July 08, 2008

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その153回ー「ジャズ批評144号」の巻ー

えっーと、お久しぶりの更新です。しかし、出鱈目、出まかせ、荒唐無稽な妄想を書くにしても、まあ、ウソは書けない訳で、結構行き詰まるもんです。
ゼンさんという主人公をこれからどうするか、突然やってきたスリピー狂紫朗をどうするか、そこに登場するあの世からの大物アーティスト達・・・本当にこんないい加減な話でも150回以上となると、ネタ切れというか、集中力の欠如ですね。
・・・・なんちゃって、一方では相変わらずジャズ批評に書いています。
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今回は自分では好きなブルーノート盤5枚に投稿しました。別途、ジャズ批評から依頼原稿が来まして、ブルーノートにおけるアルフレッド・ライオンとアバンギャルド・ジャズという切り口でコールマンやセシル・テイラーを書いて欲しいと・・・そう今回はライオンの生誕100周年記念号なのです。
まあ、内容は書くわけにはゆきませんが、どうせここにお出でになる皆さんはお閑なのでしょうから、是非買ってお読み頂きたいと思うのです。

ということで、久々に登場しましたが・・・今回はジャズ批評のお知らせでした!

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March 18, 2008

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その152回ーー「ブルースの真実」の巻ー

<幻想と妄想のジャズクラブ「Kind of Blue」にようこそ・・・ここでは、ジャズに関しては何でもあり・・・大いなるウソをお楽しみください! 中傷誹謗大歓迎、罵詈雑言大歓迎、もらい物大歓迎・・・お世辞も大歓迎です。>

春めいた夜風が心地よい。
夜9時過ぎに狂紫郎が、ゼンさんのクラブ「Kind of Blue」にやってきた。
ハウストリオの河田吾郎のピアノがOn a cleardayを弾き始め、2コーラス目のソロを取っていた。ミディアムアップのテンポにのって軽快にスイングしている。
狂紫郎は相変わらず紫の着流しで帯に篠笛を挟み、背中にはソプラノを筒に入れて背負っている。
ポニーテールで手入れの行き届いた髪は半分はもう白いものが混じっていた。
ゼンさんがココとピアノ後ろにある丸いテーブルを指した。
店内はほぼ満員状態でキャンドルの煌きに皆の顔が上気しているのがわかる。
もう一人後ろについて入ってきた外人がいる、やはり楽器のケースを持っている。
ベースの山田とドラムの大野が狂紫郎に会釈をした。

ゼンさんは何も言わずにドライマティーニのグラスを一つ狂紫郎の前においた。
そして、もう一人の男と一言二言、ゼンさんはカナディアンクラブ・・・CCをロックのグラスに注いで置いた。

On a cleardayのエンディングで半音上げて転調しかなり泥臭いフレーズでブルージーに終えた。
「オッ、イエッ!」と掛け声が掛り拍手がおきた。

河田吾郎が振り向いた、そして促した、狂紫郎はソプラノではなく、篠笛を出した、もう一人の男はテナー・サッスクを取り出した。フランスセルマーにラーセンのマウスピースをつけている。
その男が曲を指示しテンポを出した。
「ストール・モーメンツ」だ。
篠笛とテナーな微妙な4度のハーモニーを作り出している。
このブルースにして、そのブルース色を敢えて殺し、何処までブルースコードの中でペンタトニックの展開をさけ、泥臭いフラット5を避け、でも如何にブルースにするか・・・これが大いなるブルースの実験であるのだ。
狂紫郎の篠笛のソロは、音数を減らし、耽美なまでのフレーズを、正に置いてゆくという表現がピタリだ。
しかし、ピアノとベースはあくまでもブルースの進行をドッシリと守り、ミディアムスローのスイング感を出している。
大野のドラムは左手のオカズをスネアのリムに近くで叩くことにより、甲高く抜ける音でフィルインしている。
その日、店内にいた全員がその音色とフレーズにのめり込んでいた。
3コーラスの篠笛のソロを終えて、テナーの男にソロを渡した。
その男のテナーの音色はよく抜けるクリアーな金属音で音に伸びと哀愁があった。
フレーズにはあまりブルーノートを使ことなく、ブルースコード載せて、正に哀愁のフレーズを積み重ねていった。
山田のベースがこいう時は大事だ、太い音で低音部をシッカリと伸ばし、タイム感でスイングさせなければならないし、またそれが軸になって、ドラムもピアノもミディアムスローのスイング感をだすのだ。
テナーのソロは3コーラス目に入っている。
その時、聴き入る皆の顔にまさかという表情が浮かんできた・・・。
そのテナーのフレーズは高音から低音まで、伸び伸びとユッタリとしたフレーズで吹き語られてゆく。

その後でピアノは1コーラスだけソロを取ったというより、最後テーマに入るお膳立てをした。
ストールモーメンツが、あの伸びのあるテナーの音色とフルートよりより芯の在る高音を篠笛が出してテンションを高めてメロディーが演奏された。
テーマの最後のフレーズは思いっきりブルーノートをかませて終った。
拍手は静かに始まった、そして長く続いた。

ゼンさんがマイクを取った、「Lady & Gentlemen,Oliver Nelson!」
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その時、ドラムの大野が声をかけた、「ホーダウン!」
ネルソンのテナーと狂紫郎のソプラノが一斉にアノテーマを吹きだした。
アルバム「ブルースの真実」は名盤である、オリバー・ネルソンはこの一枚で名を上げた。
このアルバムには正にブルースとは何かというイディオムが沢山詰まっている、そしてジャズの原点と基本はやはりブルースだということを実験し証明している。
ドロフィーの存在もフレディーハーバートの存在も前衛的でありながらブルースであり、ピアノがビル・エヴァンズでありながら、そのハモにブルースの芯をたたき出している。
チェンバースのベースは軸になり、ロイ・ヘインズのドラムは歌っておりファンキーでさえある。

周囲が皆、モード手法に流れ出した時期、もう一度ブルースの限界に挑戦した大きな意義をもつアルバムが「ブルースの真実」でだとおもう。

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February 22, 2008

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その151回ーー「ジャズ批評を買ってください!」の巻ー

ジャズ批評・142号 2008年3月号に私のインタビュー記事が掲載されました。
同時に「着物でジャズ」のリポートも・・。

ジャズへのこだわりの話をしたのですが、短い時間で全部を語れなかったのが残念で、心残りです。
しかし、ジャズ界での一番のこだわり人間、ジャズ批評主宰の松坂妃呂子さんにお会いできたことが、最高の喜びでありました。

発行部数、広告数を考えても、商業主義から程遠い、雑誌です。
是非、皆さん、「ジャズ批評」を買いましょう!

立ち読み禁止!

この雑誌は、永久保存版です、何年経過しても内容が劣化しない、雑誌です。20080222_018
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February 08, 2008

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その150回ー「スリーピー・狂紫朗・ジャズ無頼帖 オーディオを斬る」の巻ー

おかげさまで、150回を迎えました、そしてご来客数も30000ヒットを越えました。
これも、お閑で酔狂で物好きな皆様のお陰です。
遠くは北海道や沖縄、いや、欧米や豪州から・・・。
相変わらずの校正、推敲なしの書きなぐり、誇大妄想、ウソとホントのミックスジュース。
お知恵、アイディアはいつでも頂きます、アイデイア料はお払いしません。念のため。
批難、中傷、誹謗、絶賛、大歓迎!
では、40000ヒットを目指してまっしぐら!

<前回より続く>
「スリーピー・狂紫朗、ジャズ無頼帖 オーディオ斬り」の巻

狂紫朗は、寒波の押し寄せる黄昏時、中央線沿線のとある駅前を歩いていた。
路地を覗くと「JAZZ」という大文字の看板が目に飛び込んできた。
ふらっと、扉を開けた。
途轍もない音量が耳をつんざく、店内に客は僅かに3人。
狂紫朗は静かに空いていた隅の席についた。

店の主と思わしき人物が愛想も無く、傍に立った、「マティーニ、ドライ・マティーニ」と耳元で繰り返した。主は首をかしげながら、遠ざかった。
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店内にはセロニアス・モンク「ミステリーオソ」が流れている、ジョニー・グリフィンの金属音テナーの後ろでコードを叩くモンクの姿が浮かぶ。
しかし、いかにせん、音量が大きすぎる、本物の音より大きい。
オーディオには疎い狂紫朗にもスピーカーがJBLパラゴンであることくらいはわかった。

その時、マティーニが机の上に無言で置かれた。
一口マティーニを舐めた、甘い・・・味にシマリがない、この音と同じだ。
たしか、ドライと言葉を加えたはずなのにと思った。
店内はジャズ喫茶特有のレイアウトで、典型的な配置、椅子はみなスピーカーに対座している。

アルバムが変わった、「スリー ブラインド マイス」、ジミー・メリットのベースのイントロが始まり、シダー・ウオルトンが加わり、ブレイキーがレガートを付け始めた。
三管編成のテーマが始まった・・・しかし何だこの音は、実際より音量が大きいだけではない、音質が違う、実際にコンサートで同じ編成を生で聴いたことがある狂紫朗は「ちがう!」と声を出した。

主と思わしき人が近づいてきた、「お客さん、お静かに」
「こんな音が静かに聴けるか」
他の三人の客が振り向いた。
ウエイン・ショーターがソロを取っている・・・しかし、ショーターの音色ではない。
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「うちのオーディオは都内でも有名な装置だ、この音に文句つける奴は初めてだ!」
主が息巻いている。
「どうだ、このクリアーさ、低音の伸び、最高音だって割れずにシッカリと伸びているだろう、シッカリ聴け」
「しかし、ショーターの音色はこんなに角ばっちゃいない、もっと角の丸い音色だ、それにこのマウスピースはまるでメタルマウスピースの音だな、この時はショーターはハードラバーだと思うが・・・・」
「なにお、聞いたようなことをいいやがって、俺の店にケチつけにきたのか、代金は要らないから、さっさと帰ってくれ」
「いや、帰りたいのはこっちの方だが、この音が本物だと思って聴いているお客さんが気の毒だな」
「ショーターの本物の音って?」とお客が声を張り上げた。
「もっと太い、低音がバリバリとくる音だ」
「なにお、この当時の本物の音が何だか知っているのか、エッー、分かってない奴はこれだから困る」と主が言う。
「この同じ編成で来日したとき、私は最前列で聴いている、1963年の時だ、曲も同じものを聴いている」
ソロがハーバートに変わった。ブレイキーが煽る、ハーバートの高音がヒットした。
「ハーバートの音はもっと輝きをもっているな」
「・・・・・」主は無言になった。
「なら、どんな音が本物の音だというんだ」

それから暫く、音を少し落とせとか、低音にシャを被せてとか、スピーカーの中に人がいるみたいだ、もっと距離感をだせとか・・・30分ほど続いた。
「少しはましになったな」
「しかし、これでは音がボケて聴こえないかな・・」と主。

「ピアノトリオでも聴いてみろ、一目瞭然だ!」
アルバムがピーターソンに変わった。
「ナイト トレーン」だ。
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お客の一人が思わず「ああ、ピアノがそこにあるみたいだ、ベースもドラムもしっかりと識別して聴こえる」
主が不思議な顔をして聴いている。
「どうだ、ピアノの中に頭を入れて聴く客はいないだろう、これがピアノから数メーター離れて聴く音だ」
「では・・・本物の音より良い音など無い」

主が気がつくと、不思議な風体の男の姿はなく、テーブルの上に1万円札が一枚とメモが置いてあった。
メモには「ハンク・モブレイを聴け」と・・・。

<続く>

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January 25, 2008

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その149回ーー「篠笛」の巻ー

小春日和の昼下がり、狂紫郎が港区のとある繁華街から少し入った静か住宅街の往還を歩いていた。
今日は背中にソプラノサックスの筒を背負ってはいない、脇差風の西陣織の煌びやかな笛袋だけを腰に差している。
とある、門の脇に姿のいいみこしの松のある日本家屋に入っていった。
狂紫郎は10畳ほどの日本間に正座していた、その向いに座っているのはもう80歳にならんとする村上アヤである。
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福原流 篠笛の重鎮である、村上アヤは普通弟子をとらない。
ある日突然、玄関に現われた狂紫郎を見て、一度は断わったが二度目に現われた時に座敷に上げた。
襖戸を開けて部屋に入ると端座とはこのことだと思える姿勢で30分を待ちつづけた。
アヤの試験の一つであった。
続いて、笛を出させ、基音を出させた、唇の当てかた、息の吹き込みに難点があったが、ロングトーンにブレがなかった。基本は習得が終わっている、それを確認してアヤは狂紫郎を弟子にした。

村上アヤは鼓の名人でもあった、篠笛の基本技術を教え、むしろその笛に併せてアヤは鼓を打った。
篠笛と鼓の絶妙な間合いの練習をした、その合間に唇と笛の確度、唇の形などで音色の変化をだす技術をおしえた。
そしてフルートでいうところのタンギングは篠笛では「指打ち」という技術でだす、息の吹き込みと孔を指で叩く、このタイミングでタンギングと同じ効果をだせる。
今日はその練習が主だった。
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「唇と笛口の角度がちがいます、右手が下がります」毅然と注意する。
ロングトーンを出しながら、笛の角度と息遣いを変えることでスラーをかけて半音を上下する、指のポジションでの半音だと西洋音階を表現するには良い、しかし、狂紫郎はもっと妖艶で無我の世界の音を表現したかったのだ。

「しかし、エリックはんの音色は七変化ですなぁ」京都なまりが混じった言葉でアヤは思わぬことを口にした。
そう、エリック・ドロフィーのフルートをしっていた。
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「さあ、稽古は今日はここまで、狂紫郎はんのメロディーを聴かせてください」
狂紫郎は一度背筋を伸ばし、息を静かに吐き出しきった。
「サマータイム」をノーリズムの世界で展開した。
メロディーの美しさを透明感をもった音色で吹ききった、アドリブに入った、ブルーノートやフラット5の音をスラーをかけて半音をずらし表現した。
一瞬、早いパッセージを吹いた、そして最高音へ運ぶとき、息の吹き込みと指打ちで細かいタンギング音を表現した。
音色に独特の煌きが走った。
エンディングは半音ずつ下降させ、7THの音で余韻を残し終わった。
「結構な音色ですなぁ、でも少し怖い音どすなぁ」
「怖い?」
「そう、音の中に殺気みたいな気を感じます」
しばし目を閉じて、「まだか・・」と独り言のようにつぶやいた。

<次回につづく>

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January 21, 2008

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その148「閑話休題・オスカー・ピーターソンのミスタッチ」の巻ー

あのジャズピアノの最高峰に耀くピーターソンにもミスタッチが・・・あった。
あの名盤「ロンドン ハウス」の中にある。
1961年から62年にシカゴのジャズクラブ、ロンドンハウスで実況録音された歴史的な名盤である。
ピーターソンもレイ・ブラウンもエド・シグペンも絶妙のコンビネーションでその演奏に一点の曇りも無い。
私がこのLPを最初に聴いたのは1963年で、「ザ トリオ」と「ロンドン ハウス」が二枚組のボックス入りで発売されたときである。
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「トリクロティズム」や「オン ザ グリーンドロフィン ストリート」などを快適に聴き進んでいった。
曲が「シカゴ」にかかった。
この曲は、最初、ピーターソン独特のイントロのリフから入る、次いでご当地ソングとして有名なメロディがミディアムテンポにのって快適にスイングを始める。
ピーターソンのソロは益々ノリ、完全にピーターソンのバカテク・スイングの境地に入ってゆく。
後半、シグペンのレガートがアフロ的なリズムに切り替える、ブレイクする、ピーターソンが1音を最高速且つピアニッシモで連打する、「さあ、始まるぞ、倍テンポになるかな・・ならないかな・・」
と思わせ、再度高速ソロに入る、そして2小節のブレイク、溜め込んでレイとシグペンが行くぞと構えるその時、16分音符の連続フレーズの中の一音が抜ける・・・・聴いていて一瞬「ウッ」と息が詰まる瞬間である。
この速さで16分音符は80分の一秒くらの速さであろう。
しかし、連続的経過音なので一瞬抜けたと私は感じた。
曲はそのまま、何事も無かったようにドンドンと進みエンディングに入る。

私は、初めてこの盤を聴いていらい、ここはきっとピーターソンは一瞬指がひっかかったに違いないと思った。彼の頭の中ではいつもアドリブのメロを歌っている、彼はその時も歌っていたに違いない、しかし、頭の中でのインプロビゼーションのメロディラインからたった一音が抜けた。

今回、この文章を書くにあたって、再度聴き直した、何度も聴いた、やはり、一音抜けていると・・・。
完璧を期す名人だけに、これは抜けたに違いないと思うのである。
このLPを聴いたのは100回ではきかない、しかし、聴く度にこの個所で私はピーターソンは実は連続的に弾きたかったに違いないと・・・人のアラを探すようだし、別にこのミスがあったからと言ってこの演奏の値打ちが下がるわけではない。
いずれピーターソンにこのことを聞いてみたいと思っていたが、今はもう聞けない。

次ぎは、「ピーターソンの左手とレイ・ブラウンの音選びは、考え抜かれた計画的な音だ」というお話でもしようか。

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January 15, 2008

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その147回ーー「本田竹広の命日に・・」の巻ー

2006年1月12日に「浄土」に旅立って今年でもう2年が経つ。
蛮からで無骨で不器用で繊細なピアニスト。
黒っぽいフレーズで強烈なリズムで、でもロマンティックな語り口もいれて、彼はジャズシーンに登場していらい、我々を魅了し続けた。
彼と個人的なかかわりをもって接した方、沢山のライブを共に聴いた方、そのような方々は沢山いらっしゃるだろうから、個人にまつわる話はその方々にお任せしよう。

この1月12日の命日には、本田さんのLPやCDを沢山聴きながら、徒然、こんなことを思い出し、考えていた。

1968年、彼がまだ音大の学生のころ、私は中学、高校時代からのジャズ友でジャズ評論をやっていた故軒口隆策君が「おい、凄いピアノがいるぜ、一緒に聴きにゆこう」という誘いで、ジャズクラブというより、今流に言うならカフェでのライブというような場所で彼を聴いた。
彼のファーストアルバム「本田竹広の魅力」が1969年の録音だからそれ以前だった。
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早稲田大学のジャズ研に所属していた軒口君の情報だったので、きっと鈴木チンさんや増尾好秋君から聞いて知ったのだろう。
音が大きい、音数が多い、早いフレーズが多い、しかしリズムが走る・・・でも、こんなピアノが弾けたらいいな・・・大学でジャズピアノを弾いていた私の最初の印象であった。
同時に、音大と聞いて羨ましかった、「それはそうだろう、ピアノは上手いはずだ」とも思った。

