、ザッ、ズワーン」柔らかいけど、深く、グルービーな音質でファンキーだ、「イェー!」
そして再度転調だ、二度にわたり半音づつ、A♭までいった。
そして、ウエス独特のオクターブ奏法を交えて、5コーラスを過ぎてソロを河田に渡した。

ギターとピアノが一緒にやると音質が似て変な音のかち合いが起こる、しかしこれがない、上手く相手の隙間にフィルインが入る、これが小気味いい。
河田のピアノがいつになく、よくころがる、途切れのないスイング感とグルーブ感がこれでもかと押し寄せる。

聴衆の身体がみんな動いている、揺れている・・・。
ピアノのソロが終わったところで、ギターがリフを即興でつくった。
半音階づつの3連符の上昇進行のコードだ、「ザッザッザッ、ザッザッザッ・・・・」
と思ったら、半音下降進行だ、そして元のFのキーに戻した。
微妙に付点8分が絡む・・・プレイヤーも聴衆も一瞬呼吸を止める瞬間だ、そして、シンバルのクラッシュを合図にベースがまた快適にラニングに入る。
店内は、得もいえぬグルーブ感と至福に包まれた。

ウエスはやおらテーマに戻った、その瞬間にバックがピアニシッモに、ギターのシングルトーンが浮き出た。
シンプルなメロが素直に耳に入ってくる。
エンディングは二度繰り返し、フェルマータとリットーで、フォルテに盛り上げて決めた。

店内は拍手と歓声の渦だ、皆が立ち上がって拍手をしている。
ウエスが立ち上がり、右手でギターを握り高く掲げて応えた、その瞬間にスーット、彼の姿が消えた。

姿が消えても暫く、拍手は鳴り止まなかった、ドラムの大野も、ピアノの河田もベースの山田も拍手をしている・・。

そして、河田が静かに弾き始めた・・・「WILLOW WEEP FOR ME」これもウエスの好きな曲だ。
黒っぽい、ブルージーな「WILLOW・・・」が始まった、誰もいま起こったことを疑わなかった、ウエスが来て目の前で演奏したと・・。1105jazzcd_008

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April 05, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その119ーー「スペシャルゲスト登場」の巻ー

ジャズ・クラブ「KIND OF BLUE」のドアーにゼンさんが、何やら張り紙を貼っている。
「ONE NIGHT STAND SPECIAL GUESTS  
THE PETE JOLLY TRIO」

このイヴェントはお店のスタッフしか知らない。これはゼンさんの主義、前から宣伝をすれば、始まる前からお店は満員になる、でも飛びっきりのゲストが出る日も普通の自然体でお店を開けたいのだ。
7時に音出し、でも最初のステージはいつものハウストリオ、河田、山田、大野のメンバーで始った。
そして、8時からは、今日の特別ゲストだ。8分の入りのお店のお客がざわついている。
「エッ、今日は特別ゲストにピート・ジョリー・トリオだって、凄いのが出るんだ」
「でもピート・ジョリーってウエストコーストのピアノで「リトル・バード」なんてヒットしたよね」とか・・・テーブルではこの名前は知っている、少しはレコードで聴いたことがある・・そんな話が交わされていた。
「でも、聴いたところでは、ちょっと軽いタッチだよね」などと言う。
ゼンさんがメンバーを紹介した、
Ladies & gentlemen, tonight we have a one night stand special guests! one and only!,
Pete Jolly Trio! Chuck Berghofer on bass, Nick Ceroli on drums, and great  Pete Jolly!
一斉に大きな拍手がおきた、そして第一音がでた。
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「MILESTONE」だ・・軽快にテーマが始ったが・・・テーマの解釈が面白い、サビ部分は無い、モードの曲でありながら、モードを感じさせない、むしろバップフレーズが満載でスイングする。
お客の反応が面白い、もっと軽い感じでくると思っていたのだろう。
ピートのアドリブがアグレッシブだ、レコードで聴くテーマのフェイクで終わらせるようなソロではない、べースがまた強い音で4ビートで引っ張る、強烈なランニングベースだ。
もう一曲目で皆の身体が自然に動き出している、切れないフレースで何時までもスイングする。
・ ・・と思いきや、アッと言わせる音の空白、見事だ。
華麗なるバッパーという感じだ。
最初の「MILESTONE」が終わった時、お客さんから思わず感嘆の声がもれた。
お客の会話でざわつく店内、ピートはかまわず次のイントロを弾き始めた。
「TEA FOR TWO」だ、アップテンポでテーマの解釈とフェイクがピート独特のもので洒落ているし、思わずニヤッとさせるメロディーを挟む。
今度はベースをフィーチュアしている、このベースはゼンさんも聴いたことが無かったが、ランニングベースだけで聴かせてしまう、図太いベースだ。
ピートがグングンと盛り上げる、これでもかと盛り上げる、そこでピッタとピアノが抜ける、ベースの音が残る、この間がなんともいえない。
お店中の人がもう完全に虜となって音に引き込まれている。
三曲目の「THAT OLD DEVIL MOON」も聴く者の琴線を響かすテーマを弾く。
四曲目は「DONT‘T WORRY ABOUT ME」ここまではもう皆がピートの既成概念は吹っ飛んでいた。
ついに、五曲目でもうスイング感が極致になった、これを聴いて思わず踊り出してもおかしくない、いや、むしろそれが自然だ。
「STARS AND STRIPES FOREVER」つまり「星条旗よ永遠なれ」だ、そう良く聴く有名なマーチだ。
最初は何が始ったか・・・ブルースマーチでもと思ったら、4ビートでスイングする「星条旗よ永遠なれ」だ。
音の強弱もスイング感には肝要だがこれがまた絶妙な切り替えで、聴く者を吸い込んでゆく。
ゼンさんはカウンターの横で立って聴いていたが思わず指を鳴らし、イエッの連続である。
ユーモア、意外性、粒の揃った音、粋なフレーズの連続、大きなスイング感、
そして、思わず笑えるエンディング、なんと楽しい演奏だろうか。
ジャズは楽しいでも美しいは次の曲で証明された。
「I SHOULD CARE」この美しい原曲をより一層磨きを掛けてテーマを弾いた。
ただ、楽しく、大きく、スイングさせるだけではない、このようなバラードを弾かせても、その強弱、陰陽、そして間の取り方・・技巧派であるテクニシャンであるがそれをひけらかせない。
またまたエンディングまでお見事!と言う演奏であった。
お客が納得しない、大きな拍手が鳴り止まない。
やおらアンコールが始った。
それはブギウギ調の左手で始った・・・何が出てくるかもう魔法の玉手箱みたである・・おお、
「HEY JUDE」がブギウギで4ビートに乗って展開される、このノリでの「HEY JUDE」は聴いたことが無い・・が左手がコードで4つを刻み、右手がビハインドでアドリブを展開する。
何か、ジャマールとガーナーの特長も併せ持ったような感じだ、それに三連符が気持ちよく絡む、ケリーの三連符とはまた違う白人のもつサラッとしているが微妙な後ノリのリズムがクセになりそうである。
お客が皆身体が動き出し、店中が踊っているようだ。
だれがピート・ジョリーは軽いし、ハードなアドリブはやらないと言ったのだろうか、とんでもない誤解である。
こんなに見事に、ハードにスイングし、また美しい音と綺麗なフレーズの連続、ライブなのにミスタッチは一音もない完璧さ・・・何度でも聴きたくなる演奏、それがピート・ジョリーだった。
今夜の「KIND OF BLUE」はきっと止まらないだろう、きっと疲れ果てるまで・・。

<この話は1969年7月にLAの郊外のジャズクラブ、Donte‘sでライブ録音された、
PETE JOLLY TRIOの「TIMELESS」というCDにインスパイアーされて書いたものです。>

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March 27, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その118回ーー「マイルスがやってくる」の巻ー

ある日のアフターアワーズで、常連の船橋君がゼンさんに聞いてきた。
「ゼンさんが初めてマイスルを生で聴いたのは何時なの?」
「1964年さ」
「どんな年だったのですか?」
「そうだね・・・・日本中が騒がしかったなあ」
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1964年7月、「ジャズギャラリー8」が銀座に開店した。東京は10月に開催されるオリンピックでアチラコチラが工事中で騒がしかった。
高校3年生は受験勉強で大変な時期だ。
そんな中、いつものバンド仲間で「ジャズギャラリー8」へ出かけた。どうも夜はチャージが高いらしい、しかし昼はジャズ喫茶より少し高いくらいで生の音が聴ける。たしか、コーヒーが300円くらいだったかと・・・当時普通の喫茶店では80円くらいだったと思う。

出演者の名前は皆、若いメンバーで勿論レコードなどで音を聴いたことはない。
テナー:武田和命、トランペット:日野照正、ピアノ:渋谷毅、大野雄二、ベース:稲葉国光、金井英人、ドラム:富樫雅彦、等・・・。
僕達は学校帰りに学生服のまま、出入りしていた。

そんな時代背景の中で、我々の話題は、すぐそこに迫った「東京世界ジャズ祭」の話だった。
何しろマイスルがやってくる、それもいつもレコードで聴いている編成ではない、全く新しいメンバーで来るという。
唯一そのメンバーで聴けるレコードが「セヴェン・ステップス・トウ・ヘヴェン」で、これを何度も聴いた。
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評論家の先生は、わずか18歳のトニー・ウイリアムスが凄いという、最初、混同していけないと、わざわざ、「プラターズ」のトニー・ウイリアムスとは別の若者ですよ・・と注意書きがあった。
(注:コーラスグループ「プラターズ」の「オンリー・ユー」で高音を出すヴォーカルがトニー・ウイリアムスで同姓同名、こちらの方が有名だった)
ドラムソロは少し聴ことができたが未だ評価を下すには充分な情報が無かった。
「なんとメロディアスな・・・なんと斬新な・・・」と評論家先生は言うが分からなかった。
僕たちと年が変わらないトニーというドラマーが既にマイルスのグループに入ってやっている・・この事実がとても衝撃的だった。
因みにこの時マイルスは38歳である。

マイルスの他にも沢山のスターミュージシャンがやってくる、全部聴くにはお金が無い、選択で大いに迷った。JJやケリートリオも来るし・・・。
勿論、マイルスは必修だった。

暑い日だった、学校の帰りにスイング・ジャーナル社へ切符を買いにいった。
それというのも、SJ社が学校の近くにあったからだ。
今の東京タワーの麓に来るまえで、西新橋にあった、番地を頼りに訪ねていった。
汚い古いビルで、一階が半地下みたいになっており、歩道にはSJ誌が沢山積まれ、それをランニングシャツ姿の人が汗だくで運んでいた。(内心、Sj誌には就職するのは止めようとその時思った)
「アノー、世界ジャズ祭の切符を買いにきたのですが」とその人に尋ねた。
「中にいるアノ人に聞いて」と、恐る恐る足の踏み場もない屋内に階段を数段下りた。
もう蒸し暑さが凄かった。
我々はみな、3枚くらいの券を買った、安い券ではなかったので、マイスルは一番良い席にして、後の二つは立ち見席にした。
前から5番目の少し下手よりの席だった。Jazzpicmiles64haneda_2


その日は、マイルスの他に、松本英彦カルテットが組まれていた。
1964年7月14日、新宿厚生年金ホール。
時間が早すぎたので、斜め向いのジャズ喫茶、「ヨット」で時間をつぶした、その中には日野元彦さんがいた。みんな時間が近づくと一斉に店を出て、ホールへと向かった。
松本英彦カルテットで印象に強く残っているのは、「リンゴ追分」をモードでアレンジし、松本さんはとても良かった、そしてベースの寺川正興さんが、凄かった。小さい体でとても大きなベースの音を出し、鋭いフレーズを連発し、ソロイストに絡めていた。
僕はスコット・ラファロではないかと思ったほどだ。

いよいよ、御大、マイスル・デイビスの登場だ。
Tp:マイルス・デイビス
Ts:サム・リバース
P :ハービー・ハンコック
B :ロン・カーター
Ds:トニー・ウイリアムス

サム・リバースという初めて聞く名前のテナーもいるが、何しろ全員がはじめての生の音だ、始る前から興奮が高まっていった。
イソノ・テルオ氏の司会で始った。
マイルスはとても神経質でシャッターの音が聞こえただけで演奏を止めてしまうときいいていたので、この日は隠しカメラなどを持ち込むことは止めたし、勿論咳き一つに神経をとがらせた。

マイルスの音は大きかった、鋭かった、そして楽器が綺麗でスポットライトに反射するとブルーの耀きをしていた。
初めて聴くサム・リバースは前衛という前評判の割には聴きやすく、このグループにあっているのではと思った。しかし、楽器が汚かった・・・

そして何より目に焼き付いているシーンは、マイスルがソロを終わると舞台袖に下がらずに、トニーの前にゆき、客席に背を向けて、トニーと面と向かって、目で合図をおくり、もっと煽れというような素振りをしたり、アクセントがバッシッと決まるとニヤッとしたり、もう個人指導という感じであったことだ。
僕は当然ピアノのハンコックにも興味があったが、あの、ファンキーピアノのハンコックとはまた違うホリゾンタルフレーズをスピード感をもって弾くハンコックにビックリだった。
ロン・カーターにしてもそうで、ベースというとても力の要る楽器なのにどうして休まずあんなに弾けるのだろうかとただただ驚異であった。

この時の実況盤が発売されたのはこの歴史的な演奏があってから5年後であった。
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「MILES IN TOKYO」
:IF I WERE A BELL
:MY FUNNY VALENTINE
:SO WHAT
:WALKIN‘
:ALL OF YOU


サム・リバースとマイルスの一緒の盤はこれ一枚しかない、この後、サムは独立し、BNからリーダー作を出す。
一方、マイルスにはウエイン・ショーターが入団し、60年代後半からの新しい方向性をこのグループが築くことになる。
そういう意味でもあの時の演奏は意味深いものであり、また内容も良いライブ盤になった。
初め日本でしかこの盤が発売されなかったので、海外の友人から送ってくれと頼まれたことがある。

僕の網膜に映って残っているマイルスは、何しろ立ち姿の良いトランペッターで、仕立ての良いスーツと吹く姿、そしてその音が全てマッチし一体化され、全体が表現者として訴えてくる力みたいなものを持っているアーティストで、正にオーラとはこのことを言うのではないかと思うのである。

その後、何度かマイルスは来日している、大体聴いているが、この時のエキサイティング度は最高でこれに勝る演奏は無かった。
「まあ、そいうことだね」とゼンさんは思いで話を切った。

「ところで、何故、マイルスがガーランドやフィーリーのリズムセクションを好み、トレーンやキャノンボールとやったか・・・それが何故ケーリーやコブに変わり、モブレイやジョージ・コールマンになり、サム・リバースになり、ショーターになったか・・・、マイルスの本心や如何に!これを知りたいかな?」とゼンさんが周囲の常連さんに聞いた。
「そんなことを知っているのですか?」
「まあね、大体のジャズファンなら知っているのだけどね・・自分で勉強しなさいとか言ってもいいんだが」
「聞かせてくださいよ」船橋君が食いさがった。
これを知りたければ書いてもいいが・・・皆さんもうご存知ですよね、敢えて自慢げに書くのは考えます。

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March 23, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その117回ー「誰かこの子をしらないか?」の巻

<前回より続く>

ゼンさんは休日にレコード棚を整理していた。
まだ買って手付かずの山がある、新譜を購入したものの今ひとつ食指の動かない盤もある。
そんな中から見慣れないCDが一枚、まだ封を切っていないものを発見、ジャケットの女性がこちらを見て微笑んでいるではないか・・・、しかし私はこの方を存じ上げない、どうしてここにあるのかも分からない。
どなたか、この方がどんな方か教えて頂きたいのであある。
そこでゼンさんはお店の入口にジャケットを掛けてこう書いた「誰かこの子をしらないか?」
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名前は、KATHY BARR
アルバム名:「FOLLOW ME」

「INTRODUCING」と小さく書いてあるので、きっとデビュー盤なのであろうか、編曲指揮は、JERRY FIELDINGとある。

ご来店の皆様、ご協力を宜しくお願いいたします。

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March 16, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その116回「おいらはドラマー」の巻ー

<前回より続く>

「ゼンさん、ゼンさんはピアノ以外には何か楽器をやっていたの?」と休憩時間に常連の関君が聞いてきた。
休憩時間やステージの終わったあと、アフターアワーズの会話はミュージシャンの日頃聞けない話、日常の話が聞けて興味深いことがある。そんな会話の中からその人柄が分かって、より音楽への理解が深まると言うことが多い。

「ああ、ドラムをやっていたことがある」
「えっ、ドラムも出来たのですか・・」
傍で、ドラムの大野がニヤニヤ笑っている。
「うん、家の近くに住んでいた友人が、バディ・リッチのサイン入りのバスドラのセットを持っていて、それを僕の家に持ってきて、一緒にやっていたんだ。彼がいない時は僕が練習していたんだ」
「バディ・リッチって・・あのルイ・ベルソンなんかと一緒にドラム合戦をやった白人ドラマーですか?」
「そうだ、当時4大ドラマーのドラム合戦なんて、結構下らない企画で人を集めていたね」
ゼンさんの大学時代の昔話が始った。
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(写真は大学1年時)

大学に入学すると、部活を何にするか・・考えた、中学、高校とやってきたスキーやテニスをやろうかと思ったが、大学の体育会は半端じゃない、トレーニングがきつい。
そこで、ジャズ研究会みたいなものが無いか探したが、僕の大学にはクラブとしてはフルバンしか無かった。僕はピアノだったので、フルバンでは面白く無いなと、譜面を弾いて終わりじゃつまらないと思っていた。
別途、個人的にやっている、アルトのワン ホーン カルテットがあった。
入れてもらおうと練習を聴きにいったが、もう仲間で出来あがっているし、ジョージ・シアリングのようなサウンドにポール・デスモンドを加えたと言うバンドで、当時、ケリーだシルバーだ、マッコイだと思っていた僕は一緒にやる気がおきなかった。

高校時代の4人組は進学の過程で、2人がW大へ行き、ジャズ研に、一人が外語大でジャス研、僕だけジャズ研の無い大学だった。
そこに、フルバンのマネージャーが教室に訪ねてきた、ピアノが4年生で卒業するといなくなるので是非入部して欲しいという勧誘だった。
暇つぶしのつもりで入部した。
最悪だった、レパートリーを見るとめちゃくちゃで、エリントン、ベーシーやらグレン・ミラー、レス・ブラウンというもう何を考えてやっているのかと思想の無いフルバンだった。
大体、練習を聴いて直ぐに感じた、エリントンなんて無理だと。
高校の上手いブラスバンドの方がまだましという技術で・・ではセンスはと言うと、ジャズを聴いたことがあるのかといいたくなるような先輩ばかり。
人数が多いので、まるで体育会のノリで秩序を保っている。
幸いにピアノというパートは一人だし、4年生は就職活動であまり出てこない。

「オイ、ピアノ!、Aトレーンやるぞ!」コンマスから声がかかる。
コンマスとはコンサートマスターで音楽監督で、バンマスはバンドマスターでクラブの部長である。
ペット4人、ボントロ3人、テナー2人、アルト2人、バリトン1人、ドラム、ベース、ピアノで都合15人である。
部員は30人いるので、半分はあぶれている・・というか二軍である。

Aトレーン即ち「TAKE THE A TRAIN」をやるというのだ。
直ぐに譜面を出す、オットそうだ、出だしがピアノで始る。
譜面は苦手である、「エート、これはどの音からだろうか・・・」と見ると良くあるフレーズが書いてあるではないか、それを二回繰り返すらしい。
コンマスの出すカウントで右手だけで二度繰り返すと、全員でテーマが始る。
あとは出番はどこかと譜面を見ていると、エンディングの最終音だけである。
途中はいろいろと書いてあるが、要はあまり絡む場面はないので適当にフィルインすることにした。
なんと閑なピアノだろう・・・アクビが出そうである。
そして、音を合わせてみるともうデタラメで、先ず管楽器のチュウーニングが狂っているし、リズムがバラバラ、なんか変だなと聴いていると、リズムだ、ドラムが駄目だ。
決めの一発が無い、決めるべく小節の頭でバシッと来ないし、音も負けている。

「オーイ次やるぞ!マカレナ!」
隣にいるベースの3年生に聞いた「マカレナって何ですか?」
「あ、闘牛士のマンボとも言うな」
「え、ペレスブラード?そんなのやるんですか?ジャズではないでしょう?」
「うん、でも先輩にマンボの好きなヤツがいるのよ」
「ピアノは何をすればよいのですか?譜面が無いんですが」
「ああ、ピアノは無いよ、その辺のバケツでも叩いていろよ」
最悪のバンドだ。

「あの、ドラムをやりたいのですが・・・」とある日申し出てみた。
バンマス曰く、「ピアノがいなくなるしなあ、それにお前ドラム叩けるのか?」
「ええ、少しは」と内心あの先輩よりはと思っていた。
そして、1ヶ月後、ピアノをやりたいと言う女子学生がやってきた。
バンマスが聞いている「君はジャズピアノは?」「いえ、初めてです」「譜面は読めるの?」
「ええ、なんとか、5歳からピアノを習っていますので・・・でもジャズは弾いたことがなくて」
これで決まった、僕はドラム、ピアノは新人の女学生と。
あの女学生が弾いても、僕が弾いても同じだよこんなバンドと思っていた。

浜松湖で合宿となった。
4年生のドラムはそれまでの練習で僕にレギュラーを譲ってくれた、僕が上手いわけではない、彼が余りにもどうし様も無いと言うだけだ。

そして、どうもこのバンドのドラムセットはフルバン用ではない、無理がある、シンバルも一枚はジルジャンだが、あとは何だか鍋蓋みたいなシンバルとハイハットだ。
そこでバンドのバンマスがクラブ用のセットを買ってくれる事になった。
スネアとトップシンバルは自前のを持ってきていた。
浜松の地元のドラム製造の名人、ネギドラムの根木さんがお手製を作ってくれるという。
合宿にそのセットが持ち込まれた。
白木の三点セットでかなりカッコいいし、音も抜けがいい。
シンバルとハイハットもKジルでそろえた、レガートが気持ちいいくらいだ。カチーンというスティックの当たる音がクリアーだ。

根木さんが練習を見てくれた、「ドラムさん、もっと思い切り叩いて!」という。
それから彼のコーチが始った、いつも言うのはもっと強く叩けだ。
思い切り叩いた、力のあらん限り叩いた、でももっとという。
根木さんはドラマーではない、しかし、多くのドラマーにタイコを作ってきた人だ、演奏の現場や一流の音の出し方を散々見て研究してきた方だ、きっと僕の音が歯がゆかったに違いない。
「思い切り叩いても壊れませんから、リムをカーンと力一杯やってください、気持ちの良い音が出ますから」と。
フルバンのフォルテッシモはそのくらいの迫力で叩けということを教えてもらった。
すると、リードセクションもブラスセクションもこれに負けじと音量を上げる、迫力がでてきた。

フルバンのタイコは体力が大事なのだと思った。
僕はベーシー楽団のソニー・ペインに憧れていた。
高校時代に厚生年金ホールで聴いたベーシーは音が大きく、驚いたこと、そして、「オールマン リバー」でソニー・ペインが延々と30分のソロをやったこと、そのソロが抜群にカッコよかったことが焼きついていた。

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(写真はカウント・ベーシー楽団1967年ロンドンでの映像より)

そして、なにより「アレ」もやりたかった・・・。
日本の誇るフルバンド、「原信夫とシャープ&フラッツ」のテーマ曲「BLUE FLAME」である。
ある日コンマスを口説いて我々もテーマを持ちましょうと。
何しろ、出だしが、ドラムのフォルテッシモで二拍三連が続いて、それにリードセクションがうねってメロがのってくる、ドラムから言うと最高の出だしだ。
幕が開く前に音が出て、一段高いところでドラムがドッドッドッとやり、幕が開く、この瞬間が最高の気持ちだ、ゾクゾクする、この為にバンドをやっているようなものだ。

合宿の終わりに、名古屋で公演を行うという、500人入りのホールで、地元の女子大のコンボをゲストに呼ぶという。
浜松から名古屋へ移動、フルバンの移動は大変だ、途中時間の無い乗り換えもある、ホームを走らないと間に合わないとジャーマネがいう。
30人の集団が楽器をもって駅を走る。
ジャーマネが若い二軍に大きな楽器を配分して持たせる指示をしている。
「いいか、駅に着いたら、先ずバリトンが先頭で走れ、そしてバリトンケースをドアーに挟んでドアーが閉まらないようにしろ」と指示をしている。
バリトンのハードケースは大きくて硬い、二人で担いで走るのだ。
4年生は手ぶらでブラブラとあるいている、「先輩、走ってください!」2年のジャーマネが叫んでいる。4年生は売店でビールとつまみ等を買い込んでいる。
「電車を待たせろ!」もう無茶苦茶である。
駅のスピーカーがガナッテいる。「そこの団体の人、電車のドアーを抑えないでください!発車します!」「そこの人、荷物をドアーに挟まないで!」
駅のスピーカーが怒鳴っている。
この光景はフルバンの移動にはつき物だった。

その後、コンマスを口説いて、ジャズっぽいレパートリーを増やしていった。
一年後、新人が二人入部した、ベースとドラムだ、これが凄いヤツが来た。
ドラムはプロ並、ベースは音感がよく、こうやろうと言うと全部理解してその通りにできる。
僕は直ぐにドラムの座を譲った。
そしてピアノのレギュラーに戻った。

リズムセクションの三人はいつも物足りなさを感じていた。
そして、三人で別途ピアノトリオをつくった。ジャズのトリオだけでは仕事が無い、そして女の子にもてない。
そこで、当時流行っていた、「セルジオメンデスとブラジル66」のコピーバンドを作った(以前このBLOGにも書いた)
この二つのバンドは売れに売れた。毎月のアルバイト代を山分けする方式で、月に平均7万円になった。大卒の初任給が2万円の時だ。
リズムセクションの三人はこのフルバンを辞めたいと思っていたが、なかなか辞められず、練習は適当にしていた。

ある日、コンマスが、「練習をプロに指導してもらおうと思う、今日からコーチをお願いした」という。
トロンボーンの東本安博さんだ、いつもSJ誌のトロンボーンの人気投票で谷啓とトップを争っている方だ、日本一のトローンボーンだと紹介した。
確かにSJ誌ではいつもトローンボーンの欄に出ているが聴いたことが無い。
実際に見るとジャズミュージシャンという雰囲気ではない、どこか街のオジサンという感じだ。
でもボントロの音だけは大きい、そしてボントロの連中に指導するときはいつも、「もっと大きな音を」だ。そして、なんでも吹けてしまうところを見るとやはりプロは凄いなと感じた。

ある日、その東本さんが地元のお祭りの余興に出て欲しいという。
でも予算が無いのでギャラが出ない、奥さんが地元でスナックをやっているので、終わったら呑み放題ということでと頼まれた。
下町のしけたお祭りで、神社にヨシズ張りの紅白幕の演台があってそこで演奏だが・・・観客がいない。そこに子供が三人ばかり来た、何をやっているのだろう?
コンマスがすかさずカウントを出した、テーマが始った、あまりの音の大きさに子供が逃げてしまった。奥から神主さんが出てきた、今奥でお神楽の舞をやっているので静かに演奏してくれという。
もうハチャメチャだ、東本さんも町の世話役らしいが・・・もういいから呑みにゆこうと言う。
二軍に片付けを任せて、奥さんの店にいった、15人が入ると満杯のスナックだった。
そして隣が東本さんの本業?の塗装業の店があった。

或る日、プライベートで赤坂のTBSの隣の地下、TOPSで名物のドライカレーを二人の女の子と食べていた、向こうから視線がくる、嫌な予感・・・東本さんだ。
「丁度いいや、ちょっと手伝ってくれないか、ちょっといいから上のGスタまで来てよ」
こちらはガールフレンドを二人連れているのに無粋なと思いつつ、彼女達もスタジオを見たかったのだろう、付いてきた。
「あのさ、一曲だけトラやってよ、ピアノが急に休んでしまったんだ」
「何を弾くのですか?」
「365歩のマーチ」
「知りませんよ、そんな曲」と言いかけて言葉を飲んだ。後ろに、真っ白な着物姿の水前寺清子さんが立っている。
一緒に行った女性共はサインなんかもらっている。
メンバーはスタジオミュージシャンのベテラン達だ。
「ちょうどいい奴が下にいたから連れてきた」と言っている。
「一度あわせよう」と、もう無理やりだ。
コード進行だけをもらって、例の二拍子のマーチにあわせた。
「TVでの洋服もってないですよ」
「いいんだ、ピアノは映さないから」全部、東本さんが仕切っていた。

ゼンさんは一年間、フルバンのドラムを叩いていた、フルバンのドラムは気持ちがよい、何しろ一番高い場所で目立つ、音が大きい、出だし、終わり、中間での小節の切れ目での決めの三連符やロール、そしてシンバルを思い切りひっぱたく。
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(写真は1967年頃のベーシー楽団のドラム、いったい誰でしょう、もの凄いバカテクです)

頭三連、中抜き三連、後打ち三連、いろいろな三連符も学んだ。
ゼンさんは今でもジャズを聴いている時、左足はハイハットを踏んでリズムを取るクセがある。
因みに、当時のドラムとベースはこの仮想のジャズクラブ「KIND OF BLUE」にもよく遊びにくる川島君と森君だ。
いまや彼らは、上場企業の重役とオーナー社長だ。

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March 15, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その115回「今週はヒロミツの追悼で・・」の巻ー

今回は、高校時代の親友で、このブログの昔話にも登場した、タレントの鈴木ヒロミツ君が2007年3月14日急逝した。
彼が登場する話は次回、オマージュとして書きたい。

「アノ頃お前はバカだった、いやお前の方がバカだった」という題で・・・。

今週は僕の部屋に彼が訪れた時の写真を掲げて彼への追悼としたい。

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今夜は彼の通夜である。

合掌

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March 08, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その114回「アイリーンの巻」ー

<前回より続く>

<「KIND OF BLUE」のご常連、DUKEさんは罪な人である。前回ご自分のサイトで
「ジャッキー&ロイ」を取り上げられている。ロイのフルネームはロイ・クラールであることはご存知の通り、ジャズ通の皆さんなら知っておられると思うが妹がアイリーン・クラールである。
私はこのアイリーン・クラールとは正に一期一会の辛い思い出がある・・。それを知ってDUKEさんは前回取り上げられたのだろうか・・・?>

1977年某月某日・・・私は六本木のジャズクラブ「バランタイン」のピアノサイドの席にいた。
隣の常連の男性と話をしていた。その日の出演は、峰純子さんで、有馬すすむハウストリオであった。
私も、隣の男性も峰さんのファンでよく峰さんを聴きにきていた。
休憩時間に峰さんを加えて話をしていた。
峰さんが「今度アイリーン・クラールが来日するの」と言い出した。
その月にはアイリーン・クラールの1974年末録音の新譜「恋の行方」がトリオレコードから1976年に出され1977年初めに「第10回ジャズディスク大賞ボーカル賞」を取ったばかりだった。
クラール来日の招聘は勿論峰さんのご主人の会社だ。カーメン・マックレイも絶賛のヴォーカリストだ。
「是非、聴きに来てね」と。

私は既にそのLPを入手し、まだ名前が知られてないその白人ボーカリストをいたく気に入っていた。
「来日したら当然聴きに行きますよ」と答えた。
峰さんは付け加えた「実はこれが初で最後の来日になるのよ・・・」と。
怪訝な顔の二人にそっと「実は彼女はガンに侵されていてもうそんなに長くはないの、自分で知っているのよ」と言う。
絶句してしまった。
暫くしてアイリーンが、ピアノのアラン・ブロードベントを伴って来日した、そして「バランタイン」でも歌った、当然聞き逃すまいと聴きにいった。
ピアノとのデュオでこのアルバムと同様、説得力のある渋い美しい陰翳のある表現で心に染み入った。

彼女のコンサートをABCホールで開催することになった。これが日本で生で聴ける最期の機会である事を皆知っていた・・・本人も・・でも誰もそれを口にする人はいなかった。

峰さんが手伝って欲しいと、そこで常連のその男性と手伝うことにした。
当日はプログラムやLPをロビーで売るのを手伝った、峰さんのお弟子さん達も一緒だった。
開幕のベルが鳴った、お客さんがみな会場に入ったのを見極めて、会場に入いり、会場の一番後ろの隅からステージを観ていた。
アイリーンが自分で余命を知って歌っている・・・その姿を観て聴いている。
これが最後の見納めかと思うととても感傷的になっていて、彼女の一挙手一投足を目に焼き付けていた。アランのピアノもいつになく静謐で甘さを抑えて素晴らしかった。
最後の曲はアルバムと同じく「DON‘T LOOK BACK」であった。

公演終了後、楽屋でアルバムにサインを貰った。
その日の公演を手伝ったことをどこかで聞いたのだろう、先ずお礼を言われた、そして、アイリーンとアランが私の名前を入れて書いてくれた。

そして、約1年後の1978年8月15日、彼女は他界した。
今になってみると峰純子さんもあの世へ・・・。
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私の大好きなピアニスト、ローランド・ハナと峰さんのアルバム「プリモーニング」に峰さんはサインをいれてくれた。
いま、私のLP棚にはこの二人のLPがサイン入りで並んでいる。

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<アイリーン・クラールのアルバム紹介。
「“恋の行方”WHERE IS LOVE」
VO:IRENE KRAL
P :ALAN BROADBENT
(A面)
1、 I LIKE YOU、YOU‘RE NICE
2、 WHEN I LOOK IN YOUR EYES
3、 A TIME FOR LOVE/SMALL WORLD
4、 LOVE CAME ON STEALTHY FINGERS
5、 NEVER LET ME GO
(B面)
1、 SPRING CAN REALLY HANG YOU UP THE MOST
2、 LUCKY TO BE ME/SOME OTHER TIME
3、 WHERE IS LOVE
4、 DON‘T LOOK BACK

最後の「DON‘T LOOK BACK」を静かに語りかけるように歌っている。
この余韻はなんなのだろうか・・・自分がガンであることを知り、余命を知ってこの歌を歌う・・。
DON‘T LOOK BACK,THE PAST DOESN’T MATTER NOW
YOU KNOW THAT LOVE CAN TURN INTO TEAR
DON‘T LOOK BACK、IF YOU WANT YOUR HEART HAS Sung
GO YOUR WAY AND DON’T LOOK BACK・・・・・・・・・

<場外情報>
1977年に、このアルバムの次にもう一枚スタジオ録音をしている、アランとのデュオで、ジョビンの曲などを録音している。正に絶唱と言ってもよい、最後の録音である。私はこのLPを聴き、テープにダビングしたものしかない、LPは持っていない。
機会と縁があれば欲しいと思う。

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March 01, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その113回ーー「ロージー&フランキー」の巻ー

<このところ、コンサートづいて、ゼンさんは店を留守にすることが多かった。そろそろまた店に腰を落ち着けてストーリーを元に戻そう>

・ ・・今回の話しは1983年の某月某日、六本木のあるジャズクラブであった事実をもとに・・・幻想と妄想と冗談をミックスしたカクテル・ストーリー「Fのブルース」を創造(想像)しました・・・

外は秋風が立ち始めていた。
クラブ「KIND OF BLUE」の中庭にも枯葉が音をたてている。
今日は閑な水曜日、店も半分ほどの席が埋まっている程度だ。
ドラムの大野をリーダーとするハウストリオが最初のステージを終えた。
フロアー係りのヤマちゃんが壁際の席に二人の外国人カップルを案内し、キャンドルに灯をともした。
ゼンさんはピアノの後ろで河田や大野と話していた。
ヤマちゃんがゼンさんに「アレ誰でしたっけ?」と壁際の席を指した。

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ゼンさんは目を疑った、「大野ちゃん、ちょっと凄いよ、ロージーだろうあれは」
大野が「うーん、そうだよねどう見ても、ローズマリー・クルーニーだ・・・でも突然か」「間違いないな」と河田が言った。
「ところであの連れの男性は?」と大野がゼンさんに聞いた。
ゼンさんが何か思い出そうとしている・・「そうだ、フランキーだ、フランキー・オルテガだよ」
「エッ、それ誰ですか」ヨーコちゃんが首をひねる。
「うん、ピアニストだ、知らないかな、サンセット77っていうTV番組があったの」とゼンさんが説明した。
「サンセット77は探偵二人が主人公でね、毎回事件があってそれを解決する話しでね、場所がLAのサンセット通りにある探偵事務所と近くの溜まり場のバークラブ「ディノス」が舞台になっていた、そのディノスのハウスピアノ役があそこにいる、オルテガさ、TVでも弾いているシーンがよくでてきたもんだ」とバンドや店のスタッフに言いながら立ち上がり、ロージーの方に近づいていった。

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ゼンさんは、ロージーとオルテガに来店の挨拶をした。
フランキー・オルテガがここに来た経緯を説明した。
実は、豪華客船クイーン・エリザベス二世でショーを開く為に香港から乗り込んだ、そして、昨日、横浜について5日間横浜と東京に滞在すると言う。船の中では毎晩ディナーショーを開いているという。
ゼンさんは次のステージが始る前に二人をお客さんに紹介した。
みんな驚きの声を上げた。「おっ、ローズマリー・クルーニーが来ているんだって」と。
フランキー・オルテガが立ち上がってピアノに近づいた、そして河田に挨拶をした。
河田がどうぞと、椅子をすすめた。
フランキー・オルテガが弾きだした・・・否、キーを叩くのではない、左手でキーを抑え、右手で弦を直接はじいている。まるでハープの様な音を出している。
曲は「MISTY」だ、32小節のテーマを全部この調子で弾いた、そしてアドリブに入ってやおら、普通にキーを弾き始め、大野と山田がバックをつけた。
テーブルのキャンドルの瞬きとオルテガのピアノの弦をはじく響きが同調した。
オルテガは3コーラスをかなりのスローで弾き切った、そしてロージーを呼んだ。
ロージーが何をやるの?と聞いている、ゼンさんが横から「GIVE ME A SIMPLE LIFE」と囁いた・・ロージーがニヤッと笑って、うなずいた。
ロージーはピアノの傍に立っただけでエレガントだ、なんと言う絵柄だろう、ゼンさんはまさか自分の店でロージーが飛入りで歌うとは考えたことも無かった。
特にロージーの髪の毛のウエーブが何ともいえず美しい。
ロージーとオルテガは快適にスイングした、特にロージーの温かい声が包み込んでくる。

ジャズクラブをやっていると、突然の来訪者がある、そしてジャズミュージシャンはみんな演りたい、だからギャラなんか抜きで飛入りで・・ノレば何曲でも、何時間でも・・そいう場面を何度となく観て聴いてきた。
これがジャズのいいところだ。
次ぎは一体だれがここで歌うことになるのだろう・・・・。

因みに、オルテガは二枚のアルバムを出している。一枚はフランキーではなくフランクとクレジットされている。いずれも同じオルテガだ。
一枚は「SMOKIN’」(+BOB MAGNUSSON+ALEX ACUNA)もう一枚は「SWINGIN’ ABROAD」(+WALTER SAGE +BURT HUNSON)、いずれも小粋なジャジーなピアノトリオで僕の隠れたフェバリット盤だ。
ローズマリー・クルーニーにいたっては何枚出しているのだろうか?
ではロージーのBEST3はなんだろうか?・・・・コメント欄にどうぞ!
<次回に続く>

<話しの横道>
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「サンセット77」にでてきた「クラブ・ディノス」はディーン・マーチンがオーナーで実際にあったクラブだ。TVドラマではクラブの玄関にいつもいるバレーパーキングのクーキーが名物だった。
僕は1981年にLAに出張をした時に訪ねた、その時には「ディノス」は名前を変え、アラブ資本の店になってしまっていた。とても寄る気にはなれず、前でしばし眺めて、ホキの店へジャズを聴きに行った。当時LAのホキ・徳田さんの店では細川綾子さんが歌っていた。

<号外情報>
BASSCLEFさんに続き、「ジャズ批評・3月号」にこの「Fのブルース」が紹介されました。これも皆様のご支援のお陰です、ありがとうございます。
きっと次ぎはDUKEさんか・・・しんじさんか・・ブログのリンク友が掲載されることでしょう。
これからもこれを励みに「Fのブルース」を宜しくお願いいたします。

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February 26, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その112回「ジャズ批評に掲載」の巻ー