それからは、毎年数枚のアルバムをリリースし、話題の人となっていった。
「ネイティブ・サン」を結成する前、渡辺貞夫Gにいたときに初めて短い話をした。
夏の蒸し暑い夜、ライブハウス「ジロキチ」の表の歩道でだった。
この話は亡くなった時の追悼ブログにも書いたことがある。
何しろあのライブハウスは狭い、そして満員に詰め込む、3ステージのうち2ステージが終わり、休憩時間にはミュージシャンの居場所もない。
皆、涼みに表に出て一服していた。
私は歩道に腰掛けて仲間と一服してた・・そこに本田さんが横に座った、勿論グラズ片手にである。
「暑いな、汗だくだ」とヒゲモジャの顔で言った。そして「皆も暑いのに凄いね」とあまり普段喋らないと思っていた本田さんが話し掛けてきた。
皆、一列になって歩道に座って休憩をしていた。
「本田さん、何故音大行って、クラシックへは行かなかったの?」と、我々からみたら、得体の知れない学校、音大はみなクラシックの勉強にゆくと思っていた。ジャズなどやったら退学になるくらいに考えていたので、そんなことを聞いた。
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突然、横にいた貞夫さんが「同じじゃない、クラシックもジャズも」と言った。
「俺、好きなんだジャズのノリが」と本田さんが言った。
後は何を話したか覚えていない。
休憩が終わり、皆中に入った。
木製の長いベンチ椅子とやはり傷だらけのテーブルを店内の片隅に積み上げて、お店の中に皆立っている。
貞夫さんがカウウントを出す、サンバのリズムにのって「トリステーゼ」が始る。
店中が踊り出した。
貞夫さんも本田さんも延々とソロをとった。ドラムソロになると全員が空き缶をもって叩いた。
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本田さんは、間もなくNYへゆき、ローン・カーターとトニー・ウイリアムスと録音をした。
これを聴いたとき、このままNYで活動をすれば良いのにと思ったのは私だけだろうか。
何故なら、この時の二枚(「アナザー・ディパーチャー」と「リーチング・フォー・ヘブン」)の録音内容が素晴らしく、いつになく、ノリまくりながらも、抑制が効き、三人の内容が絶品に仕上がっていた。ロンもトニーも本田さんを認めて、対等にインスパイアーしあっているのが分かる。
そして、このまま、本田さんは大好きな黒い感性の息づく街NYでそのまま黒い世界で演奏をした方が良いのではないかと単純に考えた。

その後、本田さんは「ネイティブ・サン」をつくり、人気バンドとなった。
時代が望んでいた、そして、誰しも電気楽器で表現をしてみたい、そういう時代背景があった。
しかし、どれを聴いても表現内容に大きな差を感じないフージョンの世界は、半分は理解できても半分は理解できなかった。
何故、半分かというと、電気楽器を駆使したフージョンの世界は演奏するほうは実は音の世界に入り込み純粋に楽しいのだ。しかし、聴く側になると、同じリズムパターンが続き、アドリブ、インプロビゼーションの範囲が限られ、似て非なるサウンドの連続となる。
これで満腹感となり長く聴き続けられなくなるのである。
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1978年に録音した「イッツ・グレイト・アウトサイド」でコーネル・デュプリーとやった演奏がジャズの限界ではと・・・これは私の個人的な感性と価値感の問題だ。
彼はフュージョンからR&Bなどを取り込んだ、ブラック・ミュージックの世界に行きたかったのだろうか。アフリカに回帰したかったのだろうか・・。
この本質は、出発点から変わっていないなとも思う。

「I LOVE YOU」で4ビートで快適にスイングさせながら、当時のヒット曲「サニー」を8ビートでやっている。ジャズになりにくい、でも黒っぽいメロで内容はR&B的なソロになっている。
そして、彼の特長、ノリだすとリズムが走る・・この「サニー」でもそうである、気持ちがはやるのだろうか・・その気持ちは聴く側にもよく分かる。Imgp0107


しかし、70年代はNYでロンやトニーと大きな飛躍をしたにも関わらず、まだ別世界へとイメージを飛ばせていたに違いない。
70年代の本田竹広(本田竹彦、竹廣<変換が出ない日へんのヒロ>)が何故か私は好きだ。
「ミスティ」で弾く本田は伸び伸びとして、黒い雰囲気をたっぷりと味わいながら演奏をしている。
私はいつも彼はこんなお客の中で、このようにやりたかったのではと思う。

「ワッツ ゴーイング オン」にいたってはマービン・ゲイの曲まで取り上げている。
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最近、音源が発掘された「ライブ イン 鹿児島」は数すくないライブ盤で、まるでマッコイ・タイナーと古沢良治郎のエルビンがやっている凄い迫力だ。録音は悪いが、内容は素晴らしい。
「サラーム・サラーム」はオリジナル中心で構成されているが、その作曲について「ジャズ批評」のインタービューで答えている、作曲は作りこみではなく、浮んだイメージをそのまま書く方式だと。
インプロビゼーションと同様、思いついたメロをモチーフに作曲をしていたのだ。
「コードは単純に、アドリブがし易いように書く」とも言っている。

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ネイティブ・サンは峰厚介が抜け、藤原幹典がはいり、メンバーも徐々に変わってゆく。
この頃の演奏はあまり生でもCDでも聴こうという気を起こさせないのは単に趣味の問題なのだろうか、それとも彼はスランプの状態にいたのだろうか。
私が想像するに、もっと早く方向転換をしたかった・・・が売れに売れたネイティブ・サンをレコード会社が離さなかった。
ギャラもいい、経済的にも安定する、しかし、彼の中では既に違う世界が描かれていたに違いない。
その安定した世界には安住するつもりは無かった、彼は無頼の人であった。

無頼とは、自分を貫き通すという意味である、ある意味、孤高でもあり、自己のダンディズムを保持することである。

その後かれはアコースティックな世界へと回帰する。
ベース、鈴木良雄、ドラム、日野元彦で1990年から91年にかけて、素晴らしい録音を残している。「バック・オン・マイ・フィンガーズ」はその中でも秀逸で、70年代にくらべ垢抜けた、粒ぞろいの音色が見事である。そしてファンキーでグルーブさせる展開は以前にも増して一層パワーフルでもある。
「アーシアン エアー」もいいし、ソロ・アルバム「シー オール カインド」は完成度がとても高い本田のソロの世界を聴くことができる。

そして、本田竹広は次の目標を見つける。
「EASE」と名付けたグループで三管の分厚いサウンドを展開する。
「ブギ ブガ ブー」では、やはり本田の世界・・・そうあの黒い世界へと引き込んでくれる。

1994年、97年と病に倒れ、幾たびかの危機を乗り越え、ピアノを弾くためにリハビリをし、人口透析をしながら、まだリサイタル、演奏とつづけ、「ふるさと オン マイ マインド」をつくり、「ナウ オン ブルース」を、そして「紀尾井ホール リサイタル」まで、ピアノにこだわった。

取り留めのないことを書いてきた・・・しかし、これも彼の命日がさせたのだろう。
そういう意味ではまだ彼は私の中で生きているのは確かだ・・・。
沢山のLPやCD、彼について書かれた書物を前にして、当時を思った。

私が、もし神様から「ピアノを自由に弾くことができるようにしてやる、どんなピアニストになりたいか」と問われたら・・・本田竹広・・と応えるだろう。

ジャズのLPやCDは沢山棚に並んでいる、しかし、繰り返し聴くアーティストはそんな沢山はいない。マイルス・デイビス、ホレス・シルバー、アート・ブレイキー、セロニアス・モンク、ウイントン・ケリー、ソニー・ロリンズ、ジョン・コルトレーン、オスカー・ピーターソン、そして本田竹広・・・。
みな、何度も聴きたくさせるエネルギーを内在させているアーティストだ。

本田竹広の三回忌命日にそんなことを思い出し、偲びながら彼の音を再現して聴き続けた。

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January 11, 2008

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その146回ーー「ジャズ無頼帖その1」の巻ー

正月の音出し始めも終わり、振る舞いのただ酒をいいことに飲みすぎたコメント常連客もやっと引き上げた。
店の片付けも終わり、スタッフとハウストリオのメンバー、そしてスリーピーも加わって母屋での夜食会となった。
この夜食会はすでにこの物語の初めの部分で度々登場している。
しかし、途中から読み始めた方の為に状況シーンを少々説明しよう。

ジャズクラブ「KIND OF BLUE」の入口とキャッシャー、クロークは一階にあり階段を降りて地下がライブハウスと厨房になっている。
一階は小さな洒落た小さな家という感じである。中庭を挟んで母屋があり二階建てでこの主人公ゼンさんの住まいだ。
中庭には、大きな欅が一本ドッシとたっている。ゼンさんの車二台とシェフの長さんのバイク、ドゥガッティーが停めてある。
母屋は扉を開けると、大きなリビングがあり、30人の食事会ができそうな広さと大きなテーブル、趣味の良い食器棚と食器、グラス類、シンプルなオーディオセット、ソファー、ホームバーが片隅に、そして以前ライブハウスで使っていたスタンウエイのコンサート・グランドが置いてある。

週に二度、スタッフが集まり夜食会を行う、簡単で美味しい賄い料理をつくってくれるのは、シェフの長さん、そしてスタッフの二人、ギャルソンの山ちゃんとキャッシャーのヨーコちゃんだ。
これに、レギュラートリオの面々が加わる。
このジャズクラブはご存知のように、ゼンさんが主宰する株の投資で経営・運営をしている。
お客さんからのチャージだけではこれだけのジャズクラブを隆々とやっていける訳がない。
そう、株で稼いで、経営上の運転資金を賄っている。
ジャズクラブや株投資をやっている会社を「BLUE IN GREEN 社」という、略して「BIG」という会社だ。スタッフの面々も少額ながら出資している。
そして、タップリと給与と配当を受けている。
ここの夜食会がいつも投資先相談会議の場であり、投資状況の報告の場でもある。

「どうだろうか、今日は狂紫朗こと恩田君が参加している、新年会でもあり昨年末の他のジャズクラブの話など聞きたいと思うのだが・・」とゼンさんが切り出した。
「ききたいなぁ」と山ちゃんが言い出した。
食卓には3種のパスタと5種ほどのチーズがもってあった。
「今日は正月だ、シャトー・ラトゥール97年でも開けるか」とゼンさんが山ちゃんに指示した。
バカラのワイングラスが何気なく配られ、乾杯となった。

「じゃあ、少し話してみようか」とスリーピーが話し出した。
音楽はエセル・エニスがかかっている。

「それは暮れの横浜での話なんだ」
俺は昔よく通ったジャズクラブがあるはずだと探しに行ったがもう見つからなかった。
そう20年も経てば変わるさ。
そこでその傍にあったジャズクラブに飛び込んだ、「D」というクラブだ。
内装もまあまあ、当日の演奏者というかメンバーはここによく出ている名で、ピアノトリオだ。
見るからに真面目な若いジャズ研究者という様相だった。
演奏技術は稚拙でもいいからマインドのいい音やフレーズが聴きたいものだと入っていた。

店のヤツは俺の格好を見て一瞬引いたが、ジャズクラブには変なヤツもよく来る、何も無かった様に6分ほど埋まった席の一つに案内された。
俺は、先ず、いつもの通り、ドライマティーニを注文した、そう「ドライだぜ」と念を押してね。
「ジンは一滴でいい」とも付け加えた。
やがて演奏が始った、そのトリオは二曲ばかりスタンダードを演奏した、そして一人の若い女性ヴォーカルが出てきた。
まだ、歌いはじめで、歌の歌い方にその若さが出ていた、でもそれも真面目に歌おうという気持ちが伝わったので、まあいいかと、マティーニを舐めていた。
最初の曲「There Will Never Be Another You」をミディアムテンポで歌い終えた。

その時、店の奥でなにやら騒がしい一団が、「リクエストだ」という声も聞こえた。
ジャズクラブでリクエストとは随分無粋な奴らだなと思った。
でも、その歌手はなにやらおびえ気味にその方向を見ている。
「You Be So・・・」と「柳・・・」をやれと酔って言っている。
普通は無視であるが、若いヴォーカルはそっとピアノの彼をみた。
ピアノ君は少しうなずいて、「You Be So Nice Come Home To 」のイントロを弾き始めた。
しかし、このヴォーカル嬢にはこの歌は似合わないし、先ず歌いたいという気がない。
いやいや歌っているのがミエミエである。
「やはりこれだよな****」という声が聞こえた。
近くを通った店のスタッフを呼び止めた、マティーニのお代わりを頼みついでに聞いた。
「あれは何者なんだ」「えーー、少し言葉に詰まったが、声を一層低くして、ちょっと恐い人たちで、あの子のファンでいつもあの子が出るとやってくるんです、騒がしくてすみません」と申し訳なさそうな顔をした。

「おい、どした、次ぎは柳だ、あのウイロウ何とかだ!」とどなっている。
俺はそっと脇差から篠笛を抜いて、ピアノの傍に行った、そして言ったんだ。
「俺も参加させてくれ、悪いようにはしないさ、君はこの歌知っているのか?」とヴォーカルに聞いた。「なんとか歌詞は・・・」
「まあいいさ、おれは勝手につけるから、任せておけ、そして君たちの自由にやれよ」
そう言われてピアノ君もヴォーカル嬢もベースやドラム君達も、「じゃあやろうか」という顔になった。
「おい、なんだ今度は笛も加わるのか」「なんだアイツの格好は、ポニーテールちょんまげに、紫の着物・・・変な格好だな」「いいからささっとやれ!」

「WILLOW WEEP FOR ME」のイントロはピアノがつけた。
そしてテーマの歌に入った、このブルージー満点な曲に俺は篠笛で、かすかにブルーノート・フレーズを絡めた。
歌がノリだした、無意識にフェイクする音が見つかるらしい、よりブルージーな装飾音が自然に入る。
俺は小声で、グッドと言ってやった。彼女はニヤと笑って歌を終えた。
続いてピアノがソロをとった、俺は2コーラス目からバックリフをつけた、3コーラス目にはピアノ君のソロフレーズに篠笛を絡めていった、ピアノ君は俺の顔見て次には途轍もないフリキーなフレーズを弾き始めた、「いいぜ」と小声で囁いてやった、ベースもドラムも自然に音の中に入っている。
ドラムのレガートとベースがピタリと一致している、これはやろうと思ってできることではないが、相手の音を自然に聴けるときは自然に一致するものなのだ。

4コーラス目で俺はピアノ君のソロさせたまま、篠笛のソロをかぶせていった。
演奏全体が大きくスイングしだした、それまでのシンバルレガートとベースの4ビートによる刻みとは違うもっと大きな弧を描いたスイング感になっていった。
笛の音色は澄みわたり、研ぎすまされ、大きなスイングの弧の上で空気を切り裂くような一音を発した。
いままで騒いでいた集団が皆何事かとバンドに注目し、目が点になっていた、口は間抜けにも空いていた。
早いフレーズ、キレのよい音、和笛独特の音程の不安定さもなく、一本の光りのような音色が空中を飛び回り始めた、目を閉じるとまるで100色の色彩をもった星がちりばめられているようだ。
低音から最高音まで半音階づつ素早くせりあがった、その瞬間、その店全体が大きく揺れ出したように感じた。
あの恐いお兄さんの集団は立ち上がって何か言おうとしているが、立ち上がれないでフラフラしている。
俺はテンションをすこし緩めて、歌に戻した、ヴォーカル嬢はどこから入るか普通ならかなり難しい状況だったが、我々の演奏をしっかりと追ってきたのだろう、素直にテーマに入った。
お客もお店のスタッフも皆時間が止ったような顔をしていた。
そして暫しの間のあと、大きな拍手がきた・・・がアノ集団だけは白けた顔をして不満そうだった。

俺は席に戻った、そして冷えたマティーニを一気に飲み干した。
ピアノ君が傍にやってきた、「ありがとうございます」礼儀正しく挨拶をした。
そして「あんな笛、聴いたことないです」とも付け加えた、そして傍らにあった、細長い筒をみて「ソプラノも吹くのですか・・」と。

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その時、例の集団がヴォーカル嬢を呼んでいた、親分格と見られる男が「おう、もう仕事を終わりにして食事に付き合えよ」などと言っている。「もうあんな音楽やるなよ、うるさいだけじゃないか、話もできないぜ」と若いものが言う。

「あいつら何なんだ」と俺は再度ピアノ君に聞いた。
「あれは地元のヤクザさんでね、暴れるわけではないけど、ジャズが好きだとか、あの親分みたいな人、横野さんっていうらしいけど・・、いつも歌のあの子がお目当てで、でも迷惑みたいで、逃げているけど・・結構うるさいんだ、それで店はいつも料金はダータ(無料)でね、おまけにミカジメ料っていうのかな、お店が渡して引き取ってもらっているらしい」
「アイツラが来ていると、演奏をやる気が失せてしまってね、やっていてもみな乗り気では無くなってしまうんだ」とも言った。

スリーピーは静かに立ち上がると彼らに近づいていった。
「もういいだろう、十分に飲んだらしいし、お前達が音楽を聴く場所じゃないな、ここは」と親分格の人物に言った。
一瞬、周囲が色めきたった。
「なにを!このチョンマゲ野郎!」と若い一人が詰め寄った。
「兄貴、どうします?」
「・・・・どこかで見た顔だな・・・」親分格の兄貴と呼ばれた男がつぶやいた。
「旦那、お久しぶりです、その節はお世話になりました」と丁寧な挨拶をした。
そして「さああ、帰るぜ」と号令をかけた。
「まだ帰さない、ちゃんと料金を払って帰れよ、ツリはチップだよな、リクエストまでしているんだから」そう念を押した。
傍でマスターが縮こまってただ立っているだけだった。
「これで」と1万円札を5枚ほど置いて、足早に立ち去った。

他のお客もスタッフもただじっと見ているだけだった。
マスターが恐々と話かけた、「また仕返しにくるのでは?」
「いや、来ない、二度とこの店には来ない」と自信をもって言い切った。

「さあ、次のステージでも一曲お手合わせしてもらおうか」

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January 07, 2008

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その145回ーー「新春共演」の巻ー

<明けましておめでとうございます、新春ブログ初めです! 今年も荒唐無稽なお話を宜しく御願いします>

「スリーピー・狂紫朗 新春共演の巻」

長い正月休みも終わり、街にも喧騒が戻ってきた。
「KIND OF BLUE」の音だし初めも今夜からだ。
特にイヴェントを企画する訳ではないが常連はいつものように集まってきた。
正月らしいといえば、振舞い酒の為に菰かぶりの一斗樽が入口に据えられていた。
北海道からはDUKEさん、近隣のKAMIさん、しんじさんに、Basscleffさん、みんなただ酒が飲めるというので早くから出来上がっている。

ハウストリオのメンバーも常連も一合升を片手ににぎやかだ。
「さあ、そろそろゆくか」とリーダーの大野が声を掛けた。
ピアノの河田吾郎がブロックコードを叩いた、ベースの山田と大野がすかさずミディアムスローでバックをつけた、「サテンドール」からの始まりだ。
落ち着いたフレーズで大きくスイングしている、まるで年末に亡くなったピーターソンに捧げているような雰囲気だ。次第に音数が増してくる、密度の高い音でウネリを作り出す、粘っこいスイングに練りあがってくる、そこでテンポが倍になる、ここからは超アップテンポになる切れの良いシングルトーンフレーズが途切れなく続く、2コーラスをアップテンポで進み、二拍三連を二小節続けてもとのテンポに戻った・・・ここで拍手がきた。
一曲目からみなノッテいる。

そんな時、階段を濃い紫色の着流し姿で階段を降りてきたのはスリーピー・狂紫朗だ。
みな、もう前回の登場で彼が何者か分かっている、年末は都内のライブハウスに飛入りして演奏者の度肝を抜いたらしいが、演奏の内容が刺激的ではあるがジャズ以外の何者でもない、むしろ本質をついた音を出すのでその場に居合わせた人たちはかなり喜んだらしい。
但し、いい加減な音で対応した共演者は例によって、円音奏法により金縛りにあい一音も出せなかったと噂が飛んでいた。
彼は一人の連れを伴って入ってきた。
細身の黒人でボルサリーノを目深にかぶり静かな雰囲気をもっていた。

ドラムの大野が声を掛けた、「何かやりますか?」
スリーピーは帯から脇差風の篠笛を袋から取り出した、「彼も一緒にいいか?」と大野に聞いた。
「彼も何かやるのですか?」「うん」それしか言わなかった。

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その彼はポケットから小さな楽器を取り出した。
お客が少しざわめいた、「何あれ?」と見慣れない楽器だ。
「もの知りの富田さんがいった、ポケット・トランペットだ!」
スリーピーが吾郎にキーを囁いた、スリーピーの篠笛とポケットトランペットがユニゾンでテーマを吹き出した。「WELL YOU NEED’T」だ。
その男はポケットトランペットにミュートをつけていた。
テンポの間合いがタイトだ、リズムとフレーズの乗りに緩んだ間がない、間あるが100分の1拍すら感じさせる演奏だ。
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ソロは最初はスリーピーがとった、45センチの篠笛でD♭キーがベースになっている。
ロングトーンはあくまで澄んだ音色を震わせ、早いパッセージではキレの良いフレーズを吹いた。
和笛にある音程の不安定さは無い、むしろ吹き込む息つかいが音色にかぶって緊張感を高める。
2コーラスが終わって次にポケットトランペットが登場した。
そのノリはリズムの微妙なタイミングに音を置いてゆくようなフレーズだった。
まるでモンクがペットを吹いたらこんな音のおき方になるのではと思うような、ノリだ。
でも不思議なスイング感をもっているし、フレーズと音色はブルージーだ。
2コーラスが終わってテーマに戻った、スリーピーの篠笛がメロをとりポケット・トランペットがオブリガートを絡めた、そして最終のメロをペットが篠笛を追って最終音でピッタと一致して終わった。
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場内は心地よい緊張から解きほぐされた、そして拍手が起きた。
ゼンさんが皆に紹介した「ドン・チェリー!」
お客が顔を見合わせた、その男がシャイなのだろう、恥ずかしそうに会釈をした。

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そう、ペットのドロフィーとでも言えばよいだろうか、モヒカン刈でカムバックしたロリンズを一層過激にインスパイアーしつづけた「OUR MAN IN JAZZ」での存在はいまだに新鮮であり、凄い。
でも一方においては、シンプルなブルースを温かい音でやさしく吹く男でもある。
ドロフィーはコルトレーンを触発しドン・チェリーはロリンズを触発した。
のみならず、彼は色々なセッションで周囲を煽り、インスパイアーしつづけた、サラ・ボーンは彼とブルースを演奏するのが好きだった。

「KIND OF BLUE」の新春最初の飛入りゲストはドン・チェリーだった。
ゼンさんがスリーピーに話し掛けた「今夜店が終わったら久し振りに母屋で夜食会にでも参加していってよ、他のライブハウスでの出来事も知りたいし・・」
「いいさ、まだ正月気分だ」とスリーピー・狂紫朗が応えた。

<次回に続く>

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December 28, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その144回ーー「オスカー・ピーターソンへの賛歌」の巻ー

2007年12月23日、オスカー・ピーターソンがこの世を去った。
思えば随分と長いつきあいであった・・・・とは言え、個人的な交流が特にあった訳ではない。
1961年の1月にジャズに魅せられて以来、アート・ブレイキーやマイルスと共に長いつきあいであったような気がする。
しかし、ピーターソンとは何か別な繋がりというか、少々次元の異なる繋がりではと思う。
そこで、彼へのオマージュという意味も含めて、出会いからを整理して書いてみよう。

初めての出会いは1953年のJATPで来日割いた際に母親に手を引かれて聴きにいった、しかし、意識して聞いていた訳ではないので母親から聴いたといわれて、そうだったのかというくらいの感覚と記憶しかない。
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1962年頃にやたらに早くピアノを弾く奴がいると、高校時代のバンド仲間4人の間で話題になった。
シカゴはロンドンハウスでのライブ盤を聴いた一人、アルトの軒口君が言い出した。
早速その速さとやらを聴いてみたいとおもい、通いつめていた数寄屋橋のハンターへ出向いた。
あった!
それも二枚組みで箱に入っている、高いかなと思ったら、バーゲンで二枚で3000円という。
当時モノラルが1500円でステレオ盤が1800円というのが国内盤の定価であった。
分厚いボール紙でできたLPの箱に入っているだけで高価そうだ。
3000円は大枚であったが、なけなしの持ち金をはたいて購入した。
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「グリーン ドロフィンストリート」で始まり。「トリクロティズム」「シカゴ」「ビリーボーイ」などワクワクとさせるスリリングな展開の連続であった。
「おい、すごいよ」と翌日仲間に話した。
4人のバンド仲間での評価は半々であった。
早く弾けば良いというもんじゃないよ、という奴、でもあのスイング感はたまらないぜ、という奴。
そこから、テクのあるピアニストとテクはないが感性で勝負は誰かなどと論争は発展していった。
同時にスイングジャーナル誌でも紙上論争があり、ピーターソンはスイングするかしないかというテーマであった。

1963年6月2日、産経ホール、ノーマン・グランツの司会でコンサートは始まった。
先ず、ドラムのエド・シグペンが呼ばれ、ブラッシュでスネアを叩き始める、続いてレイ・ブラウンが登場しミディアムアップの4ビートにあわせたブルースコードのウオーキンベースを弾き始める。
最後に御大、オスカー・ピーターソンの登場だ、先ずは「リユニオン ブルース」。
三人の呼吸の合い方が凄い。

最前列の席は高額で高校生には買えない、立見券で入った仲間4人は暗くなるや走って最前列の前の通路に腰をおろして聴いていた。
きっと今では通用しないだろう、直ぐにつまみ出されること間違いないが当時は結構許されていた。

目の前にエド・シグペンがいる、切れ味の鋭い左手のアクセント、ハイハットの音が生で聴こえる・・・レイ・ブラウンはピアノに近く寄り添うように立っている。
大きなステージに三人がシッカリとくっついて纏まったセットになっている。
レイ・ブラウンの低音ながらシッカリと通る大きな音。
ピーターソンは何気ない顔をしてサラッと素早いフレーズを弾く、このフレーズが途切れない、コチラの呼吸が続かなくなるほどだ。
そしてピーターソンのフレーズを唸る声も生で聴こえてくる。
ドラムのピッシ、パッシときまるリムショット、すかさず入るレイ・ブラウンのブゥヲーンという超低音・・何から何までが名人芸に聴こえ、観え、鳥肌がたった。

この日はライブ録音をしていた、後年この盤が発売になった。
「LIVE IN TOKYO 1964」というパブロ盤のCDが出ている。
これを聴いて驚いた、何と最前列でイェーとかイヤァとか叫んでいる声が録音されている。
この声は間違い無く、仲間の故軒口隆策君の声だ。拍手もまじかに大きな音で録音されているのが、我々の拍手だ。
「アイリメンバー クリフォード」、「カドタス ダンス」「ライク サムワン イン ラブ」最後の「自由への賛歌」まで、当日の演奏順に並んでいる。

休憩時間、4人の意見は一致した、「ピーターソンはスイングする!それもただのスイングではない、強烈だ!」産経ホールから東京駅までの帰り道、評論家のピーターソンの評価はあてにならないと、あらぬ方向に話題がむいた。
アルトの軒口君は田町で降り、私とドラムの故小林君は蒲田で下車、私はそこから私鉄に乗り継ぐ、ベースの安藤君は川崎までゆく。その間、ピーターソン トリオの素晴らしさを語り続けた。

しかし、一方内心私は別の不安があった。
ピアノはああ弾かなくてはいけないと思われたら・・・これは大変なことだ。
そして家に帰り、あの二枚組のロンドンハウスを聴いた。
翌週、数寄屋橋のハンターで別のピーターソンを探していたとき、「ストラットフォード、シェークスピア フェスティバル」という、ギターのハーブ・エリスをいれたLPを発見。
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これを聴いて、再度ぶっ飛んだ。
ドラムなしのピアノトリオで聴いたことのない速さで演奏している。
ギターのストロークとベースが完全に一致して強烈なスイング力だ。

ドラムの小林君が聴きたいと、LPをもって彼の家にゆき、彼はそれをターンテーブルにのせ、音を聴きながらドラムを叩く、これが丁度いい練習だという。
でも、ブラッシュでアップテンポを叩こうとするが直ぐにおいてゆかれる。
彼はLPの音量を本物の音と同じくらい上げ、ステレオ装置に向かう形でドラムをセットして練習を続けた。
或る日、小林君曰く、「あいつらは凄い、ドラムも無いのに高速のテンポが一定で狂っていない」と・・・当人が聞いたら、「当たり前だ、お前には言われたくない」と怒りそうなセリフを吐いた。
それから、「ナイト トレーン」「ウエストサイド ストーリー」等など、新譜を追っかけた。

しかし、実際に演奏する段になるとあの指の動きは不可能で、真似をすることを諦め、「あれは真似するものじゃない」といい、私はウイントン・ケリーを追い始めた。

やがて4人は私立男子校から大学へ進学した。
アルトの軒口君は早稲田大学のジャズ研へ、ベースの安藤君も同じ、ドラムの小林君は外語大へ、私は学習院へと進んだ。

私の入った大学は男子60%、女子40%と女子の比重が大きい。
早速、フルバンドにピアノとドラムの両方で参加したり、アルトとペットのクインテットを組んだりしていた。
大学2年になったとき、フルバンにドラムとベース志望の1年生が入ってきた・・がこれがなかなかやる。
フルバンとは別にピアノトリオを結成しようということになった。
少しは指も動くようになった私は、インチキでいかにもピーターソン風に派手に弾く物真似ができるようになっていた。
三人でトリオを組むさいに、ピーターソン トリオ風でゆこうと、無謀な話をしていた。

或るとき、キャンパスで女性を交えて話をしているとき、何か聴きよいジャズがないかと聞かれた、とっさにそれはオスカー・ピーターソンでしょうと答えた。
私の二枚組LPはいろいろな人の手に貸し出されることになった。
そしてそれは概ね好評であった。
当時はボサノバの流行たてであり、ゲッツ・ジルベルトとピーターソンの「ウイ リクエスト」は我が大学では引っ張りだこであった。
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我々、ピアノトリオもインチキな物真似でも当時ジャズをやるピアノトリオは珍しく、結構もてはやされた。
その背景には、ドラムの川島君がやたらテクニシャンで上手かったこと、ベースの森君が音が大きく、どんな早いスピードで何時間も弾ける腕力をもっていたことがある。
私は、再度来日したピーターソンを何度も聴き、その特徴を分析し、物真似につかっていた。
13度も届く手は持ち合わせていない、あのような完璧な音楽才能もない、・・・。
ピアニストの八城一夫氏はピーターソン弾きをしていたが、小さい手であれをやるには、両手が彼の片手に匹敵する、そういう指使いをしないとできないと言っていた。
しかし、私にはそんな指使いは分からない・・・・・。

ピーターソンは最初、シングルトーンなどで静かに出てくる、徐々に音数を増す、倍テンポになる、最後にブロックコードやグリッセンドを多用し、三連符を使い、フォルテッシモに盛り上げる、フレーズの切れ目でドラムのフィルインと合わせるリフをつくり、クライマックスになる。
このような構成の流れを真似するだけで結構それらしくなり、ドラムの川島君のテクの凄さと呼吸のよさで、素人ながら上手く合わせることができた。
そして、このピアノトリオは学園祭では結構人気があり他の大学の学園祭にも呼ばれることがあった。

卒業の間際に、卒業コンサートを開いた、当時私はバンドを二つもっていた。
一つは「セルジオメンデスとブラジル66」のコピーバンドで結構人気があった。
もう一つがこのトリオで結構自信に満ちたインチキジャズをやってヤンヤンの喝采を得た。
1970年大学を卒業した。

1970年代にはピーターソンは何度も来日し、私も何度となく聴きに行っている。
新宿厚生年金ホールで行われたコンサートで、あまり深い考えのない、そして心無い人種差別主義者の投石事件がおきた。
ピーターソンに向けられた投石は幸運にも石はそれた。
演奏は一時中断され会場はどうなることか、これで公演は中止かと・・・。
でも、再度ステージに登壇したピーターソンは静かに「自由への賛歌」を弾き始めた。
いろいろな録音されたこの曲があるが、この時聴いた「自由への賛歌」はまた別の意味をもった感動的な「自由への賛歌」であった。

1995年頃であったろうか・・・私は昼食をホテルオークラのテラスレストランでとり、出口を出た廊下で車椅子にのったピーターソンに出会った。
周囲には彼と夫人以外誰もいなかった。
私は思わず声をかけてしまった、そして6歳のとき1953年にJATPで来日した際に母と聴いた話、1963年に初めて意識して聴いたこと、等など、その間約5分、彼はへぇーという顔をしながらそんなに以前からとか合図地を打ちながら、私のつたない英語での話しを聞いてくれ、最後に握手をした。
大きな手を意識したが、大きさより柔らかさが印象に残った握手だった。

今、レコードやCDの棚に誰の作品が多いかとみると、明らかにピーターソンはトップ3に入る。
ある人は、ピーターソンはどれを聴いても同じでしょうという人がいるが、実は微妙に年代によって異なり、その違いを聴くのも楽しいものだ。
また、ロンドンハウスの二枚組LPに加えることに、そのロンドンハウスで録音したコンプリート盤が5枚組ででており、当時のロンドンハウスに二日間も居るがごとき演奏を味わえるのである。

ヴァーブ時代、パブロ盤、EPSドイツ盤など・・録音の特色もあるし、後年になればなるほど、ヴェーゼンドルファーの特色ある音色を聴くこともできる。

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ピーターソンが死んだと聴いた日の夜12月25日、私は、先ず1964年6月の産経ホールのライブ盤二枚組をそのまま聴き目を閉じた。
そこには、あの日の三人がそのまま登場し、あの演奏をやってくれた、目の前にピーターソンはいた・・・

そしてこれからもずうーっと居続けてくれることだろう。
まだまだピーターソンは弾き続けてくれる。

THANKYOU OSCAR! I MISS YOU!
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December 21, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その143回ーー「スリーピー・狂紫朗という男」の巻ー

<前号より続く>
(空想と幻想と思いつき、架空のジャズクラブ「KIND OF BLUE」へようこそ。幸か不幸か、貴方は下らない口から出まかせ、推敲なし、構成無しのお話に付き合わせれることになる。中傷誹謗、罵詈雑言多いに結構、灰皿投げるも、布団を投げるも多いに結構・・・しかし、コメント欄にお世辞の一言くらいは書き残すが礼儀・・・・ナンチャッテ、またまた続くデタラメJAZZ小説なのであります。)


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金曜の演奏時間はとうに過ぎ、もう夜中の1時半を廻っていた。
しかし「KIND OF BLUE」の店内はまだ熱気に溢れかえっていた。
飛び入りでソプラノでブルースを吹き始めた男は続いて帯に挟んでいた脇差の様なものを取り出すと、濃い紫の筒状の袋から竹の横笛を取り出した。
やおら、曲目も言わず、吹き出したメロディーは「オレオ」だ。
でもこの日本の民族楽器でもある竹製の横笛はフルートと違い、かすれた音を伴い独特の音質を産みだしていたが、音程は安定しフルート以上に西洋音階をとらえていた。
さすがに吾郎達だ、キーを捜しだし、伴奏に入った、キーはD♭だ。

読者にはこの男の素性を紹介しよう。
すでにかなり以前、マスターのゼンさんの学生時代の仲間が店に来てはジャムっていたことをご存知だろう。
そのうちの一人、天才アルトの恩田君がこの人物だ。
彼は大学を卒業し、警察に入った、公安の特殊な部門ゆえ、仕事の事は言えないといいながら、天才的なジャズセンスをもった恩田君はアルトを抱えてよく店に遊びにきていた。そんなシーンも覚えている方もいらっしゃるだろう。
彼は今年定年になった。警察を辞め、これからどうしようかとゼンさんのところに話にきていた。
どうせ独り身の恩田は、いよいよジャズをやりたいと言い出した。
「今、どこのジャズクラブ行っても、軟弱なジャズというか、聴いていられない音が多い、俺は今更プロになって稼ごうとは思わない・・が・・だっ、少々渇を入れてやりたい」という。
退職金をゼンさんのファンドに預けて、全国のジャズクラブを廻りたいというのだ。

そのいでたちがこの格好だ。
「スリーピー・狂紫朗」なんだか、松本英彦の愛称と眠狂四郎を掛け合わせたような名前だ。
しかし、今までの職業柄、目は鋭く、公安刑事の勘も優れている、そんな「気」を消すように突拍子もない格好を思いついたのだ。
今夜はそのデビュー最初の夜であった。

横笛、バンブーフルートの音色は益々冴え渡った。
早いフレーズと「間」、そして一瞬を切り取る鋭い一音、それに素早く反応するピアノとドラム、ベースはいつも以上に低音部を強調し、コントラストをつける。
音にも陰影があることが見えてくる。
ピアノとベースとドラムが一体となった大きな弧を描くスイングをたたき出す、その上で横笛の音が渦を巻き始める。
3コーラス目からはフリーの世界になっている。
聴衆は不思議な心地よい感覚に取りこまれ、闇の中から一閃の光が迫ってくる錯覚に入る、否、錯覚なのだろうか・・・・アクアマリーンのような透明感のある光が闇の中から迫り来る、眩しい限りの輝度で、でも目はシッカリとその光を見ている。光が見える・・・・。