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「ジャズ批評・3月号」に私のジャズBLOG「Fのブルース」が取り上げられた。
仕事のことで、業界紙や専門誌に原稿を提供したこと等は多々あったが・・ジャズでは久々である。
久々と言うのは、ジャズドラマー大隅 寿男の後援会長などをしていて、SJ誌やジャパン・タイムス紙などに載ったことがある。
しかし、完全な趣味の世界でハンドル・ネームで取り上げて頂いたのは初めてである。
書きなぐりのBLOG,推敲なし、校正なしと開き直っての妄想と幻想のストーリーゆえ、自分でこれで良いのかと考えると忸怩たるものがある。
これも皆様のおかげ、ご支援の賜物です。

前回の1月号には、このBLOGのご常連、BASSCLEFさんのブログが取り上げられています。

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February 22, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その111ーー「ジャズピアノ6連弾」の巻ー

2月17日土曜日、サントリーホールへ「ジャズピアノ6連弾」を聴きにいった。
六台のベーゼンドルファーとスタンウエイーのフルコンが舞台に並んでいる。
これだけで圧巻である。
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出演者は、山下洋輔、島 健、佐山雅弘、国府弘子、塩谷 哲、小原 孝、以上の6人。
ここで分かるでしょう、6人中4人が国立音大で塩谷氏が東京芸大、島健だけが音大あがりでは無い、勿論、島健の父上は有名なタンゴピアニストだ、日本より米国で活躍して凱旋帰国した。

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プログラムは以下の通り。
1、 オープニング:TOKYO REBORN BLUES(6人全員)
2、 ミヨー:スカラムーシュ(小原、塩谷)
3、 スペイン:(佐山 島)
4、 寿限無+寿限無(山下、国府)
INTERMISSION
5、 島健作曲:SUITE FOR PIAZZOLLA(島、塩谷、山下)
6、 ミシェル・カミーロ:ON FIRE(国府、佐山、小原)
7、 ラベル:ボレロ(6人全員)
8、 アンコール:TAKE FIVE(全員)

一体6人が全員で弾き出すとどうなるか・・・この公演は2月3日に既に横須賀でやっている。
多分ここではかなり混乱があったのではと推測する。
忙しい6人が充分にリハをできるわけがない、6連弾といっても順番に弾く部分はいいけど合奏のパートは譜面があるとは言え、呼吸を合わせる必要がある・・。
結構苦しそうな場面もあったが、そこはジャズ屋、即座に合わせる。

「ジャズとは反射神経と自立神経のバランスを養成する音楽」と言ったのは秋吉敏子だ。
つまり、相手がこうきたら、こっちはこう出る・・・瞬間的に相手のフレーズに反応する、楽譜があるわけではない、しいてあるのはコード進行とか、モードの設定だけである。
これは反射神経のなせる技であるが・・・一方、バックのリズムに煽られて、調子に乗って、行け行けドンドンになると、内容の無いお祭りフレーズの連続になってしまうから、じっと我慢し冷静を保ち、自分を見失わない落ち着いたフレーズを創造することが大事である。

6人が弾き出す、あるテーマに基づいて各決められたパートを弾き終わると、インプロビゼーションに入る、6人が6人の個性を出す。
山下がかなりアグレッシブな音を入れてあえてかき回す、これが面白い、これに触発されて、途轍もない発展をする、ジャズのスリリングな部分だ。
予定調和などクソ喰らえ!これこそジャズだ。

佐山の左手が自由自在に動く、ブギウギ・ストライドでスイングさせると思わず相手が乗ってくる。
佐山のブルージーなフレーズがよりジャズらしい雰囲気を盛り上げる。
しかし、もっと強いスイング感をアッピールするのは、山下洋輔だ、最年長、国立の大先輩の貫禄であらゆる鍵盤を駆使し、凄いスピード感で加えて決してスイングするリズムを乱さない、聴衆の身体は自然に動き出す。

島のテクは音大出身者に劣らない、彼は華麗な指さばきを見せる、ある時は軽く、ある時は重量感を。
20年程まえ、米国から帰国したとき、ふらっとジャズクラブに現われ、飛入りで弾いた。
皆が驚いた、「あれ誰?」と。
一緒にいるピアニストは嫌がる・・・あの派手な、凄い早弾き、聴く者というか観る者を唖然とさせるテク、思わず、オーっと唸ってしまう。爾来シマケンの人気がウナギのぼりとなった。
でも今はやたらに早弾きばかりではない・・・が知らん顔して凄いテクを弾く、玄人っぽさを聴かせる。
国府弘子がジャズシーンに登場して久しい、もう大ベテランの部類に入る。
ジャズに出てきてジャズクラブで弾くようになったころ、そう25年くらい前、彼女は六本木や中央線沿線で聴くことができたが・・・内容不透明でいまひとつ、何を語っているのか、言いたいのか分からないピアノであった・・・・が久しぶりに聴くに、なんと骨っぽいジャズに変身したことか。
ジャズが何たるかを掴んだに違いない。

塩谷 哲はこの中では若手である、最近出てきて売り出し、人気上昇中のピアニストだ。
今回の公演では彼は、小原孝とデュオになったが、小原がクラシックベースの奏者だけに、二人で弾くとアレンジ中心になり、ジャズとしてのスリリングな、予想外な発展がみられなかったのは残念だった。
小原はクラシックでのテクが抜群のピアニストである、何でも弾けてしまうが・・・彼の唯一の欠点はフリー・インプロビゼーションに弱いということであろうか。
その場で何が出てくるか分からない、そして予想外の対応に対して、これまた裏切りと想定外の対応で迎え撃つジャズ、これを彼にさせる環境、例えば、山下洋輔とデュオなんていうのも面白いかもしれない。

今回は100FINGERS(10PIANISTS)の企画と異なって、6人が6人同時に弾くという、それが一部は譜面があるものの、フリーの部分があって、幾ら1人がソロ、5人でバックと順番を決めてあっても、6台が一斉に鳴るというのは凄いものであった。
但し、途中の企画では、一つの曲を6人が順番でソロを取り、各自の個性を浮き立たせて欲しかったという・・・そしてそれが簡単なブルースか何かだとより面白いのではと・・・。

最後に6人、6台をオーケストラに見立てたアレンジ(塩谷)でボレロを演った・・・この単調にして長い曲をバレーという視覚的要素無しに保たせられるかという聴く側の不安があったが、段々盛り上がる例のボレロでやはり単調を感じたのか、山下洋輔が一人暴れ出したのは良かった、暴れてもちゃんとエンディングに纏める、やはり山下洋輔は只者ではない、曲者だ。
6時開演、20分の休憩を挟んで、9時まで、結構楽しませてもらった。
(サントリーホールだからという訳でもないと思うが、ジャズファンよりクラシックファンの方が多かったのだろうか・・場内の雰囲気をそう感じた、拍手の場所が違うし、ジャズファンは遠慮をしていたのだろうか、ジャズファンよ、もっと自由に聴くいつもの雰囲気でやろうぜ!)

この週は、秋吉敏子ソロを聴き、コンサートを二度も聴くことになった。
そろそろ大きな舞台のビッグネームではなく、小さなジャズクラブの隅っこで、深夜静かに、まだ名前もビッグでないミュージシャンのジャズを聴きたくなった。
良いフレーズを奏でれば「イェー」、下手を弾けば、まばらな拍手・・・ジャズクラブの客は厳しい。
ジャズ好きの屁理屈・・・聴きく前に能書きをたれ、聴いた後でまた能書きと知ったかぶりをする・・小さなジャズクラブの隅っこで欲求不満を解消といくか!
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<欄外編>
席について、プログラムを見た、最後にラベルの「ボレロ」とある。
このボレロをジャズに挑戦したのはルーシェだが、この単調な繰り返しはなかなかインプロビゼーションに発展しない、つい口から「ボレロってつまんないだよな」と言ってしまった。
隣の席にいたババーじゃなく・・高齢の婦人ににらまれた。
25-25さん曰く、6台も一緒じゃもう腹一杯でゲップがでそうだと・・。
そう、腹が満腹にななるか、満足にはならづで、何か聴き足りない感じがした。
というのは、一人ひとりの個性をまだ聴いてなかったと感じたのだ。
「満腹」と「満足」は違うのだ。
つまり胃袋か心か・・・だ!
僕なら簡単なブルースを一曲入れて、6人全員が順番に弾いて表現する・・・これをやったろう。
きっと6人の個性が顕著に出て面白かったのではと・・・「満足」できたと思うのです。
でもジャズでサントリーホール「満員」という快挙は初めてと思うが・・・・。

それにしても最近はブルース欠乏症だ・・・「誰かブブブブルーーースをくれ!もっとブルースを!ONE MORE BLUES」

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February 16, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その110回 「女性とジャズ」の巻き

2月14日、上野文化会館で、秋吉敏子 渡米50周年記念、ジャズマスター受賞記念、ソロコンサートを聴いてきた。このコンサートついでに余分な副題がついていた、ヴァレンタイン デイに因んで、「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」と・・・?
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第一印象は78歳にして、この迫力、こちらは還暦などと言ってられない、そいう意味では凄いパワーを得た。
15分の休憩を挟んで、2時間、10曲を会話を挟んで演奏した。
因みに当日の演奏曲目は
1、 LONG YELLOW ROAD
2、 BAD POWELLに捧げる曲
3、 UN POCO LOCO
4、 I WISH UPON A STAR
5、 CON ALMA
 <INTERMISSION>
6、 木更津甚句(アレンジ)
7、 MEMORY(オリジナル)
8、 オリジナル(食べ物の名前の曲)
9、 MY FUNNY VALENTINE
10、 JUST ONE OF THOSE THINGS
アンコール
HOPE(ヒロシマより、オリジナル)
鞠と殿様(童謡アレンジ)

先ず、楽器はベーゼンドルファーではなく、NYスタンウエイーだった、当然彼女の指定ピアノであろう。
ソロということで、左手が興味深かった、というのは、やはりベースがいないとピアニストはやはりベースラインの音が欲しくなり、常にベースラインを弾くという、または10度のストライドを使うことで、安定感を出すという奏法であった。

勿論、彼女の尊敬するアイドル、バッド・パウエルの奏法に忠実というか、最近益々、パウエルを発展させた展開と表現が特色となっているようだ。
左手のベースラインは4分音符で進行し、右手は8分と16分でかなり早いパッセージを弾く表現が多かった。このパターンは快適で、そして、良くスイングしていた。
この左手のスイング感は思わず身体が揺れだす力をもっていた。
しかし、会場を見回すに、身体を揺らし、頭を振りながら聴いている人はほとんど居なかった・・・何故だろう?

ほぼ満席の来場者を分析するに、平均年齢はかなり高かった、60歳くらいだろうか、いやそれ以上かもしれない、男女半々くらい。
ジャズファンにはもっと若い人もいるのに、秋吉さんをもっと若い人が聴いた方が良いと思う。
それにしても、あんなにスイングしノリの良い演奏なのに、何故もっとリラックスして、楽しみ感じないのだろうか・・・。
なんだか、クラシックのコンサートを聴いている雰囲気だった。

僕は、「CON ALMA」と10曲目の「JUST ONE OF~」のエンディングで彼女が「決め」のエンディングを展開し、パシッと終わったときには、思わず「イエッ」と言ったが・・・他からは何も聞こえてこなかった。
ヒロシマの悲劇に題材をとった「HOPE」みたいな曲を聴くには静謐さが肝要だと思うが・・。


彼女は2曲に一回くらいマイクをもって曲目の紹介やら昔話をした、そんな話の中で、「I WISH~ 」は主催者から女性が好む曲だからやって欲しいと言われて・・・とか、「MY FUNNY~ 」は今日はヴァレンタイン デイだから主催者がやってと言った、とか紹介したが・・・全く無意味な話ではないですか、彼女らしさから言えばもっと別の曲が聴きたかった・・・例えばブルース系の曲が無い・・・
主催者はジャズコンサートにおいて、曲の指定などはするものではない・・・と思うのです。
来場者は曲を聴きにくるのではなく、その人を聴きにくるのですから、否、そうでなくても、そうじゃなければいけない!
曲順だって、演奏者の個性なのだと思うのです。Photo_14


でも秋吉敏子に限らず、女性のプレイヤー全体にいえる共通感覚があるのです、男性プレイヤーと絶対にことなる点です。
それは、色気の表現です。
ジャズはある意味、色気の音楽です・・・もっと具体的に言えば、セクシャルな表現音楽です。
男性プレイヤーは、如何にスイート・スポットに沁みるフレーズとノリで表現するか・・これが苦心のしどころです。
やはり、そこの話になると、男女の差は性別の個性で、根本的なものだからしょうが無いのかもしれません。
そして、ジャズはその人、その「もの」を言わずと表現する音楽なので、ごく自然発生的にそう聴こえ、感じるのでしょう。
男性プレイヤーの焦らしの表現は・・・男性も女性も聴くことでは快感でしょうが、でも女性が演じることは???
(歌舞伎の女形役者でジャズプレイヤーがいたら面白い実験ができるかも・・)

最近は管楽器にも女性が登場してきましたが・・スイング・ガールズの影響とは思いませんが・・・程ほどにお願いしたいものです。
こちらの性感帯にうったえてこない人が多いのです・・・なら女性には女性の表現があるのでは、そのオリジナリティを聴かせて欲しいものです。

優れた女性プレイヤーは必ず、このオリジナリティを有しています、男性には無いものをね。
そういう意味でやはり秋吉敏子さんは、違うものを感じさせる人です。
そして音から厳しさまで伝えてくる人です。
彼女にピアノを教えてもらったら・・・かなり厳しいでしょうね。(そんなことは無いけど)

僕の知り合いで、一年前に亡くなった方がいます。テナーを吹くかたでした。
ご自分の会社がNYに進出し、10周年記念にNYのジャズクラブを借り切り、秋吉さんを招待して演奏してもらったそうです。そして自分でも飛び入りで吹いたそうです。
秋吉さん曰く、「まだまだですね、アレをなおしなさい」などアドバイスがあったそうです。
そして、一年後、秋吉さんが東京に来た時、自分達のたまり場であるクラブに招待し、やはりジャムったそうです。
秋吉さん曰く、「よく勉強されましたね」
とても喜んでいました、秋吉さんに誉められたと・・・それから一年もたたずして、その方は他界されてしまいました。(残念です)
今度、秋吉さん紹介してあげるねと、言ってくださっていただけに、それも残念でした。

そんな思いをめぐらせながら、今回のソロ・コンサートを聴いた次第です。
彼女、渡米して50年、私ジャズを聴いてやって、46年、そんな大差ないのに・・この大差は、比べるのが間違いか!(笑)
でもあの腕力と指力も凄い!

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February 09, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その109ーー「日本初のジャズ講談」の巻ー

<前回より続く>

先週から「KIND OF BLUE」の壁に奇妙なポスターが貼りだされた。
「世界初のジャズ講談 第一回・・・講釈師 神田川黄昏 予約はお早めに!」とある。
女講釈師の黄昏さんが、デザイナーのコシタ・テツコさんに連れられてこのジャズクラブにジャズを聴きに来たのは1年前だった。
その間、黄昏さんのジャズ修業は凄かった、ゼンさんはじめ、常連客からミュージシャンまで質問攻めにあった。DUKEさん等はもう北海道から来たくないと言うくらい質問攻めにあった。
それと言うのもDUKEさんが物知りだったからで、本来物知りの講釈師から物知りと言われれば本望と思うのだが・・・。
そして神田川黄昏さんが、ある日ゼンさんに「出来た、試したい」と申し出た。
常連さんもミュージシャンも面白いやろうということで今日の「ジャズ講談」と相成った。

ジャズ落語というものはあった、先代春風亭竜昇が高座にトロンボーンを持ち込み、パンパカパーンとやったり・・・横丁の旦那の息子がジャズに狂って、♪アニキャ二階で木遣りの稽古♪ とは行かず、二階でジャムセッションというもので、オチは・・・教えない。

第一ステージはいつもの様に大野寿和トリオ、そして続いてジャズ講談、最後にまたトリオ演奏となる。
7時の音だしでお店のテーマ曲、「マイルストーン」から入った。
二曲目は「WHAT A DIFFERENCE A DAY MADE」を軽快にでもリリカルに、ダイナ・ワシントンで有名になった曲だ、サラもいいし、ミルト・ジャクソンやジャッキー・テラソンもいい、でも今日のピアノの河田吾郎の演奏はワイルドなラテンの雰囲気をそのままに、でも所々に入るリリカルなフレーズが琴線に触れ染み込む。
三曲目は「THE NIGHT HAS A THOUSAND EYES」ロリンズやコルトレーンなどテナー奏者の好きな曲だ。デスモンドやゲッツもいい。
これには伏線があった、次が出番のジャズ講談につなげるためだ。

「では、みなさんお待ちかねの、神田川黄昏さんのジャズ講談の登場です」
グランドピアノの脇に高座をこしらえ、小さな机をヤマちゃんが置いた。
黄昏さんはピンクの着物に黒の袴で右手に白い張り扇をもって登場だ。
「よー待ってました!」会場から声がかかる、「いーぞ、タソガレ、ガンバレ!」
「さあ、今日は初講演、上手くゆくやら、出来ぬやら、まずは耳をほじくって聞け!、おいそこの若いの」
「三国志をやってくれ」
「今日はやらないよ、今日はジャズ講談だ、パッパン!(張り扇の叩く音)」
「時は元禄14年じゃない、今を去ること40と数年前、日本にソニー・ロリンズがやってきた」
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「東京の街はオリンピックを控えて工事ラッシュ、新幹線に高速道路ときたもんだ、おいそこの若いの、お前なんか生まれるまえだぞ、歴史物語だと思ってよく聞け」
「時のメンバーは親分がロリンズ、ピアノにポール・ブレイ、ヘンリー・グライムズがベースで、ドラムはロイ・マッカディーときたもんだが、ついでにもう一人、ラシッド・アリという、なんだかボクサーみたいなトランペッターがついてきた。」
「ロリンズは何が偉いって、おい分かるか!、いくら挫折しても沈黙に入り、橋の上で練習を重ね、
これが俺の音だ、フレーズだという個性が確立しないと世に出てこない、凡人のできることではない、アルコールやヤクから決別する際にはバラ十字会に入り修業をする、おいそこのノンベー聞いているか!パパンパン」
「この時はロリンズは永の沈黙からモヒカン刈で再登場となった」

「おい、モヒカン刈だぞ、ゼンさんの友人ノキヤマが言った」
「「アワ マン イン ジャズ」聴いたか?」
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「凄いんだ、ドン・チェリーと、あれは前衛かな?」
「いや、前衛までではないだろう、でも、オーネット・コールマンの影響を受けた、ロリンズの迫力は凄いな」
「これ、当時のゼンさん達高校生バンドの会話だ、パパンパン」
「ところで、こんどロリンズ聴きにゆく時は写真を撮りたいな、ドラムのコバがいう」
「でも見つかったらつまみ出されるぜ」
「写真部のヨシオカあいつ最近ジャズが好きだとかいっていたから連れてゆこうとノキヤマが言う」
「早速写真部のヨシオカにロリンズの雑誌の写真を見せ、こんどコンサートに行って写真をとって欲しいんだ」
「でも許可がないと撮らせてもらえないぜ」
「いいじゃないか、ボストンバッグに隠して、何とか撮れないか?」
「まあ、やれると思うけど、ちょっとヤバイな」
「という訳で当日ゼンさんご一行が産経ホールの二階最前列に並ぶ」
「カメラをもったヨシオカを真中にして、ヨシオカはカメラの距離を目測で合わせている、演奏中はファインダーを覗くわけにはゆかない」
「さあああ、いよいよ幕が開く、いきなりオレオだ!一気にロリンズテーマを吹き上げるそしてインプロビゼーションに入る、ペットのアリとやらは舞台の袖に引っ込んでしまう。延々とロリンズが吹く、大きな身体、モヒカン刈がよけいに存在を大きく見せているようだ。テナーを頭上に振り上げ、水平に寝かせて吹く、もうテナーがアルトくらいの大きさにしか見えない。
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そして、ななななななんと、テナーの指使いが極致に達したのだ!パパンパンパン!」
「ノキヤマが、声をあげた、あれは何だ!、テナーのクロスハンドなんて初めてみたぞ!パパンパン!」
「左手はそのまま、右手が突然テナー本体の裏から回りオクターブキーを叩く、高音がピロピロピロと・・・」
「おいヨシオカ撮ったかとノキヤマ、ウン撮れているとおもうよ」
「ソロは延々20分、そして出てきたラシッド・アリ・・本当はドン・チェリーならいいのにと内心思いつつ、このアリとやらを聴いたがイカサナイ・・・ホッペタの片方がやたらに膨らむ、風船みいだ、と言ってガレスピーのそれとはまた違う、なんだあれ?」
「ゼンさんはピアノのポール・ブレイを聴いている、分からないな、何を弾きたいのだろうか、でも不思議なフレーズというか、打楽器みたいな硬質な音に聴こえる、キーンカーンコーンという感じだ、パパンパン」
「ドラムのコバが囁く、おいマッカーディーっていいじゃないか、あの左のアクセントの切れと、レガートが綺麗だぜと」
「続く曲は、ディアリー・ビラブドだ、奔放な展開のロリンズのソロが続く、オーネット・コールマンの影響を受けたロリンズが米国ではドンチェリーを加えてピアノレスでアグレッシブな演奏をした、これが、アワ マン イン ジャズとしてビレッジゲートで記録された。ゼンさん達はこの再演を期待していたが、ちょっとフォーマットが異なった。アリは期待はずれ、でもドン・チェリーの触発する役目をピアノのブレイがやっているのだ、それにゼンさんは気がついた。だからブレイはコードを叩くより、コードよりもインスパイアーさせる打楽器的フィルイン、カンバセーション的フレースを弾いている、ゼンさん、おおそうかと・・・心の中であいずちを打った。凄いインプロビゼーションだ!パパンパンン!」
「ゼンさんの頭、いや、耳で聴こえるものは、ロリンズの爆発的な音の洪水とブレイやグライムズ、マッカーディーの音のタペストリー、そう、音が織物になって色彩が織り綾になり模様を描きだすのだ!パパンパン」
「後日、ロリンズは宮沢昭とTVで共演した、宮沢は一歩も引けをとらず、堂々とロリンズとそん色の無い豪快な、でも抑制された音を出し、ロリンズにして日本に宮沢という凄いテナーがいると言わさしめた。因みにアリというトランペッターは東京公演だけで、帰された。」

「おい、ヨシオカ、写真とれたかよ」
「うん、結構いいぜ、カッコいい写真になっているよと・・・四つ切に引き伸ばしたモヒカン刈のロリンズが写っている」
「おお、いいな俺達みんなにくれよ!」
「いまだから話せる、肖像権侵害の話・・・そのヨシオカ君はいまや都心の大きな本屋チェーンの社長、ドラムのコバは有名TVドラマの脚本を書き、BBC放送の翻訳脚本もやる、ベースのアンちゃんは、大手住宅建築会社の重役、皆のリーダー、アルトのノキヤマ君は一足お先にあの世に、ゼンさんはご覧のとおり・・・ときたもんだ! パパンパン!」
「ゼンさん、ロリンズに初めて会う・・・青春ジャズ・グラフティーの巻、一巻の終わりときたもんだ!さあ、乞うご期待、次回はそうだな、次ぎは「ジャズ三国志」だ!パパンパン!」
「よっ!いいぞ、もっとやっれ!」
「そう簡単にできるか、高座の木戸銭もっと払うか!パパンパン」
「テヤンデェー、初高座のクセに聴いてやってんだ!修業をしろ修業を、橋の上でやってこい!」
ここで大野がスネアドラムのロールを始めた・・・そしてやおら「オレオ」が始った。
やんやの喝采が神田川黄昏さんと、続く演奏を始めた大野トリオに向けられた。

<次回に続く>
(作者注:この時の写真があるはずだが、いくら探しても無い、おかしい、でもこのような公衆の場にはいくら40年以上前とは言え、貼り出せないな。)

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February 01, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その109回「LOUISEの巻」

<前回より続く>
ゼンさんはピアノを弾くたびにおもう、ステージの中央に立ち、カッコイイフレーズを吹いて、管楽器はなんていいのだろう・・・一種憧れの楽器であった。
ゼンさんは得意の空想の世界に入った。


もし、神様が「お前をテナーサックスの名手にしてやる、誰がいいか言ってみろ、ならせてやろう」と言われたら、貴方は誰を選ぶか?
コルトレーンかロリンズか、はたまたゲッツか・・・・。
聴くなら、トレーンもロリンズもゲッツもモブレイもシムスもである・・・が自分で如何様にも自由に吹けるとなると・・・プレスこと、レスター・ヤングである。
それも、共演のピアノはテディ・ウイイルソンでとお願いしたい。
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「PRES AND TEDDY」
レスター・ヤング(TS)
テディ・ウイルソン(P)
ジーン・ラミー(B)
ジョー・ジョーンズ(DS)
1、 ALL OF ME
2、 PRISONER OF LOVE
3、 LOUISE
4、 LOVE ME OR LEAVE ME
5、 TAKING A CHANCE ON LOVE
6、 LOVE IS HERE TO STAY

酸いも甘いもかみ分けたこの二人が、シットリと余裕たっぷりのソロを展開する。
「ALL OF ME」をこんな余裕で吹いてみたいし、「PRISONER OF LOVE」などはこれ以上のアドリブは無いというフレーズで構成されている、テーマとアドリブが自然に一体化している。
「LOUISE」は1929年頃の映画のフランス映画のテーマである。歌はたしかシュバリエが歌ったのではと思う。
AABAの典型的なスタンダードをサビはサビらしく、これがスタンダードの語り方という吹き方をする。
最後の「LOVE IS・・・」まで全て愛をテーマにした曲を一気に飽きさせず、ダルにならずに、でも適度の緊張感と余裕、何度でも聴きたくなるレコードとはこのことかと。

PRESのサブトーンが効いた音質で・・・テーマからアドリブまでごく自然に入ってゆく、歌うフレーズの連続、こんなテナーが吹けたらなと・・・。
このレコードを、レスター・ヤングの最高の時期は過ぎたと言う人がいるが、人生の絶頂期にいる時より、ビリー・ホリデイもあの世に逝って、ああ、寂しいな・・アノ頃は・・と落ち着いて思い出せる時期のプレスが吹くフレーズが堪らなく良いのだ・・。
ジャズが毎度言うように人生と言う譜面を演奏するのなら、ピークの時期より、少し落ち着いた時期がいいと思う。
「年々去来の花」とは世阿弥の「風姿花伝」にある言葉である。
もし、神様が叶えてくれるなら、こんな心境でこんなテナー吹きになりたいと思うのである。

ゼンさんの得意の空想から目が覚めた。
はたと、ゼンさんは自分の別名を思いついた・・・夢幻庵遊雲斎・・・今度からこの名を使おう。

<次回に続く>

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January 26, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その108回ーー「人間は考える葦(足)である」の巻ー

<前回よりつづく>
(このBLOGは小野田善一という仮説の主人公が、こうあったらいいな・・・という幻想をもって、架空のジャズクラブ、「KIND OF BLUE」を舞台に、言いたい放題を言うBLOGです。従ってコメントは自由、罵詈雑言、テーマを外れた場外乱闘、寒いギャグ・・・人生訓、為になる話、ならない話、おせいじ、おだて、大歓迎です!)
<ABOUTでプロフィールが、ACHIEVEでこのBLOGの最初からがご覧になれます。)

<COOL STRUTIN‘>
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勿論、BLUE NOTEの名盤というより、ジャズの名盤である・・・日本では。
SONNY CLARKがリーダーなため、CLARKの名盤と言われているが、僕は参加者全員が後に残る演奏をしたと思っている。
そして、今回は敢えてまたこのレコードについて話そうとは思っていない・・・が「蛇足」というか得意の話のわき道である。
オリジナルのLPは4曲が収録されているが、実は再発CDには例によって+2とか言って、載せないでよいテイクを載せるものだが、これは違う。
+2で、CLARKのオリジナル、「ROYAL FLASH」と、ロジャース&ハートの名曲、「LOVER」が加えられている。
実は、この「LOVER」がいい、飛んでもなく良い、アップテンポでこの曲の特長のコード進行、CHAMBERSの半音階下降進行で小気味よくリズムがスイングし、そしてFAMERのペットとマックリーンのアルトが切れ味良くテーマを演奏する・・もうこれだで充分だ、思わず身体が揺れだす。何故このテイクをLPに入れなかったか・・・随分考えたが、答えが出なかった、収録時間の関係だけでは無いと思うのだが・・・。

因みに、油井正一さんのパロディー盤で非売品がこれ。女性の足の意思が若干弱い感じがする、モデルは日本人か?
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では本論に入ろう。
まず、この「COOL STRUTIN‘」のジャケットである。
「人間は考える葦である」と昔の哲人はおっしゃった・・・が私は「人間は足で考える」と言い換えてきた。
「人は外見で判断するな」というが「人は外見で99%わかる」とも思う。
足は大根足よりスマートな足がいい、特に女性は・・・膝から下の長さと形で・・・話が何だか足フェッチみたいになってきた。
私は新入社員間もない頃、エレベーターホールで当時の社長に出会った。
「ボケっと立ってエレベーターを待つな」と、「目的意識をもった目で、すくっと立て」とも。
かなりデレと立っていたのだろう。その社長は優秀な経営者でありまた文化人でもあった。
憧れにたるスマートな国際人で、そう言われて見ると、エレベーターを待つ姿からして違うことに気がついた。
後年、頻繁に海外へ仕事で出かける用事が増えた。
飛行場、街中、名所旧跡など海外で見かける日本人はなんとも野暮ったい。
自分であれではいけないぞ・・と言い聞かせ、背筋を伸ばしたものだ。
では何が野暮ったくさせているのか・・・・姿勢である、立ち姿である、歩く姿勢である。
(DUKE更家とか言うDUKEさんの親戚のような変なオッサンが外国での歩く姿勢を言うのは、一理あると内心思っている)
特に日本人は背が低い、だからこそ姿勢をよくすると、大きく見えるし、威厳も出てくる。
また、女性は洋装では膝から下が見える、この膝から下が知性を現している、座った時の足の置き方、揃え方、歩き方、立った時の足から背中への筋が通っているか・・・ここでインテリジェンスが現われる・・・と確信している。
いっておくが、太い、細いを言っているのではない。
男も同じである。
立った時、座った時、足さばきで、人柄から知性まで・・・知らずのうちに現われているのである。
そして話を最初のジャケットに戻す。
この女性の足は颯爽としている、目的意識を持ち、歩いてゆく方向づけがシッカリしている。
一方、後ろの男性の足はどうか・・・。
先ず、歩幅が狭い、左膝が伸びていない、寒そうで、シュリンクしていそうである。
そして、蹴りだす後ろ足の力強さに差があるように見えるのである。
ちょっと、この女性と男性の歩く方向が、後数歩で並びそうである・・。
この男性がこの女性に声をかけたとして、結果は見えている。
これがゼンさんの「人間は足でわかる」という、方程式である。
毎回、「KIND OF BLUE」の階段を下りてくるお客さんの足が先ずは先に見える。
これだけで、ゼンさんは、どんな人かほぼ判断できるのである。
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January 23, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その107ーー「故本田竹広の一周忌に・・」の巻ー

<早いもので、本田竹広さんの一周忌が1月12日にきた。これを機に各社が復刻盤をいっせいに発売・・・思い出と共に復刻盤を語るのが供養かなと・・・これは他のSNSにも掲載した記事です。>


たかがジャズ・されどジャズ ~本田竹広へのオマージュ~
「本田竹広・REACHING FOR HEAVEN」

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1月12日は本田竹広氏の1周忌である。その日から今日21日まで、彼のレコードを聴き続けていた。
その一枚がこれである。
ベースにロン・カーター、ドラムにいまは亡きトニー・ウイリアムス
1977年5月NYでの録音である。同時に録音したものに、「ANOTHER DEPATUER」がある。同じメンバーで本田竹広がピアノとフェンダーローズを弾いており、全編オリジナルである。
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1977年といえば、本田がプロ活動をはじめてから10年ほど経ったころである。
色々と試行錯誤を繰り返し、武田和命とバンドを組み、その後、トリオで活動、そして渡辺貞夫のバンドに加わる、徐々に洗練され、磨かれてゆく過程が鮮明に浮かび上がる。
この録音はネイティブサンを編成する前夜である。

私はこの二枚のうち、オリジナルで占めた「ANOTHER  DEPATUER」はかなり肩に力が入っているように聴こえる。上手い下手を論じる次元ではない。
曲に迷いが見えるのは穿ちすぎか、アルバムを最初から最期まで聴きとおすと、何か曲の順とかアルバムとしての整合性が今ひとつ欠けるような気がするのである。
1曲づつ聴けば、それはそれで独立して面白い、特に「LONGING」は77年時代のハンコックを彷彿とさせるスリリングな曲であり、インプロビゼーションの展開も見事である。

一方、「REACHING FOR HEAVEN」はオリジナルは一曲で他はスタンダードや他のアーティストの曲である。
全編を聴き通して、充実感が漲る、サポートしてる、ロンとトニーとも三者の一体感、まとまりがあり、互いのインスパイアーが円滑に行われている。
嘗て本田竹広は抑制から脱け出すために、敢えてパワーピアノを弾きまくった。
武田と一緒だったころ特にそうだった。
でもここでは、いい意味での抑制と構成が美しく開花している。
最期に、ホレス・シルバーの「PEACE」を取り上げている。
シルバーのトリオ演奏とは全く違う解釈で、実に落ち着いた、静かなPEACEを奏でている。
(因みにホレス・シルバーのPEACEはこのBLOGの表紙になっている、「BLOWING THE BLUES AWAY」のB面の最後にホレスがトリオで演奏している)

本田のテクニックについては何も言うことは無い、その技量をもって何を表現すべきなのか・・・その迷いから脱するために彼は多くの時間を割いた。
最期に彼は行き着いた。

1975年夏、蒸し暑い夜だった。高円寺のジロキチで本田+渡辺貞夫というセッションがあった。
狭い店内は満員でむせ返っていた。
最終ステージを残して休憩に入った、皆表の道路に出て涼をとった、僕もグラスをもって歩道の縁石に腰掛けていた。右に本田さんが座った、左に貞夫さんが座った、僕は挟まれた格好になった。
そんな雰囲気で、僕は本田さんに聞いた、「何故、クラシックに行かなかったの?」本田さんは少し考えた様子だった、貞夫さんが「同じじゃないか」とボツと言った。本田さんが「ウン、同じだよな」と・・・。
そんな短い会話をとてもよく覚えている。

そして最終のステージになった、お客は知っている、皆でジロキチの板張りの椅子と机を隅っこに積み上げて片付けた。
全員が立っている。
貞夫さんが「さあ、やるか!」といってアフロのリズムが始った。
「トリスターゼ」だ!貞夫さんの吹くテーマを全員で合唱しながらサンバを踊っている。
長い貞夫さんのソロが終わると本田さんがソロをとる、お客さんが全員で歌う「トリスターゼ」に載せてソロフレーズを絡めてくる、もう止まらない、何コーラスも歌いながらアドリブを絡める、皆で歌うテーマがバックリフになっている。
お店全体がサンバに揺れていた・・・・1975年夏の思い出・・・100回以上聴いているだろう本田竹広のピアノ、でも何故かこの時のことを鮮明に覚えている。
またやろうよ!竹さん、「トリスターゼ」を!
NOW,HONDA IS TAKEHIRO REACHING FOR THE HEAVEN.
本田さん、しなやかで、粒の揃った、あの音はいつまでも耳の奥で響いています、ありがとう。

合掌


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January 18, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その106回「NYがやって来た」の巻ー

<前回より続く、今週のテーマは、BASS>
(幻想と妄想のヴァーチァル・ジャズクラブ「KIND OF BLUE」へようこそ。入店時はコメント欄にお名前をお書き下さると幸いです。罵詈雑言、励まし、おだて、抽象誹謗・・・なんでも結構です。店主軽薄じゃなかった敬白)
「好店 三年 客を変えず、好客 三年 店を変えず」

年末年始の喧騒も去った。
松もとれて、寒さも厳しくなり、木枯らしも吹くようになってきた。
寒い日であった。
今日もいつも通りの音だしで店は始った。
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最初の演奏時間が30分程たって、一人の男が入ってきて無言で空いた席についた。
黒のツバ広の帽子を目深にかぶり、顔はひげ面だった。
黒のシャツの襟をたて、チャコールグレイのパンツ、パンツの裾から靴を見ればそれが黒のブーツである事が分かる。
スコッチのロックとチェイサーをオーダーし、静かにグラスを傾けていた。
店は7分の入り、河田トリオは「オータム イン ニューヨーク」を演奏していた。
ゼンさんが母屋から本を一冊もってきた、その留守にその男は一人で入ってきたのだ。
マネジャーの山ちゃんが席に案内した。
「初めてみる顔だ」とゼンさんは思った。「雰囲気はプロのミュージシャンかと、でも誰だろうか、分からない」
ゼンさんは暫く話し掛けることはしなかった。
河田は第一ステージの最後の曲はバラードにした、「ハッシャ バイ」だ。
そしてテーマをベースの山田君がアルコで弾いた、まるでカデンツアで唄うように、この曲独特のウネリが弦で表現された。
ソロになってリズムが入り、ピアノが引き継いだ。
「おお、いいじゃないか」ゼンさんは思わず声に出しそうになった。
そして壁際にいる帽子の男に目をやった。
「あれ」横顔に見覚えがあった。
ピアノが最後のテーマに入った、トレモロでエンディングを盛り上げている、お客は何時にない展開の「ハッシャ バイ」に聴き入っている。
演奏が終わって休憩に入った。
「おい、深谷じゃないか、そうだろう、久しぶりだな、25年くらいか」
「うん、25年ぶりの日本だ」
「いつ帰ってきたんだ」
「一昨日だ、君がここでライブをやっているって聞いたから」
「誰からだ」
「アメリカから日本にきたミュージシャンがよく来るだろう、東京に良いクラブがあると聞いていたんだ、あの河田もNYにいた時言っていたよ、ゼンさんの店で弾いていたって」
「君の評判は聞いているぞ、NYでの評判は凄いじゃないか」
伝説の日本人べーシスト、深谷 純、ゼンさんと学生時代バンドを組んでいた。
大学を出るとプロになるといってライブハウスで中堅のピアニストと組み仕事をしていた。30歳を過ぎた頃に日本から姿を消した。そして彼はNYに居るとウワサに聞いた。
そして彼が消えて10年くらい経って、アメリカから来たミュージシャンに噂を聞いた。
「NYにJUNという名の凄い日本人ベーシストがいる、彼は、ジャズが何だか、ベースが何だか、そしてブルースが何だか分かっている」とゼンさんは聞いていた。
それがあの深谷君だとは分かっていてもその音を聴いていないので実感がわかなかった。
その彼が今25年ぶりでやってきた。
日本からNYへ行ったミュージシャンが言う、彼の音は一音でわかる、ブーンと弾いたらもうニューヨークの音なんだと。
ジャズは音質が大事だ、これが個性にもなる、表現の半分は音質だ。
特にベースは音質がイコール個性だ、太くてシッカリした音を誰しもが求める。

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ゼンさんは河田や大野、山田を紹介した。河田は「やあ、久し振り」と挨拶をした。
河田もNYで5年修業をした、その間に彼等は会っていた。二人ともNYの音を追求していた時だ。
特にべースの山田君は緊張して挨拶をしていた。
彼は簡単には飛入りでは演奏しない、山田君が敬意を表して、「どうぞ」と言ったが、その日は最後まで静かに聴いていた。
そして最後のステージでやおら立ち上がってベースのところに来て交代した。
河田が「何を」と振り向いた。
深谷はアルコを取り出すとソロで弾き始めた、「YESTERDAYS」だ、うねるようなメロディを弦独特の伸びのある音でテーマを弾く。まるでチェロを弾いているようだ。
お客さんはとてつもないゲストに聴き入っている、誰も帰ろうとしない。
深谷のテーマの解釈には万感が込められていた、25年間の思いがこの曲の歌詞を思い出させるように奏でられれてゆく。
無伴奏でテーマを弾ききったそして、ピッチカートに入ってインテンポとなり、河田がピアノソロを取った。
バックで弾く深谷の音は重かった、でも音程はクリアーで太い、低音が通る、ベーゼンドルファーの音質に見事に絡まっている。
ゼンさんはこれがNYの音かと感じながら、まるで違う音を出す深谷に25年間で何があってこうなったのかと考えていた。
河田のソロが終わると、深谷がソロをとった。
ベースの音域を全部使うという表現がいいのか、最低音から最高音まで使って、哀愁の調べを奏でてゆく、ベースがこんなにも表現豊かな楽器かとゼンさんは再認識した。
アンプの音量に頼らず、できるだけ生の音を出している、決して音量の大きい楽器ではないが存在感のある音で勝負している。
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エンディングは河田のピアノで終えた。
拍手が凄い、終わらない。

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January 11, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その105ーー「初音出し、お年玉、初夢」の巻ー

<前回より続く>
「初音出し、お年玉、初夢、初笑い・・・の巻き」

今年も、幻想と妄想の産物、「KIND OF BLUE」の音出し始めが開催された。
ジャズクラブの入り口に一斗樽を置き、升での振る舞い酒が用意された。
来場者記帳のコメント・ノートもある、「皆さん、名前だけでも記帳していってくださいね!」

近隣のいつもの常連さん、富田さん、船橋さん、コシノテツコさん、神田川黄昏さん、吉川さん夫婦、京子ちゃん、等など、そして今日はお年玉があると聞きつけて、全国からのコメント常連さんが集合していた・・・が北の代表DUKEさんは天候不順で飛行機が遅れ未だ着いていない。
ヤマチャンとヨーコが忙しく升酒を配っている、厨房の長さんは、お目出度いメニューで、「海老の旨焚き」と「田作」、「黒豆」「カニのふきよせ酢」、「フォアグラのゼリー寄せ」などを用意した。

皆が口々に新年の挨拶をしている。
和やかな雰囲気だ。振る舞いのただ酒だと飲むスピードが速い、げんきんなもんだ。
7時に初音出しだ、今年の音出しは、「ワンダフル ワールド」だ、リクエストの源のDUKEさんが未だ来ていない・・・が25-25さんの始めようの声で・・・・。

ドラムの大野が長い長いスネアのロールを始めた、「ドゥルルルルル・・・・・」決して大きな音ではない。
少しずつ音量が小さくなり、ロールが止まる瞬間、ピアノがメロを静かに弾き始めた、二小節目でベースも静かに入った。
スローテンポの「ワンダフル ワールド」が始まった。
KAMIさんやしんじさん、BASSCLEFFさんの顔もある、新たに加わった、えるさんの顔も見える。
あそこに来ているのはMIEKOさん、そして日ごろ大人しいNARUさんもカメラを構えている。
船橋君が思わず「イェー」とつぶやいた、そして「DUKEさんは日ごろの心がけが悪いから、飛行機が遅れるのだ」と言わないでもいい余計なことを言った。
BASSCLEFさんが、思わず「シッー」と目で制した。

河田吾郎のピアノが徐々に盛り上がってきた。
サッチモのワンダフル ワールドとは又、一味違う仕上がりになっている。
左手はコードをトレモロで、右手はビハインド ザ ビートで、粘ってメロを弾く・・・たまらない至福の一瞬だ。
このエンディングの時、一人の小柄な紳士が階段を下りて来たのに気がついたのは、ゼンさんだけだった。

大野トリオは続いて、「世界は日の出を待っている」を・・・これもDUKEさんのリクエストだが・・・まだ来ない。
ピアノトリオでやるこの曲も、モダンなアレンジで軽快にスイングする。

以前、ゼンさんはアート・ブレイキーと二人で深夜の2時頃、霞町の小さなピアノバーへ行った。
突然の大物来客に、お客二人を相手にピアノを弾いていた初老のピアニストはガチガチにあがってしまった。
やおらブレイキーに「何を演奏しましょうか?」と聞いた、パパ・ブレイキーは「好きなものをやってくれ」と一言いった。
そして始めたのが「世界は日の出を待っている」だった・・・が、もうハチャメチャで、リズムは狂うし、ミストーンは多いしで、冷や汗をかいている。
それを見て、ブレイキーは僕にウインクして、「あれでいい」と言った、そんな光景を思い出していた。

この曲が終わったところで、ゼンさんが口を開いた。
『みなさん、おめでとうございます、遠路はるばるようそこイラッシャイました。今日は新年につき特別なゲストをお呼びしました。津川さんです。津川さんは今日は特別に皆さんにお年玉を差し上げたいと・・・、そうです、日ごろ行いが良く、ジャズを愛している皆さんの中から3名の方に、マレロのバンジョーによる「世界は日の出を待っている」の原盤を差し上げようというお年玉です。』
店内はざわめきたった。
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「そう津川さんは世界でも10組しかない原盤を5組も所有している、そのうち、4組はジャケットも完璧な状態だ。ジャケットと言ってもSP二枚組みが入る見開き形の箱になっている。外国のレコード会社が復刻を作製する時には頭を下げて借りにくる代物だ!」
「音質もいい、いまやマスターテープはない、従って、音源はここから取るしかない。LPやCDを作成する時も津川さんからお借りしてコピーをするのです」とゼンさんが説明した。
「そして、津川さんは5組を持っていてもしょうがない、このうち3組をここで抽選で差し上げようというお年玉です」と続けた。

津川さんはにこやかに袋から3組のマレロのバンジョー演奏の原盤をだした。
皆が一斉に身を乗り出して見入っている。
「これがそうか、幻の原盤だ」とBASSCLEFさんが言った。

「では阿弥陀クジで決めましょう」とゼンさんが言った。
「実は昨夜、このお申し出があったので、30人分の阿弥陀クジを作っておきました、これがそうです」と壁から幕を外すと、大きな阿弥陀クジが出てきた。
「公正に行うため、皆で横棒を書いてください」
みんなは夫々に横棒を書き入れた。

「では1番から30番までご自分の名前を書いてください」
みんなはワクワクする心を抑えて、自分の名を書き入れた、1人あまった。
「おかしいな?・・あっそうか、DUKEさんが未だ来ていないからだ」
ゼンさんは皆に聞いた、「どうしますか?DUKEさんが未だなんですが」
「時間切れ!」と冷ややかな声が会場から上がった。

「では始めますか」とゼンさんが開始の宣言をした瞬間、階段から転げ落ちるように一人の人が入って来た。
「ちょっと待ってください、僕にも名前を書かせてください、お願いです!」
DUKEさんだ、必死の形相で皆の目をみた。
ジャズファンは心が温かい、遠くから来たのだし、このレコードには一番思いいれのあるかただからと、最後に空いたクジにDUKEと書いた。

そして、名前を隠し、今度は、当りのクジを三箇所に丸をつけた。
「先ず、最初の当選者」とゼンさんが阿弥陀クジを辿った、ドラムが盛り上げのロールを始めた。
「最初の当選は、富田さん!」「おお、やった、買ったら100万円はくだらないだろう」と感激している。
「続いては、・・・・・吉川さん」、新婚ほやほやの吉川君が呼ばれた。
「いいのかな僕で、嬉しいけど、皆の目が凄いな」と。

「最後の1組ですよ、では・・・・・、さすが、残り物には福があるとはよく言ったものです、最北のゲスト、DUKEさんです」
「ウオー」と歓声が上がった。

「やった!」と叫んだ・・ところで、「DUKEさん起きてください!看板ですよ」という声が遠くに聞こえる。
「エッ、邪魔するな、そのマレロは俺の物だ」
「何ですか、マグロは俺のものだ?寝ぼけないでくさいよ、ちょっと飲みすぎじゃないの」と赤提灯の女将の声で目が覚めた。


当BLOGはDUKEさんの「デューク・アドリブ帖」とのインタープレイ・ブログとなっております。この話の経緯を詳しくお知りになりたいかたは、当ブログのリンクサイト「デュークアドリブ帖」へお越しください。

<次回につづく>

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January 04, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その104回「謹賀新年」の巻ー

皆様、明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします。
ということで、「KIND OF BLUE」の新年は特別の催しものもなく、静かに明けた。
ゼンさんは、元旦の昼下がり、全く見るべきものがないTVプログラムにうんざりしながら、レコード棚を見ていた。
元旦の初日は薄曇りだったが、柔らかな日差しが窓から差し込んでいた。
そうだ、「SOFTLY AS IN A MORNING SUNRISE」を聴こう。
さあ、誰のがいいかな・・・・と。

先ずはお定まりのソニー・クラーク トリオ(BN)を聴いた。
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ゼンさんはソニー・クラークというピアニストは雰囲気がビバップ時代のジャズっぽいという典型的印象を与えるピアニストで、繰り返し聴きたくなるピアニストではなかった。
チェンバースとフィーリー・ジョー・ジョーンズのコンビネーションは見事だが。
でも、世の中ではもてはやされている・・・きっとモダン・ジャズ喫茶が台頭してきた頃、それらしい雰囲気を出すに良い音だったのではと当時を振り返った。
モダン・ジャズには退廃と虚無の雰囲気が必要だった、そんな音が紫煙と一緒に狭い店の中を流れ、若者は哲学的内省を試みていた・・50年代から60年代前半の時代だ。

つづいてMJQのSAVOY盤を聴いた、「ウーン、ミルト・ジャクソンの為にあるような曲だな」と一人ごとをつぶやいた。ヴァイブの音質が「朝日の如くさわやかに」と言うタイトルと合致して聴こえる。(しかし、本当はミュージカル曲で歌詞の内容は全く異なる、さわやかイメージではない)
一体、このタイトルの日本語訳は誰がしたのだろうか?
名訳であり迷訳でもあるなと。

次ぎは、やはりウイントン・ケリーだろう、「KELLY BLUE」(REVERSIDE盤)と名盤をかけた。
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一曲目の「KELLY BLUE」のテーマが先ずもってさわやかだ、特にボビー・ジャスパーのフルートが特に爽やかさを際立たせていながらファンキーでいい。
つづく、ケリー トリオで奏でる「SOFTLY~・・」がまたまた落ち着いた雰囲気でゼンさんは好きだ。

元旦から、「SOFTLY~」とはいえ、ロリンズやコルトレーンは少々重い感じがした。
締めくくりは。歌もので聴きたいな・・・「そうだ、ダイアン・リーヴスでゆこう」とダイアン・リーブスの「ニアネス オブ ユー」を聴いた。
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元旦のお雑煮を食べなら聴く「SOFTLY AS IN A MORINIG SUNRISE」であった。
翌日、2007年1月2日はゼンさんの「ジャズに魅せられた記念日」である。
今年で46周年記念である。
1961年1月2日、14歳の時だ、来日中のアート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズを産経ホールへ今は亡き友人の軒口君と聴きにいった。
レコードで事前に聴いていたが、これほどまでに凄い衝撃があろうとは思っていなかった。
ゼンさんは、1961年の来日時にスタジオで録画したVTRを毎年正月2日に観ることにしている。

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ブレイキーもティモンズもショーターもリー・モーガンも皆が若々しく新鮮で躍動している。
あれからもう46年も経過したのか・・・と感慨深い。
爾来、ジャズに情熱を燃やし、いつも楽しいときも、苦しいときも、悲しいときも、ジャズが傍にあった。
ジャズはある時は癒しであり、ある時はエネルギーになる。
そして、ジャズを通じて多くの出会いがあり友人を得ることができた、共通の趣味や話題は人をつなぎ、理解を深める・・・不思議にジャズ好きに悪いやつがいない。
また今年も、ジャズを聴いたり、演ったり、書いたり、一年を無事に平穏に過ごしたいと思っている。
「たががジャズ・されどジャズ」である。

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December 29, 2006

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その103回ーー「2006年エンディングの巻ー

今年もみなさん、お世話になりました。
おかげさまで、100回を達成することもできました。
せめて、写真だけでも感謝を込めて、薔薇をお贈りします。
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一年の締めくくりです、一年を振り返れば悲喜こもごも、でもあっという間に過ぎ去って・・年齢とともに時間の経過は加速度的に速さを増すと、これは法則があるようです。
小学生の頃、一年が経過するのは随分と長く感じたものですが・・・今じゃあっと言う間です。
でも、そのあっという間に、皆さんのような志の高い方々と交歓できたことは無類の喜びです。
ありがとうございました。
正に一期一会とはこのことかと・・。

ジャズに魅せられたのは、1961年1月2日、この日をジャズ記念日としています。
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爾来、46年、いつも何かにつけジャズがありました。
だから、「たかがジャズ・されどジャズ」なのです。
心象と具象の間にある、空間を如何に表現したらよいか・・・みんな色々と考えているのでしょう、ある人は絵をもって表現し、ある人は文章をもって・・・そしてある人は音楽をもって表現します。
今振り返ると、ジャズとの出会い、音楽や文学との出会いは、そんな存在であり、それが表現できたら良いなと、いつも考えています。(なかなか上手くゆかないけど・・)

皆さんは、一年の締めくくりに何を聴きますか?
そして、「締めくくりの音・・・・エンディング」で印象に残るエンディングは?
ジャズにも色々な出だしがある、イントロがある、ヴァースがあると言ってきましたが、反対に最後には、エンディングがありますね、いろいろなエンディングがね。

私は、エンディングは7THで終わりたいと思っています。トニック(母音)で終わると「はい、そこで全部終わり」となって落ち着きはいいのですが、余韻というものが無い。
そこで、次にまた期待をもたせ、まだ何かありそう・・・と聴く者に余韻を残す音で終わって欲しいものです。

でも凄い裏切りのエンディングもあります。
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モンティ・アレキサンダー・トリオのモントルージャズ祭・ライブ盤での「サテン・ドール」は前から順に盛り上がってくるなかのピークで演奏します。
例のモンティ調で盛り上げてエンディングにはいります・・・・ジャーーーンンン、ドラムが、バスドラとシンバルを叩きまくり、ピアノが・・ダダダダダダーン・・・ベースもボボボボボボーーン・・・・。
これで終わりと思いきや、モンティがカウントを出します「1,2,3、4!」すると、ドラムとベースが再度4ビートを始め、モンティのアドリブが続きます。
聴衆はもう終わると思っていたのに、再度、スイングが始まるのです、聴衆は「ウヲー」と歓声を上げます。
こんな気持ちよい裏切りのエンディングもあります。

お祭り騒ぎのときはこの様なエンディングも良いですが・・・バラードのときは、静かな余韻が欲しいなと思います。
大晦日には「ジョニー・ハートマン&コルトレーン」の「THEY SAY ITS WONDERFUL」を聴いて、余韻を楽しみ、来年の2007年につなげたいと思います。
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きっと、除夜の鐘の音も、その静寂をもって旧年を祓い、新年への期待の余韻の響きを表しているのではと思うのです。

では、また来年も皆さんと、良いジャズが聴けますように、そしてお互いのBLOGとコメント・ジャムセッションや駄洒落が一層盛んになりますようにお祈りして、本年最後の締めとさせて頂きます。

良いお年をお迎えください。
来年も「KIND OF BLUE]<Fのブルース>を宜しくお願いします。
最後に、せめて写真だけでもワインで乾杯!
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<最後の蛇足>
門松の由来:これは江戸初期に徳川家が始めた、家康がね。だから、青い松、そして竹はスパット切り口を斜めに鮮やかにして・・・・松は松平を意味し、青々と・・・竹は武田氏と意味して、首をスパット切り落とした図になっている。松平の隆盛と武田の滅亡を正月に祝った。
だから・・・武田色の強い地方では、何となくの反抗心から、松より背の高い、葉の茂った竹を飾る・・・と言う訳です。
貴方の、ご先祖は・・どちらでした?

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December 22, 2006

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その102回ーー「ジャズとダンディズムの巻ー

<前回より続く>

(歌詞を忘れたヴォーカルは♪なんで名盤になってしまうのだろうか・・・)

ゼンさんは開店前のまだ誰も居ない店で、一人考えていた。
ジャズとはダンディズムの象徴的芸術ではないか・・・と。
そして次のような言葉を思い起こしていた。

<以下は柴田錬三郎著「柴錬ひとりごと」より一部引用>
ダンディは英語である。日本では伊達者、キザな洒落者と片付けられるが、それはきわめてウスッペラの面を示している。
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見ているだけの皮相な考えかたでダンディというのは、イングランドのつくり上げた一つの存在方式である。
はっきり言えば、ダンディズムとは、他人に似ることを厳しく警戒する独創性の追求によって、真価を発揮する。
もっと極端な言い方をすれば、ローマ人以上の英国人のエゴイズムの華なのである。
ダンディズムを研究している故斎藤磯雄氏(リラダンを研究し翻訳に優れた業績を残した、柴田錬三郎氏の義兄)によれば、イギリスの貴族ボオ・ブランメルを完璧な一典型とするらしい。バイロンは「余はナポレオンたらんよりも、ブランメルたらん」と言い切っているし、ボードレールも大変な影響を受けている。
ダンディの元祖たるブルンメルは、ネルソンやナポレオンやバイロンとほぼ同時期の貴族であり、その影響はヨーロッパの作家・詩人に底知れぬまでの影響と与えている。
以上は抜粋。

『ジャズとは、他人に似ることを厳しく警戒する独創性の追求によって、真価を発揮する』
この一文の「ダンディズム」と「ジャズ」を入替えた・・・・どうだろうか。
もし、ジャズという芸術は何なの、と聞かれたら・・見事な回答になっていないだろうか。

ジャズにおけるダンディズムを意識するようになったのは20代半ばであったが、高校生の頃に何となく、マイルス・デヴィスにそれを感じていた。
しかし、最初にモダン・ジャズを観た時、1961年に来日した時のリー・モーガンの印象にはより強いものを感じていた。
その印象をマイルスが上回ったのは、1964年にマイルスが初めて来日し、厚生年金ホールで目の当たりにした時だった。そしてさらにチェット・ベイカーがこれに加わるのにはもう少し時間が必要だった。
同じ管楽器でも、トランペッターには何故かダンディが多いように思う。
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では何故、リー・モーガンにそれを感じたか、非常に単純な考えというか感覚で、「立ち姿が良かった」、これに尽きた。
JMのリズムセクションをバックに、煽るブレイキーのドラミングに載せてハイトーンを吹く姿は正に男の音楽、美学を感じさせてくれた。

1938年生れのフィラデルフィアンは、クリフォード・ブラウンが非業の事故死を遂げるのと入れ替わりのごとく現れた。
しかし、クリフォードの演奏が優等生仕上げだったのに比べ、モーガンは歌うフレーズに哀愁を含んだ音質そして、吹くフレーズごとに、ブルース・マインドも含ませている。
どこか不良っぽさを内在させた感性を持っていたように思える。
それが立ち姿と言う外見にも現われていたのではないか。
内容は外見に現われる。

当時の潮流の先端にあった、ファンキージャズのフォーマットにいち早く乗り、時代の寵児となった。
彼を語る時、誰しもが言う、「不良っぽさ」これはヒップな感覚に通じ、「無頼」にも通じるところとなるのではないか。
最期もそれにふさわしかった・・・1972年2月、出演中のクラブで愛人の女性にピストルで撃たれて死んだ。
享年34歳の短い時間に思いっきり耀いた音を表現した。
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「LEE MORGAN LIVE AT LIGHTHOUSE」は1970年7月の10日、11日、12日の3日間を記録した盤で最期の録音となった。
かつて、「I REMEMBER CLIFFORD」を吹いたモーガンが、逆に思い出になってしまった。
この最期のライブアルバムでは彼が冒頭でMCをする声が聞かれるし、3日目最期の「SIDEWINDER」はオリジナルのものより白熱した良いノリの演奏だと思う。
特にピアノのハロルド・メーバーンがいいノリで聴きものである。
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「無頼・・・」
「己は正しい規制のもとに行動しているのだというプライド。このプライドを持った行動が無頼なんだ」と柴錬先生は言った。この「無頼という考え方こそ、ダンディズムの根底を為す思想だ」
そして、この考え方を正に実践し生き抜いたアーティストがマイルス・・・・・・・。
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「ゼンさん、おはよう」と大野が店に入ってきた、ゼンさんは妄想から目が覚めた。

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December 14, 2006

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その101ーー「閑話休題・アウグスブルグの巻」ー

<今回はちょっとジャズを離れて・・・・>

プロフィール欄にドイツ バイエルン州 A市 名誉市民とある。
このA市について語ろう。AUGUSBRUG市である。
ミュンヘンから東へ70キロ、人口25万人ほどの中規模都市である。
ロマンティッシュ・ストラーセの街道上にある。
紀元前15年に市制を布いたドイツで二番目に古い町である。
因みに、この町にある、終戦直後にできた事務機器製造の中小企業がある。その会社の特殊な製品を約50年に亘り親子三代で日本に輸入し啓蒙・普及してきた。

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1985年、市は、市制2000年祭を大掛かりに開催した。
当社も何かお祝いの寄付を考えた・・・市から来た希望は、市が経営する植物園に日本庭園を造るので、石灯籠が欲しいという。
この市は長浜市と尼崎市と姉妹都市と提携している親日家の市だ、日本のことを良く知っている。
色々検討した結果、市は「織部の石灯籠」を希望している、桂離宮にあるものと同じものだ。
さっそく調査した、京都にこの織部灯篭と同じ物を造ることを許可され造っている方がいると聞き訪れた。
レプリカは幸いにも二体あった、これを求め、飛行機で送った。
なんとか、2000年祭のお祭りの日までに間に合った。そして、光栄にも市主催のお祭りの晩餐会に招待された。
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市役所ではこれ以来、会社の名前と私の名前が有名になった。

1989年、その中小企業も世界中に代理店を有するようになり、この代理店を世界60カ国から東京に集めて国際会議を開いた。
同じ時期にこの市の市議会で当社のことが議題に上り、可決され、市長から、栄えある賞を拝受した。
ゴールデン・リング賞という、市の紋章である、松ぼっくりがかたどられた金の指輪を頂いた。
この賞(金の指輪)を持っている外国人は二名しかしない。また2000年以上の歴史のある市で全部で
30人しかいないと聞いている。
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取りあえず、この名誉市民称号、「ゴールデン・リング」を拝受しているので、やはりこの町を紹介する義務があるのではと、ここに紹介というか、観光ガイドでもと思った次第。

日本からはミュンヘン直行便は今はない、以前はJALとLH(ルフトハンザ)があった。
フランクフルトでトランジットとなる。(途中、又は帰路、他に寄り道をしたい時はロンドン経由とかパリ経由が可能となる)

私のエアラインはANAがフランクフルト便を出して以来、常連となった。またANAがLHとアライアンスを組んでいるので、EU内(INLANDという)をLHを使って飛ぶとANAにマイルが加算されるもの都合が良い。
ミュンヘンからドイツで最も古いアウトバーンを使って、車で45分、電車ICなら60分ほどで着く。
(ICEなら40分くらい)
ロマンティック街道上にある。(ローテンブルグからフュッセンまでをロマンティク街道、ロマンテッシュ ストラーセという)

(話しの脇道:ミュンヘンとアウグスブルグ間が最も古いアウトバーンということになっている。そしてアウトバーンはヒットラーが造ったということになっている。でも本当に最古のアウトバーンは、それ以前に、戦後の首相アデナウアーが戦前ケルン市の市長時代に考え出し実験をした。
その旧跡は今でもケルン郊外にある。因みに、余談の余談だが、ドイツへいって、「ケルンはどっち」と聞いても通じない。KORN(Oはウムラウト)でこの発音が困難極まりない。むしろ、「コロン」と言ったほうが通じる。それは「オー デ コロン」発祥の地だから、4711番地がその場所です。何かわかりそうでしょう)

この街の名所は・・・先ずは・・とりあえず・・
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1、 市庁舎:17世紀の建築家エリアス・ホルが設計し建てたが・・・爆撃で90%が破壊された。
   戦後、募金をつのって再建をした、何故ならば、最上階にある、「ゴールデン・ザール」即ち
「黄金の会議室」は、壁、柱が金箔で覆われて、天井には素晴らしいフレスコ画が描かれていたからである。
1990年には完全に復しゅうされた。欧州にはこの手の話は沢山ある。
1985年には市の2000年祭がここで開催された。日本からは私と関西のさる名門家が招かれた。
市のシンボルは松ボックリで、日本とは違いかなり大きい、パイナップルくらいの大きさである。
これは昔、ローマからやってきた証拠で、全ての道はローマに通じていたわけだ。
ロマンティック街道に行った方はご存知と思うが、道端に高さ5メーターほどの白い石の円柱が建っている、これがマイルストーン、一里塚でローマからの距離を現している。
市庁舎の横にはペルラッハの塔があり、塔の頂きからアルプスの見える日は黄色の旗が立つ。
先端まで約200段、行かれた際にはお試しあれ。

<まだまだある名所旧跡、ちなみにモーツァルトも幼少の一時期この町に住んでいた、モーツァルトハウスが綺麗に保存されている・・・、フッガー家、ノイシュバンシュタイン城とルードゥイッヒ二世とワグナー、オーバアマガウとキリスト受難劇、ウーリッヒ教会、女性専用の抜け道など、延々と続く・・・・もしご希望ならの話>

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December 07, 2006

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その100回ーー「最初に言葉ありき」の巻ー

<99回より続く>
(お待たせしました、よりによって、このココログが故障中で・・・・100回を目の前にして色々あります。)

マタイの福音書でしたか、冒頭に「最初に言葉ありき」と・・・「言葉は神である・・・」と。
言葉を話すことから、全てが始ると・・・。
おかげさまで、100回になりました。アクセス数も10000回を越えました。
ジャズに憑かれて46年、随分長い付き合いになりました。人生のほとんどにジャズがありました。
そしていつも自分の背景で音楽が鳴っています、ジャズが中心です。
ジャズがあるからクラッシクもロックもフラメンコもタンゴもカントリーもあるのです。

2004年9月に第一回「VERSEから始めよう」を書きはじめました。
最初はこんなに長くなるとはおもいませんでした、思えば遠くに来たものです。
<BGMはゼンさんのオープニング・テーマ、シナトラの「デュエット」より「FOR ONCE IN MY LIFE」が流れる>
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BLOGとは言え、最初から日記など書くつもりは毛頭無く、「不定期連載小説」と称し、思いつきの人物を登場させ、かってな妄想の中で、理想のジャズクラブを誕生させ、遊びながらストーリーを書き出しました。
書いてゆくうちに、BLOGでは小説よりエッセイと思い、方向転換をしましたが、BLOG(ヴァーチャル)の勝手さゆえ、自分の思い通り気ままに変えてきました。

私の趣味はジャズを中心に、いろいろありますが、「一人の世界に閉じこもり妄想にふける」という趣味もあります。その妄想の中で紡ぎ出した物語を「書く」という趣味もあります。
別に誰の為に書くわけではなく、書くことにより、自分自身との対話をしているのです。
「CONVERSATION TO MYSELF」です。

でも、読んで下さる方々がコメントを残してくだるようになると、読み手を意識して書くようになります。まるで本を書いて連載している気分です。
そして、自分のジャズに関わる過去を自分の中で整理しているようにも思えるのです。
来年の二月で還暦になります。
過去に確かにいる自分と現在の自分、共に同じ自分なのに、過去にいる自分はとても懐かしく見える。
ジャズを通じての過去の集大成と、一方では現在を蔦の様に絡めながら、過去と現実を空想の中で行ったり来たりしながら蔦を展ばしてゆきたいと思います。

「花も実もある絵空事」とは憧れの師、柴田錬三郎氏の小説作法です。

そこで・・・、ジャズも文章も最初の一音、一節が大事、この数文字、数音にどれだけ時間をかけ、考えを集中し、何度もやり直すのでしょうか。
このBLOGも100回を機に、もう一度最初の出だしについて考えてみたいと思うのです。
先日、「小説の一行目」という本がでました。<本の表紙>
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昭和10年からの芥川賞、直木賞、合計300編の全ての出だしの一行目というか、一節を載せた本です。
時代順ではなく、ランダムに載せてあるので、いつ頃の誰の作品かが想定しにくくなっています。
これが反って先入観なく、単純に一行目だけを読むことができます、そしてその一行目から・・・容易に次の文章を自分が続きを書けることができるか・・・これって面白い遊びです。そして本当は最初の一行を読んで本文をどうしても読みたくなる、出だしの一文を探しています。

ジャズのイントロや出だしのフレーズも大事です。
この出だしを考えるのに随分集中します。
同じ曲でも、イントロにより、ワクワクとスリリングに聴くことができます。
次はどう出てくるのか・・・・。
以前、同じ曲の出だしを10人分集め、最初の8小節だけをテープに編集しました。
みんな違うのです、かなり考えていることがわかりました。
ミュージシャンの考え方、気持ちの入れかたが分かって興味深いものでした。

最初の一音・・というのもあります。
最初の一音で、「まいった」というのがあります。
ビル・エバンスの「WALTZ FOR DEBBY」の一曲目「MY FOOLISH HEART」の出だしの一音です。
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<ジャケット写真>
この一音でエバンスと分かります、そして、4小節を崩すことなく、ストレートに弾きます。
でも、この音質・・・何という音なのでしょう、万感が込められて伝わり、染み込んできます。
これは聴くときはよほど覚悟して聴かないと危険です。何しろ一日仕事が手につかなく、閉じこもりになってしまいます。
そのくらい凄いパワーを秘めている音なのです。
最初の一音、4小節でストーリー全てが啓示(提示ではなく)されます。
エバンスはイントロも作らず、テーマの頭から譜面通りに、騒がしいクラブの中で、何を考えて、あの音を出したのでしょう。
それに反応した、ポール・モンシャンがブラッシュでシンバルを「シャーン」・・・、もう駄目です。

ところで、このBLOG「Fのブルース」の出だしの一行目・・・何を暗示しているのでしょう。
出来栄えは、出だしで決まるといわれています。
自分も還暦、人生の二度目の出だしかもしれません。

読み手は意識せずに始めたBLOG,最近ではいろいろコメントを頂き、それが楽しみになり、エネルギーになって、また書き始める力がでるのです。
何事も一人ではできない、一人では生きてゆけないということです。
「一期一会」
「光陰矢の如し、空しく渡ることなかれ」と道元はいい、でも「ただただ意味など考えずに生きろ」とも言っています。
「好店三年客を変えず、好客三年店を変えず」これは柴田錬三郎師が店で揮毫を頼まれると書く言葉です。このBLOGのお店「KIND OF BLUE」のレジにも額にいれて飾ってあることになっています。勿論、柴錬さんの書いた、「風化文字」でです。

<BGM:ゼンさんのクロージング・テーマ、サラ・ボーン:「THANKS FOR THE MEMORY」>
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「継続は力なり」・・・だらだらと100回も続けています。
そう、46年前からの、中学、高校時代、大学時代のジャズを共にしてきた友人達、そして社会人になってプロをミュージシャンを通じて重ねてきた、ジャズの歴史・・・皆に感謝を込めて、101回から再度書き出します。

これからも、ご声援、コメント、罵声、叱咤、激励、宜しくお願いします。
そして、ジャズに感謝です。
お酒が飲めないので、アンミツでも食べるか!
ところで、「100」という数字にまつわるジャズのエピソードや曲は???

<次回101回に続く>

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December 01, 2006

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その99ーー「昨今ライブハウス事情」の巻ー

「昨今、ライブ事情」
(昨日、11月30日、ビリー・ジョエルを後楽園ドームで聴いた、疲れた。内容は70年代中心のヒットパレードで楽しかったが・・・始まったら全員総立ちで、二時間立ちっぱなし・・・アリーナ席とは良い席だと思っていたが、結局は「立ち見席」ではないか!満員でやはり年齢層は高い、懐メロ懐古趣味でそれはそれでいいのだが、やっているビリーも同い年で、お互い還暦なのだから、ユックリと座って聴きたい、でも気分が乗れば立ち上がってもいい・・・・だから、別途アリーナの一部に立ち上がりコーナーをつくり、立ちたい時にはそこへ行く、疲れたら、席に戻るというシステムにすると歓迎されると思うのだが。それから、いくら大きな会場でも、ピアノの音はピアノで聴きたい、PAエンジニア、シッカリしろ!おかげで今日は腰が痛い。)

<ここからが今回の本論です。>
2006年11月21日、STB139「大隈トリオ」を聴いてきた。
通常、私はジャズクラブという、小さなキャパのクラブに行く。
今回のSTBこと、スウィートベイジルはかなり大きなライブハウスで、開店当初はジャズの専門であったが、最近はジャズとはかぎらないらしい・・。
大まかな計算で二階まで含めて、200席くらいかと思う。
当日は満員であった。
そして思わずここに書かなくてはと思った・・・それは二点ある。
第一点は純粋に音楽的な見地から、第二点は、観客・聴衆のあり方というか、早い話がジャズの聴き方という点で。

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では先ず、音楽的観点から・・、当日のメンバーと演奏曲目は次のとおり、各曲のキーもメモしたがここでは省略。

出演:大隅寿男(Dr)、吉岡秀晃(P)、古野光昭(B)
ゲスト:寺井尚子(VLN)

1st.STAGE
1:C JAM BLUES
2:THE DAYS OF WINE & ROSES
3:IF I WERE A BELL
4:BLACK OLPHE
5:BILLY BOY

2nd. STAGE (+寺井尚子)
1:HASHA BYE
2:BLUE MONK
3:DONA LEE
4:SUNFLOWER

+ここで宇崎竜堂 ゲスト参加
:ROOT 66

+アンコールはお決まりの、「WATERMELON MAN」

以上を聴いて・・・。
このトリオは最強のトリオの一つといってよい、大隈の最新盤、「ON THE ROAD」を2005年にこの三人で録音している。
その中からの曲も演奏した。
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ピアノの吉岡が上手い、実に巧みな話術をもっている。それは一曲目の「C JAM BLUES」で吉岡BLUESの世界に引き込むあたり、さすがガーランドの跡継ぎだ、聴いていて唸らせる。
そして正に「JAZZ」である。
ここでジャズを聴きにいったのに、正にジャズとは・・・と言うかもしれないが、ジャズ風やジャズまがい、が多い昨今、気持ちまで、ジャズに浸りきっての演奏は気持ちがいい。
ソロの導入部から中押し、そして終盤へと、その説得力ある盛り上げがいい。

ついで、ベースの古野である、これがたまらない。
かれはアルコも上手い、チェンバースやカーターより上手い。
「黒いオルフェ」はCDにも収録されており、そこでも秀逸なソロを展開しているが、この日のアルコもよかった。
そして、それは第二ステージにも顕著に現れた。
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第一ステージは、ブルージーで適度なファンキーを含め、芯のあるジャズを聴かせてくれた。
特に、大隈のドラムは二人を引き立て、盛り上げ、バランスよく纏め上げる要となっていた。
レガートは安定し、よくスイングするドラミングはいつ聴いてもいい。
トップシンバルにシズルシンバル(といってもシズルは二三個だが)を使っても、レガートがボケずにクリアーであるのには驚いた。
シズルを8個もつけて、レガートを明確に叩いたのはブレイキーくらいなものだろうか。
この日のセッティングでは、トップもサイドもKジルジャンを使っていたようだが、彼はパイステやセビアンも持っているはず、片方をセビアンにしても面白いレガートの音質の変化が出せるのではと思った。

第二ステージ、最近よくある組み合わせで、寺井尚子が加わる。
先ず、結論から、はっきりと言って、寺井尚子は楽器を鳴らすのは上手い、技術もある。
しかし、表現において、「ジャズ」までもう1歩という感じなのである。
ここのところ、三回ほど立て続けに聴いた、三回ともだ。
「ハッシャ バイ」は古野もソロをアルコで弾いた。
哀愁あるメロを寺井は上手く表現した・・・が、続く古野のアルコはそれを上回る哀愁を表現してしまった。
「哀愁」を表現した場合、具体的にまず、音を聴いて「胸キュン」になる、そして「余韻」が長く続き癖になる、これが必要条件である。
これで古野は寺井を上回った、同じ弦楽器で弓で弾く、音域こそ違え、ソロに載せる気持ち、感情の深さが古野の方が上手ということだろう。

続く、「ブルーモンク」は寺井はヴァイオリンで全編、ピッチカートで弾いた。
テーマのメロディの解釈がいまいち、せっかくのモンクの味わいを薄めてしまった。
モンクのBLUESは同じブルースコードでもこんな音の組み合わせがあるのかと、奇抜さが取柄だ、
だからソロでよほど自分を出さないと、テーマのメロの個性に負けてしまう。
吉岡のピアノソロは良かった、モンクのBLUESをやはりブルースマインドで自分なりの解釈で展開し、所々にモンク式分散和音をちりばめ、思わず聴く者をニヤット、させる、「イェエー」の瞬間である。
寺井はモンクがまだ分かっていない・・・ブルースが聴こえない!
ブルースはテクではない、心だ、考え方だ、生き方だ、人生という譜面を弾くのだ!!!

ここぞとばかり、寺井は「ドナリー」を早弾きした、1秒4拍くらいだ。
テクはあるから、曲芸的早弾きは見ていて面白いし、パーカーの曲ゆえパーカーは勿論、バップ革命時代の人はこぞってやった。
コードチェインジも多いし、迷路を凄いスピードで駆け抜けるアドリブ曲芸である。
因みにコード進行は「インディアナ」と同じ進行だ。
バックの三人も驚かない、平気でついてゆく、一般聴衆は喜んでいる・・・が約1名、「まだ足りんぞ!」と思っている客がいた、私である。
早弾きに加えて、「仕掛けを入れろ!」と願っていた。せっかくベテラン三人が相手なのだから・・、でも終始ヴァイオリンの独断上で終わった。これではかつての寺井尚子のCDと同じ繰り返しじゃないか!
少々、消化不良であった。

最後に、「SUNFLOWER」、ソフィア・ローレンの主演で有名になった映画で、全面、向日葵畑の映像が印象的だった。何の為にあの様に沢山、向日葵を栽培するのか・・・という話はまたの機会として。
私の前の席のおっさんと若い女の子が、「これって有名な女優の映画の曲よねぇー」、とか話している、おっさん曰く、そうブリジット・バルドーという女優がいてね・・・・、この会話で興ざめである。
吉岡のピアノが、ビハインザビートで、タメが効いていてよかった。

第二ステージの総論、「寺井 対 古野」で、古野の勝ち!