ピアノ、ベース、ドラムが横笛とのインプロビゼーションで会話を続けるうちに、心を素直に音に集中させると奏者は自然に音に反応させられてしまう。手が音を自然に選んでしまうのだ。
もし、素直に音が聴けないと、その奏者の手は凍りついたように動かなくなり、何も出来ないで、ただただ無力感と敗北感にさいなまれるだろう。
しかし、ここで演奏している三人は素直にその音に入っていった。そして自然反応の如く、互いの音からインスピレーションを受け、インプロバイズされた感性から素直な音を出していた。

「音」というものがこの自然界というか宇宙にあって、空気の振動である物理現象であり、その振動は瞬間に伝播し人の心、すなわち、奏者や聴衆をも振動させエネルギーに昇華させる。
それは例えれば、ジョン・コルトレーンとエリック・ドルフィーの相互インプロビゼーションにも聴けるといえば良いのだろうか・・。

横笛が静かに低音部へと降りてゆき、オレオのテーマに戻ったところで、聴衆は我に帰った。
この混沌なのか秩序なのか・・・不思議な時空の中で異様な「光」を見た。
テーマが終っても暫くは、店内は静まったままだった、皆の顔は満ち足りた顔をしていた。
深呼吸ともつかぬ、ため息のあと、大きな拍手が起きた。
それは、賞賛の拍手ではなく、感謝の拍手に聴こえた。

それこそ、後年、「月光奏法」と名づけられた、スリーピー・狂紫朗の独特の奏法であった。
彼は、静かに横笛を鞘袋にしまい、帯に挿し、一礼をした。
共演をつとめた三人も満足感に浸っていた。

ソプラノ・サックスを筒にしまい、まるで佐々木小次郎の如くそれを斜めに背に負うて、竹の横笛を脇差の如く、さあ、スリーピー・狂紫朗はこれから何処へゆくのだろうか・・・・。


<次回に続く>

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December 14, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その142回「スリーピー 狂紫朗 見参!」の巻ー

<前回より続く>

・・・いよいよ、空想と妄想のジャズクラブで何が起こるか、何が始まるか・・・ジャズ界の仕置き人登場か!・・・

金曜の「KIND OF BLUE」は常連で混みあっていた・・といっても所詮30人で満員だ。
コメント常連のDUKEさんやKAMIさん、BASSCLEFFさん、しんじさんもテーブルを囲んで休憩時間にジャズ談義だ。
最近ではMIXI口からの常連客もよく店にきてくれているようだ。
ハウストリオの河田吾郎、ドラムと大野、ベースの山田といつもの顔ぶれが次の曲を決めていた。
「枯葉って、スタンダードではかなり録音されているよね」って、ベースの山田君が切り出した。
「そう、ティモンズなんていいよね」と河田、大野は「やはりマイルスの印象が強いな」と、「次にやってみる」「イントロは何かつくろうよ」とゼンさんが加わった。
「じゃあ、俺がリズム無しで、スローでSMILEを8小節弾くから、そしたら枯葉のテーマに入るのインテンポで・・・」と河田が言い出した。
「じゃあ、時間だから」と大野がドラムの椅子に座った。
ザワついていた店内が少しづつ静かになって、ローソクの煌きだけが揺れている。
吾郎が、SMILEをシングルトーンでユックリとメロを辿った・・・8小節目で音を止めるとベースがミディアムファーストのテンポで高音がら半音階下降で下がりながらFまでもってくると、そこで全員が「枯葉」のテーマに入った。テーマから凄いスイング感を感じさせる冴えた入り方に思わず「イエェー」と声が掛かった。
吾郎のソロは延々と6コーラス目に入った、益々ベースが絡む、ドラムが煽る、吾郎の三連符が大きな弧を描く、お店中がスイングを始めた瞬間だ、これがこの店「KIND OF BLUE」の本領発揮だ。
ベースにソロが廻る、山田君は1コーラスをピッチカットで2コーラス目からアルコで弾き出した。
アップテンポでありながら音色に哀愁が篭っている・・・最近にないグルーブ感が漂っている、続いてドラムとの4バースになり、最高潮に盛り上がってゆく。

そんな時、紫がかった大島の着流しに何やら細長い筒を背負った、長髪ポニーテールにヒゲ面の男が階段を下りてきたことに気付いたのはゼンさんだけだった。
演奏が白熱している中で、ゼンさんは「久しぶり」と小声で言った、男は静かにうなづいて、背負った長い筒をおろし、カウンターの横にこしかけた。締めた角帯には何やら脇差のような物を挿していた。

延々20分におよぶ「枯葉」が終わり、お客がヤンヤの喝采をおくっている。
吾郎がチラッとカウンターの横の男をみた、「やる?」、声はでていないが、しぐさでわかる。
男は、長い筒から、金色に輝くソプラノ・サックスを取り出した。
皆が、変なヤツが・・と思っている、何しろ着流しの男・・・今日は「着物でジャズ」の日ではないのだ。
マウスピースをつけながらピアノの横にたった、「何?」と吾郎が聞いた。
男が静かに言った「Dナチュラル・ブルース」、途端に出だしのテーマ、4小節を一気に吹いた、ドラムの二拍のロールを合図に全員が入った。
引き締まった空気と、緊張感のあるブルースが始まった。
音数はそれほど多くはないが、ノリのタイミングに緊張感がある、いつになく、ピアノのフィルインが鋭いし、ドラムのアクセントもきつめに入ってくる。
その男は静かに目を閉じたまま、ブルージーなフレーズを吹くというより置いてゆく。
フレーズの合間に微妙な間を置く、その間が聴く者をじらせるが、それがまた心地良い。
「惹きつけられる音だね」と常連のマナブ君が言った。
「でも一体何物なの、あの人?」とデザイナーの京子ちゃんが言った。

少ない音数から徐々にエキサイティングな音量とフレーズへと上り詰めてゆく、ドラムのシンバルとバスドラのコンビネーションが重く大きなスイングを生みだしている。吾郎のピアノも低音部での展開が多く、ピアノの左手にベースのアクセントが絡む、全体で複合リズムを作り出している、その上にソプラノの高音がコントラスト鮮やかに訴えている。ソプラノサックスの音が一音一音、空気を斬っていることには変わりない。

「スリーピー・狂紫朗っていうんだって」とスタッフのヨーコがマナブ君に囁いた。

<次回に続く>

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November 26, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その141回ーー「ランキングの話」の巻ー

今回はランキングの話であるが・・・・実は「おもいでの夏」ルイス・ヴァン・ダイクを買ってしまった!

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THE SUMMER KNOWS・・「おもいでの夏」というルグランの名曲はそのメロが切なくも、愛おしく、哀愁をさそう。
今までの人生で60回の夏を経験しているが、やはり若い時の夏は出来事が印象深くのこっている。
16歳くらいからの10年間の夏は特にそうである。
そんな特別の思い出を、タイムマシーンの如く、一挙にその時空まで飛んで脳裏に浮かばせてくれるのが音楽である。(この話は再三ここにも書いたが・・)

THE SUMMER KNOWSはそんな曲である。
従ってこの曲に対する思いいれもある、簡単に、粗末に演奏をして欲しくない。
この名曲を演奏題材にするジャズミュージシャンは多かった、サラ・ボーンとルグラン、フィル・ウッズ、ビル・エバンス、ヘレンメリル等など、みな優れた歌であり、演奏だった。何度も聴いている。

特に、アート・ファーマーのリーダー作「THE Summer Knows」は秀逸だ。
フリューゲルホーンの最初の一音から、その哀愁の密度が群を抜いている。
シダー・ヲルトンのピアノもいい、私はこの曲を聴くなら、先ずはアート・ファーマーと思い込んでいる。

この曲を他のプレイヤーがやったと聴くと先ずは聴いてみる。
なかなかファーマーを越える演奏は無い。

今般、SJ誌がルイス・ヴァン・ダイクのアルバムを大見出しで推薦した。
この曲以外にもルグランの曲を取上げている・・・選曲は良いではないか、評も良いではないか・・。
K氏などは5つ星で絶賛している。
即座に買いに走った、そしてこの三連休にユックリと聴いてみた・・・・・が・・。

しかしである、ルイスに文句をいうつもりはない、ルイス流のクラシカルな展開、ところどころに、フーガや対位法などを用いてルイス風味満点である。
表現方法は如何なる方法でも良いが、曲想を解釈し、アドリブ(即興)に入ってからは物語を語って欲しかった。
即興部分・・いわばジャズの真髄の部分ではルイスの「おもいでの夏」を語って欲しいのである。
音楽的に見事な展開をしているか否かは別にかまわない、いかに聴き手の心に染入ってきてくれるか・・・である。
それが無い、聴き終わって消化不良と不満が残った・・・でも大評論家諸氏が二人も推薦している盤である、何かあるはずであると、再度聴きなおした・・・が同じであった。
沁みてこない、語ってくれないのである。
きっとルイス・ヴァン・ダイクの夏にはそういう思い出が無かったのであろうか・・・・。

何度も言ってきたが、「ジャズとは人生という譜面を演奏し語ること」だ、音楽的な構成が近代的でセンスが良くても、ジャズにはならない。
きっとBGMというジャンルなら良い点をもらえるにちがいない。

最近、レコードの星評価に疑問を持っている。
どうも、広告主の新譜には悪い評価をつけられないのではないかと、また、来日を絡めた新譜だと観客の動員に影響がでるので、それを気にしての遠慮評価をしているのではと思うふしを感じるのは私だけだろうか。

もう星取表は不要ではないか・・・新譜の情報、再発の情報だけを掲載してもらえれば、後は自己責任で購入すればいい。
その結果、聴き手が皆で評価や感想を述べ合えば良いではないかと思っている。
初心者の手助けというなら、その感想や論争を聞いて判断してもらえば良いのではと思う。

情報が過多になると、情報にランキングをつけたがる、これが情報発信手と受け手の需要と供給問題だ。
このランキング評価に人為的な操作が加わると、間違った方向に誘導してしまう危険が出てくる。
情報の発信はできるだけ、生のままで、そのままの姿で発信して欲しいものだ。
その昔、SJ誌でノースターと5つ星の論争があった。
レコード会社がクライアントであることなど関係ない!
コマーシャリズムこそジャズが拒絶するものとの心意気があった。

星は不要・・・むしろコメントを大事に書いて欲しい、そこにプロとしての評価者の感性を読みたい。

時まさに、ミシェランがどうのこうのと・・・私の娘も購入したので、読ませてもらった。
星3個から1個まで、いろいろと食べにいったレストランが出ていた。
私の中学高校の同級生がオーナーで板場をあずかっている精進料理屋が星2個であった。
すこし嬉しかったが、本人はきっと迷惑がっているに違いない、だから祝電もうたない。
せいぜい電話で「大変なことになったな」というくらいだろうか。
因みにここのコメント欄には誤記を発見した。
ミシェランのコメントって・・・とてもウスッペライ、パンフレットの切り抜きのようだった。
素人の私の方がまだ増しに書ける(表現できる)店があると感じたが・・・。

先ほど、近場に昼食に出た、その通り路に星2個のふぐ屋さんがあった。
平日の昼は通常は静かに玄関を閉じている・・・が今日は見たことが無い看板が出ていた。
「本日は昼、夜とも予約で一日中満席です」という看板だ。

世の中、ランキング流行り、もういい加減に、ランキング付けは止めて欲しいものである。

是非、質の良い、評価文(コメント)をプロとして書いて、そして読ませてください。

音楽も食べ物も・・・・。

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November 09, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その140回ーー「着物でジャズ」の巻ー

去る、2007年11月3日18時より、横浜のジャズクラブ「KAMOME」にて、「着物でジャズ」なる企画が行われた。実はその企画の片棒を私が担いでいることもあり、既にMIXIへは掲載しているものの、コチラにも、ブログ風にアレンジして掲載をしました。

着物でジャズ@KAMOME In Yokohama    

去る11月3日、MIXI内のジャズ好きと着物を着てみたい、というグループが出会い、冗談からコマで実現した「着物でジャズ」が横浜のジャズクラブ、「KAMOME」で開催された。

最初は、ある女性が着物を着てよくジャズを聴きにゆくと、一方でやはりMIXIメンバーが、山本剛氏のピアノや古野光昭氏のベースをよく聴きにゆく、私が大隅寿男の後援会をしているなど、要はジャズ好きのMIXI仲間が、「じゃあ、この三人の編成でピアノトリオを聴きたいね」となった。
とは言え、売れっ子の三人が一緒でやってそうで実は中々一緒ではない、そこで大分先になるけど、と言うことで、私が大隅氏にこのメンバーをどこかで組んでもらい、そこへ着物で集まろうと言う段取りになった。

企画が整ってからは、今度は参加者集めとなったが、MIXI内で着物を着たい人、着物でジャズを聴きたい人集まれ!・・と掛け声を。
主催、運営者の努力が実り無事当日を迎えることができた。
わたしは単に還暦を迎えた長老というだけで会の顧問とやらを仰せつかり、あまり準備に協力が出来なかった。
当日は、最近あまり横浜に行ってないので道に迷わないようにと、ドラムの大隅氏と第三京浜の入り口で待ち合わせ、車二台で迷わずに到着することができた。

当日一番大変だったのは着付けを指導された方で、着物は着たいが着方が・・・という方々に早くから着付けをしてあげるという、重労働を・・。
男性会員なども普段着から着流しへと見事な早変わりをし、運営責任者のお一人はどこぞの若旦那という感じで大島を着こなし、役員も雰囲気満点。
わたしは、当日は昼から中学、高校の同窓会がありそこから駆けつけるというバタバタで、着物は無理。
洋服で失礼をした。
しかし、こう写真で見ると、男の着物姿というのは・・・ジャズより任侠物がやはり似合いそうだ。(笑)

ジャズクラブが着物の女性で満員になるという、前代未聞の状況で「スーパートリオ」の演奏が始まった。

日本を代表し1974年のモンタレイ・ジャズフェスにソロピアノで参加した新潟県出身の1948年生まれ山本剛。
今や日本のベースの第一人者、特にアルコ奏法では耽美的な哀愁を表現する、三重県伊勢市出身の1947年生まれの古野光昭氏。
そして最年長、1944年生まれで福井県芦原温泉出身、南里文夫賞を受賞し、今、乗りにのっているドラム大隅寿男。
合計年齢182歳のこのスーパースターが3人一緒に演奏をする・・・きっと「着物でジャズ」以外の方にもヨダレの出る企画だっただろう。

演奏曲目は、第一部、ブルース、ウエーブ、ベッサメムーチョ+イン・ア・センチメンタルムード、枯葉、ブルースと・・・第二部で、スイングしなけりゃ意味がない、キャラバン、ミスティ、ソング・フォー・マイ・ファーザー、ムーン&サンド(山本剛歌)、ダイナ(山本剛歌)、ウヲーター・メロン・マン、アンコールで何故か山本剛氏がホワイトクリスマスを弾きだした。

1時間二回のステージがあっと言う間に・・・まだまだ聴きたい余韻を残して「着物でジャズ」の会は成功裏に終了。
アフターアワーズも出演者と一緒に写真を撮ったり、初めて生のジャズを聴いて感動したり、出演者が夫々ファンを増やしたりと・・・熱気が残り、夜はふけていった。
ここに「和」と「ジャズ」の融合が始まった。

因みに、日本を代表する「着物でジャズ」の方は、コルトレーン研究の第一人者 藤岡靖洋氏とジャズ批評社を主宰する松坂妃呂子さんではないかと思う。次回はこのお二人も御誘いしよう。
このサイト、「Fのブルース」の「KIND OF BLUE」のご常連方はいかがかな・・・?

写真は出演者と着物姿の方々、運営責任者達、唯一洋服が私、・・・ジャズクラブが着物で埋るというのは凄い光景でした。

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<さあ、このKIND OF BLUEでも「着物でジャズ」をやりますか。

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October 23, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その139回ーー「ジャズ批評にまたまた」の巻ー

ジャズ批評、140号、11月号、「私のこだわりジャズ」に拙文が掲載されました。
P80からP83までの4ページにわたる超大作です。
タイトルは「ジャズはライブにこだわって」
私が何故ジャズが好きか、ライブにこだわる理由などが・・・ダラダラと書かれております。

御用とお急ぎでない方は、立ち読みでもしてきてください、その際、本屋のオヤジにたたき出されても責任は負いかねます。

読後感はどうせ、このサイトのご常連のこと、罵詈雑言が浴びせかけられるに決まっていますが、まあ、浮世のウサの晴らしどこと思って、なんでもどうぞ!

但し、歯の浮くようなオセイジも贈答品も歓迎いたします!

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<次回に続く>

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October 12, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その138回ーー「枯葉」の巻ー

ろそろ、秋風がたち・・・木々の葉も色ずきはじめ、ジャズクラブ「KIND OF BLUE」の中庭の楓も秋の様相をかもし出していた。

ゼンさんは母屋のソファーに寝転がり、穏やかになった平日の午後の日差しを感じていた。

日本人は「枯葉」が好きだなと。
しかし、「Autumn Leaves」が何故「枯葉」なのかと、不思議な題名の邦訳を気にしていた。
「そうか、Autumn In New York という曲も・・・」と思いを数年前の秋のNYCにいた時を思い出していた。

日本の紅葉は葉が紅く色づく・・しかし、NYやボストンで見た紅葉は紅ではなく、99%の落葉樹が黄色くなる、そこに夕陽があたりまさに金色に輝く木々の群れであった。
そこで、納得がいったのだ、枯葉の歌詞の中にある、♪・・・Turn To Gold・・・♪という歌詞を。

そうだ、セントラルパークの紅葉を観に行こう、ボストンのチャールスリバー河畔の紅葉を観にゆこう・・。
そんな思いをしているうちに心地よい午睡に入っていた。

日本のジャズファンにリクエストを採ると、「枯葉」がダントツになる。
ハンガリー出身のコマスが書き、詩はプレベールがつけ、グレコが歌ってヒットしたシャンソンだ。
その後でジョニー・マーサが英語の詩をつけ、ポピュラーとして米国でも流行った。

ジャズで最初に取上げたのは・・・マイルスが・・・というところだが、実はスタン・ゲッツがルースト盤でやっており、これがなかなか良い味を出している。
ジャマールも取上げているが、ジャマールに大きな影響を得たマイルスがあのイントロを工夫して「Something Else」でヒットさせた。名義はキャノンボールだが。
以来、マイルスは何度と無くこの曲を素材として使った、年々テンポを上げてゆき、1964年7月に初来日をしたマイルスの幕開けの第一曲目が「枯葉」だったが、この時のテンポはかなりのスピードである。
マイルスの「枯葉」だけをテープやCDに集めて聞き比べてみると面白そうだ。

「枯葉」・・・この扱いやすいコード進行・・・とストーリーの創りやすいメロディーでジャズでは多くの名作がある。
サラ・ボーンはメロなしで、いきなりアドリブ・スキャットから入るがこれが見事で、強烈なスイング感がたまらない。
ボビー・ティモンズ トリオも名演だ、聴くべし。
ビル・エバンスとラファロのインタープレイも聴き逃せない。

そして、ジャズを始めた初心者が最初に取り組むのもこの曲だ。
しかし、コード進行からゆくと、「Autumn In New York」の方がいい、コードをたどるだけで素晴らしいハーモニーを感じることができる。
シンガーズアンリミテッドの「ア・カペラ」は隠れた名演奏だとおもう。
ハンプトン・ホーズもいいかな・・・・。

今はもう秋、誰もいない海・・・♪
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September 07, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その137回「夏バテには何が効くか」の巻ー

さて、最近、夏バテ気味で、ジャズを聴きこむ意欲が出てこない。
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こんな時は、黙って、静かに時を過ごし、たまに、ブログ仲間のサイトを訪れて、要らぬコメントを書いて、邪魔をするくらいが良いのかもしれない。
しかし、それでは、ジャズブログの名に恥じるので、では・・・御題を一つ!