古野光昭、20年くらい聴いてきたが、凄いベースになった。
帰りに古野の新譜「ISE」を出口で買い、彼にサインを入れてもらった。
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以前の「フルノーツ」というアルバムも良かったが、このCDは聴いてビックリ、SJ誌は4つ半をつけたが、私は5星で、SJ特別推薦盤にしたいくらいだ。
オリジナルで最初と最後の曲はアルコが最高、中間でピアソラを、これはピッチカートで・・これがたたまらなくいい、病み付きになりそうである。

古野氏は優しい心根の人で、自閉症の子供の為にボランティアでベースをもって慰問している。
10数年前に、彼に聞いたことがある、「どう、自閉症の子供達への伝わりは?」と「音楽を聴いているうちにだんだん身体が動くのがわかるのだ」と彼はいった。
こんな話、彼は誰にもしない、SJ誌はこの様な活動をもっと取り上げるべきだと思うが。
この様な同輩の頑張りは嬉しい。


最後に、聴衆の観点からの苦言をひとこと。
ジャズの聴き方を堅苦しくいうつもりは無い。気楽に自然体で聴けばいい、でも最低限のマナーを守ろう。
ソロ奏者が終わる、拍手をする、それはそれで良い、しかし、いつまでも拍手を延ばすな、次のソロ奏者が始まっているではないか、ソロを継いで、出る出鼻が大事なのだ、如何に最初を出るか、アット言わせるか、ソロ奏者は精魂を込めて考え、アイディアを凝らし、精神を集中して出てくるのだ、ソロとソロの間の拍手は、少し控えめにそして長引かせず、せいぜい二小節くらの長さが限度だ。
「いつまでも拍手をするな、でも拍手はしろ!」

次、「手拍子は4つで叩くな、前打ちよりはいいが、幼稚園のお遊戯ではない! ちゃんと後打ちくらい覚えてきてね」
そうだ、大隈トリオは何かと言えばデビュー盤の関係でアンコールに「WATERMELON MAN」をやる場合がおおい。
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この曲にはブレイクがある、ブレイクを合わせるように!
以上、聴衆へのお願いでした。

でも、時代でしょうか、当日のクーキャの平均年齢はAジューを超えていたのでは・・・
特に、シートのチャンバーの多いこと。(大隈氏好みか)
しょうがないか、舞台の上も平均はAジューくらいだから・・・蔭の声、「最近は年金トリオが多いね」
日本の高齢化はジャズ界でも、ライブハウスでも進んでいる。
(注:C=1、D=2、E=3、F=4、G=5、A=6、B=7・・・・・バンドの陰語符丁です)

以上、ライブハウス報告でした。
<出典:大隈さん、吉岡さん、古野さんの写真は夫々の公式HPから拝借しました。>

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November 28, 2006

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その98ーー「緊急追悼号 アニタの思い出」の巻ー

<前回より続く>
――閑話休題 追悼:アニタ・オデイとブーツ探しの巻――

11月23日、アニタ・オデイが他界したと報道とDUKEさんのBLOGからの知らせで知った。
当日、僕は上野文化会館へ縁と義理で、あるピアノ奏者のリサイタルに行った。興味は演奏より当日使うピアノだった。
「ベーゼンドルファー290インペリアル」ご存知ですか?
ピアノは88鍵が普通、これは97鍵盤ある。オルガンの曲を演奏する為に特別にベーゼンドルファーが製作するモデルで、低音部に9鍵盤を追加した。モーツアルトにショパンそしてプーランクを聴いた。
久々に、深い伸びの良いピアノの音を聴いた。チョット触ってみたくなる衝動に駆られた。

そして夜、「またか」というがっかりが第一印象で、11月23日??・・・日米衛星放送の始まりの日で、JFKの訃報がその第一報の日ではなかったか・・。43年前の出来事だ、そして僕が高校2年生で、休日にLPを買いに出かけた日、「マイルス・デイビス第二集」を買った日・・・、その日も寒いどんよりと曇った日だった。そんな連想が頭を巡った。11月23日って厄日か・・。

米国では感謝祭、日本では勤労感謝の日、同じ感謝でもする対象が随分と違う。

1963年、某月某日、当時16歳、今日は夕方から来日中のアニタ・オデイと「猪俣猛とウエストライナーズ」のTV番組がある、というので寄り道をせず帰宅。
早速、祖父の持っていたオープンリールのテープレコーダを引っ張り出し、マイクをTV画面の前面に備え、未だ吹き込んでいないテープを繰り出し、準備を進めた。(ヴィデオなど想像すらできない時代だった)
録音端子などという洒落た物はない、ただ録音中に雑音が入らぬよう祈るだけだ。
重さだけでも15KGはある。音が録音できるだけでも画期的な代物だ、音質などと言ってはいられない、因みにGE製だ。
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番組が始まった、先ず「ウエストライナーズ」が演奏する。パーソネルが今不明確である、何方か記憶にある方がいたら修正をお願いしたい。
Ts:西条孝之助、Tp:伏見哲夫、Vrs:原田忠幸、P:前田憲生、ベースは誰だったか、滝本さん? ドラムスは御大、猪俣猛。
アニタ・オデイが出てくる、歌うは、「APRIL IN PARIS」最初はミデディアムファーストくらいで出てくる、途中から倍テンになって、凄いスピードになる。
スキャットの声が楽器だ、管楽器と対等にアドリブをとる。
そして例の8バースチェインジから4バース、2バース、最後は1バースチェインジへとクライマックスになる。
バリトンでの1バースは苦しい、一音で終わってしまう。
アニタが自分のマイクを各楽器のところへ廻す、曲芸的なバースチェインジだ。
アニタの1バースのスキャットはフレーズになっている。
これがジャズ・ヴォーカルだと・・・高校生ながらに感じ入った。
後半は確か、シャープス&フラッツとの共演もあり、「スイート・ジョージアブラウン」を歌ったのを覚えている。
<詳細はDUKEさんのBLOGへ行って、TAKASHIさんのコメント欄にアニタオデイの公式HPが載っています、そこで観ることができます、持つべきものはリンク友達ですね)
ドリス・デイはやはり姿、形だけにしておこうと思った。(中学時代からドリスのファンだったもので)
ジャズでは、いつも黒人至上主義の僕は白人ヴォーカルにも凄い人がいると認識し、大学に入るとアニタのLPを買った。
あまりに凄いヴォーカルなので、これを真似る人などはいないと、また真似ても意味のない事だと思っていた。
楽器と対抗できるヴォーカル、これがアニタの印象だった。

1975年かアニタが来日した。
今度はジャズクラブで身近で聴けることとなった。
六本木のジャズクラブ、今は無い、「バランタイン」の富田社長が誘ってくれた。
30人も入れば満杯の店は超満員、僕はピアノの後ろのバンドの控え用の丸テーブルについた。
隣にアニタの女性マネージャーが座った。
当日のピアノが誰だったかが思い出せない、ベースはたしか稲葉さんだったかと記憶する。
ピアノはアニタが連れてきた人だったか・・。

僕は聴くことに集中し、隣の女性マネージャーとは最初に紹介され、挨拶をしただけだった。
曲が進み、休憩になった。入替制でお客さんが入れ替わっている、中にはサインを貰いに来る人など、ごった返していた。
マネージャーもアニタに気をつかっていた。
富田社長のはからいで、僕はそのままい続けた。
アニタは水だけを飲んだ、お酒は飲んでいなかった。
当時、アニタは56,7歳の中年のオバハンだったが、近くでみるアニタは映像で見るアニタとはまた違っていた。

第二ステージも食い入る様に聴いた・・・・が、何をどう歌ったかは覚えていない。
第二ステージもアンコールをやって終わる頃はもう12時になっていた。
アニタはやっと今日の仕事は終わりとばかり、オンザロックを片手に席に座った。
そして、マネージャーが僕を「この店のフリークエンター(常連)よ」と紹介した。
握手をした。
僕は「今日は小さなクラブなので帽子も手袋もなしですね」と挨拶に続く会話を出した。
「ああ、あなた観たのね」「勿論ですよ」
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Sweetgeorgia

続いてマネージャーと何か話している、指をさして、お客の足元を見ている。
良く聞くと、その女性客の履いているベージュ色のブーツが気になるらしい。
マネージャーが僕に「あのブーツは日本製かしら」と聞く。僕は女性用のブーツには詳しくはないので、聞いてみようかと言った。
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<このジャケット写真、年代も同じ頃でブーツをはいています>
その女性客はボーカル勉強中の若い子で、よく店で会う人だった。
その子に聞いた、「そのブーツ、アニタが気に入っているけど何処で買ったの?」
その子は渋谷と原宿の間にある僕も知っている靴屋の名を挙げた。そしてアニタとマネージャーにその事を伝えた。

アニタがマネージャーに聞いている、「明日、行く時間がある?」
「明日は夜のクラブの仕事だけだから大丈夫よ、もし貴方が早く起きられればね」とマネージャーが言った。
「大丈夫よ起きるわよ」とアニタ。

曲は覚えていないのに、こんなたわいない会話を覚えている。
アニタがマネージャーに「あなた場所わかる?」
「・・・・さんに頼みましょうよ」(日本側のプロモーターの担当者らしき人の名を挙げた)
「でも、あした昼から付き合ってくれるかしら?」
「さあ、分からないわね」
こんなやり取りがあって、アニタが、急に「あなた知っているの、その靴屋さん」ときた。

「知っていますよ、もし午後なら空いているから、僕の車で行ってもいいですよ」
「行ってもらいましょうよ」
「でも、いいですか」とマネージャー。
「僕は長年のファンなのですから、反って光栄なくらいで」と返した。
近くで見る、アニタの肌はシミ・ソバカスが多かった。
それから2時くらいまでアフターアワーズの話は続いた。

翌日、1時にホテル・ニューオータニへ迎にいった。
そして、靴屋さんへと案内した。
アニタの靴のサイズは結構大きかった、日本人の普通サイズの範疇ではなかった。
でもアニタはそのブーツが欲しかった。
ベージュ色のロングブーツでヒールの高いスタイルだった。
アメリカにはないの、あのヒールの高さでロングブーツがと・・。
お店では特注になるといった、アニタはそれでもOKと言った。
足型を取った、アメリカ到着まで3ヶ月はかかるという。
マネージャーが送り先を紙に書いた。
終わった時は、もう夕方4時を廻っていた。

ホテルに帰って支度をして、6時には今夜のクラブに行くという。
クラブは何処と聞いた、コパカバーナで西条孝之助4とだ。
彼女は僕を招待してくれた。以前にもコパではジェリー・マリガン4を聴いたことがあったがテーブルチャージが高かった。
7時の音出しまでに行くといって、ホテルに送った。

その夜、そのマネージャーと一緒にクラブの隅からアニタを聴いた。
日本のスタンゲッツ、西条孝之助との共演はクールにも白熱したステージを繰り広げた。
(注:西条孝之助:慶応義塾大学応援団、ブラスバンド出身という落差も笑えそうだが、わき道には此処では入らない)
前夜とは全く違う客層、でもこの高いチャージを払ってでも聴きたい人の集まりは大人の聴衆であった。
聴くツボをわきまえたお客さんだった。
このようなジャズファンもいるのだという認識をした夜でもあった。

アニタはその夜は忙しそうだった、多くのファンに囲まれていた、みんな英語が達者な人たちで、アニタとはダイレクト・コミュニケーションがとれた。
アニタは満足そうだった。
僕は、アニタとマネージャーにお礼言って別れた。
明日からは関西でしょ、気をつけてね。
これがアニタと交わした最後の会話だった。
赤坂の時間は深夜2時を廻っていた。

これが僕とアニタのダイレクトな出逢いで、爾来、アニタのLPを聴く度に、この時のことを思い起こすのだ。
「真夏の夜のジャズ」のアニタより、とても庶民的なオバサンだったアニタ・オデイ、気さくで、飾らない、でもヤンキー・オバサン気質もちょっぴり感じさせるところがあった。

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アニタ・オデイ、たった3日間の出来事だったけど、僕は忘れてはいません。
これからも貴方の歌を聴くたびに思い出します、あのブーツと温かい心を、ありがとう。
また僕のBLOGの天国セッションに登場してください。
MCが貴方を紹介します・・・「THIS IS ANITA!」
Teafortwobig

享年87歳 合掌

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November 24, 2006

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その97ーー「ディージー・リースは如何」の巻ー

<前回より続く>
(「ああ、どうにもとまらない・・・・、鼻水が」、風邪です、今はやりのかどうかは不明、熱はあまり無い、喉も扁桃腺肥大にしては痛くない・・・でも鼻水だけが感覚無く出てくる・・・・どうすれば良いのか、この週末はひたすら寝て過ごすか・・・という状況の中でのBLOG更新です。)


ブルーノートの4000番代で立て続けに3枚の録音を残したディージー・リース、1931年生まれのジャマイカ出身の英国人のトランペッター。
めったに人を誉めないマイルスが「素晴らしいトランペッターが英国にいる」とロリンズと共に語ったエピソードがライナーノーツに書いてある。語った相手は、ドナルド・バードだった。
それは、米国からマイルス、ロリンズ、MJQ,ガレスピーなどが演奏旅行で欧州を訪れている時で、欧州にはケニー・クラークが既にいて、彼がいち早く見出していた。(原文ライナーノーツより)

当時ヨーロッパではかなり有名だったらしいが、米国ではあまり知る人はいなかった。
59年に米国へ渡り、BNへ録音を残した。最初のBN4003番はヨーロッパで録音されているが、後の2枚は米国で録音された。
中音域に伸びがあって美しいトーンだ、紡ぎ出すフレーズも落ち着きがあって、やたらに気張っていないのが聴く者の心を落ちつかせる。そして、フレースがメロディアスであることも聴きやすい要素だ。
どうしてこの様なアーティストが埋もれていたのか不思議なくらいである。
最も同時期に、リー・モーガンと言う若者が1956年に初リーダー作を出し、アイドル的に売り出してきていた、ファンの耳はそちらへ向いてしまっていたのだろうか。
前回、このBLOGで、「過小評価BEST3」とふざけてみたが、いろいろ居る、アンダー レイテッド アーティスト・・・ディジーも入るかなと・・いや、もう彼は正当な評価を受けていますよといわれてしまうか・・・。

一気にここでBNに残した3枚を紹介しよう、このうちの1枚でお聴き頂ければここで紹介した甲斐があったと言うものです。
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BN4006 [Blues in Trinity]  1958年8月PARISにて録音
Tp: Dizzy Reece, Tp: Donald Byrd, Ts: Tubby Hayes, P: Terry Shannon, B: Lloyd Thmpson
Ds: Art Taylor
1, Blues in Trinity
2, I had the craziest dream
3, Close-up
4, Shepherd’s serenade
5, Color blind
6, Round about midnight
* オリジナルのタイトル曲が彼の考えを象徴している。スローなブルースだけど、実はベースラインとドラムのテンポが2倍、3倍と異なっていて面白い、TSのヘイズは白いロリンズと言われていたけど、ディージーと対照的な存在で面白い、豪快なヘイズ、シットリとしたディジー、最高にイカシタソロを聴かせてくれる。特にあまり聴いたことのない、タビーというテナーが結構良いので、これがまた聴きものである。「ラウンド・ミッドナイト」は一聴にあたいする。


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BN4023 [Star Bright]  1959年11月録音
Tp: Dizzy Reece, ts: Hank Mobley, p: Wynton Kelly, b: Paul Chambers, ds: Art Taylor
1, The Rake
2, The Rebound
3, I’ll close my eyes
4, Groovesville
5, I wished on the moon
6, A variation on Monk
* レアナード・フェザー、ジャズ評論というか米国の芸術を語らせたら最高峰の彼が曰く、「優れたミュージシャンから最高の演奏を引き出すのはBLUESだろう、才能の無いミュージシャンからはおそらく最悪の演奏を引き出してしまう。ここではディージーは最高のBLUESを天才的ともいうべきリズム感で素晴らしいBLUESを演奏する・・・」と、その曲が「グルースヴィル」だ。
共演陣も最高のメンバーであることはご覧の通りいう事なし、3,4、のウイントン・ケリーも最高。


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BN4033 [Soundin’ off] 1960年5月録音
Tp: Dizzy Reece, P: Walter Bishop, B: Doug Watkins, ds: Art Taylor
1, Ghost of a chance
2, Blue streak
3, Once in a while
4, Eb Pob
5, Yesterdays
6, Our love is here to stay
* ワンホーンでディージーのやりたいことを存分に聴けるアルバム。かれの奇抜なアイディアや、叙情的な語り口・・ビショップもいいし、とくにワトキンスのべースが骨太で聴き応えがある。
こうして、3枚のディージー・リースを聴いて、これが何故BN最後の録音になってしまったのか残念である。
もっと米国に留まって活躍して欲しかったアーテイストである。
ブラウンでも、リーでも、マイルスでもない、彼はトランペッターとしての大事なオリジナリティーと個性をもっている。

<欄外情報>
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先週の木曜、金曜と、京都で会合があり、上洛の運びとなりました。
久々に、最高の料亭で夕食会、二次会はこれも最高の祇園のお茶屋さんで、大石内蔵助三昧でした。
そして、翌日はカラット晴れて最高の天気、紅葉には少々早めでしたが、京都と色と青空が良いコントラストでした。AUTUM LEAVESを口ずさみながら、二条城と清水寺へ、南の光明寺へも行きたかったのですが、時間が無く残念でした。チョッピリと京の紅葉も楽しみました。
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昼は京都で17代つづく友人の店、日本で一番古い御蕎麦屋さんで昼食、午後には帰京で短い時間だったのが残念でした、もう少し居たかった。
何年ぶりかで京都を堪能してきました。
京都にはジャズフリークが多く、ジャズ喫茶の老舗もあるので、次回は是非そちらへも立寄りたいと・・・。

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November 14, 2006

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その96回ーー「名人は危うきに遊ぶ」の巻ー

<今週は後半が忙しいので、チョット早めのアップです>
<前回より続く>
ゼンさんは、心地よい午睡の中にいた。
夢の中で、ゼンさんはいつもの様に「KIND OF BLUE」のカウンターの傍に立って河田の演奏を聴いていた。
お店の階段を一人の黒人が下りてきた、顔がよく見えない。
楽器ケースを抱えている、ゼンさんは目を凝らした。
ソニーだ、ソニー・スティットだ、最後に会ったのは、確か1980年だったか、82年に亡くなる前だった。
「ハーィ」ソニーが声を掛けた、「WHAT NEW?」ゼンさんが話した。
ソニーがケースからアルトを出した、河田の演奏に加わった。
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曲は「ANGEL EYES」だ、一気にテーマを無伴奏で吹ききった、そして、2コーラス目からリズムが入った。
チューブから搾り出すような音にスラーをかけてオクターブを上げる、一気にサブトーンでピアニッシモでつぶやくフレーズを吹く。
とてつもなく早いパッセージ、そして一瞬の間、そして複雑な転調・・・聴く者には素晴らしいソロを悠々と吹くソニー・スティット、しかし同じ楽器を演奏するプロから見れば神業だ。
名人はバカテク(超絶技巧)をそれと感じさせない、悠々と余裕すら感じさせる。
ソニーのソロが3コーラスを吹いたところでゼンさんは目が覚めた。

ソニー・スティット、1924年生れ、1946年に初リーダーアルバムを録音、1982年の最後のリーダーアルバムまで100枚を越えるアルバムをつくった。
ガレスピーのバンドにも参加、アルトサックスでデビューした。
1947年にはエスカイヤー誌のアルト部門のニュースターに選ばれた。
スターは勿論、先輩格のチャーリー・パーカーだ。
スティットはその天才ぶりが、あまりにバードに似ている為、バードのイミテーターとして見られることになった。

スティットはパーカーの物まねと言われるのを嫌い、楽器をテナーに持ち替えた。
ジーン・アモンズと組んで2テナーのコンボをつくり、「BLUES UP AND DOWN」
<Prestige>と言う名盤を残した。
正に名人が二人でテクをテクと思わせずに吹きまくる、「名人は危うきに遊ぶ」とは私の尊敬する憧れのご夫妻、白洲正子女史の名著だが、その言葉を音楽にしたような作品だ。
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その後バンドではリーダーになることは少なかったが、レコーディングでは多かった。
代表作は、「スティット ウイズ パウエル&JJ」、「スティット プレイズ バード」「チューンアップ」「グルービンハイ」等を挙げる評論家が多い。
しかし、私の代表作はなんといっても「SONNY STITT Plays Arrangements
From the pen of QUINCY JONES」だ。
(LPの写真)
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13人の名人によるフルバンド、編曲はこれまた名人のクインシーときたらメンバーに不足はない。
13人をバックにスティットが一人でアルト吹きまくる、スティット一色だ。
1、 my funny valentine
2、 sonny’s bunny
3、 come rain or come shine
4、 love walked in
5、 if you could see me now
6、 quince
7、 stardust
8、 lover
1955年9月、10月録音
TP: jimmy nottingham, ernie royal, thad jones, joe newman
Tb: JJ. Johnson, jimmy cleveland
As,Fl: anthony ortega
Ts: seldon powell
Bs: cecil payne
P: hank jones
G: freddie green
B: oscar pettiford
Ds: jo jones
(CDの写真)
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高校生の頃、この盤を聴いた、何故これだけの凄いメンバーがソロを取らず、バックにまわり、スティットが一人舞台、何かもったいない感じがした。
でも、スティットのアルトが好きだった、何故、テナーに変更してしまったのか、バードとは違う個性があるじゃないかと。
バードはアルトで曲芸をやってのけた、そしてビー・バップの何たるかのモデル演奏を全て完璧にやってしまった。もうアルトでやるべきことは無くなってしまった。

スティットはそしてテナーに持ち替えた、職人として名人は何をもっても名人だった。
でもスティットは技術をひけらかすことなく、その表現内容に重きをおいた。
ロリンズでもない、トレーンでもない、ゲッツでも、モブレイでもない・・・スティットはスティット。
1980年、亡くなる2年前に来日、制作したアルバムがある。
「GOOD LIFE」 1980年11月録音
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(ジャケット写真)
SONNY STITT WITH HANK JONES TRIO
B) Jeorge Duvivier Drs+Vo)Grady Tate
1、 duce’s wild
2、 autumn leaves
3、 angel eyes
4、 bye bye blackbird
5、 polka dots and moonbeams
6、 my funny valentine
7、 as time goes by
8、 ain’t misbehavin
9、 good life
10、 body and soul

「ペン オブ クインシー」に次ぐ私のフェバリット盤だ。
大好きな「GOOD LIFE」が入っているだけではない、スタンダードの歌心を理解している名人4人がここでもシットリと技術を誇らずに、でも名人芸の語りを聴かせてくれている。

名手 スティット、「名人は危うきに遊ぶ」

<次回に続く>

<最近の読書情報>
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「THE GREAT GATSBY」 村上春樹訳・スコット・フィッツジェラルド著
この本はかなり以前に読んだ、そして暫くしたら映画になった、映画になるとイメージが変わってしまった。
映画の内容が頭に残っている、でも自分の中で消化したストーリーやイメージとどこか異なる・・そんな引っかかりが残っていた。

今回、村上春樹氏が翻訳をして出版した。
読んで驚いた、自分の抱いていたイメージとそっくりだったからだ。
村上春樹氏も何れは手に掛けたい原作だったと言っている。
もう読んだ、もう観た、という方も、再度ご一読のほどをお勧めします。
何故って、ワクワクしながら読める本になっているからです。
今度は原作を原文で読んでみたい衝動に駆られています、英文と対比することで、きっと村上氏の翻訳の妙味も味わえるのではないかと楽しみなのです。

この本を読みながら、ソニー・スティットの「GOOD LIFE」を聴く・・・・音楽も物語りも、色合いに深みを増すのではと思うのですが・・・。

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November 10, 2006

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その95回ーーセロニアスの巻ー

<前回より続く>
やはり、ライブレコーディングは疲れた、別にテイクの採り直しがあるわけではない、淡々と通常通り演奏をして録音をしてと言うだけだが、ゼンさんはやはり疲れた。
翌日、居間で一人、セロニアス・モンクのジャズのヴィデオを観ていた。
ゼンさんの記憶は1963年に飛んでいった。

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1963年5月、16歳のと時に産経ホールでセロニアス・モンクの初来日を聴いた。
セロニアス・モンク:ピアノ、チャリー・ラウズ:テナー、ブッチー・ウオーレン:ベース、フランキー・ダンロップ:ドラム
来日に際し、モンクの奇行に関する情報が先行した。
時間通りに演奏をするのか、途中で帰るそうだ、舞台で踊り出し演奏をしない・・等。
ジャズを聴きに行くと言うより、夜店の化け物屋敷を見るような感じだった。

事前にモンクのLPは数枚聴いていた、ソロや「モンクス・ミュージック」など、また「真夏の夜のジャズ」で「ブルー・モンク」を演奏する画像を観て、音はユニークだけど、普通に弾いていそうだし、でもあの音はなんのだろうか、物の本を読むと、「不協和音」とか「前衛」という語句がある。

高校生4人でバンドを組んでいた、そのアルトを吹いていた軒口君が曰く、「あんなスイングする奴はいない、だから踊り出すんだ、彼の弾くメロディーってリズムの合間を上手く縫って、リズムと会話をしているだろう、まるで踊るように」と。
僕にはその意味がわからなかった、でもピアノを弾けない軒口君が、ドラムに合わせて踊りながら、いい加減なピアノのキーを叩く、音はでたらめ、でもタイミングはモンクそっくり、これがなんとも雰囲気を出してそれらしい。
僕はモンクの複雑なシンコペーションを理解し真似するのに随分と時間がかかった。

モンクの演奏を聴きに行く日、我々4人組はいつものように、早めに産経ホールへ行った。
楽屋口でアーティスト達が入るのを見るためで、運よければLPにサインが貰える。
そこで係員の愚痴を聞いた、「またアイツ昨日のリハでピアノ線を切りやがった、毎日だぜ」と吐き出した。
ピアノ線はいくら力でキーを叩いても切れないが、不協和音で切れると聞いたことがあった。

モンクは産経ホールの舞台でも踊った、自分のソロが終わると、立ち上がり、リズムに合わせて体を回転させたり、ステップを踏んだりした。帽子をかぶり、指には大きな石の指輪をいくつもはめ、その指輪が気になるらしく、指輪の位置を直しながらピアノを弾いていた。
僕はモンクの指を一生懸命に観ていた、二日目は二階席から指を観た。
でも、特別意識的に不協和音のキーを押さえているようには見えなかった。
むしろオーソドックスなフレーズに聴こえた。
そして、チャーリー・ラウズのテナー、フランキー・ダンロップのドラムの良さに感心した。
その出来栄えは、当時のスタジオで録画したVTRで観、聴きするこことができる。
正に、LP「MONK‘s DREAM」を映像で確認することができる。

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ここでもモンクは踊っている。
「MONK‘S DREAM」(CBS)
1962年10月31日、11月1日、2日、6日に録音
P)セロニアス・モンク、TS)チャリー・ラウズ、B)ジョン・オリ、DR)フランキー・ダンロップ
(曲目)
1、 MONK‘S DREAM
2、 BODY AND SOUL
3、 BRIGHT MISSIPPI
4、 FIVE SPOT BLUES
5、 BOLIVER BLUES
6、 JUST A GIGOLO
7、 BYE YAH
8、 SWEAT AND LOVELY
※ 4人がモンクコンセプトに乗ってスイングする、後年の名盤だ。

モンクはコピーすべき対象ではない、でもそのユニークな存在は尊重すべきで、彼は何も奇をてらってはいない、感じるままを音にしているのだ。
現代音楽の平均律の範囲を大いに逸脱させてオリジナリティを創作している、所詮、ジャズは平均律とは無縁の生れだ。
ここにエリントンとの共通性を感じる。


今週末、VHSのヴィデオを観た、タイトルを「セロニアス・モンク、STRAIGHT NO CHAISER」と言う。約90分のヴィデオで、監督はジャズの何たるかを知り尽くした、クリント・イーストウッドだ、1988年のワーナー・ブラザース制作。
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購入したときに観たが、内容は一言で素晴らしい、15年ぶりで観た。
1950年代のビバップ革命の最中の本拠地、ミントンズ・ハウスで演奏するモンクが出てくるのは貴重な音と映像だ。
テナーがソロをとっている間にピアノから立ち上がって舞台上で廻りながら踊るのは20代のころからの行動パターンなのが分かる、くわえ煙草で踊り、自分のソロの番になり慌てて椅子に座り、煙草をピアノの端に火のついたままおく、手は汗を拭くためにハンカチを持ったままソロを弾いている。
アクセントを肱打ちで引く、このあたりに彼の音が不協和音だとか不思議な音だと言われた秘密があるのかもしれない。

指使い、運指は独特で思わず笑ってしまうが、あの独特なシンコペーションと音列を生み出しているかと思うと、引き込まれてしまう。
モンクはピアノはメロディ楽器と和音楽器であり、また打楽器であることを完全に使おうとしているのだろう。
50年代からテナーのチャリー・ラウズとは良いコンビだったらしい。またモンクの良き理解者だったようだ。
ヴィレッジ・バンガードでの画面が多い、懐かしいオーナー、マックス・ゴードンも出てくる。
バンガードの楽屋というか、厨房の端っこが楽屋で、そこでのシーンもけっこうある。

テオ・マセロが召集したスタジオ録音風景もある、モンクは練習は殆んどしない、テイクも二回以上は取らない、理由は二回以上のフリー・インプロビセーションはテンションが下がるだけで緊張感が無くなると・・これはジャズでは大事なことだ、マイルスも同じ事を言っている。
「もし、ミスがあったら取り直しは」という質問に、ラウズが応えて曰く「モンクはテイクをとらないから、そのままミスの録音のレコードを一生聴くことになる」
これが「MONK‘S MUSIC」の出来た背景かと思った。
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50年代から60年代にかけての欧州ツアーの状況は興味深い。
フィル・ウッズ、レイ・コープランド、ジョニー・グリフィン、ジミー・クリーブランド等とオクテットを組みツアーに出るが、練習はしない、譜面は出来ていないで本番ステージで、そのステージ上で途中で演奏を止めて、打ち合わせをしなおし、やり直すという場面などが出てくる。
翌日、音合わせを行うが、この打ち合わせシーンが面白い。
ジョニー・グリフィンやラウズがどの音にするか、コードはどれを使うか等、モンクに聞きながら進めるが、さすがに一流は理解が早いというか、でもモンクの意向が分からなくラウズが通訳係りみたにモンクの考えを説明する。
でも、本番の音は凄い、フィルにしても、グリフィンにしても良いソロを取っている。

そしてこのVTRのために一部に挿入されているシーンがある。
トミー・フラナガンとバリー・ハリスがピアノのデュオでモンクの曲を弾くのだが、ハリスがフラナガンにモンクはこうやって弾いていたと解説している、そしてそれをミルト・ジャクソンとアート・ファーマーが傍で見ている。
この二人のピアノのデュオは凄い。
フラナガンのソロは彼が弾く直ぐ脇、1メーターで観たことがあるが、バリーハリスは見たことがなかった。彼の手の大きさに驚いた。
指が長い、手が大きい、13度はとどくであろう手で、まるで巨大な蜘蛛が鍵盤を飲み込んでいるような映像だ。

彼の理解者であり、スポンサーでもあった、ジャズ・パトロネスのニカ公爵夫人も出てくる。
モンクJr.が父を語っているが息子は常識人で、父を客観的に評価している。
モンクが亡くなった時の葬儀の模様も出てくる、そしてモンクの死顔も映っているが、静かな穏やかな良い死顔だ。

モンクはオリジナルは当然、スタンダードを弾いても、全てを自分の世界へ焼き直して表現する卓越した能力を有していた。
オリジナリティがイコール、ジャズであり、芸術であると言うこと、その為には自分自身の個性が唯一無二(ユニーク)であることを最も大事にした。

古い限られた映像をもとに、ジャズという雰囲気を壊さず、音も映像も最高のジャズらしい表現をしている映像なのは、やはりクリント・イーストウッドのジャズへの理解の深さを物語っている。
50年代、60年代のミュージシャン達の貴重な映像が盛りだくさんで、90分が短い。
ジャズを好きな人、ジャズの演奏を志すもの、ナット・ヘントフの「ジャズ・カントリー」と共に一度は観ておく必要がある映像だと思う。

明日は、この記事の冒頭にも書いた、1963年に初来日した際のVTRがある、これを観よう。
僕は産経ホールで二度聴いた、この時のVTRでこれはTV局が制作をしたので、音を切らずに全編収録したものだ。
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因みに同時にデューク・エリントンが来日していた、モンクは彼のホテルを訪ね、直立不動で彼の話を聞いていたという。モンクの尊敬する数少ない人物だった。

僕は、モンクの曲とエリントンの曲に大きな関連性があると考えている。
音使いが結構単純なのに、順列とシンコペーションにより、摩訶不思議な曲となる。
コードも複雑な構成音ではなく、結構7THあたりを大事にしている。基本だ。
でも現代音楽の基本、平均律の枠をはみ出していることは前に書いた。
ピアノが弾けたらやってみてください。

エリントンの「CARAVAN」とモンクの「BLUE MONK」を弾くと、不思議に類似点が出てくる、と言って、モンクがエリントンを真似したわけではない。
そして、当初とっぴだと感じたメロディも自然と唄い出せるくらい親しみやすいメロであることに気がつく。
モンクは作曲も即興アドリブも同じ次元の作業で、面白い、興味あるメロディを次々と紡ぎ出す能力をもっている。それも書き直しや修正なしで。

喜怒哀楽を鍵盤にぶつけるモンクはモーツァルトに通じるものもある。
ジャズを聴き始めた人は先ずモンクを聴くべし・・・と思う。

解る、解らないと別、先ず、モンクの音楽、ジャズと言うものがある、個性と言うものがある、ユニークというものがある、オリジナリティと言うものがある・・・それを取り合えず頭にいれて、沢山のジャズを聴く、これが初心者にも良いのではと・・突然思いついた。
今、ジャズってなんですか?とか、ジャズを聴き始めたけど、何を聴いたらよいか?と問われれば、「モンクを聴け」と言う。

<次回に続く>

<今週聴いたCD情報>
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[DIANE SCHUUR&THE COUNT BASIE]
1987年録音
1、 deedles blues
2、 caught a touch of your love
3、 travelin light
4、 I just found out about love
5、 Travelin blues
6、 I love you Porgy
7、 You can have it
8、 Only you
9、 Everydaye
10、 We’ll be together again
11、 Until I met you
12、 Climbing higher mountains

* ダイアン・シュアーを生で聴いたのは1987年に初来日したときだ。
盲目の白人女性ヴォーカリストは抜群のテクと声量を有し、フランク・フォスター率いるベーシー楽団をバックに、フルバンの音に負けずとシャウトしていた。
ベーシー楽団との相性がいいのは、バンド同様、彼女もまたフォルテとピアニッシモがはっきりしている点だろう。メリハリが利いて小気味良いスイング感をだしている。
ブルースも上手いが、やはり黒っぽさは薄いのはしょうがないか。
ダイナミックにスイングする彼女は気持ちが良い。

<今朝11月10日通勤中の車の中で、チェット・ベイカーの「SHE WAS TOO GOOD TO ME」を聴いた、一気にアルファー波が出てきた。>

では、良い週末を! HAVE A NICE WEEKEND!

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November 06, 2006

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その94回ーーいよいよレコーディングの巻ー

<前回より続く>
「やはり、何かオリジナルが欲しいな」と富田さんが意見を述べた。
「オリジナルか、そうだな、出だしに、オリジナルのブルースでもいいか、河田吾郎が編曲した例の
ゴスペル、GOD BLESS Mで出て、テーマに続けて HARLEM BLUES と言うのはどうだろうか」大野が言った。
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<「HARLEM BLUES」PHINEAS NEWBORN Jr.+REY BROWN+ELVIN JONES 1969年2月12、13日録音)>
「河田がそれでゆこう、イメージができたから」と直ぐに反応した。
ゼンさんは成り行きを見守っていた、これでいい、事が自分の意見だけでなく、皆が創りだしてゆくことが嬉しかった。
「OK,では出だしをそれで決めて、それに続いて、決めた曲順でゆこう」ゼンさんが結んだ。

当日は昼過ぎから録音機材の搬入とセッティングが行われた。全て、録音技師、日本のヴァンゲルダーこと、K氏の指導で順調に進んだ。
川田や大野、山田も今日は早めに店に入った、多少レコーディングを意識しているらしい。
ゼンさんはレコーディングを意識しないいつものお店の雰囲気で音をとりたかった、だからスタッフにも常連客にも特別なアナウンスはしなかった。
エンジニアのKさんも「それがいい、いつ音をとったか分からないくらいがいい」と。
デザイナーのコシタ・テツコさんがイラストレーターの京子さんと一緒に入ってきた。
大きなバラの花束を抱えている。
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「真紅のバラ、50本、いつもピアノの脇にあるバカラの花瓶に入れてね」とヨーコちゃんに指示している。
「どいしたの?」ゼンさんが聞いた。
「これをピアノの脇に置いて、そしてレコーディング中に写真を撮って、ジャケットに使うの」テツコさんが応えた。
「いいコントラストだ」とゼンさんが言った。
「いつもはピアノの脇には、真紅のバラが決まって飾ってあるでしょう、でも今日は特別だから50本にしたの、豪華でしょう」テツコさんが花瓶に挿しながら、長さを調節している。
「これは私からの差し入れだからね」とテツコさんが先回りして言った。

6時半になると、もう常連客で店内は満員になった。
「今日は録音中はオーダーができるの?」と船田君が聞いた。
「いつも通りだから、OKだよ、グラスの音やお皿の音が入っても関係ないからね」とヤマちゃんが言っている。
「拍手も歓声も掛け声も、いつも通りでいいからね、意識しないでね」ゼンさんが皆に聞こえる声で言った。

ピアノの後ろでは、レギュラートリオが曲順の打ち合わせを、Kさんを加えてしている。
「ゼンさんが今日はマスターテープを長めに用意してと言ってくれたので、時間は気にしないでいいからね」Kさんが言った。
「ヘェー、ゼンさん大変だな、マスターテープって高価なんじゃない」大野が言った。
「そう、これをケチるプロデュサーが多いんだ、そうするとエンジニアも演奏者も苦労するんだ、特にジャズは良いソロが長引くことがあるけど、途中で切らなきゃならないなんて、音を撮っていて苦しいものね」Kさんがテープをセットしながら話した。
「さすがBIGレーベルだ、録音にケチらない、良い仕事ができそうだ」Kさんが続けた。

7時に音が出た。
最初に、河田が賛美歌をゴスペル風にアレンジした「GOD BLESS M」静かな出だしだ、店内が何かこれから始るイヴェントに祈りを捧げているようだ、そしてやおら、泥臭いゴスペルブルース、「HARLEM BLUES」が始る。河田お得意の土の匂いのする、太い音でのBLUESだ。
PHINEASより少しスローなテンポで入ったのがまたいい感じだ。

そして二曲目の「HERE THAT RAINNY DAY」ミディアム・スイングになる。
このテーマが終わり、河田のソロに入ると、お客さんもリラックスし、気分が乗り始めた。

1、 HERE THAT RAINNY DAY(ミディアムスロー)
2、 BYE BYE BLACKBIRD(アップテンポ)はかなり早いテンポで始った。
演奏は白熱した、河田のソロはホリゾンタル・フレーズからブロックコーデのパーカッシヴな表現へと5コーラスを取った、続いてベースの山田君が2コーラス、続いて大野のドラムとピアノの4バースチェインジへと、最後の締めのテーマはスピード感を落とさずに、音量をピアニシイモに落とした。
最後は高音部のシングルトーンで締めた。思わず、「イェー」とそして歓声と拍手が自然発生的に起こった。
ライブ独特の良い緊張感と臨場感が撮れたに違いない、ゼンさんは確信した。
河田や大野が汗を拭いている、良い間だ、いかにもライブならではの間だ。
続いて、
3、 BAGS GROOVE(ミディアム ブルース)
通常のテンポだとライブではチョット ダルになるところを、普通より早めのテンポで、テーマをシングルトーンで小粋に纏めた。そしてメインのソロをベースに渡し、山田君をフィーチャリングした形となった。
4、 ラ・ヴィ・アン・ローズ(河田吾郎の希望、ガーナー風タッチでと)は河田のたっての希望だ。
不思議な無調キーのイントロを河田がソロでつくった。
キーを安定させると、やおらインテンポとなり、独特のビハンザビートの左手に乗って、「ラ・ビ・アン・ローズ」のテーマが始った。
聴きなれたメロディは切ない哀愁を帯びて展開されてゆく、河田の得意なノリだ。
ゼンさんがこの瞬間心の中で「アッ、そうか」とつぶやいた。
テツコさんは曲目を見て、そしてこの曲を想定していたんだ。
思わず、ピアノの脇にある真紅のバラに目がいった。
お客さんの満足げな顔に満ち溢れている。
エンディングに続いて間を空けずに、テーマだ。
5、 ここで一旦クロージングの雰囲気(オール・ブルースのテーマ)
お客さんが話しを始める、リラックスしている、グラスの音、お店の雰囲気がでる、これがライブ録音の良いところだ。
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<ミントンズ・ライブハウスの雰囲気、「エルスケン・ジャズ写真集」より>
ここで一旦テープを止めた。
演奏者もお客さんも、スタッフも一息いれている。
「いいね、今日の出来は」と言う声が聞こえる。
30分のインターヴァルはあっと言う間に終わった。
Kさんは次の音を出すかなり前にテープを廻しだした。次の音を出すまえの雑音も取りたいのだ。
その店の雑音の中から、ベースの弦を合わせる音、ドラムがスネアを叩き、ヘッドの張りをみる音、そんな音があって、やおら、次の曲が始った。
6、 ON A CLEARDAY(ミディアムファースト)
快適にスイングする。先ず、後半の出だしはいい、もう演奏者もお客もリラックスし、良い雰囲気だ。
ピアノのソロ、ベースのソロ、そしてドラムにも2コーラスのソロを・・最後に河田が独特のドライブ感で盛り上げた。演奏全体に強弱のコントラストが出た、これで後半にも締まりが出た良い音だ。
河田は次にちょっと間を空けた。
そしてピアノソロで曲を弾き始めた。
7、 RUBY MY DEAR(ミディアム)
セロニアス・モンク独特の世界を雰囲気を出して表現したかったのだろう、ピアニストがモンクの曲を弾く時はやはり意識をせざるをえない。
一切の無駄を排した、構成音、タイミング、シンコペーション、不思議な感じがするが、実はとても合理的なそして、唯一無二の音列、オリジナリティこそジャズだと思い、ビバップの典型を創り上げたモンクの曲を演奏する時は、やはりかまえる。これは良い緊張感だ。
その感覚がベースにもドラムにも伝わる。
特にこの曲は、モンクの曲の中でも、歌詞をつけやすい曲の一つで、ストーリー性を感じさせるメロディだ。河田は後半の中心にこの曲をおいた、そしてピアノのソロを中心に、3コーラスが終わって4コーラスの頭からベースとドラムが入った。
そしてトリオで3コーラスを弾き、最後にエンディングは再度ピアノソロになり最終音はテンションコード音のままで終わった。
最終音を河田は押さえたまま、ピアノの音が消えるまでキーを押さえた。
お客さんは知っていた、拍手はその最後の一音が消えてから、静かに起きた。