「夏バテに効くジャズは何か?」
クスリみたいなジャズがあるものか・・・、ここでご意見をお聞きしたいのだが。

実はこの「Fのブルース」はこのような形式になる予定ではなかった。
あくまでも空想小説風に話をもってゆきたかった、そう「KIND OF BLUE」というジャズクラブを拠点にして。

・・・・ある雨の夜、客は2人しかいなかった。
そこへ、一人のずぶぬれになった男が入ってきた。
ゼンさんはその男の顔をみた、男は小さく首を横に振った。
センさんは、男を店に置かず、裏の母屋へ案内した。
ヒゲをたくわえ、日焼けした顔、つば広帽子を目深にかぶり・・・でもゼンさんはそれが誰だか直ぐに分かった。
店をマネジャーのヤマちゃんに任せて、母屋でその相手と話をしていた。
「何か飲むか?」 「・・・・バーボンのロックを」
乾いたタオルで男は、顔と頭を拭いた。
「あまり長居はできない」
「いや、今はここにいた方がいい」

「もう11時頃だろう・・」
「そうだ丁度11時かな」
「ちょっとTVのニュースを」
ゼンさんがTVのスイッチを入れた、何やらニュースが騒がしい・・。
「先ほど、北の某国が臨時ニュースを発表しました、それによると、3日前にk首席が外国の暗殺者と思われる人物に拳銃で撃たれ、重傷を負ったが、昨日亡くなったと報道発表をしました。まだ事の真実は明らかではありません。日本国としても事実を確認した訳ではありませんが、かなり事実に近い報道ではないかと、官房長官談話が出ています。」
ここでTVのスイッチを切った。

ゼンさんは静かに言った「おい、二階で風呂に入れるし、ベッドルームが一部屋空いている、しばらくはそこに居ろ」と、その男にいった。

一旦、ゼンさんは店に戻り、その日の締めをして戻ってきた。
男は、風呂を浴びてさっぱりした表情で、居間で目を閉じジャズを聴いていた。
コルトレーンの「BLADS」を聴いている。

・・・・・こんな感じの、出まかせ小説をジャズを交えて書き綴るはずだった・・・が・・。

今はちょっと夏バテで、創造力というか、妄想力というか、出まかせ力が落ちています。

では、「夏バテに効くジャズ」よろしく!

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August 22, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その136回「エグベルト・ジスモンチを聴く」の巻ー

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8月20日 第一生命ホールでエグベルト・ジスモンチを聴いた。16年ぶりの再来日で、この再来日に尽力されたのが、私の小学校の同級生の御嬢さん。お母さんは、ジャズピアニスト故本田竹広氏を同じ国立音大卒という縁で支援してきた方。(ジャズの世界に限らず世界は狭い)
手配を頂き、正面の5列目という絶好の席で聴くことができた。

1947年生まれというから同い年である。
レバノン人とイタリア人の子でブラジルで生まれた。
5歳から音楽教育をうけ、成人になってオーストリーへ留学、音楽教育をうける。
音楽家の道を平穏裡に辿るかと思われたが、ブラジル人としてのアイデンティティが薄いことに気がつき、アマゾンの密林でインディオと共に生活、ブラジルの土着音楽を研究し、独自の音楽性を創造した。

以前、偶然にもドイツで聴いたことがあった、それが始めてジスモンチを聴いた経験である。
フルートを吹き、ギターを弾き、ピアノを弾く。
ジャズでありクラシックであり、民族音楽でもあり、全ての融合体である。
私が聴いたのは、アイアート・モレイラと一緒にいた頃で、かなりジャズを意識していた頃であった。

昨夜は前半一時間がギターで後半一時間がピアノだった。
ジスモンチの演奏はジャンルを超越した音楽である、彼の「音」を聴き、「フレーズの語り」を聴き、音楽空間を感じる。
前半のギターによるインプロビゼーションは、「語り」であった。彼の10弦ギターは饒舌に語った。
目で見るとそのテクニックに圧倒されるが、目を閉じると、音の綺羅星が降ってきて、宇宙を感じる音になった。
根底にあるリズムの上でその語りは奏じられた、リズムは浮ついたものではなく、地に根ざしたリズムだ。
そのリズムに絡まる、コードもシングルトーンも透明で澄んだサウンドとなって語りかけてきた。
語りかけてくるのは、ジスモンチではなく、大地の生命と感じられた。
ブラジル音楽は深い、なんと哲学的なのだろうか・・。

休憩を挟んで、後半はピアノで表現した。
繰り返されるリズム、その中に置かれる粒ぞろいの音色・・。
ピアノは「語り」より癒しであった。
聴く者に沁みこんでくる音は、心を浮遊させ、余分な力を抜けさせる音だ。
やはりピアノでも、彼の音は宇宙のヴァイブレーションをもって包み込んできた。

丁度、ピアノの手が見える位置で聴いていたので、ペダルワークも運指も、指に掛かる力具合も見てとれたが、音の柔らかさに反し、タッチの強さは尋常ではないことは見ても聴いても分かった。
しかし、彼のギターやピアノの技術論をここで言っても始まらない、要は彼の音だ。
今般、この音を生で聴くことができたのは、貴重な経験であり無常の喜びであった。

しかし、同じ年であのエネルギッシュな演奏と集中力は凄い。

余談であるが、偶々、前の席がピアノの青木弘武夫妻であった、彼が大阪音大を出てジャズピアニストとして東京に来て依頼の25年以上の付き合いである。いまでは日本を代表するジャズピアニストに成長した。
彼とジスモンチを聴いて同じことを言った、「目を閉じると、聴こえる音の数が100倍になるね」と。

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August 16, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その135ーー「閑話休題・ラジオ関東・チコ・ハミルトン」

ラジオ関東 夜10時半のモンティ本多のジャズ番組を覚えていますか?
なんと言う番組だったのでしょうか、覚えているかたいますか?
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私が高校生のころ、昭和38年頃、ジャズ番組は少なかった。TVは勿論、ラジオでもである。
唯一毎晩定期的な放送が、ラジオ関東から流れるジャズ番組で15分だった。
司会がモンティ本多さん。
オープニングのテーマがチコ・ハミルトン5の「ブルーサウンズ」だった。
チコ・ハミルトンのマレットの独特のリズムにのって、バディ・コレットのフルートが流れてくる。
そのナンバーが入っているのがこのCD(LP)だ。
パーソネルは、バディ・コレット(Fl,As,Ts,Cl)フレディ・カッツ(チェロ)、ジム・ホール(G)、カールソン・スミス(B)、チコ・ハミルトン(Ds)
1955年半ばの録音だ。
そう「真夏の夜のジャズ」で控え室で練習するシーンにこのメンバーが出てくる。

聴きなおして驚いた。
なんと新しいサウンドなのか、出だし「The Nice Day」はまるでクラシックの室内楽である。
そして、「MY FUNNY VALLENTINE」となり、「BLUE SOUNDS」と続く。
チェロはジャンルを越えて好きな楽器だ。
ジャズでは珍しいが、完全に溶け込んで、このグループの中核サウンドになっている。
A面はスタジオでB面はライブでの録音だ。
全てが挑戦的で斬新で、ワクワクする音に出来上がっている。
特に「Blue Sounds」は圧巻である。
チコのマレットが三度にチューニングされたタムタムでメロディックなリズムをたたき出す、それに乗って、フルートがテーマを吹き、チェロがソロをとる、そして、ジムのギターが徐々にフラメンコ風になりそのリズムに絡めてゆきピークをつくる、鳥肌がたつ瞬間だ。

この音楽的コンセプトを創造し、纏め上げ、サウンドをつくりだしたこのチコ・ハミルトンというドラマーは只者ではなかった。
しかし、何故か過小評価されてきたアーティストだ。
バンドのメンバーにはエリック・ドロフィーが参加した時代もあった。
ドロフィーにとってこのコンセプトは大いなる刺激になったにちがいない。
こんど、別のチコ・ハミルトンを棚から引き出して聴いてみよう。

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August 10, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その134回ーー「馬さんが・・・フト立ち寄って」の巻ー

<前回より続く>

幻想と空想のジャズクラブ「KIND OF BLUE」は今夜も満員だ。カウンターにはいつものご常連が陣取って屁理屈をこねている。テーブル席も満員だ。お盆休みの直前とあって、仕事なんてやってられるか・・という御仁が開放感をジャズに求めてやってきている。
この暑い日になんで此処に来るのだろうか・・・涼しい所へ行っても良いようなものを・・とゼンさんは内心思っていた。

ゼンさんは気がつかなかったが、一人の外人客がカウンターで常連に挟まれて一人飲んでいる。
ハウストリオの河田吾郎トリオは今最後の曲をやっている。
暑い日に洒落た訳ではないが「SUMMERTIME」である。最初はスローで始まったが途中からバイテン(テンポを倍にすること)にして、ミディアムアップのテンポになっている。
河田のピアのがネバリに粘って、ゴスペル調の「SUMMERTIME」になっている。
フレーズがコール・アンド・レスポンスのになってくると、会場から「イャー」とか「イェー」とレスポンスが返る。
ドラムの大野は三連にして益々粘る、店全体がネバリスイングになる瞬間だ。
「ジャズはこうじゃなきゃ」・・DUKEさんがつぶやいた。KAMIさんが「いいねえ、このネバリ!」という。
やがて、三連がルバートして、テンポがオフになり、エンディングに入って、最終音でダダダダダーンと終わった。
拍手が高まって、そして休憩に入った・・・・・・その時、静かに聴いていた、一人の外人がカウンター席から立ち上がり、ピアノに近づいて行った。
普通なら、「お客さん、ダメです」と酔ってピアノに近づく人を制するのだが、誰も止めようと言う空気がなかった。
ピアノの河田や大野も何が起きるのか、見つめてしまった。

彼はピアノに座ると、やおら大野と山田を見た、彼らは何かに取り憑かれたように楽器についた。
踵でテンポを出した、かなりのアップテンポだ。
頭からテーマに入った、「I GAT RITHUM」だ。
軽快なノリで進んでゆく、音の構成が厚く、コードワークが巧みだし、ソロのフレーズが途切れない、加えてありきたりの展開をしない。
「いったい誰なのだ・・・そういえば・・・どこかで見たことがある顔だ・・・」ゼンさんは自分の頭の中で一生懸命確認をした。
「本当だろうか・・・そんな事があるのだろうか・・」、ゼンさんは目と耳を疑った。
ソロは一層軽快に快適にスイングし、止まるところを知らない、お客は皆、ピーターソンを意識したのではないだろうか。
ソロのアイデイアがたまらない、面白いし、スイングの弧が大きいし・・・。
そして、最後のテーマに入った、最終小節で繰り返し、盛り上げて終わった。
一斉にお客から歓声が上がった。でもお客は彼が誰だか知らない・・・。
ゼンさんがマイクを取って・・・「みなさん、今日の飛び入りゲスト! ハンプトン・ホーズ!」
「アンコール!」場内から一層の歓声が・・ベースの山田君はホーズと知って、目を白黒させている。

「馬さん」こと、ハンプトン・ホーズは終戦直後、横浜の基地に進駐軍として来ていた。
よくライブハウスや「ちぐさ」に現れては日本のミュージシャン達に多大な影響を与えた。

場内が静まったのをみて、馬さんが弾き始めた「GREEN LEAVES OF SUMMER」だ。
レッド・ミッチェルとの名コンビでの名演奏は数多く残されて、今も我々はそれを楽しむことができる。
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<次回に続く、次回は誰が霊界からゲストで来るのだろうか・・・。>

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August 03, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その133回ーー「エリック・ドルフィーという名の男」の巻ー

<前回より続く>

久々の休日、ゼンさんは一人で妄想と幻想のジャズクラブ「KIND OF BLUE」にいた。
人気の無い、クラブでピアノを前にして、壁のジャケットを見やっていた。
もう外は夕方6時を過ぎ、暗くなりかけていた、階段を下りてくる足音がする、誰だろうか?
一人の黒人が大きな楽器ケースを抱えて姿をあらわした。
どこかで見たような・・・?
「ハイ」と声をかけた、男は静かにうなづき、楽器を出し始めた。
見慣れぬ楽器だ、長い管楽器でマウスピースに至る部分はテナーの様だが異様に長い。
マウスピースを取り付けると、やおら吹きだした・・・オレオだ。

短い独特のテーマを吹く、センさんはピアノのふたを開けて、キーを確かめるようにコードをおいた。
キーはDフラットだ。
かなり早いテンポで進んでゆく、ゼンさんはむしろテンポより間を考えて音を置いた。
そう、低めの音よりピアノは高めの硬質な和音の方がよさそうだ。
楽器はバスクラリネットだ。
ソロに入った、重い音を出す楽器にしては流麗だ。
ゼンさんはコード進行を考えることを止めた、むしろ音を聴いて反応をした方が良いと思ったのだ。
その男はソロを延々と続けた、溢れるようなフレーズは留めを知らず、一体どれほどのアイデアを持っているのだろうかと・・決してマンネリな繰り返しフレーズが出てこない。
20分ほどソロをとった男はゼンさんの方を見て頷いた。
ゼンさんがソロをとった、かなりフリーな演奏だ、ブロックコードでパーカッシブなフレーズを続けた。
陰陽、序破急を明白に決める表現で弾き続けた、15分ほど弾いただろうか、男は急に超低音から一気に高音に駆け上がっり、再びソロに入り、テーマに戻った、エンディングをカデンツァ風につくりあげ、最高音で音が徐々に消えていった・・・らその音と共にその男の姿も消えていた。

ゼンさんは不思議な満ち足りた気持ちになった。
その男の名はエリック・ドルフィー・・・・。51eguqujc5l_ss500_
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<今、ドルフィーの本を読んでいました・・・転寝の中で見た夢かもしれません>

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July 20, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その132回ーー「またまたガラクタショー」の巻ー

ご来店の皆様、ここのところ、集中して物を書く時間がとれません。
何か良いテーマで短文をと思っても、思考に集中できないと・・・ストレスを感じますね。
そして、またまたガラクタショーでごまかそうと・・・姑息な手段に出ました。
ここでガラクタショー等と言っていると、何れ私がこの世からいなくなると本当にガラクタになって燃えないゴミに出されるのでしょうね。
誰かガラクタを必要とする人はいるのでしょうか・・・コレクションって・・・虚しいですね。
特に、今回もそうですが、地震などの災害があると、また考えさせられます。
物という、形あるものの虚しさですね。
そこへゆくと、形の無いものはある意味永遠性をもっていますね。

今回はミニチュア楽器展です。
国内、欧州で集めました。やはりピアノが多いですね。1015_018

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以上で十分の一でした・・・。
また来週、この週末には仕事が入らないように・・・「Fのブルース」を書いてきます。

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July 12, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その131回ーー「夏はジャズ・フェズ」の巻ー

夏ともなると、日本のみならず、世界のあちらこちらで、ジャズフェスが開催される。
多くのジャズフェスへ行ったが、やはり、映画「真夏の夜のジャズ」で観たモンタレイ・ジャズフェスティバル以上のものは無い。
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日本のジャズフェスの走りは、「軽井沢モダンジャズ・ミーティング」と銘打ったジャズフェスあたりが最初と思う。
私が最初に観たのは、1963年、16歳のときに、軽井沢で開催されたジャズフェスであった。
南軽井沢の人口湖のほとりで野外であった。
西条孝之助カルテットや白木秀雄クインテット、デキシーも出てきたし、マーサ三宅さんやテリー水島さんなども登場した。稲垣次郎、三保敬太郎、宮沢昭・・・日野テルマサはまだここでは出てこない。
渡辺貞夫はボストンにいた。
最後が、原信夫とシャープアンドフラッツで、それに出演者全員が加わって「マンティカ」のジャムセッションになったのを覚えている。
白木、猪俣、白木、・・・ドラム合戦も盛んであった。
ジミー竹内がシャープのドラムでド派手な叩き方をしていた。

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軽井沢は夕方になると高原独特の天気でよく夕立がくる。
雲が出てきて、もう来るなと思ったらもう遅い、凄い集中豪雨が雷と共にやってくる。
雷は大きな立ち木にバリバリと落ちる。

そんな、夕立がジミー竹内のドラムソロの最中にやってきた。
彼は、ソニー・ペインばりのロングソロをとっていた、遠くでカミナリがなった、ゴロゴロゴロ・・・、
彼はそれに応えるように、バスタムをドドドドド・・・、カミナリがバリバリバリ・・・、スネアをザザザザザ・・・、カミナリがドカーンと落ちた、シンバルをドシャーン・・・・!!!
カミナリとの共演となった。
原信夫がもっとやれとけしかけた。

会場は露天で土砂降り、私は一人傘をもっていた・・多分そうなると思っていたのだ。
午後3時過ぎに軽井沢の街の上の見晴し台の山に雲がかかったら、夕方から夕立雷雨になる確率が高い。
その日は夕方4時の開演だったがボロ別荘を自転車で出る3時には街の上の方に雲が出ていた。
周囲の満員の観客は皆、後ろや脇の小さな屋根の下に避難している。
一人、スチールパイプの椅子に腰掛て、傘をさして観ていたのは私一人だった。
そんな私を見て、原さんが手を振った、僕は傘を振った・・・。

シャープは毎年、町外れの前田郷というところで、合宿をやっていた。
或るとき、友人の父親の伝で、見学させてもらう機会があった。
そこで、色々なメンバーと知り合い、夜のジャムセッションパーティーに出させてもらったのは良い思いでである。そこで、あの時、傘をさして一人観ていたのは僕です、手を振ってくれたので、僕は傘をふりましたと言ったら、原さんが「あれは違うよ、カミナリが危ないから、屋根の下へ行くように手で指図をしたんだよ」と言った。

今年も、日本中でジャズフェズが盛んである・・・がみな同じような企画ばかり、何か新鮮な企画が欲しいものだ。
また、「真夏の夜のジャズ」を観るとするか!

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July 06, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その130回ーー「ジャズはライブにかぎる」の巻ー

ご来場の諸氏諸嬢の皆様には以前、ジャズはライブに限ると、ここでも書かせて頂き、この空想のジャズクラブ「KIND OF BLUE」でもライブレコーディングをしたことがあります。
勿論、ライブハウスが一番ということにご異論のある方は少ないはずというか、ここにご参集の方々は特にライブ狂ばかり。
ではではでは・・・・皆様に問う!
モダンジャズにおけるライブレコーディング(大きなコンサート会場は除く)の傑出BEST3と言えば・・・何を推挙されるか!
また、その理由を端的に述べよ!(偉そうに言っちゃって)

などと偉そうに言うからには・・・先ずは己より、お話もうそう。(段々時代劇調になってきてしまった)
そもそも、ライブとなれば、先ずは臨場感、まるでその場に居合わせる感覚、そしてそこで繰り広げられる生の演奏、一発勝負の迫力、何が起きるか分からないスリリングな展開、時としては大物アーティストやベテランも間違える、でもそれがそのまま録音に反映され、反って迫力となる。
などなどを考え併せ、当然自分の趣味、主義、主張、意地、屁理屈、を加味し・・。

1、 アート・ブレイキーとジャズメッセンジャーズ アット バードランド(BN)
※ はやりハードバップが誕生しつつある現場の興奮が如実に伝わってくる。
※ 演奏内容に迫力があり、思わず観客になれる。
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2、 ホレス・シルバー ビレッジ・ゲート「DOIN‘ THE THING」
※ シルバーがリーダーで自分でアナウンスをしながら演奏を進める場面が手に取るようだ。
※ 演奏内容の良さとお客のノリと興奮がそのまま聴くことができる。
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3、 マイルス アット ブラックホーク
※ マイルスの初めてのライブレコーディングで、ライブでの強さ、荒々しさがたまらない。
※ サイドメンの出来がよい、モブレイも特にウイントン・ケリーのノリが最高。
※ マイルスのライブの現場の演奏の進め方は興味深い。
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まだまだある、エバンスのワルツ フォ デビーの冒頭のナイフとフォークの音ははどうしてくれる、ピーターソンのロンドンハウスは、モンクやドルフィーも外せない・・・サラ・ボーンの何度も歌詞を忘れる「THANKS FOR THE MEMORY」もライブならでは・・カーメンのダンテスだっていい。(そういえばダンテスが閉鎖だそうで残念です)
トレーンやロリンズのライブはとなる・・・、いやああ、BEST5にすればよかったなんて言えば、今度はBEST10がとなる・・・小さなクラブのライブは何しろ最高だ、ジャズはライブに限るのだ!

皆さん、小さなクラブのライブレコーディングのBEST3を活発に宜しく!
初めてのかた、初心者大歓迎!
MIXIからご来場の方も大歓迎!
なんだか、キャバレーの呼び込みみたいになってきた。

<次回に続く>

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June 29, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その129回ーー「歴史は繰り返す」の巻ー

今回も、写真BLOGと相成りました。なかなか文章を書く時間がとれなく手抜きです。

本棚を引き続き整理していました、最近よくお世話になる「ジャズ批評」の古い保存版が出てきました。
今見ても、そのまま通用しそうな、タイトルと内容です・・いや内容は以前の方がハードだったようです。
思わず、読み返しました。
ジャズ批評を読むたびに考えることがあります。それは広告の少なさです。私はレコード会社から多額の広告費を貰ってしまったら、酷評は載せられなくなるのではと・・・・。Jazzbooks070618_038

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いくつかのキーワードが浮かびます・・・コルトレーン、エバンス、60年代、ハードバップ、ジャズピアノ・・・人気のキーワードなのでしょうか?

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June 22, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その128回ーー「チャーリー・パーカーに捧ぐ」の巻ー

<前回のヴィデオテープのガラクタコレクションの中から、「パーカーに捧ぐ」に人気が集中しました。そこで今回はその一部をここにご披露を・・・>

このコンサート、つわもののアルト四人にボビーが加わって、バードのフレーズを連発、会場からはヤンヤの拍手・・・聴く側もバードの特徴あるフレーズなどを知っているのですね。良い雰囲気と環境のなかで盛り上がってゆきます。この4人が並んで、ソリを吹く・・たまりませんね。音をお聴かせできないのが残念です。>

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以上、静止画像だけのご紹介でした。

<今月のジャズ批評7月号の110~111ページに投稿が掲載されました、お暇なかたはどうぞ!>

そうだ!次回は古いジャズ批評から面白そうな特集号でも紹介しましょう!

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June 15, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その127回ーー「ゼンさんのジャズ・ガラクタ」の巻ー

<前回につづき、手抜きの週です。どうも記事を書く時間が・・・・で今回はジャズ関連?ガラクタを虫干しです>

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これは、ヴォーカル用のミュージック・マイナス・ワンです。カラオケとの違いは、譜面がついていて、メロが出てきません。完全にオーケストラをバックに歌うことができます。
プロ用です。結構遊べます。

動画像はVHSのテープが結構あります。
DVD化されていないものもあるようです。特に「真夏の夜のジャズ」がDVD化されていないようで、いち早く再発して欲しいと思うのです。

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以上、VHSを中心としたガラクタシリーズでした。
何か、興味のあるものでもありましたか???

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June 07, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その126回ーー「ゼンさんの本棚」の巻ー

最近、忙中閑ナシで、BLOGのアップもままならず・・・そこで考えた奥の手!
日ごろゼンさんの机の周囲にあるジャズ関連の本、雑誌、どんなものがあるのか・・・抜粋を少々。

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これは所謂「1001」というもので、ご覧のとおり海賊版です。「1001」とは言え、中味は800曲くらいです。

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これらは、レーベル別のアンチョコというところ、これを見て、何か未だ持っていない盤があるかな?などとニヤニヤして読むこと数百回・・。

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これらのジャッケト写真集はいくら眺めても飽きない。
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これはジャズピアニストを志す人、必修の本。
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アメリカ製の1001といったところ、これは本当に1012曲ある。NYで購入、持って帰るのが重かった。
楽譜類も机の周辺には結構ある。
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これは1960年代の「平凡パンチ」の付録。付録の割には一杯譜面が入っていた。
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なにか分からないことがあると、このような本の登場となる。
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このような画集や写真集は何時見ても楽しい。
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エスカイヤーという雑誌にはいつも驚かされる、良い写真、記事の充実・・。
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こんな本格的な本も参考になる、ビリー・テイラーは学者肌の人だ。
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1990年頃に日本たばこ産業がジャズに関するアンケートを纏めた小冊子、アンケートBEST500が纏まっており、ランキングが面白い。
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最後に、世界を代表するジャズコレクターの方が自分のコレクションのジャケットをスキャナーで取り込み集大成をつくった。これはその表紙と中味の一部。こんなレコードの本物が目の前に出てきたら、同時にヨダレもでること請け合い。
<今回は写真ばかりでした、次回に続く>

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May 25, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その125回ーー「野人ピアニストの出現」の巻ー

<本日、20000アクセスを越えました。これも偏に皆様の異常なご趣味の賜物と・・感謝しております・・・が何も記念品はでません。これからも性懲りも無くダラダラと続くと思いますが、同じ穴のムジナ様ご一行におかれましては、今後とも宜しく御願い申しあげます。>

ゼンさんは夏みたいな気候を感じつつ、久々の休日を陽だまりの中で過ごしていた。
転寝をするゼンさんの夢に・・・「やあ、久しぶりだね」と語りかけてくる、褐色色の肌、口ひげをたくわえ、外人にしてはそんな大柄ではない。
「おう、ボビーじゃないか」

ボビーと会ったのは、1984年10月頃だったか・・。
とある行き着けのジャズクラブは混みあっていた。
その外人はゼンさんの隣に一人で座った。
演奏の休憩時間に、話しかけてきた。「オレはフィリピンやハワイで弾いているジャズピアニストなんだ」
「ヘェー、どんなピアノを弾いているの?」
「ピーターソンやトゥループの様な・・」
「トゥループって、ボビー・トゥループのこと、ジュリーの旦那?」
「そうだ」
そんな会話をしているうちに、今夜飛び入りで弾かせてくれるかな・・・と、そしてミュージシャン達と友人なら話をつけてくれよという。
ゼンさんは、その日のリーダー、サックスのRに話をした。
そして、Rはそのピアニストを途中で呼びだすことにした、彼は満足げだった。
一曲終わって、その呼び出しがあった、「今日は突然の飛び入りゲストがいます、ハワイで活躍しているピアニスト、ボビー・エンリケスさん、どうぞ!」

そんな名前は誰も知らない。
「何をやる?」
「BUT NOT FOR ME」
「キーは、テンポは?」
恐ろしい早いテンポを指示した。

それから先は曲芸だった。
ゲンコツ弾き、肘打ち、足弾き・・・お客は喜んだ、そんなデタラメをしながらも、アドリブはピッタリ合っているし、スイングする。
バンド全員がノラざるを得ない、ベースもドラムも必死でそのテンポについていっている。
ベテランサックスのRは負けじと早いフレーズを繰りだす。
その日は無事終わった。

翌日、そのクラブから近い別のクラブにゼンさんはいた、そこにまた、あのボビーがやってきた。
「昨日はどうも」
「やあ」と握手をして、その晩も飛び入りをしてお客を湧かせた。

そして、その晩のアフターアワーズで、ボビーはゼンさんに飛んでもないことを尋ねてきた。
「レコーディングをしたいのだ、頼むから、お願い」と。
「僕は音楽関係者ではないよ、ただの客だよ」といってもだめ。
「だって、クラブのオーナーも仲がよさそうだし、ミュージシャンもよく知っているし・・じゃあ、紹介してよ、レコード会社の人を」
これには参った。
その日から毎日このボビーはジャズクラブに出没し、何度も遭遇す、居ない時にはゼンさんの名をかたり、飛び入りを続けた。
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1ヶ月後、ボビーから連絡があった、「レコーディングができることになった、ありがとう!」
「それはよかったね、アルバムタイトルはアクロバティック・ジャズか?」と応えて、大丈夫かなと・・・心配をした。

後日それがリリースされた。

ゼンさんは転寝から目が覚めた。

<次回に凝りなく続く>

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May 18, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その124回ーー「今夜はブルースを歌う」の巻ー

ジャズTV番組の第二回が始まった。
今度は、「ブルースを歌う」だ。

タイトルバックが始まり、クラブの中庭で車を降りるふたり。
階段を下りるふたり・・。
「いらっしゃいませ、お席にどうぞ」
瞬くキャンドル・・・河田吾郎トリオの「Cジャムブルース」・・・・

司会のピーター・バラカンが口火をきる、「今夜のゲストは、この方です、ミスター・マーク・マーフィー!」
途端に、河田のピアノがプリミティブなブルースコードを弾き始める。
「♪GOING TO CHICAGO~♪」渋い声が響きわたる・・。
ミディアムスローが快適に聴こえスイングする。
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突然のビッグゲストがこの番組の売りだ。
最初に出たブルースはジミー・ラッシングとベーシー楽団でおなじみのブルースだが、ジミーよりソフィスティケイッテドな感じがする。
続けて二曲目に入った、自分で曲を紹介した、「ホレス・シルバーの名曲です、セニォール・ブルース」というなり河田がラテン的リズムに乗ったブルースリフを展開した、ベースとドラムが即座についた。
そしてイントロのリフが終わりブレイク!
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歌詞に入った。なんとファンキーでイカシタ導入部なのだろか、まるでホレスの世界がそのまま現れた雰囲気だ。
思わず店内から「いぇー」の声があがる。
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途中でインタビューになった、藤尚子が彼のキャリアについて話した。
「皆さん、1932年生れのこの歌手を聴いたことがありますか?
1950年代後半から自分名義のアルバムを録音するもあまりブレイクはしなかった。
60年代はRIVERSIDEに凄いアルバムを二枚残し、欧州へ、70年代に帰米後、MUSEからアルバムを出しました。」

「では続けてどうぞ!」
この夜、マークは立て続けにブルースを歌った。
* That‘s How I Love The Blues
* Jelly Jelly Blues
* Blues In My Heart
* Fiesta In Blues
* Rusty Dusty Blues

河田トリオにまるでテナーサックスが加わったような、決して歌が加わったと感じさせない、楽器と対等の演奏を聴いているようだ。
歌に絡む、河田のピアノ、ベースの山田、大野のドラムがかなり激しくプッシュして煽っても、堂々と対応しスイング感を増長させてくる。

「こんなジャズ・シンガーはもっと聴かれて良いのではと思う」とゼンさんがコメントいれた。
最期に、「Wee Baby Blues」を歌って締めたが、拍手が鳴り止まない。
「アンコール!」の声だ。

マークが河田の耳元で囁いた。
かなりなアップテンポで、「♪ソラシラソラシラソラシソラー♪」
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「MILESTONE」が始まった、この曲に歌詞があるとは知っている人は少ない。
お店の中から思わず「ウォー」という声と拍手だ。山田君のベースラインが快適だし、大野のリムショトが小気味いい。

「今夜は皆さん、お楽しみいただけましたか?今夜のゲストはマーク・マフィーさんでした、ではまた来週!」

<今回はマーク・マーフィーでした、私はこの人をジャズ・シンガーではなく、モダン・ジャズ・シンガーと位置づけております。いかがでしょうか?いづれのレコードも共演者が凄いですね。>

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May 11, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その123回ーー「号外!!新譜発表のお知らせ」の巻ー

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皆さん!友人のジャズドラマー、大隅寿男が新しいアルバムをリリースします。
それに伴い、新譜発表ライブも行います。
宜しく御願いしまあーす!
尚、ライブ会場にお出での際には、このBLOGを見たとか、この作者の知り合いだとか言って、どんどんお近づきください。

5月16日の新譜「ニューディール」の発売!
5月17日「銀座スイング」(03‐3563‐3757)にて、CD録音と全く同じメンバーで新譜発表ライブ!
みんな来てね!!!

5月18日は六本木「アルフィー」にて(03‐3479‐2037)
5月19日は横浜「バーバーバー」にて(045‐662‐0493)
この二日間はメンバー少し変わるけど、新譜キャンペーンです、宜しく御願いします。
また5月20日は鎌倉「ダフネ」でトリオでキャンペーンです。

ということで、どの様な内容のCDかをここでかいつまんでお話しましょう。

先ずはパーソネル
Leader&Dr.)大隅寿男
As)太田剣 近藤和彦
P)納谷嘉彦
B)井上陽介
トリオの演奏あり、アルト1本が加わったカルテットあり、そしてアルト二本のアルト・バトルクインテットあり・・

「WEll YOU NEED’NT」等のモンクナンバーあり・・。
かなりウルサイジャズファンにも期待をもって貰える作品。

因みにアルト・バトルとなると、正にアルバムタイトルが「アルトマドネス」というジャッキー・マックリーン+ジョン・ジェンキンスのアルト二本とウエイド・レグのピアノ、ダグ・ワトキンスのベース、アート・テイラーのドラムというレコードがプレシテージから出ている。

そのほかに有名なところでは、「フィル トーク ウイズ クイール」というフィル・ウッズ+ジーン・クイールのアルトバトルがEPICから出ている。

今度は日本人二人名うてのハードバッパーが渡り合う、こtれは面白いこと間違いなし。

CDで聴くもいいけど、これを生で聴くとさらに迫力あること間違い無し!

もしライブ会場で大隅氏に会ったら是非声をかけてあげてください。インターネットで書いてあったとか、ここの管理人の知り合いだとか言って下さって結構です。
もし新譜CDを購入されたらサインをしてもらいましょう!
そして握手も、彼は握手が好きですからね・・(後で手を洗いましょう(笑))

一家に一枚「大隅寿男」でCDも宜しく、応援してください。

尚、大隅トリオで5月24日から北海道、東北へ行きます。
26日からはゲストにマルタ(AS)が加わる予定です、また根室には阿川泰子さんも行く予定です。北の皆さん宜しく!
24日、25日:札幌「ジャムジカ」
26日:根室市文化会館
27日:弘前:「たけや」
28日:大鰐あずみ野ディセンター
29日:弘前:ケララ

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May 07, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その122回「いよいよTV番組のはじまり」の巻

 <架空のジャズクラブから空想のジャズライブTV番組を企画!いよいよ始まります>

悩みつづけたキャスティング・・やっと決まった。
ピーター・バラカンと藤尚子・・・この女性ヴォーカリストを知っている方はかなりの通です。
国立音大のクラシック畑からジャズに転向した人です。
ジャズヴォーカルでは今ひとつブレイクはしなかったが、かもし出す雰囲気は静かで品がある。
これなら大人のジャズ番組になるだろう。

そして気になる今夜のゲストは・・・・
いや、早まらずに番組を追おう。

前回の台本通り、番組は河田トリオの「Cジャム・ブルース」で始った。
カメラはお店の内部の雰囲気とお客さんを映し出し、トリオの三人を順に追ってゆく。
テーマの「Cジャム・ブルース」が終わると、間を開けずに、トリオで「OUR LOVE HERE TO STAY」がミディアム・ファーストで始った。
カメラは司会進行役の二人のテーブル、テーブルのキャンドルとトリオの演奏を淡々と映す、余分なセリフや解説は不要だ。
トリオは快適にスイングしている、臨場感がたっぷりだ。
TVを観ている視聴者もなんだかお店の中にいる気持ちになる。

演奏が終盤に差し掛かりゼンさんが司会役のテーブルにつく。
演奏が終わり、クラブ内は拍手・・・
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ここで初めて司会が口をひらく、「さあ、ゼンさん、今夜のゲストは?」
ゼンさんが答える「今日はこの番組の最初にふさわしい、ジャズらしい、一音聴いただけでジャズという音の渋いテナーを紹介しましょう、ハンク・モブレイです」
ピーター・バラカンが「では、早速、最初の曲を・・REMEMBER」

モブレイがミディアム・スローの伸び伸びとしたテンポでブルースフレーズを吹く。
いつもの、やさしい、哀愁をおびた音色で別に力むことなく、リラックスしたブルースだ。
聴く者の方からも力が抜けて気分が楽になってゆくのがわかる。
モブレイは3コーラスのソロをとり河田に廻した。
河田は、その雰囲気をそのままに、右手のシングルトーンによるアドリブをブルージーに展開し、あえて左手は付点八分の遅れでフィルインしアクセントを軽くつけるだけだ。
ダルなテンポだけど、緩まず、フレーズはシッカリと組み立ったている。
一本のテナーで雰囲気が一気に変わった。