お店の照明はいつも通り、キャンドルだけで、その瞬きのような光りに深みが出たように感じた。
いつもと違うのはピアノの後ろにある録音機材の所だけがスポットライトがミキシング・コントロールのレバーボードを照らしている。
8、 MY FUNNY VALLENTINE(スロー)
また前の曲とは対照的なメロデイを持つ曲だ。万人に愛されたこの曲は本来女性の気持ちを唄った曲だ、VALLENTINEという男を好きになった女性の気持ちを唄った。
如何にロマンティックに唄うか、でも切なく、うったえながら、今のままで充分、STAY!と唄う。今日は歌は無い、ピアノでこれを表現をする。
河田はこの曲を弾くときはいつも思い出して弾くシンガーいる。
与世山澄子を思い出す、沖縄が生んだ世界に通用する女性ジャズシンガー。
彼は与世山の歌を聴いたとき、不思議にも涙が出てきた。
<与世山澄子のアルバムより>
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何故だか分からない、特に感情移入が強いわけでもない、むしろ淡々と唄う、その淡々さの中に、
「STAY LITTLE VALLENTINE」と唄う本心を感じた、それにシンパシーを自然に感じたのだろう。
チェットの歌には説得力があり、チェットならではの世界を感じ、こちらも納得させられる。
どちらも良いが、河田は与世山の歌をいつも思い出して弾いている。

続いて、河田がまた、不思議な不協和音を弾き出した。そして、おなじみのテーマのメロへと持っていった同時に、ベースとドラムが4ビートでインテンポへもっていった。
9、 FOR ONCE IN MY LIFE(ミディアムファースト、ゼンさんの個人的テーマ)
ステーヴィー・ワンダーの曲でもありゼンさんが自分のテーマ曲として使っている曲だ。
ソロに入ってもあまりメロから離れずに、テーマをフェイクしてゆく、やがてブロックコードで厚みのあるサウンドで且つ早いパッセージを叩く、ベースもドラムも最高潮へとスイング感を運ぶ、ここで場内から拍手がきた、曲の山場をつくった、そして盛り上がった雰囲気をそのままにエンディングへと・・・・そしてB♭のこの曲のキーで最後の「THANKS FOR THE MEMORY」へと入っていった。
10、 THANKS FOR THE MEMORY(クロージングテーマ)
ボブ・ホープショウのテーマ曲で、ゲッツも吹いているが、何といってもサラ・ボーンのロンドンハウスでのライブ盤が良い・・・といっても、サラはレコードの中で、「今日は最低の録音」とアドリブで歌っている。<サラ・ボーン、ロンドンハウスのジャケット>
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サラはこの曲の歌詞を途中で忘れ、何度かやり直す、何回やってもそこで歌詞が出てこない、やっと思い出し、歌が続いてゆくが、アドリブで歌詞を代え、「最低の日」とやってのけるが・・・ライブの出来としては最高で、聴く者をひきつける。
これがライブの良さで、スタジオではありえない。
だから、ライブは止められない。
最後のテーマが終わって、歓声と拍手が続いた。

演奏者、第二の出演者であるお客さん、スタッフ、皆が満足した顔をしている。
ゼンさんも気持ちの良い疲労感を感じていた。

<次回に続く>・・・(今回のライブレコーディングのお話、実は2004年12月27日のBLOGにも関係しているのです。そこにスタジオレコーデイングに立ち会うゼンさんの話が書いてあって、やはり自分でライブ・レコーディングをやろう!と言っているのです。お急ぎでない方は一度前に戻られて、お読みください。)

<欄外情報>
昨日、「赤い指」東野圭吾著を読み終わりました。「容疑者Xの献身」の受賞に続く作品です。
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相変わらず、テンポの良い文章とストーリー運びで読み進めさせます。まさにシドニー・シェルダンと似たテンポを持っています。テーマの切り出し方、犯人は最初から明確にわかっているのに、どんでん返し・・・。
サスペンスの分野で卓越した力です。これで彼の作品を三冊読みました、「僕が死んだ家」というのを以前に汽車の移動中に読みました。これも面白かった、この面白かったという読後感は大事だと思います。
でも、これからの新天地を切り開くといえば大げさか・・・シェルダンよりフォーサイスやヒッチコックを・・・と願うのは期待が大きすぎでしょうか。
書く力は充分、あとは物語の背景を東京の下町ばかりではなく、優雅な階級やら外国やらが物語の背景になると、読者も日常から出て、知らない世界へと導かれ、より興味深々となるのではと思うのです。

私の憧れの師、ダンディズムの師匠、シバレンさんこと、柴田錬三郎氏は、読者に夢を与えよと・・いくら陰惨で、暗い表情の眠狂四郎でも、一方に優雅さや美しさ、人を思い焦がれ、恋もあれば失恋もあり、最上級の香りを物語に漂わせることを心がけ、読者に想像の夢を与えた。
物語の中に美と醜の二面性(アンヴィバレンツ)を持たせ、世の中とは・・・こんなものよと、言い放った。

そんなシバレンさんが、ある日、面白い本を見つけた、フォーサイスと言う作家だ、「ジャッカルの日」を読んだかと聞かれた、僕は慌てて本屋に走った。爾来、フォーサイスを全て読んだ。
そんな最中、シバレンさんが翻訳という離れ業をやった、「ル・ジタン」、映画にもなった、女優の要らない男優だけで済む話だった。
フランスはドーヴィルを舞台にジプシーを描いた物語で、フランス版任侠物語とでもいおうか。
サスペンスの中に文化を匂わせた。
シバレンさんはこの本を読んで、そしてドーヴィルへも出かけカジノで遊んできた、ロケハンというモノではではない、ポケットマネーで遊んでそれを血肉としてモノを書く、正に「文士」だった。
「最近のワインブームって何だ、うすっぺらいことばかり言いよって、言う前に『ロマネ・コンティ』くらい味わってから物を言え」と・・・シバレンさんも僕も下戸で酒が飲めなかった。(笑)<1975年夏談>

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November 02, 2006

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その93回ーーやっぱりライブレコーディングの巻ー

(前回、しんじさんは、本文よりタンゴの写真と伊藤若冲の絵にシンパシーをお感じになったようで、何時もジャズばかりではなくても結構ですよ、話題は。絵画、文学、音楽、演劇など幅広く行きましょう。
「KIND OF BLUE」はジャズクラブと同時に本物文化人のたまり場にもしたいのです。)
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<前回より続く>

毎晩のように、ライブレコーディングの企画会議は続いた。
演奏が終わると母屋の居間が会議室になった。
先ずは、ピアノトリオ盤での企画から始まった。
録音技師は日本のヴァンゲルダーといわれる、K氏に依頼した。彼は数多くの実績をもち、特にライブ録音での臨場感を生かす録音技術は日本一である。
「凄いな、彼なら良い音をとってくれるでしょうね」と大野が言った。

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レコーディングの日は金曜と土曜にした、やはり満員のお客さんの中でやりたいということからであった。
当然、ご常連には声をかけ参加してもらう。
「先ず、テーマを決めたいな」とゼンさんが言う。「テーマって?」吾郎が聞く。「バンドのテーマだ、始まる時と終わる時のね、アドリブまではやらないでテーマを演るだけ」ゼンさんが応えた。
「オープニングの候補は、マイルストーン、オール・ブルース、セヴェン・ステップス・トゥ・ヘヴン、ビリーボーイ、シカゴ、・・・」ゼンさんがメモを読みながら延々と候補をだしてゆく。
大野が「ビリーボーイ」にしたいと言い出した。「この曲はマイルストーンでガーランドの演奏が有名だけど、あの曲を聴いた時は何れはあのようにやってみたいと思ったんだ、高校生の頃からの憧れかな」と説明した。
「ビリーボーイいいじゃない」と河田吾郎も賛成した。
これでオープニングのテーマは決まった。中途の一時休憩の締めのテーマは「オール・ブルース」そして、最後の最後はこの「KIND OF BLUE」のクロージングテーマ、「THANKS FOR THE MEMORY」で勿論決まりとなった。
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では、トリオで何をやるか選曲となった。
スタンダードも入れたいし、オリジナルも欲しい、勿論ブルースも入れたいと・・構成で悩んだ。
そして、キーの順序も大事だということになった。同じキーが続くと聴く側も飽きがくる。
「そう言うことを考えると、エバンスがバンガードで『MY FOOLISH HEART』で出だしたのは凄いな、場内はザワついているその中で、スローで、エバンスが最初の一音をピアニッシモで弾く、するとシグペンがシンバルをシャーン、ラファロがブローンこれで決まり、最初の2小節でもう心身喪失状態に陥るものね」ゼンさんがしみじみと語った。
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「ではオープニングがビリーボーイで、続く本曲は、やはり出だしではミディアムスローでスイングするのがいいな、『HERE THAT RAINNY DAY』はどうだろう」ゼンさんが自分の構想を話した。

1、 BILLYBOY(テーマのみ)
2、 HERE THAT RAINNY DAY(ミディアムスロー)
3、 BYE BYE BLACKBIRD(アップテンポ)
4、 BAGS GROOVE(ミディアム ブルース)
5、 ラ・ヴィ・アン・ローズ(河田吾郎の希望、ガーナー風タッチでと)
6、 ここで一旦クロージングの雰囲気(オール・ブルースのテーマ)
7、 ON A CLEARDAY(ミディアムファースト)
8、 RUBY MY DEAR(ミディアム)
9、 MY FUNNY VALLENTINE(スロー)
10、 FOR ONCE IN MY LIFE(ミディアムファースト、ゼンさんの個人的テーマ)
11、 THANKS FOR THE MEMORY(クロージングテーマ)

「こんな案がどうだろうか」ゼンさんが皆さんに諮った。
ゼンさんの悩みはつきない、まだクインテット盤とヴォーカル盤が控えている。
管を入れた構成での企画を造らねば・・・歌もある・・誰か企画をお手伝い、お願いといいたいところだ。
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<次回に続く>
<追記情報>
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今週は、ズート・シムス「COOKING」、チェット・ベイカー(DVD)と何れもロンドンのロニー・スコットクラブでの録音盤を聴き、観た。特にチェットの晩年の映像で、歳の割りには皺に刻まれた顔をみて、「ラディゲは20歳なのに、もう老人の顔をしていた」とコクトーが語っているのを思いだし、イメージが重複した。ペットに吹き込む息が観ていて苦しい、でも吹き出す一音には重い、深い意味を含んでいた。
チェットは椅子に腰掛けたまま吹いた。パーソネルはよく分からないが、ピアノとベースでドラムレス、ベースの絡みが良かった。
1991年の春にロニースコットクラブをイギリス人の友人と訪れロニーを紹介してもらった、今は懐かしい思いでになってしまった。
CDのライブ盤も想像を掻き立てるが、DVDも臨場感を伝える意味では今後よい媒体だなと思った。
カメラはやたらアップの必要は無い、お店の片隅から観て聴いている感覚で撮って欲しい。)

<欄外情報>
最近、ジャズ以外に何を聴いたり読んだりしているのですか?というコメントから前回にはタンゴの話題を・・・。(DUKEさんのサイトでもタンゴの話題になっていましたね。)
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前回載せたタンゴの写真、何しろプロで世界大会優勝クラスというとその表現力が凄い、官能美の極致をゆく表現、すばやい動きと、リズムを進ませて、逆に踊りの動きをピタリと止め、ただじっと抱き合う表現。
この見事な動きのコントラスト、観る者を引き込むに充分なタンゴであった。

実は、ジャズとタンゴはかなり近い存在だと考えている。
先ず、音楽、詩、踊りにストーリーがあり、主張がある、そして表現に即興性を求められる。
ピアソラのバンドネオンにルイス・ホルヘ・ボルヘスが「感情が踊りだす」と詠ったタンゴ、情熱、センセーション、哀愁、嫉妬・・・タンゴとは「秘密の出会いの場所」を意味するときもあると・・。

1870年頃、ヴェノスアイレスの郊外で誕生し、キューバ、アルゼンチン、スペイン、イタリア、その全てが溶け合った瞬間に魅惑の芸術は開花し、パリで益々芸術へと昇華した。
このような、表現芸術の誕生を聞くと、ジャズととても似た誕生と存在、そして発展過程があるなと思うのです。
正に「ブルースの誕生」ではないですか。
ジャズにも官能とエロスの世界はある・・否、それが主題といってよいほど、ジャズは「生きる」ことと密接に結びついており、タンゴも人間が生きることと密接である。
エロール・ガーナーの左手と右手の関係は限りなくエロスのビハイン ザ ビートだ。
マイルスの抑制された音のおき方は、官能以外の何物でもないし、ピークへもって行くまでのじらし方はタンゴもジャズも同じと思うがいかが。

この他に、私は、スパニッシュ音楽やポルトガルのファド等を聴きます。
やはり表現にストーリーがあり、喜怒哀楽や特に哀愁を如何に表現するか・・ここにとても人間くささを覚え、憑かれるのです。
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ロドリゲスの「暗いはしけ」や「4月のコインブラ」など良く聴きます。

フラメンコギターは学生時代に少し習ったことがあります。
ジャズのスパニッシュモードに魅せられて、フラメンコの世界をのぞき見たかったのです。
モードの中でも民族音楽モードはいろいろありますが、スパニッシュは可能性が大きいモードスケールを持っていると考えるのです。マイナーとメイジャーの切り替えの気持良さもありますよね。
最近流行の、2度と6度を抜いた沖縄モード、ニロ抜きでは、発展性に限界があって結局は演歌の元になってしまうのです。

マドリッドでも行かれることがあったら、タブラオ(フラメンコのライブハウス)へお寄りください。
開始時刻は10時、真打の登場は2時頃、お開きが3時か4時です、寝ないようにね。
ドライシェリーや白ワインでウナギの稚魚(オリーブ油とにんにくでウナギの稚魚を茹でる)とオリーブの実でもつまみながら、ダンスと悲哀や哀愁のこもった歌を聴き、観るのも良いですよ。
ダンサーが決めのポーズを作ったら、「オレー」と掛け声でも掛けて。

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でも、観光客相手の店に行ってはいけませんよ、マドリッドなら、「CORRAL DE LA MORERIA」ここが格調高い、地元の通が行くタブラオです。
詳しく知りたい方はコメント欄にお書きください。住所、電話お教えします。予約がいりますからね。

9時頃から夕食をとって・・そうですね、名物の黒タイの丸揚げは・・LA DORADA(ラ・ドラダ)といいます。「LA DORADA」という専門レストランもありますし、マドリッドのセレブ、有名人達のたまり場の高級レストラン「LA GRAN TASCA」という店は良い雰囲気です。
東京で言えば「キャンティ」というところです。
なんだか、極秘観光ガイドになってしまった。
これからは、エディット・ピアフ、マリア・カラス、ジュリエット・グレコ・・・なども書きましょうか、欄外や閑話休題コーナーでね。
<ではまた次回にでも、リクエストがあれば、お題をお寄せください>

追伸:藤岡琢也さんの1976年の企画したLPの宣伝です。DUKEさんが載せておられたので、参考までに、SJ誌の付録に載っていたものです。参考まで。1101_001
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では、秋晴れのすがすがしい、楽しい三連休を!!(飲みすぎに注意!)

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October 31, 2006

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その92回ーーライブレコーディングの巻ー

[この週末、どうしても THE THRILL IS GONE を弾きたくて、でもCDから音をコピーするのも根気が続きそうにない。色々な譜面を探したが、やっと見つけた、NYの楽譜屋で購入した「JAZZ1200曲」を収録した譜面集には入っていた。メロを譜面どおり弾いてみた、サビから後半がやはりたまらない旋律をもった曲だ。自分のものするにはまだ練習が必要だ。でもその価値はある。]

<前回より続く>
「KIND OF BLUE」は夜中の1時半にようやく終わった。
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<ウエス・モンゴメリーの「フルハウス」の録音場面、クラブ「TSUBO」の場内写真、ジャケットより>
また空腹が襲ってきた。「ラーハがターヘ」(腹がへった)とスーベ(ベース)の山田君がつぶやいた。
「俺も」とヤノピ(ピアノ)の河田も。
ゼンさんが「今夜はこれからスタッフ・ミーティングをするから、母屋の夜食会に参加したら」と皆を誘った。
店内を見回すと、まだ常連の何人かいる。
「皆さんもどうぞ」と長さんが厨房から声をかけた。
母屋の居間に集合はいつものパターンだ。
「今日はおなじみの夜食、チーズリゾットですよ!」とヨーコがアナウンスした。
<リゾットの写真>
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「冷えたシャブリがよくあうね」と富田さんがゼンさんに語りかけている。

ゼンさんが「実は今夜ここで皆にお知らせがある」と切り出した。
一瞬、テーブルが静まった。
「こんど、KIND OF BLUEでライブレコーディングをして、CDを出すことにした」
大野や河田が食べるのを中断してゼンさんの顔をみた。
「僕は、ジャズの録音はライブが原点だと思ってきた、スタジオはそれなりにいいけど、やはり仕掛けや打ち合わせで、綺麗に纏る、それはそれでもいい。一方ライブは何が起こるかわからないし、ミスもある、でもライブは活きている音が録れると思うんだ、特に最近は録音技術も良くなっているから、ジャズはライブという原則でこの店でやりたいと思っていた。正にいま、このハウストリオがとても良いまとまりを見せている、いいCDが創れると思うんだ」ゼンさんが一気に説明した。
一瞬静寂がはしった、そして、どこからとなく、拍手がおきた。
ゼンさんは続けた「企画は3つある、三枚創る、レーベルはこの会社から出す」
ここでどよめきが起きた。「エッ、この会社のレーベルって?」デザイナーのコシタ・テツコさんが声をだした。
「そう、このライブハウスはご存知の通り、投資会社である親会社の経営で運営されている、だから店の売上げ以上の投資が可能なわけだ(この話はこのBLOGの最初に書かれている)。親会社の名前は(株)BLUE IN GREEN、通称『BIG』だ。このBIGをレーベルの名称にする。会社の定款にもこうなると予測して、投資コンサル以外に「音楽事業の企画、制作、また出版」を登記してあるのだ」と説明を続けた。
富田さんが「ゼンさん、準備がいいね」と。
「それで相談だ、僕はいま3つの企画があると言った、最初にピアノトリオで出す、第二弾はこれにペットとテナーを加えてクインテットで、第三弾はピアノトリオにヴォーカルだ。『LIVE AT KIND OF BLUE』シリーズだ。
「何も特別仕掛けはしない、いつも通りのお店の雰囲気で録音をしたい、それから、ジャケットのデザインだけど、イラストレーターの京子ちゃんと最近BLOGからお入りのプロの写真家Nさんにお願いしたいと思う」
もう30畳もある広い居間に熱気が漂いはじめている。
大野が「嬉しいな、是非やってみたかった、LIVE RECORDINGを」、河田が「そうだね、気取らずに、自然体の音でいつもの音でやりたいね」
「録音はいつやりますか」と山ちゃんが聞いた。
「先ずはこのレギュラー・トリオだから、来週までに曲目の編成くらい決めようか、でも意識した練習は無しだ、マイルスはスタジオ録音ですら事前練習を嫌ったというじゃないか、そのくらいジャズの即興性に重きをおいたのだよ、ライブはその即興性が完全にでるからいいんだ」ゼンさんは自分の説明に酔っていた。
「ところで、25-25さんやDUKE、KAMIさん、しんじさん、BASSCLEFさん、このかたがた以外にもBLOGを覗いておられる皆さん、ジャズでライブ盤のBEST3というと何を挙げますか?」ゼンさんがまたまたお題を出した。
「じゃあ、ゼンさんは何を挙げるの?」と言う声がした。
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ゼンさんはリゾットをほおばりながら、「ウーン・・・と言われると結構難しいな、50年代は録音技術がまだ悪く、音質は良くないけど、内容のよいものは沢山あるね、JMのバードランド盤とか、60年代になると、そうエバンスのヴィレッジ・バンガード盤やピーターソンのロンドンハウス盤、マイルス初のライブ盤、ブラック・ホーク盤などがあるね・・ケニー・バロンのブラッドレイズ盤も最近よく聴くな・・いずれも、ライブハウスの場内の雑音まで入っていてね、お皿を運ぶ音とか、人の話し声とかね、これがいいんだね、雰囲気がいい、そして徐々にお客が音に吸い込まれ、集中してゆくのが手に取るように分かる、これがライブ盤の良さだ。日本だとTBMがMISTYで録音したシリーズなどがいいね、TBMもジャズはライブハウスが一番ということを分かっていたんだね、コンサートとはまた違うんだ」
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(TBMのMISTYでの実況盤、山本剛トリオ、TBMのライブレコーディングは臨場感に優れており正にその場にいる感覚である。因みにTBMのMISTYでのライブレコーディングは3枚あるが何れも筆者は現場に居合わせた)

「ライブBEST3もお願いします、加えて、このトリオに何をやらせますか・・曲目、編成のアイディアもお寄せください、企画に組込みたいので、宜しくお願いします」とゼンさんの独演会は続く。
河田吾郎や大野もまんざらでない様子だ。
企画の内容:
1、 レギュラートリオ
2、 レギュラートリオ+ケニー・ドーハム+ハンク・モブレイ
3、 レギュラートリオ+リナ・ホーンかな・・・サラやカーメンという訳にはゆかないし・・・・。
<次回につづく>

(欄外のお話)
今読んでいる本、吉行淳之介著、エッセイのコレクションより、「紳士」「男と女」
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先だって、縁あって、タンゴダンスを鑑賞する機会に恵まれた。それもアルゼンチンの本場からで、プロの国際競技の優勝者から二位、三位と言うつわもの達、流石に見ごたえあり。
以前、ギドン・クレーメル、ピアソラを弾くを聴いた時を彷彿とさせられた。
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そして最近気になる絵は皆さんご存知のこれです。
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October 26, 2006

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その91回ーまたまたアフターアワーズの巻ー

<前回より続く>
本当のようでウソの話、ウソのようで本当の話・・入り乱れての「KIND OF BLUE」にようこそ!

「KIND OF BLUE」の夜はふけていった。
河田吾郎トリオに飛入りゲストの宮路春樹のギターが加わってグルーブが止まらない。
お客も、奏者も一体になってノッテいる。
12時前のパワフルなノリから、深夜の落ち着いたノリに変わってきた。
そんな時、河田は「ゴールデン・イヤリング」を弾き始めた。
そう、RAY BRYANTで一躍有名になった曲だ。
哀愁をおびたマイナーキーでエキゾチックな、でもエレガントなメロディー、一度聴いたら忘れられない旋律だ。
(ヴィクター・ヤング作曲、マリーネ・デイトリッヒ主演の同名の映画主題曲、ペギー・リーでヒットした・・、とライナーノーツより)
河田はオリジナルより少し遅いテンポで引き出した。サビをトレモロを続けながら盛り上げていった。
彼のアイディアだ。
ソロは宮路のギターから入った。宮路も、河田もテーマの哀愁をそのままにアドリブフレーズを創ってゆく。
大野のブラッシがシンバルを打つ響きが、テーブル・キャンドルの灯を瞬かせ、旋律ともシンクロナイズして煌いている。

RAY BRYANT、ブルースの名人とでも言おうか。スタンダードを弾かせても、ブルージーな哀愁を反映したソロは見事である。
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PRESTIGE7098:「RAY BRYANT TRIO」咥え煙草のRAYがジャケットになった名盤だ。1957年4月5日録音、
B)IKE ISAACS、DR)SPECS WRIGHT
(A面)
1、 GOLDEN EARRINGS
2、 ANGEL EYES
3、 BLUES CHANGES
4、 SPLITTIN
(B面)
1、 DJANGO
2、 THE THRILL IS GONE
3、 DAAHOUD
4、 SONAR
あえてA面とB面と記したのは意味がある。
曲順を良く見て欲しい、A面から聴いて、一旦裏面に替える、少しの間がある。
そしてB面に入る、最初が「DJANGO」で始る。
曲の構成と順にもアルバムの意味があるのだ。そしてアルバム自体が作品となっている。
つまり、一枚の絵、一冊の本を創るのと同じ創作思考と努力がなされている。

この「GOLDEN EARRING」があまりに有名になり、僕自身もこの曲をコピーしたことがある。
始めて聴いてからもう40年以上経って、僕はB面の二曲目(CDなら6番目)、「THE THRILL IS GONE」に耳が釘付けになった。
ここに久保田高司氏のライナーノーツからこの曲の紹介を引用させてもらう。
[リュー・ブラウンとレイ・ヘンダーソンによって作られたこのバラードは、多くの歌手によって吹き込まれている。本来この曲は唄われるべき性格をもつ失恋のバラードだが、ブライアントはこの歌をまったく自分のものとし、ピアノで唄うことに成功しており、それがこの演奏から受ける感動の源となっているのだ。]
この文面以外になんの表現があろうか、この曲を「GOLDEN EARRING」以上に哀愁をおび切ないメロディーに仕上げている、特にテーマを弾く際に、そのテーマ・メロディーを装飾するフレーズで鳥肌が立つのを覚える。

RAYは1931年生れである、録音は1957年である、26歳の時の演奏である。
26歳でこの音楽的解釈と表現ができることに再び驚いた。
自分が26歳の時にこの様な表現ができたであろうか・・・。
即興的音楽表現は技術ではない、感性以外のなにものでもない。
まさに驚きである。録音から50年、今聴いても新鮮だ。

「KIND OF BLUE」のテーブルのキャンドルの瞬きが、ピアノの切ないメロディーに絡んでいる。
河田トリオと宮路のギターはレイのレコードとはまた違う独創的な切なさで盛り上げている。
テーマメロディーをより一層切なく表現してゆく、聴く者は皆なその旋律の中に引き込まれていった。
エンディングをシンプルに静かに終わらせた。
静かなユックリとした拍手が続いた。

続いて、「I‘VE GAT YOU UNDER MY SKIN」が始った。
ミディアムアップで軽快なタッチだ。
ゼンさんは今日のベースとドラムの一体化に耳がいっていた。
これはなんなのだろうか、シンバル・レガートのチンチンという音とべースのブンブンという音がピタリと一致して、ジンジンという一体となったハーモニーになって聴こえる。
このレガートとベースの4ビートが一致すると、フロントがグルーブする。
チェンバースとフィーリージョーでもない、レイ・ブラウンとエド・シグペンでもない、でもどこかで聴いたことがある・・ゼンさんは思い出そうとしていた。
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「そうだ、サム・ジョーンズとルイス・ヘイズだ、1963年7月産経ホールで生で聴いたあの音だ、キャノンボール・アダレイ6の初来日の演奏を最前列で聴いた、あのリズムセクションの音だ」
今夜の大野のドラムと山田のベースは正にあの音だ。
深夜のセッションはまだまだ続きそうだ。
(写真は「エルスケン写真集より、ルイス・ヘイズ)

<次回に続く>

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October 23, 2006

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その90回ー今夜はジャムセッションの巻ー

<前回より続く>
[無類のジャズファン、藤岡卓也氏が亡くなりました。役者よりジャズ・ミュージシャンになりたかった藤岡さん、あの世でジャム・セッションをお楽しみください。(合掌)]

マツタケづくしで満腹、満足になった、オーディションの審査委員と常連さん達は、また中庭横切って「KIND OF BLUE」へと移動した。すでにお店には10人程のお客さんが入っていた。
母屋から10人が移動したので、7分の入りだ。
河田や大野は既に音だしの準備をしている。
「あれ、宮路君じゃない」とゼンさんが声をかけた、「久しぶりです」と宮路が応えた。
宮路春樹、ジャズ・ギターリスト、35歳、大野と同じ大学で、学生時代から結構な腕前で、在学中にプロにスカウトされ大学を中退した。今はNYに住み大物のグループと行動を共にしている、今や人気も実力も充分だ。
「今日は遊びで来ました」ともうアンプを整えて、ギターの調弦をしている。
常連さんが、「おう、今夜は凄いな、特別ゲストだ」と言う声が聞こえる。

河田吾郎は今日は昼間はオーディションで皆疲れている、本物の音を聴きたくてウズウズしている筈だと読んでいる。
7時過ぎに音が出た。

今日のオープニングの曲は「NO BLUES」だ。アップテンポで軽快な展開だ。
ベースとドラムのレガートがピタリと一致する、その上に、宮路のギターが軽やかにおなじみのテーマを載せてゆく。この曲は背後でシッカリと軽快にスイングするリズムに乗って、ユッタリと二分音符でリフ的なメロを載せてゆく、ここが気持ちの良いところだ。
宮路の中音域でホーンの様に弾くテーマがウエスを想像させる。
12小節終わると、ギターのコードワークで4小節刻み、転調し、再度テーマを弾く。
止まらないスイング感が既に始っている。
河田はギターに合わせるように、もうケリーのノリだ。

音が出て、ブルース2コーラスで、既にお店がスイングしている。
皆が、今日は何か違うぞと感じている。
宮路は5コーラスをシングルトーンで盛り上げ、ついでキレの良いコードとオクターブ奏法でさらに盛り上げてゆく・・・そこに山田のベースと大野のレガートが完璧についてゆく・・・河田のピアノがフィルインし、宮路のフレーズに呼応し、まるで会話をしているようだ。

河田のソロに移った、河田はピアノになってもテンションを落とさず、そのままのノリでソロに入った。完全にケリーの感覚だ、小気味良い三連符が快適に転がる、フレーズが途切れない、このスイング感は何処まで続くのだろうか、河田のバックで宮路が鋭いフィルインをコード弾きで入れる。
ゼンさんは、「これはまるで、HALF NOTEのウエスとケリーみたいだ」と。
この「NO BLUES」は15分間続いた。
客席では、「これがジャズだよね」とDUKEさんや25-25さんが話している。
みんな、昼間の疲れが飛んだようだ、良いジャズは疲労回復、やる気を出させてくれる最高の癒しだ。

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<「SMOKIN AT THE HALF NOTE」Wes Montgomery(g)、Winton Kelly(p)、Paul Chambers(b)、Jimmy Cobb(Drs)1965.june
NYC Halfnote ClubにてLIVE RECORDING>
1、 NO BLUES
2、 If you could see me now
3、 Willow weep for me
4、 Impressions
5、 Portrait of Jennie
6、 The Surry with the fringe on top
7、 Oh, you crazy moon
8、 Four on six
9、 Misty

河田と宮路は次に「WILLOW WEEP FOR ME」を選んだ。
初めはミディアム・スローからだ。このブルージーな曲を一層泥臭くフェイクしたテーマを宮路が弾く、河田がブルーノートを強調したラインでバックアップする。
宮路はサビをピアノの河田に渡した、別に打ち合わせた訳ではない、咄嗟のアイコンタクトだ。
河田は思い切りモタレるノリでサビを弾く、このせつないサビのメロディに身を任せると吸い込まれそうだ。ベースの山田君が、微妙にメロディラインに絡ませてくる、もうインタープレイの感覚だ。
ソロに入り、宮路は倍テン(テンポを倍にする)にした。

倍テンになっても大野はブラッシュのままで叩いた、4ビートの刻みをベースに任せて、ブラッシュでオカズを多くし、フロントに絡む・・・・まるでエルビン・ジョーンズのブラッシュ・ワークを彷彿とさせる。
スネアを叩くブラッシュとギターやピアノがこれほどまでにインタープレイができるものか・・・正にその場でインスパイアーされた感覚がそのまま即興的にインプロビゼーション・フレーズとなって語り合い、絡み合う、音はツタの如く、アラベスクの様に上へと絡み合いながら伸びて行く、大きなキャンパスに描かれるアラベスクを見る様だ。
これが生のジャズの現場だ。

ジャズは生で聴くべし・・ゼンさんが嘗て、年間200日もライブハウスに通い続けた背景にはこれがあった。毎晩、同じグループを200日も聴いたら飽きるでしょうと言われた、こういう人はジャズが分かっていない。同じプレイヤーでも毎晩違う、良い日も悪い日もある。その一瞬の閃きを感じたとき、プレイヤーと聴衆が通じ合う瞬間であり快感である。
芸術が概念や様式ばかりを求めると予定調和の世界にはいる、頭脳的創造にたよる結果だ。
もうジャズという芸術は生理的創造に帰還すべきと・・・横尾忠則氏の意見に完全にアグリーである。
「一枚の傑作を描くより、その画家が何者であるかということが重要だ」とピカソが言っている。

<ゼンさんのぼやき、欄外編>
先月、上原ひろみとチック・コリアのデュオを聴いた。
題材は、アランフェスやスペインを題材にした、即興的インプロビゼーションを試みた。
私はガッカリした、上原ひろみはジャズ・ミュージシャンではなかった、否、芸術家ではなかった。
ピアノが上手い下手を言っているのではない、既成概念から出られないと言うことを言っているのだ。

2台のピアノで向かい合い、せっかくチックが枠を越えて、フリーにできる状況とテーマを作ってくれているのに、上原ひろみ個人の枠から出られない・・・あたかもチックと音で会話をしているかの様であるが、チックが「もっとやりたい様にやれ、音楽という概念を壊せ」と言っているのが聞こえてない、それが僕には聞こえる・・・だから聴いていて、こちらはフラストレーションが溜まる。
その内に勝手にテーマのメロやトニック(母音)に戻ってしまう。

そこにはジャズの本質、インスパイアーもインプロビゼーションも無かった、綺麗に整った音列があるだけで聴く者に何も伝えてこなかった。
ピアノのテクニックを聴きにあるいは見に行ったのではない、感じに行ったのだ。
もっと言わせて貰えば、チックの「もっと自由に」というフレーズにインスパイアーされ、鍵盤を肱で叩こうが、鍵盤に乗って足で弾こうが・・・山下洋輔ならきっとそうしたに違いない・・・と思う。
そして、チックにももっと枠を壊せとインスパイアーしたに違いない、チックは喜んで枠を飛び出したろう、チックはそれを期待していたのだし、それがジャズの意味であることを理解しているから。

音色にもフレーズにも何の感動もない、ただ早く弾けるだけなら、ジャズではない。
以前、ミシェル・カミーロとも共演したことがあると記憶するが、まあ、カミーロあたりと、超絶技巧を競っていればいい。
ディージー・ガレスビーが自分の誕生日のコンサートを開催した、その時にインタビューアーがガレスビーに聞いた、「良いジャズとは?」。
ガレスビー曰く「自然に心と身体が動く音楽だ」。
概念や様式ではない、生理的な観点からの解答だ。国内も外国でもジャズ・ミュージシャンはもう一度この点を考えて、原点に戻って欲しい。否、最近のレコード会社の方も考えて欲しい。
ジャズという芸術作品を創作するのか、ジャズぽい(雰囲気だけの)イージーリスニングを制作するのか?
「似て非なるもの」・・・まがい物のジャズはいい加減にしてほしいと思う日々である。
50年代、60年代のジャズにはこの核心(CORE)があった。だからジャズミュージシャンは悩んだ、人と同じ事は無意味、独創性を毎晩の様に問われ、昨日と同じ演奏はできない・・・だから壁にぶち当たり、日々創造という作業に悩んだ、故に麻薬に頼り、酒に溺れ、自ら命を絶つ者も少なくなかった。
マイルスとマイルス的は似て非なる、どころか、卑しむ存在である。
モンクのピアノをそっくりに弾いて誰が喜ぶというのだろうか・・・・。
ジャズにかかわる者は今一度、ナット・ヘントフ著「ジャズ・カントリー」を読むがいい。
<ゼンさん、ちょっと調子にのって怒りすぎの図>

<次回に続く>

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October 20, 2006

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その89回ー再発熱望リストの巻ー

<前回より続く>
ゼンさんはじめ、皆疲れた表情を浮かべていた。
オーディションとはいえ、10人もトーシロウ(素人)の歌を聴くのは疲れる。歌伴をやったピアノの河田はじめ全員が疲れている。

時間はもう5時だ。6時半には店を開けなければならない。
参加者には後日、結果をお知らせすると言うことで、一旦お引取り願った。
そこに、厨房から声がかかった、シェフの長さんが、「準備ができていますよ」
何やらいい香りがする。ゼンさんが「まあ、皆さん、一旦、母屋の居間へ移動してください」と言う。

全員で居間へ移動した。秋の5時はもう暗い。遠くのビルの窓に光がともっている。
ドアーを開けて、居間のテーブルをみて驚いた。
長さんが「今日はマツタケづくしです」と。
先ずは、どびん蒸、マツタケに加えてハモが入っている、香りがたまらない。
「さあ、飲み物は何がいいですか?」とヨーコが聞いている。
「日本酒は「八海山」ワインは今日は白が冷えていますよ、シャブリ・グランクリューが」と。
皆は夫々が好き勝手を注文している。
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突然、何処からか、「これは今日はダータ(ただ=無料)ですか?」と、ベースの山田君だ。
「勿論、今日の疲れを癒してね」とゼンさんの大判振る舞いだ。
続いて、マツタケ焼きだ、マツタケを裂いて、ちょっとあぶって、醤油と酢橘(スダチ)で食べる、マツタケそのものの味わいだ。「このマツタケは京都産だ」と長さんが自慢した。「これだけの物はなかなか手に入らないよ、秋の贈り物だ、銀杏もいいでしょ」
「香りがたまらないね」食通の富田さんが言った。「そしてこの歯ざわりもね」と審査委員できていたコシタ・テツコさんが言った。
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ゼンさんは、ここでCDをかけた、もうちょっと歌物ではなく、耳の休まるものが・・・。
「ROSE TATTOO」フレディ・ハーバートだ。全編、ハーマンミュートでバラードを奏でる、ハーバート爛熟期の一枚だ。ピアノのケニー・バロンも落ち着いていて良いし・・・。
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―――[Rose Tattoo ]―――
1, when you wish upon a star
2, poor butterfly
3 , my romance
4, Embraceable you
5, the rose tattoo
6 ,time after time
7 ,my foolish heart

TP: Freddie Hubberd TS: Ricky Ford P:Kenny Barron B: Cecil McBEE DR: Joe Chambers


みんな疲れているし、お腹もすいている。
食事がすすむ、お酒もすすむ、段々宴会気分になってきた。
最後の締めは、マツタケ入りのすき焼きとなった。おまけにご飯はマツタケご飯だ。
「お腹も満足になりましたか、遠路はるばるの方々どうですか?」とゼンさんが聞いた。
「そう、ゼンさんは良く言うよね、満腹と満足はちがうってね」と富田さんが。
これが本当の「マツタケづくしだ、シェフの長さんよくやってくれました」

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ゼンさんが突然、大きな本を抱えてきた。
「DUKEさん、これが、例のチャーリー・パーカーの写真集ですよ。
重さ6キロはちょっと大げさかも知れないけど、2リッター入りペットボトル二本分の重さはあると思うよ。」
箱入りの大型版だ。
中には、パーカー以外にも貴重な写真が沢山載っている。
皆が、周りに集まってきた。
「レスターもいるし、これは誰だろう」と段々満腹になったご常連方は口がうるさくなってきた。
「BIRDのアルトって綺麗に保管されているんだね、でも何度も質屋に入ったって物の本にはあるけどね、ちゃんと名前が彫ってある」

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「でも良い雰囲気だね、もうジャズが渦巻いている空気が写真から感じられるね」
「ゼンさん、この本いくらしたの?」と。

「3万5千円、でもね、特に買いたい訳ではなかったの、その時、デパートでジャズ展が開かれていて、マイルスのペットを展示したりしていた、それを覗きにいったんだ。そしたら出口の売店で、ビックリするLPが置いてあるの、「REMARKABLE CARMEL JOHNES」、僕はこのLPを以前持っていたのに、行方不明で、また持ちたいと探していたけど、廃盤で見つからなかった、それがあるわけ、直ぐに聞いたの、これ幾らですかって、そしたら、このBIRDの本を買った人にオマケでつけるものだという。その時はそのLPが欲しい一途で、ためらわずに買った。」

「PJ盤だね」と25さんが言った。
「そう、ジャケットもPJらしいでしょ、内容もハロルド・ランドと一緒で、『釣にゆこう』をやっていて、もうカーメルのいぶし銀の様な、よく伸びる中音域とランドのテナーのユニゾンのハモがたまらないわけ」
とゼンさんもいつに無く多弁になってきた。
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「でも結果オーライでしょ、今になってみれば写真集も貴重だよね」25さんが言った。

ゼンさんがここで急に真顔になって、「皆さん、是非ご協力をお願いしたのです、このBLOGで『再発熱望リスト』を作りたいのです」
「廃盤になって久しい、でもやはりCDでもいいからまた入手したいというレコードがあるでしょう、かなり再発をしているけど、未だ忘れられているものが、そう隠れた名盤などで、私なんかは、ローランド・ハナのペルージアとか、このカーメルなんかが最右翼なわけ・・・と言うことで、当BLOGのコメント欄に「是非、再発して欲しい盤を皆で出して、版元に熱望状を出しましょう!!!」
ゼンさんが一気にまくし立てた。・・・・・反響や如何に

[今日から始まる、「再発熱望リスト」皆さん、ご希望をお寄せください!!!!!]


周囲をみたら、スタッフは皆お店に行っていない。
時間がもう7時だ、いよいよ音出しだ。
今夜は、やはり耳直しに、ガッツのあるジャズを聴こう。
「さあ、そろそろ、ライブハウスに移動しましょう」とゼンさんが声を掛けた。

<次回につづく>

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October 16, 2006

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その88回ーヴォーカル・オーディションの巻ー

<前回より続く・・・・こととなった>
ゼンさんは、ヴォーカル・オーディションの受付をしていた、ヨーコと山本を呼び、母屋の居間で状況を聞いていた。
応募総数、313通、内、書類で見当違いなもの50通、デモテープで素人以下が200人、と言うことで、ゼンさんは先ほどからテープやらMDやらを60本ばかり聴いている。でももういい加減して欲しい状況だ・・・・「なんだこれは?」と「そうなんです、珍しく男性なんです、今回男性は20人程いたのですが、彼はちょっと面白いでしょ」ヤマちゃんが言った。「聴きやすい人ね」とヨーコが言った。
「この人は、年齢は」とゼンさんが聞いた。「えーと35歳ですね、もうシート(年)のチャンバー(業界逆さ読みで、バーチャン)ですか」とヤマちゃんが・・・「いや、いいな、声質に落ち着きがあって、キラキラはないけど・・」とゼンさんが何かを思い出そうとしている。
「それで、最終は何人」ゼンさんが聞いた、ヨーコが「丁度10人です」「いいな、それで3人に絞れば」とゼンさんが纏めた。

(ここでちょっと・・・業界さかさ言葉で飛んでもない誤解がかつてありました。あるライブで、歌手の方が歌っていました。その女性歌手は30歳で旦那さんはベーシストでした。客席で生半可なお客が業界用語で、「あのターウ、スーベのチャンカーだって」といいました。歌っていた歌手は間違って聞いてしまいました。「あのターウはスーブのチャンバーだってさ」と聞いてしまったのです。ステージの後でむくれていましたが、ピアノの人が、スーベのチャンカーと言ったじゃないのと言ってご機嫌が戻りましたとさ。)

そしてある週末の午後3時、に10人のノミネートされた人が「KIND OF BLUE」に集まった。
審査員も集まった、DUKEさん、25-25さん、KAMIさん、BASSCLEFさん、HIMAGINEさん、富田さん、東郷さん、ゼンさん、皆さん、遠路はるばる集まった。

候補者はクジでランダムに出場順序が決まった。
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1番:クリス・コナーのそっくりさん、32歳女性(持ち歌:バードランドの子守唄)
ゼンさんの独り言:「クリスねー、歌に色気が欲しいな、敢えて言うなら技巧派でスタンケントン三人娘の中では技巧に走ったのでは・・・」

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2番:リーワイリーが好きだという、20代後半の女性(持ち歌:アン フォゲッタブル)
「リー・ワイリーか、別名、ヒワイ(卑猥)リーだよな・・まあ色気代表に言われるけど、高貴な色気ではないな、プロの水商売の色気と・・でも長年よく歌ったね、外見で評価されることが多いな・・・」


3番:ロレツ・アレキサンドリア風、38歳(持ち歌:マイ・ワン・アンド・オンリー・ラブ)
「歌唱力もいいし、表現も落ち着いていていいな・・知性と豊かさを持っている歌手だなぁ・・」

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4番:ビリー・ホリデイが大好きで、あのように歌いたいという29歳女性(持ち歌:ストレーンジ フルーツ)
「まあ、真似をする相手ではないな・・ジャズ・ヴォーカルを切り開いたと言う人がいるけど、自らの人生で、あの様に歌うしかなかった、要は自分を歌をもって表現したんだ。勿論、天才的表現力は有している。自分の人生を歌えば暗くならざるを得ないな」
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5番:エセル・エニス風、30歳女性(持ち歌:エンジェル アイズ)
「黒人歌手の割にはサラットした雰囲気で独特の哀愁がある・・ONLY HAVE EYES FOR YOUを歌って欲しいな・・」
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6番:チェット・ベイカーの雰囲気をもつ男性、33歳(持ち歌:マイ ファニー ヴァレンタイン)
「まあ、オカマ歌という評価が一般的だけど、後に残る味が・・というか後味に魅かれる歌手だ、声を楽器の様に使えるし、退廃と哀愁が入り混じっていいね」
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7番:アストラッド・ジルベルトが好きと言う、女性22歳(持ち歌:ジンジ)
「おお、ボサノバ登場か、あの軽さと粋さがいいね、マイ フーリッシュ ハートなんて軽くくるけど、ジーンとくるね」
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8番:サリナ・ジョーンズの物まねならば任せてという25歳女性(持ち歌:MISTY)
「サリナか・・初来日のきっかけを作ったのは僕ではなかったのかな・・・親しみある名前だし、素直に歌ってくれればいいが・・・」


9番:ディー・ディー・ブリッジヲーターの様に歌いたいという24歳女性(持ち歌:雨にぬれても)
「アフロ ブルーでの衝撃的なデビューで期待満々、僕的には、ホレス・シルバーに捧げるなんていいんだけど・・・でも素人が挑戦する相手ではないな・・」
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10番:ニーナ・シモンを目指してなどとのたまう女性、26歳(持ち歌:ニアネス オブ ユー)
「ううううん、好きな歌のタイプだな、やはりジックリバラードでくると、のめり込んでしまう。」
以上、10人が登場した。

「もうどうにもこうにも、300人から応募が来ても、何やら物真似みたいな人が多くて、何とかそれでも10人を残したんです」とゼンさんが苦心談を話した。
「そうだね、ジャズ・ヴォーカルは何しろ英語が基本だからね、先ず歌の上手い下手もあるけど、英語がちゃんとしていないと、何を言っているのか解らないでは困るものね」と富田さんが言った。

「でも歌手の人を文字表現するというのも難しいですね」とゼンさんが悩み顔で言った。
そして内心、エッタ・ジェイムスを感じる人がいなかったことを残念に思っていた。
何しろゼンさんは、エッタ・ジェイムスの「ミスター・ボージャングル」にしびれている。

今日は決勝戦みたいなものだからということで、いつものレギュラートリオがバックをやってくれる事になった。
きっとそれだけで、怖気づく人もいるだろう。
さあ、いよいよ、始まりだ。
この中から誰を採用したらよいやら、前途多難な状況だ。
「では、1番の方どうぞ」ヨーコが声を掛けた。

<次回に続く>

<場外情報>
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この秋晴れの週末、ちょっと時間があり、運動不足でもあったので、片道40分ばかりの散歩をした。
自宅から車なら5分、でも住宅街の裏道をたどって40分で洗足池という池にでる。日蓮上人が足を洗ったから洗足でも、周囲の住所は千束と書く、最寄の駅は洗足池駅(東急池上線)と千束駅(東急)があって、とてもややこしい場所だ。お上りさんと待ち合わせをしない方がいい。
この池の淵に、小さなカフェがある、「ジュレ」という。ここで一息、お茶をした。
ここは生前、久世光彦氏がよく立ち寄った場所だ。
毎週金曜の夜にはライブがあるが、小さな店なので、ギターとピアノとか、テナーとピアノで、ボサノバやジャズをやっている。1015_050

一度来てみたいと思いながら夜の部はまだ聴いたことがない。
池の端の柳が風にそよいでいたが、急に「WILLOW WEEP FOR ME」を思い出し、日本人は柳と言えば夏は幽霊がつきものだけど、欧米感覚ではやはり、アノ歌詞のように感じるのかなと・・・・どうでもいい思いをはせつつ・・・池を見ていた。
水と緑はいいものだ、もう直ぐに、木々も色づき、池面にコントラストを描くだろう。
ミシェル・ルグランとレイ・ブラウンの「WILLOW WEEP FOR ME」が頭の中に聴こえてきた。

<次回に続く・・・続けよう!>

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October 11, 2006

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その87回ーたかがジャズ・されどジャズその2の巻ー

<前回より続く・・・・のだが・・ここは書き溜めてある原稿を使うことに・・・言うところの手抜きですね>
[このBLOGも6000ヒットを越えました、そして500人の方々に目を通して頂いています。ジャズの好きな人は聴くだけでなく、何しろ参加したい、一緒に演奏したい・・この気持ちに溢れた方たちですから、例え、GOOGLEやYAHOOやGOOを使って、検索で偶然にも出会ってしまった方でも結構、コメント参加を是非、おせいじは抜き、ただ「こんにちは」だけでも、「イェー」だけでも、「私は****の検索をしたのに、ここでひっかかってしまいました」とか。
BLOG独特の「当らず触らず」は嫌いなものですので・・・では宜しく。]

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今回は「アート・ファーマー」です、以前にもここに書いた事がありますが、再度、記事を整理して纏めてみました。
では・・・・。
「たかがJAZZ・されどJAZZ」その2
「MODERN ART」 ART FARMER
1958年9月録音
1、 MOX NIX
2、 FAIR WEATHER
3、 DARN THAT DREAM
4、 THE TOUCH OF YOUR LIPS
5、 JUBILATION
6、 LIKE SOMEONE IN LOVE
7、 I LOVE YOU
8、 COLD BREEZE
<Personal>
Art Farmer(Tp)
Benny Golson(Ts)
Bill Evans(P)
Addison Faemer(B)
Dave Bailey(Dr)

高校1年、16歳(1963年)、ある日、教室に軒口君は一枚のレコードを持ってきた。
ジャケットには、黒人の男の顔がアップ写っている、目に知性的な輝きをおびている。
軒口君が僕を呼んで、「おい、これ1000円でいいから買ってくれないか?」。
Art FarmerとBenny Golsonについて一通り語ると、さあどうだといわんばかりである。
僕は、中身からどんな音が出てくるかは彼の講釈からでは判断できなかったが、ジャケットからは何か、「乾いた」トランペットの音が聴こえてくるのが伝わってきた。
僕は彼から1000円でこのレコードを買った。
学校から帰って、早速ターンテーブルにレコードを置き、針を下ろした。
1曲目の「MOX NIX」って、意味が分からない、ライナーノーツにも書いてない。
突然、アップテンポの調子の良いリズムが始る、4ビートではない。
トランペットとテナーのアンサンブルが2管とは思えない分厚いハーモニーを奏でる。
その音質がレコードを聴くまえに、ジャケットから感じ取った音と同じであることを自分なりに確認し、「心のなかでやっぱりこの音質ななんだ」というのが、第一印象だった。
それまでは、Art BlakeyやMiles Davisを主に聴いていた僕としては、新しいサウンドだった。
B面に盤を替えると、「JUBILATION」が始った。正にコール&レスポンス形式のゴスペル調のカッコいい曲で覚えやすいテーマだ。
直ぐにこの盤での愛聴曲となった。

この時、Bill Evansが白人であることを僕は知らなかった。「MOX NIX」や
「JUBILATION」を弾くのは黒人ミュージシャン以外にはいないと決め込んでいた。
ただ、このピアニスト何か違うという響きが彼の演奏から聴きとれるEvans初期の貴重な記録だ。
FamerとGolsonのコンビで「JAZZTET」を編成して一世を風靡したのはこれから間もなくのことであった。
JAZZTETのサウンドは正にこのアルバムで創られたと言ってもいいだろう。
このペットとテナーの重厚でグルービィーなサウンドは僕の耳に焼きついた。
そして、僕の愛聴盤となった、このレコードも愛聴曲は加齢と共に徐々に変わり、このアルバムで演奏しているスタンダードの3,6,7が愛聴曲になった。
特に「Like Someone in Love」でのFarmerのテーマの吹き方は、何か楽器を演奏しているのではなく、物語を語っているかの様である。
そう、数多くいるトランペッターの中でもArt Farmerはメロディーを語れる数少ない表現者ではないかと思う。
マイスルは音をもってして、情景を鋭く絵の如く表現し、夭折の天才クリフォード・ブラウンは煌びやかな音と自由な伸びやかさで謳い、リー・モーガンは一音で突き刺す鋭さで存在感を出した。
そして、アート・ファーマーは、温かい音質とメロディアスなフレーズで物語った。
僕は何か心落ち着けたい時、またジャズを好きになったあの時を思い出したい時、この盤を取り出し、
「Like Someone in Love」を聴き、この温かいサウンドに身を沈める。

<後日談>
1984年秋、僕はアート・ファーマーと個人的なコミュニケーションをとることになった。
その日、彼は六本木のジャズクラブ、今はもう無い「バランタイン」に出演することになっていた。
音出しは7時と、僕は通い慣れた常連の特権で、開店前の5時半に店へいった。
未だ従業員が掃除をしたり、テーブルを拭いたりして準備中だった。
僕は仕事を早めに切り上げ、「おはよう」と言いながら店に入って行き、邪魔にならないように、片隅で静かにしていた。
僕にはある思惑があった、それは、彼れら一流ミュージシャン達の準備の仕方を見たかったのだ。
もしかすれば、直前にやって来て、直ぐに本番ということもあるかもしれない、でもそれはそれでもいいと・・。
その日のメンバーは超豪華メンバーであった。
トランペット:アート・ファーマー、ピアノ:ハンク ジョーンズ、ベース:レジー ワークマン、ドラムス:ロイ マッカーディー、である。
全員が超一流である。
最初にやって来たのは、アート・ファーマーだった。
彼はプロモーター会社の社員に案内されて店にきた、社員は直ぐに帰り、彼は未だ誰もいないテーブルの端の方、そう僕の居た隣のテーブルで楽器ケースを開け、マウスピースを取り出していた。
僕に気がつくと、僕を店の人間と間違えて、「Can I Use Here?」と聞いてきたので、僕は応えた、「Why Not、No Problem!」、彼は「Thanks」と言って、また
静かに準備を始めた。
いくつかあるマウスピースから選んで装着すると、やおら立ち上がり、店の隅の非常ドアーを開け、ビルの外付けになっている鉄製ハシゴの非常階段の踊り場にでた。そこは5階だった。
街の雑踏と騒音が入り込んできた。
丁度日差しが西に傾き、夕日がビルの谷間から見えた。
アート・ファーマーはその夕日に向かって、ロングトーンのウヲームアップを始めた、ユックリと一音づつ確かめるように・・。
トランペットは夕日を反射し、そのハレーションの中で彼のロングトーンも煌いて聴こえた。
背筋を伸ばし、ペットを直角に口に当て、その姿はシルエットとしても様になっていた。
僕は初めてその姿と音を聴いて納得した、20年前に聴いた「モダンアート」のあの温かい音と本質的にはなんら変わっていないと。
そして、もう一枚のアート・ファーマーの愛聴盤を思い出していた。
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「The Summer Knows」である。
このアルバムのタイトル曲を聴いたとき、いろいろな夏の出来事が湧き出してきた。
まさに夏の思い出である。(この曲名は通常「夏の思い出」と訳される。ミシェル・ルグラン作曲で「SUMMER OF 42」の映画主題)映画のストーリーは戦前の避暑地での、少年と人妻の淡い、せつないひと夏の出来事である。
ピアノのシダー・ヲルトンとファーマーの組んだ名盤である。
この曲のテーマをファーマーが吹きだしたとたん、僕の記憶の時空は一気に若かりし頃の夏に遡る。
出会い、出来事、夏、そこに全てが凝縮され、数十年以上経っても風化せずに・・・。「一期一会」、「光陰矢のごとし」である。良い想い出は数多いほどよいと思う。これが辛い時に大きな支えとなる。
ファーマーの温かい音で物語る「夏の思い出」(The Summer Knows)、もその一つである。
だから、音楽は何度でも、いや何百回でも聴き返えさせるエネルギーをもっている、そして絶対に捨てられない「宝物に昇華(アウフヘーベン)」してゆくのである。

そのライブハウスでの演奏前、ファーマーはウヲームアップを終えて、楽器を置いてバーへ水を飲みにいった。僕はドラムのロイ・マッカーディーと片隅で話していた。
「僕は、貴方がソニー・ロリンズと来日したとき、そう1964年に、その時10回くらい聴いているんですよ・・・。ポールブレイがピアノでベースがヘンリー・グライムズだったよね、そうロリンズがモヒカン刈でねと・・。変なトランペットで中途で首になった、ラシッド・アリなんていたね。」彼は僕をみて、随分昔から聴いているんだね、あの頃のロリンズを聴いているのは貴重な体験だよと、言ってくれていた。

店は開演前で、徐々に常連客が来はじめていた。
「やあ!」と握手を交わし、顔なじみと挨拶をしていると、「ハーイ」と能天気な声をかけてくる女性の常連がいる、握手を交わした、その時、なんとその人は、ファーマーが置いていったトランペットが椅子の上にあることに気がつかず、その上に腰掛け様とするではないか!

僕は慌てて、トランペットを取り上げた。その1秒後にその人は腰をかけた。
ファーマーが声にならない声をあげ様としている姿が目の端に見えた。
彼のペットは僕が取りあげて、頭の上にかざす格好になっていた。
慌てて近寄ってきたファーマーに僕はそれを差出した。
ファーマーはほっと胸をなでおろした様子で、僕から楽器を受け取った。

「Thanks a lot!」
その瞬間、僕とファーマーは何か通じ合うものを感じた。
彼は何度も僕に感謝をした、そしてユーモラスに言った、「僕のペットがガレスピースタイルにならないですんだよ」。

演奏の休憩時間に僕に聞いてきた、「何かリクエストがあれば今日は特別だ」と。
最終ステージの最後に「Like Someone in Love」を吹いてくれた。
その演奏の終了後、僕は彼を誘って、夜食を食べに六本木の中華料理屋へ案内した。
かれは、僕の年齢を聞いた、37歳(当時)と、「そうか、数十年にわたって思い出をビビッドに持ちつづけるには音楽というフォーマットが必要なんだと」と彼は言った。

16歳で最初にLPでファーマーを聴いてから、20年以上が経って、僕はアート・ファーマーとこうして夜食を共にするとは・・、でも何かかが引きつけてくれたのではないかと思っている。
数年前に彼は他界した。でも彼の音はここで、こうして思い出と共に活き続けている、決して死んではいない。
たかがJAZZされどJAZZ・・・

<そんなアート・ファーマーが動くDVDが出た・・・「RON CARTER&ART FARMER」である、懐かしい映像が直ぐそこに音と共にある。ピアノはCEDER WALTON ドラムスBILLY HIGINS>Ron_carterart_farmer_dvd


と言うところで、お後が宜しいようで・・・次回に続く・・・次回はヴォーカルのオーディションが始まります。
「乞う、ご期待!」・・・・・・しないでください。

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October 10, 2006

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その86回ー再度ジャズ・ヴォーカルの巻ー

<前回より続く>
(空想のジャズクラブ「KIND OF BLUE」にようこそ、書き散らしのサイトですが、ヒップなジャズ・マインドで一杯です。お立ち寄りの際には是非、コメント席にご署名だけでもお書きください。ジャムセッションに御招待させて頂きます。)

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ゼンさんは十六夜の月を観ていた。大きな月が東に上がった。
MOONか、月とジャズも色々話ができるなと・・・思いながら。
「MOON RIVER」「BLUE MOON」・・・・・みな恋の歌でMOONが使われるケースが多い、欧米の詩の感覚で、「月にも届きそうな気持ち」とか「青い月・・・」(BLUE MOON 又はPALE MOONと言う表現)とか。
今夜は博識ある常連のお客さんにも聞いてみようと考えていた。
それにヴォーカルのオーディションも近づいている、応募数はかなりになるらしい、300人を書類とデモテープで30人に絞った。中にはひどい応募もあったもので、誰が聴いても直ぐに分かるCDをテープにコピーして、これが私ですと言う・・・いったい何を考えているのだろう、怒り心頭である。
6時になったのでゼンさんは店に移動した。
少し肌寒い感じが気持ちよい。母屋から店へたった15メーターの中庭を抜けるだけだが、そこに秋を感じる。

1995年10月、ゼンさんはボストンにいた。
大きな注文をもってボストンのヴェンチャー企業を訪問するビジネス・トリップだ。
東京は未だ暑い日があったので、ブレザーを着て手に薄手のセーターを持って機上の人となった。
ボストン直行便はない、シカゴ トランジットになる。
アメリカのヨーロッパ、ボストンは空から観ると、まるで欧州の何処かへ来た感じになる。
飛行機のアナウンスでは外気は15度と言っている、ゼンさんはブレザーの上からカシミヤのセーターを肩に掛けた。
外に出ると、相手の会社の副社長と部長が迎えに来ていた、ロング・ストレッチの黒のキャデラックのリムジンで。ボストンにいる4日間、それを自由に使えという、ショファー付きだ。
毎朝、運転手がホテル(コープリーのウエスティングH)へ迎えにくる、そこから小一時間、郊外のヴェンチャー会社へゆく、設立5周年の若いヴェンチャーにとって100万ドルの注文は大きかったらしい。
ここで、日々会議の送り迎えで気がついた、紅葉の葉の色だ、日本は紅色、赤、黄色に染まる。
しかし、ここボストンでは、黄金色になる、GOLDENなのだ。
そう「枯葉」の歌詞にあるとおりだ。
この黄金色の木々の葉がチャールスリバーに映る光景は感動的だった。僕は運転手に川沿いの道で車を停めてもらい、暫し一人川端に佇んだ、これが秋の色か・・・日本の紅葉もいいけど、ボストンの紅葉も良いものだと・・・目の前をハーヴァート大学のボート部の舟が通り過ぎてゆく。
打合せ最後の日はフェアウエルの晩餐会がもようされた、私一人の為に。
ボストン市内のレストランの二階で15人程での会食で、この様な時の米国のビジネスマンは徹底している。僕の食べ物の趣味など全部調べてある。
食事の後で話は長くなる、皆で話題を出しながら、順に話してゆくことは海外で仕事をしたかたなら良くご存知のはず。
しかし、この日は突然、ピアノを弾いてくれと言われて面食らった。先方の会社の部長が日本に来た時に趣味を聞いて帰ったらしい。
ボストンにはバークリー音楽院もあり、ジャズの好きな人も多い、みんな耳が肥えている・・・・けどしょうがない、引っ込みがつかない。
最初に「MISTY」をバラード調で始めた、途中でスローなスイングにし、その後で左手をストライドにしてミディアムにテンポを上げたら・・・である、手拍子はでる、ジルバを踊る夫婦ありで、実は音を聴いて階下のレストランからも二階へと上がってきていたのだった。
それから1時間、完全にピアニストになり切ったのだったが、これで実はまた会社の交流が深まることになった。
実は相手の会社の社長はドラマーだったのだ。次回は友人のベースを呼んでおくからトリオでやろうと出だしたのだ。
この趣味にどれだけ仕事を助けられたか、欧米人は「どうせ日本人はワーカホリックで、仕事の話しかできないよ」と良く言っている。これを覆すには、音楽、文学、絵画の話題で話の輪に入らなければならない・・つたない英語でだ。ここで趣味の話、音楽、ジャズ、そしてピアノとなって、一曲弾けば、翌日から見る目が変わることを何度も体験した。
・・・・・そんな事を15メーターの中庭を横切る際に思い出していた。

店にはもう常連が詰め掛けている。
今日の河田吾郎の最初の曲は「OUR LOVE IS HERE TO STAY」だ、大きなスイング感で気分の良いで出だしだ。ゼンさんはこの曲が始まると「ダイアルJJ」を思いだす。JJ ジョンソンとトミーフラナガンだ。
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(トミー・フラナガンとの思いで話は又の機会にしよう、きりがない)

数曲進み、吾郎は「WILL YOU STILL BE MINE」を弾いていた・・・。階段を一人の外国人が下りてきた。
よくみるとグラディー・テイトだ。彼は東京に仕事にくると、オフの日にはよくジャズクラブに顔を出す。
飛び入りでジャムる常習犯だ。
ピアノの後ろの席に勝手に腰を下ろすと、スコッチのロックを注文した。
それを一口飲む、丁度曲が終わると、もう立ち出して、吾郎に何か囁いている。大野がドラムを叩くかと聞くと、NOと言い、マイクを持ち出した。
最初は無伴奏のスキャットから出だした、そしてインテンポへ・・・得意の「BODY & SOUL」だ。
この抑揚の少ないバラードに味を付けて歌うのは難しい、特に日本人には難しい曲だけれど、彼はネットリと甘く歌う、実にいい味だ。
ゼンさんは客席の隅をみた、DUKEさんが満足げに聞き入っている。
男性ヴォーカルはこうでないと・・・いよいよ近づくオーディションがまた思い出された。
吾郎のソロが何時に無く粘る、テイトの雰囲気が演奏者に絡み付いているのだ。

店の唯一の照明、キャンドルがこれも又何時に無く煌いている。
吉川君の新婚夫婦も初めての飛び入りの歌を珍しそうに聴いている。
今夜のステージも盛りだくさんに・・・・と思ったところに、また珍客来場である。何やら円筒形の楽器ケースを担いだ外人がまた入ってきた・・・グローバー・ワシントン ジュニアだ。もうストレイトホーンを出している。
BODY &SOULのピアノソロが終わったところで、グローバーが参加してきた。
場内はもうみんな大喜びだ。大野と吾郎で、テンポを倍テンに変えた。グローバーのフレーズがエキサイテイングになる、正に「BODY & SOUL」だ。
ゼンさんは考えていた、まるでNYCのジャズクラブみたいじゃないか。

グローバーは2コーラスのソロを終えるとテンポをスローに戻し、グローバーの歌に入った、エンディングだ。
この1コーラスの中で何度も転調する厄介な難曲を彼らはいとも簡単にこなしてしまう。腕比べにうってつけの曲だが、そんなことはお構いなし、むしろその転調を上手く味にしてしまうあたりは一流の証だ。歌ならビリー・ホリデイ、テナーならコールマン・ホーキンス、ピアノならセロニアス・モンクが上手い。「MONKS DREAM」が特にいい。Jazz_theronious_monk


次は何をやると・・・グローバーが吾郎に聞いている。
皆なミュージシャンは演りたいのだ。
ゼンさんが「BUT NOT FOR ME」と声を掛けた、グローバーがゼンさんをチョット見て、ニヤとして、アップテンポのカウントを出した。テーマを終えてブレイクそして、グローバーのノリノリのソロに入る、思わず拍手がおきた。
お店全体がスイングしだした。

(この光景は1983年夏、「ジャスクラブ BODY & SOUL」がまだ六本木の交差点近くにあった時の実話に基づいて創作しました)

<次回に続く>

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October 06, 2006

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その85回ーたかがジャズ・されどジャズの言われの巻ー

<前回より続くかどうか・・今回はこのBLOGのサブ・タイトルにもなっている「たかがジャズ・されどジャズ」のいわれになった部分を書きます。この連載を最初から読んだ方は既にご承知のこととは思いますが・・・>

ーー秋深し、となりは 何をする人ぞーー大きなお世話だけど、きっとジャズを聴く人ぞーー

「たかがJAZZ,されどJAZZ」
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――その1、 私の人生を変えた一枚 ――
「アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズのすべて」
Fontana-5024(日本ビクター盤)(オムニバス盤)
曲目:A-1:Moanin‘
   A-2:I Remember CLIFFORD
   A-3:Blues March
   B-1:Theme from “Des femmes desparaissent”
   B-2:Whisper Not , Just by myself, Fair Weather
   B-3:NO Problem
   B-4:NO Hay Problema
   B-5:Nigth in TUNISIA
Personel
   Lee Morgan(Tp)
   Benny Golson(Ts)
   Bobby Timmons(P)
   Jimmie Merrit (b)
   Art Blakey(Drs)
※ B-5:Ts)Wayne Shorter
※     As) Barne Wiran    P) Walter Davis Jr.

1960年、中学時代のある日、登校途上で交わした友人からの問かけ、「お前、モダン・ジャズって聴いたことあるか?」、この一言で、私の音楽人生が決まった。「ジャズは聴いたことあるけど、モダン・ジャズはないよ」、「カッコいいんだ、一度聴けよ、先ずアート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズのモーニンから」。彼はモーニンのテーマを歌って解説してくれた。
数日後、私は下校途中、蒲田の駅前のレコード屋へ立寄った。小さなレコード店でジャズのコーナーは少しであった。その殆んどは、ベニー・グッドマン、グレン・ミラー等の白人スウィング系のレコードばかりだった。そんな箱の中から一枚の異質のジャケットを見つけた。
縦に三分割されたジャケットには、左にサックスを吹く男の横顔、真中にトランペットを吹く男の正面の写真、右に明らかに黒い顔をし、大きく口を開けた黒人の写真、ジャケットの裏(ライナー・ノーツ)を読むと第一曲目に「モーニン」と書いてある。モノラル盤の値段は1500円だった。月に1000円の小遣いにはちょっと高額だったが思い切って買った。
30cmLPの入った袋を持って電車に乗るだけで、何か特別に高尚なものを持っている様な気分になった。
早速、家に着くとファイファイ装置の電源を入れ、LPをジャケットから取り出し、ターンテーブルに乗せた、ピックアップ・アームを下ろした。
自分自身で初めて買った30cmLPに針が下ろされた。
ピアノの第一音で始った「モーニン」のテーマは友人の口から聴いたメロディーとは全く違う、とても新鮮なクリアーな音だった。私が子供の時にピアノの先生から習った音でもなかった。
テーマは、2コーラス目から管が加わる、このアンサンブルは聴いたことが無いハーモニーだ、背筋がゾクッとして鳥肌がたつのを覚えた。
私は不明にして、ジャズがそのテーマの後どの様に展開するのか知らなかった。
引き続きでてくる、リー・モーガンのトランペットの第一音は、鋭い高音で脳天を一撃する単音であった。
トランペットに引き続き、ベニー・ゴルソンのテナーが、そしてその後にこの曲の作曲者ボビー・ティモンズのピアノと続く。
これが即興のアドリブと理解できるまでには少しの時間が必要であったが、これは譜面に書かれている音楽では無いことを感じ取ることは何となく感覚で分かった。
そして、この盤のA面とB面5は、パリのオランピア劇場での実況録音盤で、会場の熱気と興奮も凝縮されて、聴く者に伝わってくる。
2曲目の「アイ・リメンバー・クリフォード」はゴルソンが早逝した天才トランペッター クリフォード・ブラウンに捧げた曲でこれを吹かせたら、リー・モーガンの右に出る者はいない、美しくも哀愁の漂うメロディーをこれでもかとアドリブで展開するモーガンのフレーズは一度聴くと耳からはなれない。
また3曲目の「ブルース・マーチ」は威勢の良い聴きやすい、メッセンジャーズのヒットメロディーだ。
B面は一転して、フランス映画に使われた曲が4曲続く。
1960年代、ヌーベルバーグ(新しい波)と言われたフランスの映画監督はこぞって映画音楽にモダン・ジャズを取り入れた。
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ルイ・マルは「死刑台のエレベーター」でマイルス・デイビスをつかった。
マルは音楽の無いフィルムをマイルスに観せ、ストーリーと画面の状況から自由に音へと反映させた。
これが成功した。
ジャズ・ミュージシャンは、楽譜はもとより、情感や情況を音へ映し物語ることに長けている。
他の音楽家と顕著に異なるところではないだろうか。
ロジェ・バディム監督は「危険な関係」を全編ジャズで構成した。
華麗で退廃的で且つ哀愁のあるメロディーはこの映画のテーマにも合致した。
しかし、作曲のデューク・ジョーダンとの間で曲の使用権問題がおき、映画会社との間で裁判になった。この裁判中はこの曲を演奏することを憚った、裁判でジョーダンが勝訴し無事自由に演奏ができることになったので、題名が「NO PROBLEM」となった。
この経緯をもじったシャレの題名である。
最後の曲「チュニジアの夜」はブレイキーの十八番、これで最後の締めとなる。LPの曲順も見事に考えられている。
50年代から60年代のモダン・ジャズが世間に広く認められ、勢いに乗ってゆく第一歩の記録である。今尚新鮮な響きをもって私の耳と心を震えさせる。爾来、ブレイキーは私のアイドルとなった。

※ 心への響き
このレコードを聴いてから半年後の1961年1月2日、産経ホールでジャズ・メッセンジャーズのコンサートを聴き、レコード以上の衝撃を受けた。
13歳当時の拙い音楽知識では解決できないジャンルの音楽であったが、感覚的に虜になった。
音楽全体から受ける雰囲気は何か、不健康で退廃感があり、不良っぽい響きを感じた。
リー・モーガンが前に出てソロを取る姿勢と音は、私の中で当時流行していたロカビリアンの音や振り付けなど稚拙なものにしてしまった。
叉、ボビー・ティモンズのピアノを弾く姿勢などは、ピアノの先生が見たら卒倒しそうな姿勢と指使いで、これがまた僕の心の中で「ざまー見ろ、こんな格好でもこんなに弾けるのだぞ」という反抗期的感情が小気味良く生れていた。
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そして、何より、アドリブは僕の嫌いな音符に書かれているものでは無く、自分の感情の赴くままに「勝手に演奏」できるという事、それが目の前で見事なメロディーフレーズとなって耳に入って来る。
ジャズに名演奏あれど、ジャズに名曲なし・・と聞いていた。
そして二度と同じ演奏は不可能なこと、ここ一番の一発勝負、これがまた私が気に入るところとなった。何故か、優等生ばかりが良い演奏をできる訳ではない・・感性の鋭いものがより良い演奏の可能性がある音楽・・・と言い換えられるところである。
瞬間的な創造で生み出された音が、人々の耳から入り心を揺さぶり、感情を高ぶらせ、ある時は泣かせ、そして二度とその音は戻って来ない。
生れて死すまでが一瞬であり、常にそれが繰り返される、次に同じ曲を演奏してもそれは全く新しいものであり、音の誕生と死と再生の繰り返し、その音列にブルーノートという西洋音階には無い、とても泥臭い退廃的なある種の性的感性(エロティシズム)を刺激する音の存在が麻薬的な要素となって、自分の感性のどこかに住みついた事が分かったのは高校3年のころであった。
こんな理屈で表現する以前に、訳の分からない刺激で13歳の感性は侵されていた。
しかし、一聴、不健康と思われた音に、エネルギッシュなパワーが内在し、気持ちを高揚させ、力が漲ってくる感覚もあり、また、哀しい曲には、哀愁と美しさが相まって、何度も同じフレーズを聴きたくさせる力を持っていた。
これが、同じ曲を何度も繰り返し聴かせる原動力となって、100回否、200回だって聴きたくなる源でもあるのだった。
奏者、即ちインプロバイザーの気持ちと心を聴くことに他ならない。
「音楽を聴くのではなく、奏者が紡ぎ出す物語を聴く」のだと分かるまでにそんな時間はかからなかった。
爾来、この音楽の虜になること45年を越えてゆくのである。


<後日談>
1980年冬、僕は今はもう無いジャズクラブ「MISTY」(六本木俳優座裏)にいた。
その日の演奏が終わりかけたころ、東芝オーレックス・ジャズフェスティバルで来日していた、アート・ブレイキーと当時のジャズ・メッセンジャーズのピアニスト、ジョニー・オニールが店に入ってきた。12時の演奏が終わりかけていたが、その日のピアニスト
青木武弘君が彼に座を譲り、御大ブレイキーが目で指図をして、オニールが弾き始めた。
帰りかけたお客も、その日の出演者もこんな恵まれたジャムセッションはないと、こんな時は時間もギャラも忘れて、演奏が始る。
数曲進んでやおらブレイキー御大が「Time After Time」をやれという。
オニールが弾き始めた、ベースがつけて、ドラムも入って、テーマ32小節が過ぎようとしたところでブレイキーが、「No!」という、皆、演奏を止める。
ブレイキー曰く、「サビのコードが違う」というのだ。
オニールが、いくつかのコードを示すが、納得しない、ピアノの青木君までが、では、これではと・・・でも首を立てに振らない。
そんな会話が20分ほど続く、そしてブレイキーはふらっと姿を消してしまった。
残されたオニールは納得ゆかない顔をして、別な曲を弾き、もう深夜2時を廻っているのでお開きとなった。
ミュージシャン達が片付けを始めたところに、ブレイキーからオニールに電話だと店のマネジャーの加藤さんが伝えた。
どうもブレイキーは別の店にいて、そこで飲んでいるからオニールに来いと言っているらしかった。
オニールが誰か電話を変わってくれと・・・場所を説明しているらしかった。
傍にいた僕が変わりに出た、霞町の近くのピアノクラブらしい。
結局、僕の車で彼を送ることになった。
その店は直ぐにわかった。
オニールを店に送り届けて、帰ろうとすると、ブレイキーが「ありがとう、コートを脱いで一杯飲んでゆけ」という。
僕は憧れのブレイキーから声を掛けられて、嬉しくなり、酒は飲めないけど・・と断わって、席についた。
グランドピアノを取りまくだけの10席くらいの小さなクラブで、ブレイキーの奥さんもいた。(晩年は日本人の奥さんだった。)
70歳過ぎと思われる白髪のハウスピアニストは突然の大物客に戸惑い、アガリ気味で指がこんがらかっていた。
その初老のピアニストが、ブレイキーに何を弾きますかと聞くと、ブレイキーは何でも好きな曲をやれという。
やおら弾き始めたのがデキシーの「The World is Waiting For Sunrise」だった。
演奏はもうシッチャカメッチャカで、僕が弾いたほうがましと言う出来であったが、ブレイキーは僕の顔をみて、ウインクし、親指を立てた。
心の温かい人だなあと・・感じ入った。
僕はその日、ハンカチにサインをもらった、それには「世界中に子供を沢山つくれ」と書いてあり、「パパ・ブレイキー」とあった。
もう夜が明けた5時頃に彼等を新宿の宿舎になっているホテルに送り届けたが、三流のホテルで、呼び屋の待遇の悪さに驚いた。
この時、ブレイキーと僕はいかにしてジャズが好きになったかを語り、かなり打ち解けることができた。
名刺を渡すと、翌日会社に電話があり、また今晩会おうという。
勿論、飛んでいった、彼の好きな寿司をご馳走し、またジャズクラブへゆき、話しこんだ、彼は行く先々でヒローであるが、絶対にドラムは叩かなかった。でも一緒についてゆくミュージシャンには飛び入りでやらせた、そして厳しい評価をしていた。
爾来、「ブレイキーパパ」は、日本に来ると、僕に電話をかけてきた。
一緒に食事をしようぜと。
13歳で初めて彼を聴き、ジャズの虜になり、憧れの人物であった彼とこうして個人的に話せるとは、思いもよらなかったことである。
それから数年後、アート・ブレイキー他界のニュースを新聞で知った。
あのしゃがれた温かい声が今でも忘れられない。「hi! Take off your coat」

<2006年7月1日記>

(ついでの記)
ーーーー僕の憧れの人物の一人、ルキーノ・ヴィスコンティが亡くなって30年、来月で生誕100年とーーー
ミラノ市一帯を支配したヴィスコンティ家に生まれ、贅沢も優雅さも身につけ、豪華さすら日常にしてしまったビスコンティ、でも、彼の表現は光と影、陰と陽、その眩しいばかりの光とは別に、「影」、「陰」、「蔭」、「翳」を煌かせる映像とストーリーだったのでは・・・この陰の輝きこそ「色気」をかもし出す煌きではないかとも・・・。
先日もう何十回目でしょうか、「ベニスに死す」を観ました。
そして、MJQの「ベニスに死す」を聴きました。


〔ちょうど夕方5時頃のことです、ブラームスの交響曲第二番を聴き終えて、「もう充分だ」と言って息を引き取りました。〕これは未亡人の話である。
自分の最後もこうありたいと・・・でも「ベニスに死す」と同じようなラストシーンではないですか。
ダンディズムの一つの例として語れる話ですね。

因みに今、僕は車は「アルファ・ロメオ166」に乗っています。
精悍にして優雅、セクシーにしてパワフル、このアンヴィバレンツな面を同時に有するこの車はのエンブレムはミラノ市とヴィスコンティ家の紋章を組み合わせたものなのです。_20_2


<次回に続く>

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October 05, 2006

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その84回ー心筋梗塞の巻ー

<前回より続く・・・・かな、今回は閑話休題といきますか>

この「プロフィール」欄にある、ローランド・ハナの「ペルージア」を聴いていかがですか?
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1974年モントルージャズフェスでのハナのソロ・ピアノです。大きい会場でのフェスでピアノソロはちっとキツイものがありますが、ところがさすがハナ、まだ若さもあり、そして既にアノ 粒ぞろいの輝く音を披露しているのです。
陰と陽、序破急の調べで、特に「陰」の音に輝きをつける色気を感じる音と旋律です。
LPでしか聴けないので、是非CD化をして欲しいと願っているのです、LPでは聴くたびに磨り減るようで勿体ないと・・。LPやSPを針無しプレイヤーで聴くには、レーザー方式のプレイヤーが必要ですが、300万円します。
そこで、レコード会社に皆でお願いしましょう。
「ペルージア」を是非CD再発してくださいと!
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因みに、ローランド・ハナ狂いの私としましては、ベスト3として:「ペルージア」「グローブ」「ドリーム」で番外としてサラ・ボーンとやった「枯葉」ですか。皆さんのベストは如何なりや?