お客はモブレイの独特の音質とフレーズの末尾のスラー気味の高音域に哀愁を感じ、時々はいる、超低音のアクセントが「ボッ」とはいる・・・モブレイらしさに酔いはじめている。
この十二小節の典型的なブルースを堪能して、モブレイがテーブルに来た。

1930年生れのシャイな男はシャガレ声で挨拶をした。
テナーは饒舌だが話は寡黙な感じだ、バラカンが質問をする「いろいろな人のセッションに参加していますね」
「うん、最初はR&Bのバンドにいたんだけど、マックス・ローチにさそわれてNYに来たんだ。それからいろんな人とやったね」
「ジャズメッセンジャーズともやりましたね?」
「うん、あの頃は良かったね、毎晩が楽しかったね、ブレイキーのバイタリティーに皆が乗ってね」
「ところでマイルスとはどうでした?」
「マイルスがやろうと呼んでくれたけど、彼はやはりトレーンを求めていたのだろう、またジミー・ヒースともやりたかったらしいけど、ジミーがヤクで捕まって保釈中で旅に出られなかった、だから僕に誘いがあったというところだな。」
「サンフランシスコのブラック・ホークでも何週間かマイルスとやったけど、テーマのアンサンブルを彼が指示してそれさえやれば、後は自由だった、ケリーやチェンバース、ジミーがバックだったから気の知れた中で楽しくスイングしたよ。でもそれがマイルスには通じなかったらしい。マイルスが求めていたものはもっと違う方向だったんだ。」
「そうだったのですか、当時の貴重な話をありがとう、では次の曲は?」
「IF I SHOULD LOSE YOU」

モブレイはテナーを抱えてピアノの脇に立った。
カウントを出した、少し早めの、ミディアム・ファーストのテンポだ。
相変わらず、中音域の音色が染み込んでくる。
こいうスイング感とグルーブ感こそジャズ本来の持ち味だろう。
山田の太いベースと大野のレガートのアフタービートがピタットあっている。
この気持ち良いリズムの上でモブレイの音の伸びがいい。
続く、河田のピアノソロはシングルトーンからブロックコードへと煌く音でファンキーな繰り返し三連符でころがる様にスイングしている。
大野のドラミングも、コーラスの末尾からスネアロールが入り頭でバーンときまる。
ピアノのソロの次にドラムとテナーの4バース・チェインジで徐々に盛り上がってゆく。
再度テーマに戻り、ゆったりとした大きなノリで最後が締めくくられた。

店内の拍手が凄い、ハウストリオがエンディング・テーマ「THANKS FOR THE MEMORY」を始める。
司会の藤さんが「ではまた次回をお楽しみに・・次回のゲストは男性ヴォーカルの登場です」と締める。
ピーターと藤さんが、二人で店を出て、車に乗る、車が中庭からユックリと出て行く、画面がテーマにのってフェイドアウトする・・・。

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April 27, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その121回「TV番組ジャズライブ放送」の巻ー

<臨時報告・・・「ジャズ批評 5月号」のジャケ買い特集に私の拙文が掲載されました。もし時間があれば本屋で立ち読みでもしてください、お金持ちの方はお買い上げください。なお77ページに掲載されておりますのが、私です、宜しく!>
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<前回より続く>

ゼンさんが母屋のリビングでソファーに腰掛、何やら難しい顔をして、二人の見慣れない人と話している。
一人はスーツ姿の男性で50歳くらい、もう一人は黒のパンツスーツの女性で30歳くらいとみた。
「狭い店だからTVの映像には耐えられないと思うけど」
「いや、大丈夫、その雰囲気がいいのですよ」
「是非やらせてください、ジャズの雰囲気作りやはり現場で経験を積んできた人でないと出来ないのですよ」
「月に一度ですから」
「いつものままでいいです、小野田さんのやるままで・・」
「オレはテレビという柄ではないし、やったこともないし・・」
「それは、相手役が上手く誘導しますから」
何やら、ゼンさんを懸命に口説いている様子だ。
そこに、ドラムの大野が入ってきた。
「どうしたの、難しい顔をして」
「いや、うちのライブハウスからTVの中継というか、録画なんだけど、月に一回だけどね」
「いいじゃない、やろうよゼンさん!」大野が畳み掛ける。
男はTV局の企画部長で女性は番組プロデューサーだ。
昨今のジャズ流行りで、ジャズ番組が知らないうちに結構できている。
しかし、どれも納得のゆく番組内容になっていない、どうしたらジャズの現場の雰囲気がTVで出せるのか?
その結果考えついたのが、実際に本物のジャズをやっている現場をそのままライブ感満載で制作しようというものだった。
その白羽の矢がゼンさんに当たった。
ライブ収録は月初めの金曜、放送は翌週の土曜の夜24時から1時間番組となった。
番組タイトルは「サタデイ・ブルース」
番組の進行は、男性と女性の常連客が毎週登場し、ゼンさんにインタビューしながら、また出演者やゲストのお客にも話しを聞きながら、ジャズを聴く番組だ。
ゼンさんが付けた条件は、クラブ「KIND OF BLUE」の臨場感、いつもの雰囲気のままを伝えること、そして自分が監修に参加できること。

記念すべき第一回の放送は4日後の金曜日に収録となった。

ゼンさんは番組の出だし、つまり開始のタイトルバックにこだわった、ジャズだっておなじ、出だしの8小節できまる。
ここでスリリングに始まらないことにはジャズ番組が台無しだ。
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先ずは、車でクラブに乗り付ける、車はゼンさんのモーガンを使う、これに男女二人が乗って、クラブの中庭に乗り入れ、停める、男が先に下りて、女性側のドアーを開けてエスコートをする。


<この場面のBGMは「Cジャムブルース」、ミディアムスローのフォービートで、先ずはベースがブルースコードを・・・4小節を過ぎてシンバルレガートが入る、この辺でドアーを開ける場面、12小節が過ぎ、階段を下りる当たりで、ピアノがテーマを弾く。>

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この場面までは顔を写さない、足元から胸元まで。
そして、クラブのドアーを開けて入ってゆく。クロークに女性がコートを預ける、そしておもむろに階段を下りる二人の足元・・・。
段々とジャズの音が聴こえてくる。<Cジャムブルースのテーマ>
席に着く二人、煌くテーブルのキャンドル・・・。
「今夜もようこそ!」とフロアーマネージャーの声。

ハウストリオの紹介に続き、本日のゲストを紹介する。
記念すべき第一回のゲストは・・・???
<次回に続く>

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April 18, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その120回ーー「ウエスが飛び入り」の巻ー

4月のとある金曜日、「KIND OF BLUE」は満員のお客さんで溢れていた。
気候も良くなり、春の夜風に吹かれて、ジャズ好きが浮かれ出てきた。
河田吾郎のピアノも大野のドラムもいつになく弾んでいる。
「Sometimes I‘m Happy」をミディアムファーストで流麗にスイングさせている時に、階段を下りてくる大柄な黒人がいた、手には楽器のケースを提げている。

ゼンさんが満員の中から座れるスペースをピアノの後ろの常連席につくった。
彼は大きな身体を小さくして座った、そして楽器のケースを指して、「良いか?」と目でゼンさんに合図を送った。
ゼンさんが小さく頷いて、リーダーのドラムの大野を目で指した。
彼はそれだけで理解し、演奏中のドラマーを横から見た、ドラムの大野も小さく頷いた。

これは飛び入りで加わる際の礼儀と合図だ。
彼は楽器のケースを開けた、中からギターが出てきた。
やがて曲はエンディングに入り、べースの山田君がエンディングを作って終わった。
ヤンヤの喝采で常連をはじめ、お店が乗りはじめている。
ピアノの河田が振り向いた、「いったい飛び入りは誰だろうか?」と顔を見て、驚いて握手をした。
山田君は未だ気がついていない、ギターのアンプをピアノの下から引き出すのを手伝っている。
そして大野につぶやく声で「あれって、そうですか?」と目を見開いている。
大野がニヤッとして頷いた。
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彼はギターをアンプにつなぎ、音を出した、直ぐにピアノが調音の音をだして、直ぐにチューニングは終わった。
彼がしゃがれ声で言った「F」、そして指でギターのボディとトントンと叩いてテンポを指示した。
柔らかい音と快適なテンポでテーマが始まった。
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「NO BLUES」だ。
Fのキーで1コーラス、テーマを弾き、直ぐに2コラース目にはG♭へ転調した。そして、コードを刻みながらテーマを弾き、ソロに入った。
河田のピアノが三連符で絡んでゆく。絡みながら、彼のフレーズの後を追う、絶妙の呼吸だ。
ジャズは飛び入りでも直ぐに呼吸が合う・・これができるから気持ちもいいし、一流の証だ。

ピックを使わない、指ではじく奏法だ、それだけ音がソフトになるし、深みがでる。

そう、今飛び入りで弾いているギターリストは・・・ウエス・モンゴメリー!
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バックのリズムセクションが気持ちよく弾む、ベースの若い山田君ですら、思い切り低音を弾いている。
ドラムの大野はレガートでスイングさせている、もう余分なことはしないでも、大きなスイング感の中に入りつつあるのが分かる。
ウエスがコードを親指で連続的にシンコペーションをとらまえて刻む、「ザッ、ザッ、ズワーン」柔らかいけど、深く、グルービーな音質でファンキーだ、「イェー!」
そして再度転調だ、二度にわたり半音づつ、A♭までいった。
そして、ウエス独特のオクターブ奏法を交えて、5コーラスを過ぎてソロを河田に渡した。

ギターとピアノが一緒にやると音質が似て変な音のかち合いが起こる、しかしこれがない、上手く相手の隙間にフィルインが入る、これが小気味いい。
河田のピアノがいつになく、よくころがる、途切れのないスイング感とグルーブ感がこれでもかと押し寄せる。

聴衆の身体がみんな動いている、揺れている・・・。
ピアノのソロが終わったところで、ギターがリフを即興でつくった。
半音階づつの3連符の上昇進行のコードだ、「ザッザッザッ、ザッザッザッ・・・・」
と思ったら、半音下降進行だ、そして元のFのキーに戻した。
微妙に付点8分が絡む・・・プレイヤーも聴衆も一瞬呼吸を止める瞬間だ、そして、シンバルのクラッシュを合図にベースがまた快適にラニングに入る。
店内は、得もいえぬグルーブ感と至福に包まれた。

ウエスはやおらテーマに戻った、その瞬間にバックがピアニシッモに、ギターのシングルトーンが浮き出た。
シンプルなメロが素直に耳に入ってくる。
エンディングは二度繰り返し、フェルマータとリットーで、フォルテに盛り上げて決めた。

店内は拍手と歓声の渦だ、皆が立ち上がって拍手をしている。
ウエスが立ち上がり、右手でギターを握り高く掲げて応えた、その瞬間にスーット、彼の姿が消えた。

姿が消えても暫く、拍手は鳴り止まなかった、ドラムの大野も、ピアノの河田もベースの山田も拍手をしている・・。

そして、河田が静かに弾き始めた・・・「WILLOW WEEP FOR ME」これもウエスの好きな曲だ。
黒っぽい、ブルージーな「WILLOW・・・」が始まった、誰もいま起こったことを疑わなかった、ウエスが来て目の前で演奏したと・・。1105jazzcd_008

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April 05, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その119ーー「スペシャルゲスト登場」の巻ー

ジャズ・クラブ「KIND OF BLUE」のドアーにゼンさんが、何やら張り紙を貼っている。
「ONE NIGHT STAND SPECIAL GUESTS  
THE PETE JOLLY TRIO」

このイヴェントはお店のスタッフしか知らない。これはゼンさんの主義、前から宣伝をすれば、始まる前からお店は満員になる、でも飛びっきりのゲストが出る日も普通の自然体でお店を開けたいのだ。
7時に音出し、でも最初のステージはいつものハウストリオ、河田、山田、大野のメンバーで始った。
そして、8時からは、今日の特別ゲストだ。8分の入りのお店のお客がざわついている。
「エッ、今日は特別ゲストにピート・ジョリー・トリオだって、凄いのが出るんだ」
「でもピート・ジョリーってウエストコーストのピアノで「リトル・バード」なんてヒットしたよね」とか・・・テーブルではこの名前は知っている、少しはレコードで聴いたことがある・・そんな話が交わされていた。
「でも、聴いたところでは、ちょっと軽いタッチだよね」などと言う。
ゼンさんがメンバーを紹介した、
Ladies & gentlemen, tonight we have a one night stand special guests! one and only!,
Pete Jolly Trio! Chuck Berghofer on bass, Nick Ceroli on drums, and great  Pete Jolly!
一斉に大きな拍手がおきた、そして第一音がでた。
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「MILESTONE」だ・・軽快にテーマが始ったが・・・テーマの解釈が面白い、サビ部分は無い、モードの曲でありながら、モードを感じさせない、むしろバップフレーズが満載でスイングする。
お客の反応が面白い、もっと軽い感じでくると思っていたのだろう。
ピートのアドリブがアグレッシブだ、レコードで聴くテーマのフェイクで終わらせるようなソロではない、べースがまた強い音で4ビートで引っ張る、強烈なランニングベースだ。
もう一曲目で皆の身体が自然に動き出している、切れないフレースで何時までもスイングする。
・ ・・と思いきや、アッと言わせる音の空白、見事だ。
華麗なるバッパーという感じだ。
最初の「MILESTONE」が終わった時、お客さんから思わず感嘆の声がもれた。
お客の会話でざわつく店内、ピートはかまわず次のイントロを弾き始めた。
「TEA FOR TWO」だ、アップテンポでテーマの解釈とフェイクがピート独特のもので洒落ているし、思わずニヤッとさせるメロディーを挟む。
今度はベースをフィーチュアしている、このベースはゼンさんも聴いたことが無かったが、ランニングベースだけで聴かせてしまう、図太いベースだ。
ピートがグングンと盛り上げる、これでもかと盛り上げる、そこでピッタとピアノが抜ける、ベースの音が残る、この間がなんともいえない。
お店中の人がもう完全に虜となって音に引き込まれている。
三曲目の「THAT OLD DEVIL MOON」も聴く者の琴線を響かすテーマを弾く。
四曲目は「DONT‘T WORRY ABOUT ME」ここまではもう皆がピートの既成概念は吹っ飛んでいた。
ついに、五曲目でもうスイング感が極致になった、これを聴いて思わず踊り出してもおかしくない、いや、むしろそれが自然だ。
「STARS AND STRIPES FOREVER」つまり「星条旗よ永遠なれ」だ、そう良く聴く有名なマーチだ。
最初は何が始ったか・・・ブルースマーチでもと思ったら、4ビートでスイングする「星条旗よ永遠なれ」だ。
音の強弱もスイング感には肝要だがこれがまた絶妙な切り替えで、聴く者を吸い込んでゆく。
ゼンさんはカウンターの横で立って聴いていたが思わず指を鳴らし、イエッの連続である。
ユーモア、意外性、粒の揃った音、粋なフレーズの連続、大きなスイング感、
そして、思わず笑えるエンディング、なんと楽しい演奏だろうか。
ジャズは楽しいでも美しいは次の曲で証明された。
「I SHOULD CARE」この美しい原曲をより一層磨きを掛けてテーマを弾いた。
ただ、楽しく、大きく、スイングさせるだけではない、このようなバラードを弾かせても、その強弱、陰陽、そして間の取り方・・技巧派であるテクニシャンであるがそれをひけらかせない。
またまたエンディングまでお見事!と言う演奏であった。
お客が納得しない、大きな拍手が鳴り止まない。
やおらアンコールが始った。
それはブギウギ調の左手で始った・・・何が出てくるかもう魔法の玉手箱みたである・・おお、
「HEY JUDE」がブギウギで4ビートに乗って展開される、このノリでの「HEY JUDE」は聴いたことが無い・・が左手がコードで4つを刻み、右手がビハインドでアドリブを展開する。
何か、ジャマールとガーナーの特長も併せ持ったような感じだ、それに三連符が気持ちよく絡む、ケリーの三連符とはまた違う白人のもつサラッとしているが微妙な後ノリのリズムがクセになりそうである。
お客が皆身体が動き出し、店中が踊っているようだ。
だれがピート・ジョリーは軽いし、ハードなアドリブはやらないと言ったのだろうか、とんでもない誤解である。
こんなに見事に、ハードにスイングし、また美しい音と綺麗なフレーズの連続、ライブなのにミスタッチは一音もない完璧さ・・・何度でも聴きたくなる演奏、それがピート・ジョリーだった。
今夜の「KIND OF BLUE」はきっと止まらないだろう、きっと疲れ果てるまで・・。

<この話は1969年7月にLAの郊外のジャズクラブ、Donte‘sでライブ録音された、
PETE JOLLY TRIOの「TIMELESS」というCDにインスパイアーされて書いたものです。>

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March 27, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その118回ーー「マイルスがやってくる」の巻ー

ある日のアフターアワーズで、常連の船橋君がゼンさんに聞いてきた。
「ゼンさんが初めてマイスルを生で聴いたのは何時なの?」
「1964年さ」
「どんな年だったのですか?」
「そうだね・・・・日本中が騒がしかったなあ」
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1964年7月、「ジャズギャラリー8」が銀座に開店した。東京は10月に開催されるオリンピックでアチラコチラが工事中で騒がしかった。
高校3年生は受験勉強で大変な時期だ。
そんな中、いつものバンド仲間で「ジャズギャラリー8」へ出かけた。どうも夜はチャージが高いらしい、しかし昼はジャズ喫茶より少し高いくらいで生の音が聴ける。たしか、コーヒーが300円くらいだったかと・・・当時普通の喫茶店では80円くらいだったと思う。

出演者の名前は皆、若いメンバーで勿論レコードなどで音を聴いたことはない。
テナー:武田和命、トランペット:日野照正、ピアノ:渋谷毅、大野雄二、ベース:稲葉国光、金井英人、ドラム:富樫雅彦、等・・・。
僕達は学校帰りに学生服のまま、出入りしていた。

そんな時代背景の中で、我々の話題は、すぐそこに迫った「東京世界ジャズ祭」の話だった。
何しろマイスルがやってくる、それもいつもレコードで聴いている編成ではない、全く新しいメンバーで来るという。
唯一そのメンバーで聴けるレコードが「セヴェン・ステップス・トウ・ヘヴェン」で、これを何度も聴いた。
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評論家の先生は、わずか18歳のトニー・ウイリアムスが凄いという、最初、混同していけないと、わざわざ、「プラターズ」のトニー・ウイリアムスとは別の若者ですよ・・と注意書きがあった。
(注:コーラスグループ「プラターズ」の「オンリー・ユー」で高音を出すヴォーカルがトニー・ウイリアムスで同姓同名、こちらの方が有名だった)
ドラムソロは少し聴ことができたが未だ評価を下すには充分な情報が無かった。
「なんとメロディアスな・・・なんと斬新な・・・」と評論家先生は言うが分からなかった。
僕たちと年が変わらないトニーというドラマーが既にマイルスのグループに入ってやっている・・この事実がとても衝撃的だった。
因みにこの時マイルスは38歳である。