>>10月が来ると思い出します、1999年10月初めに心筋梗塞に襲われたことです。
原因は「キース・ジャレット」です・・・これはこじつけ理由です。
当時、キースは慢性疲労症とか言う変な病気で休んでいましたが回復し「MELODY AT NIGTH WIHT LOVE 」をリリース、このタイミングで東京公演をしました。
縁あって、このコンサートを聴きに行きました。
大会場なのに満員で、10月初めの木曜日とは言え、場内の空気は蒸し暑い状態でした。
そこにアノ変な緊張感を一杯に張り詰めて、キースが黒装束で登場しました、トリオでは何度も聴いていましたが、ソロでは始めてでした。
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内容は新譜のCDの内容に添った演奏でした、特別な出来栄えではないのですが、異様な静謐さがありました。
まるでクラシックのコンサートのような雰囲気で、聴衆に精神的リラックスを与えない音なのです。
ブルースもありましたが、主としてスタンダードを主にしたコンサートでした。いつものフリー、無調の立ち上がってのインプロビゼーションではありませんでした。
普通は雄弁に語るキースがこの時は抑制された音数の少ない表現をしていたのでそう感じたのかもしれません。
この異様な緊張感と会場の空気の悪さを感じつつ、コンサート後に食事をし、食べすぎました。(何時もことですが)
その後で何か胃袋が押さえられるような感じと息苦しさを感じました。また食べすぎか、キースのせいだと思いました。
でも汗がでてきます、暑くもないのにおかしいなと・・・でも暫くして嘘のようにその息苦しさがスーット消えてしまったのです。
でも疲れているからと思い、早めに帰宅し寝てしまいました。翌日金曜は何も無かったかのように快適でした。
そしてその翌日の土曜、会社は休みでしたが、溜まった仕事を片付けようと、遅く起き、シャワーを浴びて、用意をしようとしたらまた同じ息苦しさを感じました。慌ててシャワーから出て、バスタオルで拭きましたがタオル二枚を使っても一向に水分がとれません、みたら汗なのです。

息苦しさと胃袋を抑えられる感じが強くなります、痛みはありません。抑えられる感覚と冷や汗です。
知り合いの総合病院へ連絡をしました、院長がOK直ぐにきなさいと。
車で30分はかかります、私は救急車を呼んでくれと頼みました。直ぐに救急車はきました、そして15分で病院へ到着、ストレッチャーで診察室へ、心電図をとって「はい、これは心筋梗塞です、イッチョウアガリ」と。
その5分後には心臓カテーテル室へ、そして直ぐにカテーテルを入れて、もう気分は爽快です。この手術、痛みはと心配したのですが、一切痛くない、血管の中にパイプが入っているのに。麻酔も無しです、血管を切るところだけ、少量の麻酔だけです。
モニター5台に囲まれて先生が実況中継をしてくれます、いま、どこどこを通過とか、ここが詰まっているとか、此方も怪しいからバルーンをとか言ってくれますが、見る余裕は無し、この様なときには特技を発揮です、寝てしまうのです、起きたら生きて生還か、それともあの世でお目覚めか・・・そのほうが気楽です。

そして60分後には無事生還。でもそれからの24時間が辛いこと、何せ上を向いたまま、動くなと、カテーテルを入れた足の上に砂袋をおいて、血管が繋がるまで絶対安静です。
腰は痛いし、動けないというのは辛いです。腕から入れる方法もあるのですが緊急はこの方法だと。
腕なら、動けるのです、添え具だけで済むのです。
動けずに思いました、キースのせいでこうなったと・・・キースが聞いたら怒るでしょうね「なんでオレのせいなんだ!」と。

本当の理由はまあ、1997年から99年にかけて、毎月世界を二周するビジネスをしておりその疲労とストレスが本当の原因ではと・・。
でも先生に誉められました、「よくぞ救急車できた」と、最初の60分が大事だそうです。おかげでダメージ無しで回復ができました。とは言え、血管の中に金属のパイプは一本入っていますが、そしてラッキーだったのは加えて担当医が関東でも名うての循環器の先生だったことでした。

ご同輩方、息苦しくなって、冷や汗をかいたら直ぐに救急車ですよ!誤診でもいいじゃないですか。手遅れよりも。
この体験談は、やった人しか分からない、症状なんてそうやるものではないから、この機会に是非お伝えしようという次第です。
「AUTUM IN HOSPITAL」なんて曲は無かったか!
今回のこのBLOGは為になる話でした。(自分で言っていれば世話ないか)

<次回は本筋に戻そう!>

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October 04, 2006

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その83回ー満員御礼の巻ー

<前回より続く>
お店は常連さんで超満員、入り口の階段に腰掛けている者までいるしまつ、でもそんな雰囲気がジャズクラブの良いところだ。
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<エルスケン ジャズ写真集より>
後半のステージが始まる前にDUKEさんからリクエストがあった、ドラムの大野がピアノの河田、ベースの山田と打ち合せをしている。
三人が位置についた、自然に話し声が低くなる。
大野のミディアム・スローのカウントで一斉に出た、「KILLER JOE」だ、おなじみの簡単なリフの繰り返しで雰囲気を出さなければならない曲だ。25さんが僕もVIBを持参して参加したかった等とKAMIさんに話している。
きっと頭の中だけ、ミルト・ジャクソンなのだろう。
ベニー・ゴルソンの名曲はやはりジャズテットの演奏がゼンさんの頭に蘇ってきた。「ミート・ザ・ジャズテット」だ。でもマンハッタントランスファーの「ヴォーカリーズ」も洒落ていていいな等と・・。
そこに、25さんから、クインシーの「ウヲーキン イン スペース」のフレディ・ハバートと演ったのがいいなと言う声が聞こえた。
「でもこの曲にのって、安部譲二さんが登場したら迫力あるよな」とDUKEさんが言っている。
このブルジーなミディアムスロー、ソロに入っても雰囲気を壊さずに緊張感を保つのは大変である。
ピアノの河田はとっさに考えた、ベースにやらせようと、自分のソロを3コーラス終えるとべースに渡した、そして河田はテーマのリフを繰り返してバックリフをつけた、ベースの山田はその意を即座に理解して弓を取りだし、アルコに変えた、これでベースソロがホーンライクなフレーズになり、ピアノのバックリフと相まって、ミディアムスローな上で自由に暴れられる。ダルにならずにすむ。
ピアノとドラムがテーマリフを繰り返す、そのスイング感に乗ってアルコ弾きのベースが歌う、良い感じだ。
思わず「イェー」という呟きがもれた。ゼンさが声の方向をみた、Bassclefさんだ。
さすがベースの大家、意気通じるところがあるのだろう。
アルコから太い音の4ビートに切り替えて、最後のテーマに入った、思わず大きな拍手が起こった。
店全体がミディアムスローでスイングしている。
続いて、遊びに来ていた、アルトの太田君が参加した。イントロを無伴奏でアルトが始めた、これから何が始まるか、誰にも分からない・・・・皆の耳が集中している・・・・どうもブルースだ・・・そして聞き慣れたテーマにアップで入った・・・「NOW ’s THE TIME」(チャリー・パーカー)だ・・・あまりに有名な曲が始まった。4小節をアルトだけがが吹いて、その後にリズムが加わった。
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<チャリー パーカー写真集より>
搾り出す様な音が途切れずにフレーズを創り続ける、キーはFだ、「Fのブルース」だ。
これで店じゅうが盛り上がったところで、男性ヴォーカルの西郷が立ち上がって参加した、暫しアルトの太田君をいれて打合せを・・・「では、この店でもヴォーカルを入れるので来週からはそのオーディションをするなんて張紙があるけど、是非応募してね、僕も審査員で参加する、期待の新人を探したいのでね、僕は期待の旧人でもう200万年も歌を歌っている・・・(いつもの冗談だ)では今日は盛り上がったところで、皆さん、お馴染みのこの曲を」
最初はテンポなしで、ピアノと西郷のスキャットで「アランフェス」が始まった、声とピアノの絡み合いで進む、そしてやおら、西郷の右手が腰を叩いてテンポを出した「ワン・ツー・スリー・フォー」、声もアルトもピアノも一斉に出た「スペイン」だ、会場は手拍子になった。
テーマはボビー・マックファーリンばりのスキャットでそれにアルトがハモをつける。
ピアノも河田はアコーステイックのピアノなのに、まるでフェンダーローズKbの様なタッチで弾いている。
もう12時を廻っている、だれ一人として帰る人がいない。

もう今日は終わりかと思ったところで、西郷が河田に耳打ちして急に音を落としてバラードが始まった。
「じゃあ、ゼンさんの好きな曲を・・・ミスター・ボウジャングル」
ゼンさんは深夜の店が閉まったジャズクラブでよく、ピアニストに頼んでこの曲を弾いてもらった、心の琴線に微妙に響く何とも言えないこの旋律・・・・思わず一人の世界に閉じこもりたくなるメロディーだ。
歌からピアノソロに入ると河田は知っているのだろう、左手をビハインド気味にしてリズムを刻みまるでエロール・ガーナーの様なタッチで弾いている。
「たまらないね、このタッチ」とゼンさんが呟いた。
静かに「KIND OF BLUE」のステージは終わった・・・・・・が、終了しても未だ帰らない一団がいる。

ゼンさんはジャズクラブに閉店時間は無いと思っている、まだ皆飲みながら、何やら盛り上がっている。
ゼンさんもペリエに大きなライムを入れたグラスを持ってその輪に加わった。
デザイナーのコシタ・テツコさんの連れてきた、女講釈師の神田川黄昏さんに皆でジャズとは何かを説明している最中だった。特にDUKEさんと25さんが膝を乗り出し「ジャズは先ず、沢山聴く事から始めなければ」と、DUKEさんが「僕に何でも聞いて親切、丁寧に手取り足取り教えてあげる」とか言っている。25さんが「コイツの言うことを聞いたらダメだよ、北海道なんて言う人跡未踏の地に連れて行かれてしまうから、僕のところに来なさい、そうすれば先ずは整形手術から始めるから」なんて・・・・一体何時になったら終わることやら・・・そこで止めておけばいいのに、ゼンさんが「僕がジャズ講談を創ってあげる」なんて言い出したからもうグチャグチャ状態。
講談調で、「時は1954年は雪のクリスマス・イブ、とあるニューヨークの片隅のスタジオにはミュージシャン達が集まり始めていた。かと言ってこれから討ち入りという訳ではでは無い、パパンパンパン(扇子を叩く音)」
「イイゾ!もっとやれ!」(会場からの声)
「すません!この辺りに僕の帽子、ありませんでしたか、忘れてしまったもんで」NARUさんだ。
<次回に続くことにさせてください、もう書き疲れました、休憩です>
〔欄外情報〕
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最近聴いたアルバム:久しぶりに、ケニー・バロン「ライブ アット ブラッドレイ」これが最高、バロンの肩の力が抜けたリラックスしたスイング感と今はもうないお店「ブラッドレイ」の雰囲気が最高。この店一度行ったことがあります。グリニッチ・ヴィレッジでNY大学の傍と記憶しています、普段はピアノとべースのDUOで、狭い店でした。

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最近読んだ面白い本;林真理子「本朝 金瓶梅」これが愉快、思わず吹きだすシモネタを品良く纏めて久々の彼女のヒット。デビュー当初はあまり読まなかったが、彼女が「柴田錬三郎賞」を「白蓮 れん れん」で受賞してから読むようになった。なにせ、シバレン賞は僕の目からは直木賞、芥川賞より重きを置いているもので・・。(大偏見、私見より)

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September 29, 2006

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その82回ーチョット、「イエッ」の巻ー

<前回より続く>
9月下旬のある木曜日の夜、「KIND OF BLUE]の前半の部の終わりにかかっていた。
男性ヴォーカルの西郷輝夫の歌が始まり、3曲目になった。曲は「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」この歌は本来女性歌手が歌う歌詞内容だが、チェット・ベイカー等、男も歌う、でもきっと男が歌うのを英語ネイティブ人間が聴いたら、オカマ歌のように聞こえるのでは・・・とかねがねゼンさんは思っていた。
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でも西郷の歌はシンミリとはさせずに、少しバウンドさせるテンポとノリで軽快さをつけたヴァレンタインだ。
そして聴かせどこ、♪ARE YOU SMART~♪になり、末尾の「SMART」を思い切り延ばした、その延びている2小節の音のバックで河田のピアノがブルーノートを使ってスケールを猛スピードでディミニッシュ分解した。
ゼンさんが思わず「イェーッ」と・・・大きな声ではない、普通に話す声の大きさで言った。瞬間、聴く者と演奏する者が繋がった。会話の成立である。
前半のステージが終わったとこで、ゼンさんが隅のテーブルに行き、バンドのメンバーや歌の西郷を今日のBLOGERゲストに紹介した。
そこで「イェー」談義になった。25-25さんは言いそうで言わないと自ら言う、DUKEさんが本当は言うのじゃないかと・・・でもとKAMIさんが25さんは理論派だから言わないかも・・・・と、でも理論派は何故言わないの?とゼンさんが食い下がる。KAMIさんが「理論派はなんとなく、クールに醒めて聴いているような気がするので」と。
25さんが「そういう訳ではなくて、ただ単に、言わないと・・」
もう皆勝ってな言い分を言い出している。
そこへ脳天気の代表、船橋君がグラス片手に近づいて来て、「僕、船橋といいます、通称フナです、宜しく、皆さんのサイト、ご機嫌ですね、読んでいます」と止めればいいのに話かけてきた。
そこへまたまた、今日は初登場の神田川黄昏さんがテツコさんと参加してきた。
タソガレさんが、「私もイェーって言ってみたい」と・・。
DUKEさんが、「女性のイェーってあまり、色気がないなあ、飲みすぎてオェーじゃないの」とすかさず、得意のシャレに持ち込んだ。
フナさんが「さっきゼンさんがイェーて言ったでしょう、あれはどういうタイミングだったの?」とゼンさんに話を向けた。視線がゼンさんに集中した。
「まあ、自然発生なんだと思うよ、イエーにもいろいろあると思うよ」と、『イェー』講釈が始まった。
「イェース(YES)と言う意味の場合もあるし、ヤッタ!という意味もあるし、自分が思っていた通りのフレーズ展開が当って、イェーもあるし、皆の想像を裏切って、思わず、『そういう手があったか!』でイェーもあるね。でもいずれにしろ、構えて掛ける掛け声ではないね。その点は歌舞伎の掛け声とはチト異なるな。僕は以前、ピアノの赤木君とクラシックのコンサートへ誘われて行った。アンドリュー・ワッツのピアノだ、彼は黒人クラシック・ピアニストでリストやベートーベンをよくやる。その日の出し物はベートーベンの「熱情」だ、彼は通常以上の凄い速さで弾き始めた、彼は黒人独特の「間」を持っている。クラシックでも、休止符に微妙な間を与えて次の音に入る、その微妙なタイミングが気持ちいい、一瞬、演奏者と一緒に息を止める、次の音が少し遅れ気味に入る、思わず『イェー』のタイミングだ、気にしなくても自然に小さな声で『イェー』と、その時前列の三人がいっせいに振り返り、「シーッ」だって、だからクラシックのコンサートはと思っていたら、後日、同じコンサートを聴いていた大先生が「あれはクラシックと言うよりジャズに近い演奏だったと話しているのを聞いて、自分で納得した次第だ。
まあ、掛け声ではないがジャズは聴衆も参加するという事を良くいうね、例えば、曲が始まる、テーマが終わって、ソロに入る、最初は控えめ静か目に入る、そこで声がかかる「CAME ON,OK STEADY」とかね、この時点で奏者と聴く者の息があっている。
次に、徐々に盛り上げる場となる、でも一気にではなくやはり抑えて、行きそうで、行かない、じらし戦法でフレーズをつくる、時々ペット等が「パッ」とか一音だけ強く吹く、すると「YES!」などと声がかかる。
皆が納得した顔で聞いている。
「でも違う楽しみ方もあるよ」と、後ろから静かな声がした。皆が振り返ってみた、「ああ、藤井さん、お出でだったのですか」とゼンさんが挨拶した。
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「こちらにおられる方は日本のアルフレッド・ライオンことTBMレコード社の社長藤井武さんだ。」と紹介した。
ゼンさんが続けた「藤井さんや藤井さんの会社の方たちとライブへ行くと、凄いよ、奏者のチョットしたフレーズにすかざず皆で「オーイエェー」と声が飛ぶ、フレーズが詰まると「HEY COME ON!」だ、奏者もおちおちしていられない、必死の演奏になる。そして4バース・チェインジになると、4小節の切れ目で一斉に次の奏者に向けて指を指す・・・そうだな、ピアノが4小節終わる瞬間にパッとドラムを指差す、ドラムが4小節終わるとサッっとピアノを指差す、バースチェインジのタイミングを狂わす事無く4,5人が一斉に指を揃って指す・・・こうなるとライブハウス全体がノリノリ状態になるね。もっともレコーディングスタジオでも藤井さんはこの仕草をするね。」
「そうだったね、懐かしいね」と藤井さんが傍に腰を掛けた。
「そうだ、違う意味で、”モーニン ウイズ ヘイゼル”って知っている?」と藤井さんが言った。
「なんですか、それは・・・」とタソガレさんが聞いた。
「ジャズメッセンジャーズの「モーニン」はヒット曲だから知っての通りだ、JMがパリで演奏をした、その時、前列で聴いていた、スコット・ヘイゼル夫人が、モーニンが始まった途端に思わず「キャー」を声を上げた、そして実況録音にもその声が入った。そこでレコードを発売するさいに、「モーニン ウイズ ヘイゼル」としたわけだ。」と藤井さんが解説した。
皆、納得したようであったが、理論派の25さんが「やはり難しいな、かなりの年季と場数を踏まないと・・変なところで入れたら興ざめだものね」と神妙な顔をしていった途端、DUKEさんが「イェー」と・・爆笑の坩堝となった。
「では次のステージを始めよう」河田が声をかけた。
後ろで山ちゃんが、「イラッシャイマセ」と言う声がした、ゼンさんが階段を下りてくる二人を見た、青山で名を馳せた「ロブロイ」のママ、遠藤櫻子さんだ、30年ぶりか、後ろに大きな、肩幅の広い男の影が見えた、誰だろう?ゼンさんは目を凝らした。
<次回に続く>
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そういえば、先だって、お台場のZEPPUで東芝が主催した、「JAZZ STYLE」というライブがあった。
出演は大隈寿男トリオ、宇崎竜童、寺井尚子グループで、大隈トリオにSAXに小林香織とTPの市原ひかりが加わった。
少々縁があって招待され聴いてきた。全体としては会場が大きいわりには絞まった良い演奏内容で堪能させてもらった。実はここで「イェー」といえる音を聴いた、市原ひかりのTPである、女性ペットというと何か軟弱な気がして、寄席でいう色物扱いと思っていたら大違い、なんであんな若い子があのような色気や渋みのある音を出せるのと・・・思わず「イェー」であった。もう少し聴いてみたい。

それではみなさん、良い週末を! HAVE A NICE WEEK END!

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September 27, 2006

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その81回ーヤパッリ ジャズヴォーカルの巻ー

<前回より続く>(ああ、一旦書いた原稿が全部消えてからの書き直ってつらいね)

ドラムの大野とヴォーカルのベテラン西郷がゼンさんを挟んで居間のソーファーに座っていた。
ゼンさんはCDをアート・ファーマーの「モダン・アート」にかけかえた。
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「どうしようか、店のヴォーカルを」とゼンさんが切り出した。
「毎日大物ヴォーカルの出演というのも豪華でいいか」と西郷が無責任な話をした。
「でもその辺で毎日やっているような、前半ピアノトリオ、後半ヴォーカルの仕組みではつまらないな」と大野が言った。
西郷は勝手にヴァーボン、ジャック・ダニエルをオンザロックでやっている。大野とゼンさんは酒が飲めない、色鮮やかなクランベリージュースを初秋の夕日にかざしている。
夕陽がクランベリーの赤に写りこみ、綺麗なハレーションを起している、アート・ファーマーのペットの音も一緒に反射している。
ゼンさんがやおら言った「こうしよう、僕はヴォーカルを一から探して育てたいんだ、だから、オーディションをやろう」と。
「年齢不問、男女不問、国籍不問、プロでもアマでもいい、この店で歌いたい人を募集してオーディションし、数名選ぼう」と一気に話した。
「それって面白そうだな」「やろうよ」と二人が納得した。
審査員がいるけど、ここの三人のほかに、耳の肥えたジャズファンを加えようとゼンさんが言った。
「今夜来るんだ、丁度いいや頼もう」とゼンさんが加えた。

店を開ける時間になった、三人は中庭を横切って、店へ移動した。中庭にはゼンさんの愛車アルファがやはり夕陽に染まっていた。_20_1

「KIND OF BLUE」は既にスタッフは準備を終えていた。
厨房からは良い匂いがしている、「何の匂い?」と大野がシェフの長さんに聞いた。「ラザニアの匂い、これってイタリアはトスカーナ風の作りで結構いけると思うよ」と普段自慢しない長さんが言った。

ゼンさんはクロークの脇にチラシを置いた。
「ヴォーカルオーディションのお知らせ」だ。
そこへ常連で能天気な船橋君一派がやってきた。「やあ、やあ、やあ」と・・。
「なんっだこれ、オーディションだって俺もでようかな・・」「貴方は書類審査で終わり」とヨーコが言った。
「私が受付だから書類は全部みるからね」とも言った。

バンドの三人も音あわせを始めた。
船橋君が声を潜めて「あれ誰?」とヨーコに聞いた。
客席の隅でゼンさんと見知らぬ人と話をしている、「わたしなんぞには・・・いやあ困ったな・・・」とか途切れ途切れに聴こえる。
ヨーコが「あれがジャズブログで有名はDUKEさんこと公爵さんよ」と言ったとたん、船橋君が「エッ1!あれがDUKE!」と大声をあげた。
ゼンさんが「おい船橋君、図が高いぞ、こちらにおられるのは、最北にして最強のジャズブログの作者、公爵様なるぞ!わざわざ東京は六本木くんだりまでお出ましになられた、失礼の無いように」と言い放った。
「ああ、あのですか、エラは偉いとか、サラはサラっと唄うとか、カーメンは仮面をマクレイだとか、かの秀逸なギャグで有名をはせた、公爵さまですか、失礼をしました!」と船橋君がひざまずいた。
そこへ、「25-25さん」「KAMI」さんが到着した。
「こんや楽しくなりそうですね」とゼンさんが振り向いたとき、常連の若手デザイナー、コシタ・テツコさんが見知らぬ女性を連れて入ってきた。
「いらっしゃいませ」と山ちゃんが席に案内している。
ゼンさんが近づくとテツコさんが、紹介した、「こちらは女講釈師の神田川黄昏さん、最近突然ジャズに興味をもったので是非生の音が聴きたいというのでお連れした次第、宜しく」と挨拶した。
タソガレさんが「まだなにも分からないので宜しく」と。

ドラムの大野が「ドシャーン、チキチン、チキチン」と凄いアップテンポのレガートを打ち始めた。
ベースの山田が、4ビートではないリフを繰り返した。
やおら河田吾郎が弾き出したのは「セプテンバー イン ザ レイン」だ。
シッカリしたリズムの上にシングルトーンでおなじみのメロディを乗せてゆく、ピアニッシモの音でもクリアーにスリリングに展開してゆく。
左手はたまにフィルインするくらいですすんでゆく、気持ちの良いテーマ展開だ。
皆がその音に集中している。
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3コーラスのソロを進めると徐々にブロックコーダを使い、パーカッシブなフレーズへと変化させてゆく。最近の河田の進歩がうかがえる。このようなアドリブはかつて、本田竹広のお得意だった。
ゼンさんの脳裏に一瞬、竹さんの思いでが浮かんだ。「おれは日本人だからな、日本人のフレーズでゆくぞ・・・」などと良く言っていた。晩年の本田竹広の音も浮かんできた。いまは河田がこうして本田を乗り越えようとしている。ゼンさんが心の中でつぶやいた「竹さん、またジロキチでアラスカオをやりたいね」

演奏がすすんでゆく、今日は大野がトップシンバルにパイステを使っている。パイステは中心に盛り上がりの無いノッペラとしたフラットなシンバルで、スティックの音がクリアーに響く仕掛けになっている。これが小気味よいレガートとなって、スピード感が増す。
それにしても、このアップテンポであるに係わらず、河田のピアノは音数を落としてもスピード感をおとさず、少ない音で見事に表現している。
片隅に陣取ったうるさ方も集中している。ドラムとの4バースでフォルテッシモに盛り上がり、そして一気にピアニッシモのシングルトーンで最後のテーマに入った。思わず「イエィー」と声が出た。やはり声の主は「25-25さん」だ、心得ている。

神田川黄昏さんの目も耳も釘付けになっているのが分かる。
次の曲が始まった、「I ONLY HAVE EYES FOR YOU」がスローで入った。一度目はシンプルに弾き、二度目はフェイクしてテーマを弾いた、そして最後の音から、テンポが倍になりミディアムなスイング感をだした、そして、やおら始まったメロディが「ANOTHER YOU」だ。
隅のほうで公爵さんが「やはりやったか」と言ったのが皆に聴こえた。
ゼンさんはニヤッとほくそ笑んだ、そして歌詞を口ずさんだ、「・・ANOTHER SPRING ANOTHER FALL・・・」・・・FALL・・「秋か、枯葉はやはりボビー・ティモンズのイントロがいいな」と変な連想をした。
KAMIさんが、「BLOGがリアルになる瞬間を聴きましたね」と言っている。

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ゼンさんは内心、今日は休憩時間が大変そうだと思っていた。
公爵やら講釈師やら、何が飛び出すやら・・・・
<次回に続く>

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September 25, 2006

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その80回ージャズとダンディズムの巻ー

<前回より続く>
〔昨日聴いたジャズ〕
「モンクス・ミュージック」「ペッキンタイム」「テンダーフィーリング」「スリーブラインドマイス」
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「モンクス・ミュージック」久しぶりに聴いた、「WELL YOU NEED’NT」でのモンクの間違いは有名な話であるが、きっと今なら録音を中断して取り直しとなっているに違いない。しかし、録音は続行、内容は最高、ダウンビート誌は5星である。ジャズは生き物、これでよいのだ。コルトレーンが良いのは分かっていたが、コールマン・ホーキンスの見事さに再認識させられた。「テンダーフィーリング」はDUKEさんの「GOLDEN STRICKER」の垢抜けた表現と言われて思わず聴いてしまった。それにしてもデューク・ピアソンのピアニッシモのシングルトーンはいいですね。「ON GREEN DOLOPHIN STREET」もいいし・・・言うことなし。
「ペッキンタイム」は、モブレイとリーモーガン、そしてケリーの三人を纏めて聴きたかったのです。(笑)
そして締めは「TBM」です。もうこれは何回聴いたでしょうか、全てのアドリブを丸暗記して歌えます。

ゼンさんはあまりに気持ちの良い秋晴れで思わず散歩に出た。
頭の中では、先ほどまで聴いていた、スリー・ブラインド・マイスの音が鳴っている。
今コメント欄で<文字で書くイントロクイズが出て、盛り上がっている、言い出しは常連客の25-25さんでこれに乗ったしんじさんも今回出題している。(78回のコメント欄に出ています)
今週の「KIND OF BLUE」にはきっと二人とも来るに違いない。
1963年新年、アート・ブレイキーとジャズメッセンジャーズは3管編成でやってきた。今でもハッキリと覚えている。
イントロの重要性については述べたが、この曲のイントロはとてもスリリングだ。
ジミー・メリットのベースで入り、ヲルトンのピアノ、そしてブレイキーのレガートと加わる。
お膳立てはできた、さて何が始まるか・・・このLPに針を落とした最初はとても興奮した。
サンケイホールでもカッコ良かった、このイントロをバックにして、フロントの三人がやおら、管を構えて前面に歩きだし、マイクの前で構える、そのカッコのよさ。全員が当時流行の最先端のIVYルックでスポットライトがあたり三人がテーマを奏で出すと、音と情景が相まってグルービーでファンキーな空気で包まれた。
左からウエイン・ショーター、カーチス・フラー、フレディ・ハーバートが並んでいる、壮観であり、姿そのものが音でもあった。
そして納得した、マイスルがモードに入っていたのには、やはり理由があった。音を映像化してイントロを描くには、スタンダードでコードを意識してヴァースやイントロを演奏するより、モード手法で情景、背景を創り、その上で絵筆という楽器で表現する、これがエキサイティングでありスリリングな表現であることの何物でもないことを最初に気づいた、それがマイルスであったのではないかと。
その時高校2年生、良いものはカッコも良いと思った。

その翌年、東京世界ジャズフェスティバルが開催された。
そこで初めて生のマイルスを聴き、観た。音もさることながら、マイスルのスーツ姿は抜群に良かった。また音の良いものは姿も良いの例になった。
ゼンさんは散歩をしながら、当時のことを思い出していた。

”そうだ、銀座に「ジャズギャラリー8」ができて、学校の帰りによく寄った、高校生なので三時頃ゆく、店は開いていて、昼間はコーヒーで生の音が聴けた。武田和命、渋谷毅、吉澤元治、富樫雅彦等が汚いカッコで(失礼)演奏していた。ジャズをやる人は皆な貧しいんだ、商業主義に流れずに、安いギャラで自分でやりたい音を出すということは大変な事だなと、勝手に決めていた。だからジャズをやる人間はお洒落ができない等と・・・”

でも外国からくるアーティストはちがう、皆お洒落だ。
そんな高校時代から大学に入ると状況は変わった。
ジャズの好きな女の子も結構いて、バンドをつくると周囲には何時も女性がいる。みすぼらしい格好はできないし、そんな時、日野テルマサ氏が颯爽と登場してきた。
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音と格好が相まってサマになっている。やはりステージでは格好も大事だと。
でもジャズメンの格好って・・みんな同じようで何処か少し違う、主張があるのだ。
自分のスタイルというものを持っている。それは演奏スタイルでもあり、コスチュームでもあるのだ。
そうポリシーが音にも着る物にも、生き方にも表現されている、そして他と同じこと、安易な迎合を嫌う。
自分は小学生時代から周囲に「変人」と言われてきたけど、その時になって、「これでよいのだ・・周囲に迷惑をかけているわけでなし」と自信がついた。
その頃はダンディズムとはそのくらいの事と思っていた。

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27歳の夏、柴田錬三郎氏と知り合う機会を得た。サラリーマンをしていた僕をよく呼び出し、散歩の付き合い、トランプ博打の付き合いをさせられた。
安月給を巻き上げると、キャンティでご馳走してくれた。シバレンさんからは「ダンディズム」とは何かを示された。
教えてくれた訳ではない。シバレンさんは世界のダンディズムの代表は、ブルンメル、ボードレール、リラダンの三人とよく言っておられた。
ゴルフのお伴もした、当時軽井沢クラブの理事長は白洲次郎氏であった。シバレンさんは此処へ行くときは時間を守った。「白洲のじい様がうるさいからな」と。僕は運転手代わりのお伴で行ったが、駐車場で車を枠内からはみ出して駐車した為に白洲さんからお目玉を食った。
白洲さんといえば今、ちょっとしたブームになっているが、当時、時の首相田中角栄のクラブへの入会を断った人である。
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白洲さんは次のこのクラブの理事長はシバレンが適役だなと良く言っておられた。
でも、シバレンさんの方が先に逝ってしまった。
今になって思うに、日本を代表するダンディズムの二人に生で接触していたことになる。
僕は、ダンディズムを生のシバレンさんと同時にむしろシバレンさんの著書から影響を受け、学んだ。
「ダンディズムはある種、心意気であり、精神的プリンシパルであり、そのような内面的要素が謙虚に表面化された自己主張表現であると」

ジャズは人と同じである事を嫌う、これはナット・ヘントフの「ジャズ・カントリー」を読めば明解である。
オリジナリティーを尊重する。
鼻のつくような、これ見よがしな、派手な表現はヤボといい、田舎者でキザ者となる。
やはり、抑えて、抑制された表現がイキでダンディーなのだろうと思う。

昨今の社会的な事件、事象を見るに、今の時代にもう一度問われて良いのではないかと・・・・・ダンディズムとは何か?
ダンディズムを身につける影には、みっともない、恥ずかしい、苦渋と苦悩、若気の至りなどが多々あるはずである。
吉行淳之介氏が著書で曰く、ダンディズムはやり過ぎてはいけない、目だってはいけないと・・。
シバレンさん曰く、「サラリーマンが博打で負けたくらいでクヨクヨするな、ブルンメルはナポレオンが再起できるか否かを賭けた、全財産を賭けた、彼はセントヘレナでナポレオンが死んだと聞くや、全てを棄て軽いあくびをしてサロンを去った、そしてパリへ行ってしまった」、シバレンさんはこの話が好きだった。
いや、まだまだダンディズムを悟るには時間がかかるなと・・・・思いつつ、散歩が終わった。
『ダンディズムとは・・・』
散歩の途中で、あまりに空気が綺麗なので写真を撮った。
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<最寄の駅>
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<道路標識には環八では無く311号線とあった、知らなかった>

夜、「雨の朝パリに死す」をVTRで観た。スコット・フィッツジェラルド原作、エリザベス・テーラー主演、フィッツジェラルドの物語のテーマは大体同じだなと、「グレート・ギャッツビー」を思い出した。
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そして、ソニー・ロリンズのアルバム、サウンド オブ ソニーの「LAST TIME I SAW PARIS」を聴いた。
ロリンズのテナーは物語を語っている。
<次回に続く>

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September 21, 2006

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その79回ーまたまたジャズ・ヴォーカルの巻ー

<前回より続く>
[とうとう、2004年9月からBLOGを始めて2年が経ちました、最近の約9ヶ月の統計では、5000アクセスを越えました。一日平均40アクセスとあります。日本国内はもとより海外からのアクセスも見受けられます。校正、推敲無しの書きなぐりの駄文にお付き合い頂きありがとうございます。当初は観客を期待することはありませんでした、書き、発信すれば自己満足ということで、事は足りると・・・・。でも、ご来場の方々からコメントを頂くとつい調子にのる性分で・・・何しろおだてともらい物に弱いもので、2年間が経過、79回となりました。こうなると、年内には100回をなどと欲がでてくるのです。時々、何を書いたらよいか分からなくなることもありますが、あること無いことを無責任に書いています。批判、中傷誹謗、野次怒号、罵声、激励、賛同、絶賛、拍手喝采、スタンディング・オヴェイション、何でもありで今後も宜しくお願いします。この年末に100回を書き、ついでに「ジャズのめり込み歴」満45周年記念大パーティーでもヴァーチャル開催をしたいと思います。・・・・またまた大風呂敷ですね!(爆笑)]

晩夏というより、秋風が立ち始めた初秋の気持ちの良い午後、ゼンさんは、母屋のリビングでヴォーカルをどうしようと思いつつ転寝をしていた。

ゼンさんはジャズにのめり込んだ高校生時代、ヴォーカルには強い興味はなかった。黒人至上主義のハードな且つファンキーな世界を求めていた。でも4人で組んだバンドの安藤君はベースだったが、時々女性ヴォーカルのLPを買い得意がっていた。得にクリス・コナーが好きで、分からないではないが、どうせならエラやサラの方がと思ったものだ。安藤君曰く、「クリス・コナーを聴きながら晩酌っていいぜ」と・・・高校2年生の会話である。因みに彼は成績優秀な優等生であった。
一方で彼は、ミンガスも好きで、バンドの練習の合間に「直立猿人」の冒頭の部分、そう丁度猿人が立ち上がる表現の所をベースで真似して我々を笑わせていた。
バンドのメンバーからは、当時ベースのレイ・ブラウンの奥さんだったエラ・フィッツジェラルドがやはり良いのではと言う声が多かった。B000fdf1n801_ss500_sclzzzzzzz_v64946133_

高校生としてはチョットマセていたアルトの軒口君がスタンダードの歌詞の意味深な部分を持ち出して、「これどういう意味か知っているか」と英語の勉強には全く役に立たない解釈を振り回して喜んでいた。
当時のポピュラーのヴォーカルの流行は弘田三枝子で、コニー・フランシスの曲が多かった。
後年、ビリー・テイラーとのレコーディングが出て、これが最近また再発となった。ここに良く見えられる25-25さんはこの盤を絶賛していらした。男は尾藤イサオや鹿内タカシが、「ワークソング」や「マック ザ ナイフ」を歌っていた。スタンダードでは笈田敏夫や旗照夫あたりがTVにでて歌っていた。
この度DUKEさんからザ・ピーナツが「モーニン」を日本語で歌っていたと言う情報を頂きました。
今だからこそ、一度聴いてみたいものですね、何方か音源を持っていらしたら紹介してください。
女性では三宅光子、今のマーサ三宅さん、後藤芳子さん、等で女性陣の方が層が厚いように覚えている。
当時歌というと、何か軟弱な感じがして、男っぽい強い感じのハードバップばかりを追い求めていた。

本当にヴォーカルに興味を持ち始めたのは、大学から社会人になる頃だった。やはりビートルズの影響が大きい。私はジャズが好きな手前、ビートルズ等という流行り物は商業主義の権化と批判的であった。
がしかし、とりあえず武道館には行き、生ビートルズを観て、聴いた。
私を取り巻く同年代はみなビートルズ愛好者であった。そしてジャズ界にもビートルズ旋風が押し寄せた。
ジャズ・ミュージシャンがビートルズの曲を取り上げ始めたのだ。
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そして、曲をジャズというフォーマットに載せて焼き直して聴くと、結構良いではないか。
それに、大学でバンドを編成し、人前で演じるとなるとどうしても人気曲をやらざるを得ない羽目になった。
我々のバンドで最初に取り上げたのが「HARD DAYS NIGHT」であった。
大学時代にピアノトリオ、ビッグバンドをやり、ついにはセルジオメンデス&ブラジル66のコピーバンドを編成したことは少々前のBLOGにも書いた。
大学最後の年、ウッドストックがあった。そして生のウッドストックを聴く機会を得た。この印象は、ジャズという事を離れて、強く今でも残っている。ジミヘン、バエズ、ディランがそこに居た。Woodstock


そんな過程を経て、私はサラ・ボーンのファンになった。
片端からサラのLPを買い漁った、大橋巨泉氏がカーメン・マックレーのコレクターと聞き、これに負けずとサラを集めようと意地をはった。
来日の度に聴きに出かけた。でも終生、サラと個人的に話す機会は得られなかった。
そして、一番印象に強いコンサートは1974年10月のサンプラザでのコンサートでこれは「サラ イン 東京」として二枚組みのLP(CD)で発売されている。Jazz_sarah_v_in_japan74

この会場で生で聴いた時、サラ・ボーンという歌手の凄さを肌身で感じた。
ベスト盤はこのライブ盤と、「枯葉」だと思っている。「枯葉」は同じく大好きなピアノ、ローランド・ハナが付き合っており、サラの雰囲気とハナの粒の揃った珠の様なトーンが相まって素晴らしい出来になっている。
今でもサラはよく聴く。B0002v00x409_ss500_sclzzzzzzz_v109480819_1


因みに私の傍に登場し、個人的に会話を交わしたヴォーカリストは・・・外国だと、アイリーン・クラール、アニタ・オディ、サリナ・ジョーンズ、ローズマリー・クルニー、ドーリー、ベイカー、ヘレン・メリル等、日本人で親しかったヴォーカリストは、峰順子、中本マリ、阿川泰子、金子晴美、マリーン、チャリート、(この辺は日本人ではなかった)、酒井俊、細川綾子、上野尊子、東郷輝久、ITS等。
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特に亡くなった峰さんはローランド・ハナとの録音「プリ・モーニング」があり、愛聴盤である。
峰さんは、ロレンツ張りの歌を聴かせてくれて、私にヴォーカルの魅力を教えてくれた人でもあり、アイリーン・クラールを紹介してくれた人でもある。(ついでと言っては何だが、ピアノのアラン・ブロードベントも紹介してくれた)
アイリーンには、今はもうもらえないサインをこの時沢山もらった。アイリーンも峰さんもあの世でデュエットをしているかも知れない。

アニタ・オディは小さなライブハウスで話をした。その時お客の女性が履いていたいたブーツが気に入り、同じものが買いたいという。僕はそのお客にどこで買ったかを聞き、教えたが良く分からない。そこで翌日、一緒に買いにゆくことになり、マネージャー共々、三人で渋谷へ買い物に行った。一緒に食事もして、その日の夜のライブへは一緒についていった。僕は関係者として入ることができた。

男性なら、東郷輝久氏で、仕事の終わった夜中にお互いの家に上がりこみ、お茶を飲んだり、彼はお酒を飲んだりと、よく拙宅の居間でとぐろを巻いていた。

そうドーリー・ベイカーさんは日本に来る前はアメリカで既に売れていた歌手だったが、ご主人の仕事で日本に住み着き、その後も居ついてしまった。
彼女の赤坂のマンションには仕事の帰りによく僕の車で送っていった。僕の友人のドラマー大隈寿男が初アルバムを出した。その直後、彼女の家で新発売祝いをしようと、彼女のマンションで大隈トリオのメンバーと僕とあと僅かな関係者でホームパティーを開いてくれた。
僕が主催した個人的なジャズパーティーにも出演してくれ、一緒に歌ってくれた。
僕の生きた英語の先生でもあった。2001年には米国へ帰ったが、最近また来日したと聞いた。またあの温かい歌声を聴きたいものである。

そんな、ヴォーカリスト達はみんな、LPが出る度に僕の名前入りでLPにサインをしてくれた。
ゼンさんは転寝をしながら走馬灯のように思い出をめぐらせていた。
そうだ、この「KIND OF BLUE」にはドーリー・ベイカーさんを招待しよう。
ここで玄関のチャイムがなり、目が覚めた。
「どなた?」
「オレだ!」
「???」 ドアーを開けると、昨夜店で飛び入りで歌い騒いでいた西郷さんとドラムの大野が二人で立っている。
「ヴァーカルやろうぜ!」と西郷は言うなり、部屋にあがり込んでいる。
今夜もまた大騒ぎになりそうだ。

<次回に続く・・・ゼンさんの転寝の回想になってしまいました>


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September 19, 2006

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その78回ーゼンさんの三連休の巻きー

<前回より続く>
(ご来店状況)
BASSCLEFさん、DUKEさん、北海道やら名古屋など遠地からはるばるご来店ありがとうございます。
もう直ぐ5000アクセスに達しようとしています。この三連休には、DUKEさんの北海道をはじめ、新潟から関西、九州、沖縄などからご来店頂いております。皆様ありがとうございます。
ご常連のKAMIさんは地元で、先週末、ジャズ鑑賞会を開催しています。今回の御題は「ウィントン・ケリー」とか、どうなったか知りたいものです。特にケリーときたらもう、中毒に近い症状の当方としては、これに留まらず、第二回、第三回とシリーズ化して欲しいなどと勝手なことを考えています。
先日は25-25先生もKAMIさんの所へ立ち寄られたとか、一度尋ねてゆきたいものです。
この休みには、これと言って大きなイヴェントは無かったので、(墓参りがありましたが、)家で音楽を聴き、本を読み、ピアノを弾いてと、あまり代わり映えのしない日をおくっていました。何しろ気温の差が堪えて、夏ばて気味で休みには身体を休めるように心がけています。
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そして聴いた音楽は・・・・先ず、ケリーの信奉者でもあったデューク・ピアソン、「プロフィール」BN盤でドナルド・バードとの共演が多いなかで、ピアノ・トリオでのアルバムです。一曲目「ライク サムワン イン ラブ」から良い雰囲気です。
特にこの演奏でのイントロの作り方はいいですね、短いけど、さりげない自然な形で、テーマのメロに入って行きます、粋な入り方とでも言うのでしょうか、決して派手ではないピアニストですが、出色です。
彼の高音域の綺麗さは心を鎮めて、ユッタリとした気持ちにしてくれます。
また、この後に入っている、「ブラックコヒー」はジュリー・ロンドン等でよく聴いたものですが、これをピアノトリオでどう料理するか、いやあ、見事!
あのダルな雰囲気の曲を決してたるませずに、程よい緊張感で最後まで聴かせてくれます。思わず、5回程繰り返し聴きました。

次にかけたのが皆様おなじみのハービー・ハンコックの「エイピリアン・アイルス」、「カンタループ・アイランド」が入っているBN盤です。Jazz4_021

フレディー・ハーバートのペット一本と、ハンコック、ロン、トニーですからメンバーは申し分なし、そしてペット一本のワンホーンカルテットでの表現がここまでできるかと言うストーリー性をもって表現されています。
このアルバムは、4曲ですが、この4曲で一つの作品となっているのだと思います。後年、US3が「カンタループアイランド」をカバーしましたが、曲として切り取って使うに留まりましたね。
モードと言う手法は、複雑なコード進行から表現者を解放しより自由なメロディーの創造を可能にしましたが、一方で即興展開でのストーリー性を要求しているのではないでしょうか。そう、情景表現ではなく、ストーリーをです。

このストーリーが深みのあるものだと、音楽として聴き終わった時に充実感を感じることができます。
音楽的表現者に音楽以外にストーリーテイラーとしての可能性を要求するのが、モード手法ではないかと思うのです。マイルスは優れたストーリーテイラーでもあったのです、だからこそ、映画のラッシュを見ながら即興でストーリーと場面にあったメロディーやフレーズを即興でつけることが出来たのでしょう。

そう、やはりハンコックの「処女航海」の出だしのフレーズ・・・・思い出してください・・・これから何かが始まりそうな予感を与えるテーマですよね。
まるで、良い小説の一行目を読み出した様な期待感が静かな興奮を誘うのです。
そして、物語の始まりです。(序曲が響き始めるのです)
こういう良い音楽を聴きながら目を閉じると、今度は自分の頭の中で、自分なりの短編小説が紡ぎだされてゆくのです。
この「エイピリアン アイル」では特にロンのベースとトニーのドラムが物語りの底流に期待とエキサイティングな予兆をあたえる効果を巧みに表現してきます。特にトニーのドラムは語りますね。
正に至福のひと時です。

そんな音楽を聴いたあとで、一冊の本を読みました。
直木賞受賞作です、「容疑者Xの献身」東野圭吾という作家です。
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昨今の直木賞やら芥川賞には少々ウンザリしていたところです。先月の文芸春秋にも発表になった今回の直木賞・・・・もう最初に数ページで読む気力がうせました。
読者から読むエネルギーを奪い去るのです、必死で我慢して最後まで読もうと努力しましたが、ダメでした。
三回挑戦して、三回とも中途で先に進まなくなりました。Jazz4_047

ところが、この東野圭吾という作家の作品は、読みはじめから、次はどうなる・・・と、読み進めるエネルギーを与えてくれながら、物語が展開するのです。
久々の出会いです。フォーサイスの「ジャッカルの日」をはじめて読んだのは、確か1975年頃、出始めだったと思います。当時懇意にさせて頂いていた、柴田錬三郎氏より、あれは面白いな・・・と聞かされ本屋に飛んで行って求め、貪るように読みました。ラストに近づくと、残りのページが減るのが惜しくなったものです。
これと同じ様な気持ちにさせられました。Jazz3_001

奇抜なアイディア、予期せぬ展開、出版社がつけた本の帯には、ここまでやる愛がある・・・と言う様なうたい文句がありましたが、そうではなく、こんなやりかたがある・・・と言った方がいいのではと思いました。
ネタバラシは出来ませんので、興味のあるかたはご一読を。
でも音楽好きの読者とし言わせてもらうなら、ストーリー、物語の背景に音楽が無い・・・小説にせよ、ミステリーにせよ、何か音楽が小道具としてでもあると、読者の頭の中で音が鳴り、より想像シーンが楽しくなるのではと思う次第です。
外国の小説には結構音楽が流れる物語があるように思うのですが・・・。

最後に、疲れた頭を休めるためにピアノを弾きました。それも立って弾きました。よくキースが立って弾くでしょう。
どんな感じか・・・と。
面白いですね、ピアノという大きな固定された楽器という感覚ではなく、何か管楽器奏者の様な気持ちになるのですね。そして、いつもと違うフレーズが出てくるし、自分の音が客観的に聴こえてくるのは一体どういうことなのでしょう。
そして余分なペダルを踏むことも無く、2時間ばかり結構楽しめました。

こんな三連休でした。

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September 15, 2006

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その77回ージャズ・ヴォーカルの巻ーその2

<前回より続く>
ジャズ・ヴォーカルで盛り上がり、うわさを聞いて、久々に「25-25」さんや常連の「しんじさん」までが駆けつけてくる次第とあいなった。
ゼンさんが近いうちにはヴォーカルを決めますからと、汗をかいている。

週末の金曜のステージは開店して直ぐ満員状態になってしまった。ゼンさんは予約は取らないし、満員でも断らない、これが「ゼンさん主義」、ジャズクラブとはこうあるものだと言う主張である。満員で立ったままでも聴きたい人は聴けばいい、立ち見でもいいし、カウンターに寄りかかっていてもいい。ジャズの雰囲気ってそういうものだろうと。以前ゼンさんはニューヨークでフラリと「セヴンス アヴェニュー サウス」へ行った、その日はあいにく満員であった、ドアーを開けるや一杯で入れない、そんな時、「ここで良ければ聴いていきな」とカウンターの裏の狭いスペースを指示された。これが嬉しかった、おまけにその直後、トコちゃんこと、故日野元彦さんが入ってきて、僕を見つけて「ここで何をしているの」、「聴きに来たのに決まっているでしょう、皿洗いをしている訳ではないよ」と笑った。ここで常連のトコちゃんはその日飛び入りで叩いた、そしてその日のヒーローになった。休み時間に、そんなトコちゃんと親しげに話していられる自分もチョット自慢顔なのが分かった。
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また、ビレッジ・バンガードでも同じ経験をした、亡きマックス・ゴードンの未亡人が入り口で、狭いけどカウンターの裏にいればと言ってくれた事がある。
NYの古いジャズクラブのオーナーはみんなそんな心意気をもっている。金が無ければ入り口の階段で聴いてな!なんて粋な計らいもある。学生や苦労しているミュージシャンにはありがたい話だ。
この様な話は、小川隆夫氏と平野啓一郎氏のジャズ対談「TALKIN’」という本にも書かれている。
小川氏はNYで勉強していた時代にやはりバンガードのマックスに優しくされた思い出があると。
そんな、雰囲気を大事にする「KIND OF BLUE」には今日も沢山の常連さんが来ていた。

今日はレギュラー・トリオに加えて、アルトの太田君と男性ヴォーカルの西郷さんが遊びにきている。
久々に面白くなりそうだ。
7時より早めに音出しとなった。
最初の曲は、「CARAVAN」で威勢の良い出だしとなった。
二曲目からは早速、アルトの太田君が加わり、「BYE BYE BLACKBIRD」をアップテンポで一気に吹きだした。
出だしはアルトが無伴奏のアップテンポでテーマを吹き、テーマ後半からトリオが凄いスピードで加わった。
これは打ちあわせ無しの、その場のヘッドアレンジでやったことだった。大田君のアルトは相変わらず、アダレイ調で、チューブから搾り出す迫力で迫ってくる。ベースの山田君はアップテンポをより気持ちよくスイングさせるために、高音部からの下降進行を使いスピード感を出している。
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<このアルトサックスの写真はBIRDの遺品のアルトの写真です。>
5コーラスのアルトのソロが終わると、ドラムの大野の目の合図で4小節のブレイクをいれ、ピアノが絡んでソロを立ち上げた、スピード感を損なわないように、♪シドソミレドを4小節凄い速さで繰り返した。まるでピアノの4512の指の練習だ、よくピーターソンが使う手だけど、こういう仕掛けが決まると気持ちがいい。
右手のシングルラインによるホリゾンタルフレーズから徐々に左手のフィルインを多くし、3コーラス目にはブロックコードでのパーカッシブなフレーズへと変化させていった、エキサイティングな盛り上げの典型だけど、次に続く、4-バスチェインジに見事に繋がった。アルト、ピアノ、ドラムの高速フォーバースで、お客さんは完全に音の世界に包まれた。
派手なエンディングで終わると、ドラムの大野がマイクを取って、「アルトサックス、太田 孝治!」とアナウンスした。拍手が一気に大きくなり、その拍手が納まりかけた時に、太田君が「ANOTHRE YOU」のイントロを静かに吹き始めた。「THERE WILL NEVER EVER BE ANOTHER YOU」である。
16小節のイントロが終わりかけた時、ヴォーカルの西郷さんがマイクを取った。この転調にむいた曲は演奏する際にはいいろいろな色つけが出来て楽しい、アルトの太田君はそれを楽しむかのように、半音づつ上げていった。
ピアノの河田吾郎もそこは心得ている。アルトの大田君がこの曲ではお定まりの、♪ソミレド、ソソミレドラ♪、というフレーズが出ると西郷さんが「イェー」と声をアルトフレーズに絡めた。
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エンディングになると、半音を下げたり上げたりの転調で、繰り返し、アルトとヴォーカルが見事なハーモニーを作って、ヴォーカルが7THをとり、アルトがブルーノートを強調して終了した。

休憩時間には、ヴォーカル談義となった。その時に、ヴォーカルの西郷さんが、スタンダードでなく、オリジナル物での歌をやろうかと言い出した。「例えば?」とベースの山田君が聞いた。
西郷さんが「そうね、例えば、モーニンなんてどうかな」、「エッ、モーニンに歌詞があるのですか?」「あるさ、ビル・ヘンダーソンが歌っているよ」「モンクの曲に歌詞をつけて歌うのはカーメンがやっているじゃない」と大野が言った。ゼンさんが「ディー・ディー・ブリッジヲーターがシルバーの曲に歌をつけやっているけど、よくもあそこまでとおもうよね、だって、フィルシー・マックナスティーにまで歌詞をつけて歌っているんだから、でも出来がいいんだよね、何時聴いてもシルバーらしさを活かしてね」と言った。_53

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そこへ河田がふざけて「モーニンの日本語の替え歌知っている?」と言い出した。「何それ?」とアルトの太田君が聞いた。
♪オヤジのお古のモーニング、B♭/F、洗いざらしのモーニングB♭/F♪・・・とメロディーに合わせて歌った。
みんな吹き出して笑った。それを聞いて、西郷さんが「じゃあ、SO WHATの日本語の歌詞を知っている?」と言い出した。皆、首を横に振った。
♪それで何なのさ~、ソーワット、だから何なのさ~ソーワット♪・・・全員爆笑となった。

こういう話はよく楽屋でしています。でもライブハウスの良いところは、そいう楽屋話にも参加できる楽しさもあるのです。ところで、このBLOGをお読みの皆さん、「モーニン」と「SO WHAT」の日本語の歌詞、フルコーラスで作詞してみませんか。勿論、冗談の世界ですよ。実はゼンさんは「モーニン」の歌詞をフルで考えたことがあった。
因みにこの出だしの「オヤジのお古のモーニング」という歌詞を作った作詞家は皆さんご存知のジャズピアノニスト、山本剛氏です。彼は休憩時間に一杯飲んで、こんな歌を鼻歌調で歌ったことがあるのです。

ああ、話が横にそれてしまいました。この辺で、第二ステージは次回に続く・・・と言うことで。

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September 12, 2006

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その76回ージャズ・ヴォーカルの巻ー

<前回より続く>
9月に入って、暑い日と涼しい日の寒暖の差が激しい日々が続いていた。水曜日の雨か、ライブハウスの入りは悪い。フロアーマネージャーのヤマちゃんが「今日はだめかな」とつぶやいていた。調理場の責任者、シェフの長さんが相変わらずドゥガッティの排気音を轟かせながらやってきた。
まだ開かない店「KIND OF BLUE」でゼンさんはドラムの大野と向き合って話しこんでいた。
「やってみようか、でも毎日ではなく、週末だけとかね」
「そうだね、方向性に少し色合いを持たせてもいいんじゃない」と大野が応えた。
「誰がいいかな、あまり大物でも反って雰囲気に合わないし、シットリ、大人の雰囲気でというと、贅沢な希望だけど・・」ゼンさんが悩んでいる。
週末にヴォーカルを入れようという話が進んでいた。
「大野君、来週までに考えておいてよ、候補者を」
「分かりました、二人で毎週末交互にというのでどうですか?」
「いいよ」
そこへ「おはようございます」とベースの山田が到着した。
ゼンさんが時計を見た、「もう6時過ぎか、じゃあ準備を始めよう」と腰を上げた。
7時の音だしの時、その日の最初の曲は「ON A CLEAR DAY I CAN SEE FOREVER」だった。
6時半を廻って急に常連がドヤドヤと入ってきた、音出しの7時には20人位の入りとなって、店の中は良い感じになってきた。見回すと、よくこの欄にコメントをくれる「しんじさん」や埼玉から「KAMIさん」そして名古屋からはるばる「BASSCLEFさん」まで来ているではないか。皆さん元気そうだ。今夜のジャズ談義も弾みそうだ。
<ピーターソンのガールトークの一曲目でしたね、ON A CLEAR DAYは,写真が見つかりません!>
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河田吾郎はそんな雰囲気を読んでか、軽快なミディアムテンポで「ON A CLEAR DAY・・」を弾き始めた。
こんな時は音を出す前に構えず、ざわついている雰囲気のまま、ドーンと音を出すと、皆、シッカリと音の中に入ってくれる。B00008k75w09_ss500_sclzzzzzzz_v110550796_1

そんな出方が吾郎は好きだった。テーマが終わって、ソロに入る頃には皆の気持ちが聴く方に集中していい感じだ。今日の吾郎は何故かピーターソンタッチで饒舌な語り口で、派手なフレーズが多い、ドラムの大野もそれに合わせて、シンバルレガートを四つ打ちに変えてゆく。気持ち良いスイング感で、雨の水曜日は始まった。
休憩時間、ピアノ裏の丸テーブルにバンドのメンバー、ゼンさん、そして常連の富田さん、船橋君が集まって、来月から企画しているヴォーカルの話がはずんでいた。
船橋君が「あまり若い子は落ち着かないな」といい、富田さんが「やはり英語の歌だからね、聴ける歌でないと興ざめになるよ」と厳しい注文をつけていた。
ゼンさんが「そうだね、与世山澄子みたいなボーカルがいないかな」とつぶやいた。
船橋くんが「誰ですか?それ」
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富田さんが「うん、沖縄にいるジャズヴォーカルでね、一言いって上手い、上手いって歌唱法ではないんだ、歌詞の意味、雰囲気を上手く表現できるという意味でね」
「そうだね、彼女の歌は聴いているだけで自然に涙が出てくるよね。1983年頃かな、あまり沖縄からは出てこなかった彼女が東京のライブハウスで歌う事になったんだ、誰もよく知らない、でも初めて聴いて、誰もがこれは凄いという印象でね、その年の暮れに急遽コンサートとなり、中野サンプラザを満員にしてしまった。
休憩時間にはロビーで皆、涙目でね、歌を素直に聴いているだけでどうして涙がでるのと・・若いヴォーカルの子達がやミュージシャンが口をそろえて話していたっけ」とゼンさんが加えた。
「それからの評判は広まるばかり、アッと言う間にレコードが出て、そしてマル・ウヲルドロンと共演と・・立て続けだった」Teci1115120

船橋君が「何処に行けば聴けるのですか」
ゼンさんが「沖縄の那覇、インタールードという店を彼女は持っているから、そこへ行けば聴けるよ」
「そうか、今度沖縄へ行ったら必ず寄ってこよう」と船橋君が言った。
「彼女は沖縄で苦労し、キャンプで歌っていたから、発音もいいし、歌の解釈もできている、鍛えられたんだね」と富田さん。
吾郎が「ところでゼンさんはヴォーカルは誰が好きなんですか?」
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「当然、僕がすきなのは、サラ・ヴォーン、男ならマーク・マーフィーかジョニー・ハートマンかな」
大野が「ヴォーカルは奥が深いな」と意味深なことをいい出だした。
船橋君が「ビリー・ホリデイってどうなんですか」と聞いてきた。
ゼンさんが「うん、レディは良い悪いということでは無いんだ、彼女の生きてきた人生がジャズなんだ、人種差別と戦いながらというか、差別の中でね」Photo_10Photo_11


「だから、歌を聴いてもあまりハッピーではないよね、ブルーだよね」と吾郎がいい出した。
「僕は26歳の時にビリー・ホリディ物語という映画を観た、ダイアナ・ロスが演じていたやつね、あれでビリー・ホリディを理解したの、結構忠実な表現だったと思うよあの映画は」とゼンさんが話した。
「つらい物語だよね」と富田さんが加えた。
「そこへゆくとエラはまた明るいね、性格もあるし生き方も違うしね」ヨーコが横から口を挟んだ。
「あのスイング感はたまらないね、もうヴォーカルの域を超えている、彼女の歌は楽器だよ」と大野が話しだした。
「有名な録音は、エラ イン ベルリンのマック・ザ・ナイフだろうね、途中で歌詞を忘れて、スキャットに変えて、バックのポール・スミス トリオとのやりとりをしながら、スイングが止まらない、これで有名なレコードになったんだ」と富田さんの講釈が始まった。00000232

「何故か大物歌手は歌詞をよく忘れるね、サラの実況盤で サンクス フォー ザ メモリーを歌うんだけど、どうしても途中で歌詞が出てこない、5回くらいやり直すの、それが全部録音されていて、やっと思い出して、全部歌ってエンディングで歌詞を急遽作るんだ、♪今日のレコーディングは最悪だ♪という歌詞で終わる、そんなレコードもあるよ」とゼンさんが言った。B00005fekl09_ss500_sclzzzzzzz_v105668919

そしてサラを語りだしたら止まらないゼンさんが「サラの最高は 枯葉の中のシーズンズ、ローランド・ハナのピアノとのコンビネーションがたまらなくいいんだ」と。B0002v00x409_ss500_sclzzzzzzz_v109480819

富田さんが急に思い出したように「そういえば、森山浩二ってヴォーカルがいたでしょ」
「いたね、男性ヴォーカルで上手かったね、日本版チェット・ベーカーかな、良い味出していたよね」とゼンさんが富田さんに応えた。
「ヘーェ、誰ですかそれ」とベースの山田君が聞いた。
ゼンさんが語り始めた「以前、1960年後半にTV初のオーディション番組でホイ ホイ ミュージックスクール という番組があってね、司会が鈴木やすし、バンドがドリフターズで、素人が何週か勝ち抜くとプロとして活躍できるという番組、そこで良い成績を出してプロになったのが、木の実ナナ、安田南、そしてこの森山浩二だった。みんな歌の上手い人だよね、安田南は今でもジャズ歌手として歌っているし、木の実ナナは大物ミュージカルスターにまでなった。安田南が印象的だったのは、マイク前に出てくる時に転んで出てきた、それがみんなの印象にあってよくからかわれていたよ。この森山浩二はその後ジャズ歌手になった、英語は全くできない、でもやたらに耳がいから全部耳で発音を聞き分け覚えてしまう。外人に彼は英語が出来ないというと驚いてね、あんな発音が出来て何故英語が話せないんだとね。僕は彼のマイ ファニー ヴァレンタインを真似して今でも歌えるよ」
「よく覚えているね、ゼンさんは」と富田さんが驚いて言った。
よく見ると、テーブルの周囲に「しんじさん」や「KAMIさん」、「BASSCLEFさん」の顔も覗いて集まっている。
「うん、20年以上前にあいつに1万円貸したままだから」とゼンさんが言って大笑い、「さあ、次のステージだよ」とバンドの連中を即した。大野が「じゃあ何からやる?」「そうだね、じゃあ、モリタートから」と吾郎が洒落て答えた。
コメント欄にお出での皆さんも又来てください!
コメントに書くと物語に登場させてしまいます。これを「しんじさん」は嘗て、「インタラクティブ・BLOG」とか言っていました。愉快ですね、「BLOG INTERPLAY」とかね、「BLOGの4バースチェインジ」とかも言えますね。(笑)
<次回に続く>

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September 08, 2006

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その75回「クイズの回答は」の巻

<前回より続く>
72回の末尾で紹介しました、日本たばこ産業がジャズファンからつのった、リクエストベスト500曲の1位は何でしょう?のお答えをします。
その答えは、「SOMETHING ELES」マイルスの「枯葉」でした。B00000i41j09_ss500_sclzzzzzzz_v112857816


このアルバムは超有名盤でマイルスとキャノンボール、ハンク・ジョーンズ、サム・ジョーンズ、アート・ブレイキーというパーソネルで、本来はマイルスがリーダーとなるところ、レコード会社との契約の関係でキャンノボール・アダレイがリーダーでクレジットされている。
普通、マイルスの「枯葉」というとこれを指す。

「枯葉」は本来シャンソンで、映画「夜の凱旋門」の挿入曲で有名になった。
これをジャズに取り上げたのがマイルスである。英語名「AUTUM LEAVES」となり英語の歌詞もつき、ジャズのスタンダードとなってしまった。
爾来、これを演奏するするアーティストは引けを切らない人気曲であるし、また初心者がアドリブの練習にもよく使う。きっとコード進行が分かりやすいからだろう。

マイルスは色々なジャズのジャンル外の曲を取り上げる。
マイルスの手にかかると何でもジャズになってしまうが、一つ彼のやり方がある。
「SOMETHING ELES」で初録音をし、次々と録音をするが、テンポが段々早くなってゆく事にお気づきだろうか。マイルスは曲を取り上げると、序々にテンポを上げてゆき、最後にはその曲を棄ててしまう。
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1964年夏に東京にマイルスが初登場した。
僕は、マイルスと同時に、ウイントンケリー+ポール・チェンバース+ジミー・コブのオール・アメリカン・リズムセクションを直に聴けるのを楽しみにしていた。(当時17歳であった)
第一回東京ジャズ・フェスティバルはかなり前もってアナウンスされた。そのアナウンスの後でマイルスがリズムセクションを全面的に交替したことを知った。
ハービー・ハンコック+ローン・カーター+トニー・ウイリアムス(17歳)である。
今でこそ、夢のリズムセクションであるが当時は新人3人で特に、トニーは未だ17歳のドラマーであった。
この録音を聴くには、1964年の5月頃に発売された「SEVEN STEPS TO HEAVEN」を聴くしかなかった。
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ウイントン・ケリーたちは別にピアノ・トリオとしてフェスティバルに参加した。
レコードで初めて聴くトニーはメロディアスな太鼓を叩くなという感想くらいで、凄さを感じることは出来なかった。
1964年7月、新宿厚生年金ホールでマイスルが日本で初めて音をだした。
僕は舞台下手、前から3列目の左から5番目の席にいた。
最初の曲が「枯葉」であった。しかし、そのテンポはかなり速いものであったし、テーマもかなりデフォルメされて、テーマを聴かせるという間もなく、アドリブに入った。
当日はテナーにサム・リバースが加わっている。
舞台の上でマイルスは自分のソロが終わると通常は袖に引っ込んでしまうのに、この時はトニーのドラムセットの前に立ち、客席に背をむけて、トニーを見つめて何にか指示をだしていた。
トニーはマイルスの目を見つめ、ものすごいスピードでたたき出すシンバルレガートと左手のアクセントに集中していた。レガートのニュアンスとバリエーションも沢山あって、マイルスが指示をすると即座に違うレガートへと変化させてゆく、この見事さに鳥肌がたった。

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この後、「MILES IN EUROPE」が発売になった。フランスでのジャズフェスティバルの実況盤である。
ここでまた、驚いた、最初の曲は「枯葉」なのだが、テーマを吹かない、最初からアドリブでコード進行が「枯葉」というだけである。スピードも東京の時よりまだ早い驚異的なスピードだ。
でもこのリズムセクションは乱れる事無く凄い一体感、グルーブ感、スイング感を出している。
因みにこの時のテナーはジョージ・コールマンである。

マイルスは「IN PERSON」が発売されるまで、実況盤が無かった。それまでは全てスタジオ録音盤である。
マイルスはスタジオ録音でもリハーサルを嫌ったと言う、それはリハーサルにより即興性が損なわれると考えたからである。マイルスはスタジオでもジャズは即興であると、・・即興の面白さと緊張感、偶発性と相互インプロバイスを大事にした。B00005athx01_ss500_sclzzzzzzz_v59120170_

だから多くのテイクを取ることもしていないし、TAKE1とTAKE2を比べてみると、全く違う内容になっている。
「IN PERSON」は初の実況盤でサンフランシスコのクラブ「BLACK HAWK」で金曜と土曜の二日にわたり録音された。
初めての実況はどんな演奏をするのだろうかと、LPに針を下ろす時は少々の興奮を覚えた。
金曜のよる一曲目は「WALKIN」である。やはりオリジナル盤よりかなり早いテンポである。
スタジオでの研ぎ澄まされたあのマイルスの音より、荒々しい、フレーズにアタック感が感じられる。
鋭い一音とバックとのインプロビゼーションがスリリングである。
この時のリズムは、ウイントン・ケリー+ポール・チェンバース+ジミー・コブでテナーはハンク・モブレイ。
この4人の音に対する緊張感がたまらない、マイルスの存在でこれだけのテンションが張れるかと・・・。
僕はこのCD盤をかけて、これに合わせてピアノを弾いた、キーはFだった。
ケリーのフィルインのタイミングを知りたかった。
これをやってビックリした、マイルスのフレーズの間に「カーン」とコードを一つ入れるだけでも、狙いすましているのが分かる。100分の一拍を狙っていると言っても過言でない。
因みに僕のお気に入りのピアニストの一人、ウイントン・ケリーのベスト盤は実はこの「MILES IN PERSON」だと思っている。
ピアノソロに入ってからのスイング感が止まらない、ウエス・モンゴメリーと共演している時の「このスイング感はどこまでゆくの~」というのとは又違う。
タイムの間が引き締まってのスイング感覚だから、強烈である。
LPで発売されたときは時間の関係で曲目が削られたがCDになってよりコンプリートになった。
そこに「枯葉」も入っている。
JAZZは基本は生に限る、そしてレコードもできれば実況盤が良い。
ミストーンがあっても、フレーズが詰まっても、ドラムが頭を間違えても・・・でもそんなことはかまわない、その様な完璧さはジャズには求めない、それよりプレイヤーが自分のソロの中でどれだけを言えたかが勝負であると思う。
そこへゆくと・・・・いいたくないが、昨今の日本のジャズプレイヤー、日本人が主導しているジャズレーベル、全て予定調和の中で満足しているようで、マイルスの緊張感の欠片もない。
ジャズをジャズらしくやって欲しいものである。
いやまた苦言になってしまった。
そして、「枯葉」と言えば、ウイントン・ケリー・トリオの「枯葉」も有名盤として存在するが、ここでケリーが演奏する「枯葉」とマイルスのバンドで演奏する内容は全く異なる。
どちらが好きかは皆様次第です。
「枯葉」と「マイルス」で一言と思ったらこんなに長くなってしまいました。
蛇足:マイルスの「IN PERSON」のジャケットに写っている女性は、「SOMEDAY MY PRINCE WILL COME」のジャケットと同じ、フランシス、つまりマイルス夫人であるが、後年このフランシス夫人と離婚したが、このフランシスが次に結婚した相手は日本人でした・・・・どうでもいいことですが(笑)B00000j7su01_ss500_sclzzzzzzz_v65930144_

<次回に続く>

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September 04, 2006

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その74回「久々の青空の下で」の巻

<前回より続く>
「KIND OF BLUE」の日曜日9月2日、暑さの続くなか、久々に湿度の低いカッラと晴れた休日となった。_003
(ベランダから東を見る)
ゼンさんは母屋のベランダに出て朝食を摂りたい気分になった。
青い空に、遠い雲、乾いた微風が気持ちよい。
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幸いこのベランダは都内であるにも係わらず、何処からも覗かれることがない、周囲は皆低い建物ばかり、ノンビリと朝食を摂った。ダージリンをストレートで、生ハムにバケット、種つきのオリーブを添えて、あとは大きなライムとペリエを用意した。
さあ、何を聴きながらこの食事を始めようか、心地よいボサノバがいい。マイナーキーより明るいメジャーコードで。
遅い朝食、そうこういうのをブランチと言うに相応しい時間帯だなと思いつつ、そしてもしアルコールが飲めたら、よく冷えたシャンパンがいいのだろう、シャンパン・ブランチと洒落こめるから、でもアルコールがダメなゼンさんは、ダージリンとペリエで充分なのだ。
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TAMBA4も懐かしい。かつての有名盤は反って聴く機会がない、擦り切れるほど聴いたTAMBA4「WE AND THE SEA」がこの空気になじんだ。ジャケットの海とヨットも雰囲気が合う。
久々の天気の良い休日、心もすこし乾いた、秋の匂いが耳元を掠めて微風に乗ってきた。
<ここで皆さんに質問、皆さんならこの様な時、何を聴きますか?コメント欄にお寄せください>
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目の前を走る環八の車の音ものどかに聞こえる。
たちまち、オープンカフェ・「KIND OF BLUE」となった。このBLUEは空のBLUEだ、独り占めのBLUE!
<次回に続く>

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August 31, 2006

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その73回「リキシャルーム閉店」の巻

<今回は緊急の話題について>
・・・と言いますのは、8月30日の朝日新聞の夕刊を見て驚いたのです。「本牧のアメリカが閉店」とありました。
内容は、1961年に開店した、横浜は本牧にあった「リキシャルーム」が閉店するという記事です。Photo_9

これは「団塊」には見逃せない記事です、この一言から多くの思い出とストーリーが紡ぎだされるのです。

この「リキシャルーム」にはどのくらい通ったでしょう、1965年に大学に入学するや否や、受験から開放され、毎晩友人達と夜あそびをするようになりました。
家が東京の南にあったこと、そして、第三京浜国道が開通したこと、そして、当時の話題の先端の車、プリンス・スカイラインGTBを手に入れたこと、これらが相まって、お洒落な街、横浜へと繰り出す事が多かったのです。
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(写真は鈴鹿サーキット1969年)
勿論、六本木、青山、赤坂もありましたが、横浜は静かな環境の中に垢抜けた、まだ基地のある外国の雰囲気をもっていたのです。
そして、朝方までやっていた店が、本牧の基地の直ぐ側にあった、この「リキシャルーム」なのです。
店はあくまでも暗く、今の内装とは少し異なっていましたが、二階へ上がる階段は暗くて足元がよく見えないし、店内でメニューを見てもキャンドルの光だけで、よく見えないというお店でした。70%は外国人で、店内の第一語は英語、オーダーも英語の方が通じるような、そして、米ドルまで使えるような店でした。
名物は四角いピザです、縦30センチ、横40センチくらいの、丁度四角いお盆の様な形のピザでした。
「四角いピザを食べにゆこう」という意味は「リキシャルーム」へ行こうという意味でした。
店内にはいつも、聞きなれないジャズがかかっていました、「このレコードは誰?」とよく聞いたものです。
オーナーが米国人でお客がほとんど米国人ですから、最新のジャズやら日本人には珍しいアーティストがかかっていたのです。「リー・ワイリー」「エセル・エニス」などと言う女性ヴォーカルもここで覚えました。

今、巷では東京でオリンピックと騒いでいます、その42年前の東京オリンピックの翌年から我々団塊は巷に出回り、深夜に第三京浜をスカGで時速200キロが出たと自慢しながら、横浜へ繰り出して行きました。060226_23


その背景には・・・・、
1961年には平凡パンチが登場、IVYルックとVANが登場、みゆき族という「族」が登場・・・。
1964年には鈴鹿サーキットの日本グランプリで式場壮吉がドライブするポルシェ904を生沢徹がスカGで追いまくるという快挙をTVで観て誰しもが日本の名車、ゼロ戦のエンジンの流れを汲んだ「スカG」に憧れました。
1965年からは富士スピードウエイで日本グランプリが開催となり自動車レースの第一次ブームが始まりました。
第三京浜は唯一飛ばせる長い道でした。皆スピード自慢の車は第三京浜へと集まってきました。
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(写真は700馬力のローラで富士スピードウエイを走る筆者)

そして、横浜が急に若者のたまり場になりました、東京とは違うエキゾチックな場として。
ゴールデン・カップス」「レッド・シューズ」「イタリアンガーデン」等は東京の先端クラブ赤坂の「MUGEN」とはまたちょっと違った存在でした。
そして、ハマジルを踊るのです。(横浜流ジルバ)
カーラジオからは、黛じゅんやタイガース、加山雄三が流れてきました。
そうです、グループサウンズのゴールデンカップスはここから出てきたのです。
昼間にお茶をしに行くなら、「山手十番館」でした。

六本木や青山あたりで遊んでいる者にも本牧のリキシャルームを知っている者は少なかったので、此処を知っていることは、自慢の種でしたし、女の子をつれて行くにも、こんな日本で無いような洒落た場所を知っているので憧れの目で見てもらえたのです。
当時、東京都内で、よく通った場所は、「キャンティ」「ニコラス」(飯倉周辺)、ココパームスKENT(青山)、ワイズマン、オリンピア・ダイネット(原宿)、フラミンゴ(九段)、など等・・・。飯倉のクレイジーホースやホワイトハウスはディスコのハシリで、よく貸切のパーティをやったもんです。
(注:KENTはKEN TAKAKURAの略で、俳優の高倉健さんがオーナーだったレストラン、今は無い)

「リキシャルーム」閉店の記事はこんなにも沢山のキーワードを紡ぎ出してくれました。
この話の中で書いたお店で今でも行くのは「キャンティ」くらいでしょうか。
「キャンティ」は大学を卒業すると、我々の友人K君がキャンティのマネージャーになり、一層行きやすくなったのと、そこで出会う方々、そう著名な文化人や芸能人の方々とより懇意になったことで、今でも続いているのだと思います。Photo_8

キャンティ物語」というとても良い本も出ていますが、僕は僕なりの「キャンティ物語」がありますし、今ここに書いたお店の物語が全部頭の中にあるのです。
その一部が、縁あって知ることができた柴田錬三郎氏とキャンティでの会食の話で、これは以前にもこのBLOGで書きました。シバレンさんにこのキャンティで紹介された日本画壇の重鎮、吉井淳二画伯とのことなど、そんな物語もおいおい、このBLOGで語ってゆきたと・・・それが「僕の団塊物語」かもしれませんね。
小さな新聞記事に触発されて、思わずこんなことを書いてしまいました。
もし、これを読んで、俺もそこに居たというご同輩、ご一報ください。
僕の頭の中がこんなものなので、このBLOGの話の拠点が六本木のはずれの場所になったのかもしれません。

<次回に続く>

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August 29, 2006

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その72回「ガラクタのお披露目」の巻

<前回より続く>
とうとう、72回の巻きになりました、よく続きました。今回NIFTYのココログで解析システムを用意してくれました。それによりますと、NIFTYが解析用データを集計し始めたのが今年に入ってからですから、この1月から今日までに3530回のアクセクが「Fのブルース」にありました。ご訪問頂いた方が500名を越えています。一日平均で30回以上の訪問があるそうです。
書いている方は何も知らないのに、いつの間にか立ち寄ってくれているのですね。
これからはもっと寄って下さった方々がコメントを残しやすいようにしたいと思います。
是非、お立ち寄りの際には、「来たよ」と一言コメント欄にお書きください。
「袖触れ合うも多少の縁」「一期一会」というじゃないですか。
お世辞、批判、罵声、罵り、賛美、おだて、贈り物、何でも大歓迎です。