マイルスの他にも沢山のスターミュージシャンがやってくる、全部聴くにはお金が無い、選択で大いに迷った。JJやケリートリオも来るし・・・。
勿論、マイルスは必修だった。

暑い日だった、学校の帰りにスイング・ジャーナル社へ切符を買いにいった。
それというのも、SJ社が学校の近くにあったからだ。
今の東京タワーの麓に来るまえで、西新橋にあった、番地を頼りに訪ねていった。
汚い古いビルで、一階が半地下みたいになっており、歩道にはSJ誌が沢山積まれ、それをランニングシャツ姿の人が汗だくで運んでいた。(内心、Sj誌には就職するのは止めようとその時思った)
「アノー、世界ジャズ祭の切符を買いにきたのですが」とその人に尋ねた。
「中にいるアノ人に聞いて」と、恐る恐る足の踏み場もない屋内に階段を数段下りた。
もう蒸し暑さが凄かった。
我々はみな、3枚くらいの券を買った、安い券ではなかったので、マイスルは一番良い席にして、後の二つは立ち見席にした。
前から5番目の少し下手よりの席だった。Jazzpicmiles64haneda_2


その日は、マイルスの他に、松本英彦カルテットが組まれていた。
1964年7月14日、新宿厚生年金ホール。
時間が早すぎたので、斜め向いのジャズ喫茶、「ヨット」で時間をつぶした、その中には日野元彦さんがいた。みんな時間が近づくと一斉に店を出て、ホールへと向かった。
松本英彦カルテットで印象に強く残っているのは、「リンゴ追分」をモードでアレンジし、松本さんはとても良かった、そしてベースの寺川正興さんが、凄かった。小さい体でとても大きなベースの音を出し、鋭いフレーズを連発し、ソロイストに絡めていた。
僕はスコット・ラファロではないかと思ったほどだ。

いよいよ、御大、マイスル・デイビスの登場だ。
Tp:マイルス・デイビス
Ts:サム・リバース
P :ハービー・ハンコック
B :ロン・カーター
Ds:トニー・ウイリアムス

サム・リバースという初めて聞く名前のテナーもいるが、何しろ全員がはじめての生の音だ、始る前から興奮が高まっていった。
イソノ・テルオ氏の司会で始った。
マイルスはとても神経質でシャッターの音が聞こえただけで演奏を止めてしまうときいいていたので、この日は隠しカメラなどを持ち込むことは止めたし、勿論咳き一つに神経をとがらせた。

マイルスの音は大きかった、鋭かった、そして楽器が綺麗でスポットライトに反射するとブルーの耀きをしていた。
初めて聴くサム・リバースは前衛という前評判の割には聴きやすく、このグループにあっているのではと思った。しかし、楽器が汚かった・・・

そして何より目に焼き付いているシーンは、マイスルがソロを終わると舞台袖に下がらずに、トニーの前にゆき、客席に背を向けて、トニーと面と向かって、目で合図をおくり、もっと煽れというような素振りをしたり、アクセントがバッシッと決まるとニヤッとしたり、もう個人指導という感じであったことだ。
僕は当然ピアノのハンコックにも興味があったが、あの、ファンキーピアノのハンコックとはまた違うホリゾンタルフレーズをスピード感をもって弾くハンコックにビックリだった。
ロン・カーターにしてもそうで、ベースというとても力の要る楽器なのにどうして休まずあんなに弾けるのだろうかとただただ驚異であった。

この時の実況盤が発売されたのはこの歴史的な演奏があってから5年後であった。
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「MILES IN TOKYO」
:IF I WERE A BELL
:MY FUNNY VALENTINE
:SO WHAT
:WALKIN‘
:ALL OF YOU


サム・リバースとマイルスの一緒の盤はこれ一枚しかない、この後、サムは独立し、BNからリーダー作を出す。
一方、マイルスにはウエイン・ショーターが入団し、60年代後半からの新しい方向性をこのグループが築くことになる。
そういう意味でもあの時の演奏は意味深いものであり、また内容も良いライブ盤になった。
初め日本でしかこの盤が発売されなかったので、海外の友人から送ってくれと頼まれたことがある。

僕の網膜に映って残っているマイルスは、何しろ立ち姿の良いトランペッターで、仕立ての良いスーツと吹く姿、そしてその音が全てマッチし一体化され、全体が表現者として訴えてくる力みたいなものを持っているアーティストで、正にオーラとはこのことを言うのではないかと思うのである。

その後、何度かマイルスは来日している、大体聴いているが、この時のエキサイティング度は最高でこれに勝る演奏は無かった。
「まあ、そいうことだね」とゼンさんは思いで話を切った。

「ところで、何故、マイルスがガーランドやフィーリーのリズムセクションを好み、トレーンやキャノンボールとやったか・・・それが何故ケーリーやコブに変わり、モブレイやジョージ・コールマンになり、サム・リバースになり、ショーターになったか・・・、マイルスの本心や如何に!これを知りたいかな?」とゼンさんが周囲の常連さんに聞いた。
「そんなことを知っているのですか?」
「まあね、大体のジャズファンなら知っているのだけどね・・自分で勉強しなさいとか言ってもいいんだが」
「聞かせてくださいよ」船橋君が食いさがった。
これを知りたければ書いてもいいが・・・皆さんもうご存知ですよね、敢えて自慢げに書くのは考えます。

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March 23, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その117回ー「誰かこの子をしらないか?」の巻

<前回より続く>

ゼンさんは休日にレコード棚を整理していた。
まだ買って手付かずの山がある、新譜を購入したものの今ひとつ食指の動かない盤もある。
そんな中から見慣れないCDが一枚、まだ封を切っていないものを発見、ジャケットの女性がこちらを見て微笑んでいるではないか・・・、しかし私はこの方を存じ上げない、どうしてここにあるのかも分からない。
どなたか、この方がどんな方か教えて頂きたいのであある。
そこでゼンさんはお店の入口にジャケットを掛けてこう書いた「誰かこの子をしらないか?」
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名前は、KATHY BARR
アルバム名:「FOLLOW ME」

「INTRODUCING」と小さく書いてあるので、きっとデビュー盤なのであろうか、編曲指揮は、JERRY FIELDINGとある。

ご来店の皆様、ご協力を宜しくお願いいたします。

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March 16, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その116回「おいらはドラマー」の巻ー

<前回より続く>

「ゼンさん、ゼンさんはピアノ以外には何か楽器をやっていたの?」と休憩時間に常連の関君が聞いてきた。
休憩時間やステージの終わったあと、アフターアワーズの会話はミュージシャンの日頃聞けない話、日常の話が聞けて興味深いことがある。そんな会話の中からその人柄が分かって、より音楽への理解が深まると言うことが多い。

「ああ、ドラムをやっていたことがある」
「えっ、ドラムも出来たのですか・・」
傍で、ドラムの大野がニヤニヤ笑っている。
「うん、家の近くに住んでいた友人が、バディ・リッチのサイン入りのバスドラのセットを持っていて、それを僕の家に持ってきて、一緒にやっていたんだ。彼がいない時は僕が練習していたんだ」
「バディ・リッチって・・あのルイ・ベルソンなんかと一緒にドラム合戦をやった白人ドラマーですか?」
「そうだ、当時4大ドラマーのドラム合戦なんて、結構下らない企画で人を集めていたね」
ゼンさんの大学時代の昔話が始った。
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(写真は大学1年時)

大学に入学すると、部活を何にするか・・考えた、中学、高校とやってきたスキーやテニスをやろうかと思ったが、大学の体育会は半端じゃない、トレーニングがきつい。
そこで、ジャズ研究会みたいなものが無いか探したが、僕の大学にはクラブとしてはフルバンしか無かった。僕はピアノだったので、フルバンでは面白く無いなと、譜面を弾いて終わりじゃつまらないと思っていた。
別途、個人的にやっている、アルトのワン ホーン カルテットがあった。
入れてもらおうと練習を聴きにいったが、もう仲間で出来あがっているし、ジョージ・シアリングのようなサウンドにポール・デスモンドを加えたと言うバンドで、当時、ケリーだシルバーだ、マッコイだと思っていた僕は一緒にやる気がおきなかった。

高校時代の4人組は進学の過程で、2人がW大へ行き、ジャズ研に、一人が外語大でジャス研、僕だけジャズ研の無い大学だった。
そこに、フルバンのマネージャーが教室に訪ねてきた、ピアノが4年生で卒業するといなくなるので是非入部して欲しいという勧誘だった。
暇つぶしのつもりで入部した。
最悪だった、レパートリーを見るとめちゃくちゃで、エリントン、ベーシーやらグレン・ミラー、レス・ブラウンというもう何を考えてやっているのかと思想の無いフルバンだった。
大体、練習を聴いて直ぐに感じた、エリントンなんて無理だと。
高校の上手いブラスバンドの方がまだましという技術で・・ではセンスはと言うと、ジャズを聴いたことがあるのかといいたくなるような先輩ばかり。
人数が多いので、まるで体育会のノリで秩序を保っている。
幸いにピアノというパートは一人だし、4年生は就職活動であまり出てこない。

「オイ、ピアノ!、Aトレーンやるぞ!」コンマスから声がかかる。
コンマスとはコンサートマスターで音楽監督で、バンマスはバンドマスターでクラブの部長である。
ペット4人、ボントロ3人、テナー2人、アルト2人、バリトン1人、ドラム、ベース、ピアノで都合15人である。
部員は30人いるので、半分はあぶれている・・というか二軍である。

Aトレーン即ち「TAKE THE A TRAIN」をやるというのだ。
直ぐに譜面を出す、オットそうだ、出だしがピアノで始る。
譜面は苦手である、「エート、これはどの音からだろうか・・・」と見ると良くあるフレーズが書いてあるではないか、それを二回繰り返すらしい。
コンマスの出すカウントで右手だけで二度繰り返すと、全員でテーマが始る。
あとは出番はどこかと譜面を見ていると、エンディングの最終音だけである。
途中はいろいろと書いてあるが、要はあまり絡む場面はないので適当にフィルインすることにした。
なんと閑なピアノだろう・・・アクビが出そうである。
そして、音を合わせてみるともうデタラメで、先ず管楽器のチュウーニングが狂っているし、リズムがバラバラ、なんか変だなと聴いていると、リズムだ、ドラムが駄目だ。
決めの一発が無い、決めるべく小節の頭でバシッと来ないし、音も負けている。

「オーイ次やるぞ!マカレナ!」
隣にいるベースの3年生に聞いた「マカレナって何ですか?」
「あ、闘牛士のマンボとも言うな」
「え、ペレスブラード?そんなのやるんですか?ジャズではないでしょう?」
「うん、でも先輩にマンボの好きなヤツがいるのよ」
「ピアノは何をすればよいのですか?譜面が無いんですが」
「ああ、ピアノは無いよ、その辺のバケツでも叩いていろよ」
最悪のバンドだ。

「あの、ドラムをやりたいのですが・・・」とある日申し出てみた。
バンマス曰く、「ピアノがいなくなるしなあ、それにお前ドラム叩けるのか?」
「ええ、少しは」と内心あの先輩よりはと思っていた。
そして、1ヶ月後、ピアノをやりたいと言う女子学生がやってきた。
バンマスが聞いている「君はジャズピアノは?」「いえ、初めてです」「譜面は読めるの?」
「ええ、なんとか、5歳からピアノを習っていますので・・・でもジャズは弾いたことがなくて」
これで決まった、僕はドラム、ピアノは新人の女学生と。
あの女学生が弾いても、僕が弾いても同じだよこんなバンドと思っていた。

浜松湖で合宿となった。
4年生のドラムはそれまでの練習で僕にレギュラーを譲ってくれた、僕が上手いわけではない、彼が余りにもどうし様も無いと言うだけだ。

そして、どうもこのバンドのドラムセットはフルバン用ではない、無理がある、シンバルも一枚はジルジャンだが、あとは何だか鍋蓋みたいなシンバルとハイハットだ。
そこでバンドのバンマスがクラブ用のセットを買ってくれる事になった。
スネアとトップシンバルは自前のを持ってきていた。
浜松の地元のドラム製造の名人、ネギドラムの根木さんがお手製を作ってくれるという。
合宿にそのセットが持ち込まれた。
白木の三点セットでかなりカッコいいし、音も抜けがいい。
シンバルとハイハットもKジルでそろえた、レガートが気持ちいいくらいだ。カチーンというスティックの当たる音がクリアーだ。

根木さんが練習を見てくれた、「ドラムさん、もっと思い切り叩いて!」という。
それから彼のコーチが始った、いつも言うのはもっと強く叩けだ。
思い切り叩いた、力のあらん限り叩いた、でももっとという。
根木さんはドラマーではない、しかし、多くのドラマーにタイコを作ってきた人だ、演奏の現場や一流の音の出し方を散々見て研究してきた方だ、きっと僕の音が歯がゆかったに違いない。
「思い切り叩いても壊れませんから、リムをカーンと力一杯やってください、気持ちの良い音が出ますから」と。
フルバンのフォルテッシモはそのくらいの迫力で叩けということを教えてもらった。
すると、リードセクションもブラスセクションもこれに負けじと音量を上げる、迫力がでてきた。

フルバンのタイコは体力が大事なのだと思った。
僕はベーシー楽団のソニー・ペインに憧れていた。
高校時代に厚生年金ホールで聴いたベーシーは音が大きく、驚いたこと、そして、「オールマン リバー」でソニー・ペインが延々と30分のソロをやったこと、そのソロが抜群にカッコよかったことが焼きついていた。

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(写真はカウント・ベーシー楽団1967年ロンドンでの映像より)

そして、なにより「アレ」もやりたかった・・・。
日本の誇るフルバンド、「原信夫とシャープ&フラッツ」のテーマ曲「BLUE FLAME」である。
ある日コンマスを口説いて我々もテーマを持ちましょうと。
何しろ、出だしが、ドラムのフォルテッシモで二拍三連が続いて、それにリードセクションがうねってメロがのってくる、ドラムから言うと最高の出だしだ。
幕が開く前に音が出て、一段高いところでドラムがドッドッドッとやり、幕が開く、この瞬間が最高の気持ちだ、ゾクゾクする、この為にバンドをやっているようなものだ。

合宿の終わりに、名古屋で公演を行うという、500人入りのホールで、地元の女子大のコンボをゲストに呼ぶという。
浜松から名古屋へ移動、フルバンの移動は大変だ、途中時間の無い乗り換えもある、ホームを走らないと間に合わないとジャーマネがいう。
30人の集団が楽器をもって駅を走る。
ジャーマネが若い二軍に大きな楽器を配分して持たせる指示をしている。
「いいか、駅に着いたら、先ずバリトンが先頭で走れ、そしてバリトンケースをドアーに挟んでドアーが閉まらないようにしろ」と指示をしている。
バリトンのハードケースは大きくて硬い、二人で担いで走るのだ。
4年生は手ぶらでブラブラとあるいている、「先輩、走ってください!」2年のジャーマネが叫んでいる。4年生は売店でビールとつまみ等を買い込んでいる。
「電車を待たせろ!」もう無茶苦茶である。
駅のスピーカーがガナッテいる。「そこの団体の人、電車のドアーを抑えないでください!発車します!」「そこの人、荷物をドアーに挟まないで!」
駅のスピーカーが怒鳴っている。
この光景はフルバンの移動にはつき物だった。

その後、コンマスを口説いて、ジャズっぽいレパートリーを増やしていった。
一年後、新人が二人入部した、ベースとドラムだ、これが凄いヤツが来た。
ドラムはプロ並、ベースは音感がよく、こうやろうと言うと全部理解してその通りにできる。
僕は直ぐにドラムの座を譲った。
そしてピアノのレギュラーに戻った。

リズムセクションの三人はいつも物足りなさを感じていた。
そして、三人で別途ピアノトリオをつくった。ジャズのトリオだけでは仕事が無い、そして女の子にもてない。
そこで、当時流行っていた、「セルジオメンデスとブラジル66」のコピーバンドを作った(以前このBLOGにも書いた)
この二つのバンドは売れに売れた。毎月のアルバイト代を山分けする方式で、月に平均7万円になった。大卒の初任給が2万円の時だ。
リズムセクションの三人はこのフルバンを辞めたいと思っていたが、なかなか辞められず、練習は適当にしていた。

ある日、コンマスが、「練習をプロに指導してもらおうと思う、今日からコーチをお願いした」という。
トロンボーンの東本安博さんだ、いつもSJ誌のトロンボーンの人気投票で谷啓とトップを争っている方だ、日本一のトローンボーンだと紹介した。
確かにSJ誌ではいつもトローンボーンの欄に出ているが聴いたことが無い。
実際に見るとジャズミュージシャンという雰囲気ではない、どこか街のオジサンという感じだ。
でもボントロの音だけは大きい、そしてボントロの連中に指導するときはいつも、「もっと大きな音を」だ。そして、なんでも吹けてしまうところを見るとやはりプロは凄いなと感じた。

ある日、その東本さんが地元のお祭りの余興に出て欲しいという。
でも予算が無いのでギャラが出ない、奥さんが地元でスナックをやっているので、終わったら呑み放題ということでと頼まれた。
下町のしけたお祭りで、神社にヨシズ張りの紅白幕の演台があってそこで演奏だが・・・観客がいない。そこに子供が三人ばかり来た、何をやっているのだろう?
コンマスがすかさずカウントを出した、テーマが始った、あまりの音の大きさに子供が逃げてしまった。奥から神主さんが出てきた、今奥でお神楽の舞をやっているので静かに演奏してくれという。
もうハチャメチャだ、東本さんも町の世話役らしいが・・・もういいから呑みにゆこうと言う。
二軍に片付けを任せて、奥さんの店にいった、15人が入ると満杯のスナックだった。
そして隣が東本さんの本業?の塗装業の店があった。

或る日、プライベートで赤坂のTBSの隣の地下、TOPSで名物のドライカレーを二人の女の子と食べていた、向こうから視線がくる、嫌な予感・・・東本さんだ。
「丁度いいや、ちょっと手伝ってくれないか、ちょっといいから上のGスタまで来てよ」
こちらはガールフレンドを二人連れているのに無粋なと思いつつ、彼女達もスタジオを見たかったのだろう、付いてきた。
「あのさ、一曲だけトラやってよ、ピアノが急に休んでしまったんだ」
「何を弾くのですか?」
「365歩のマーチ」
「知りませんよ、そんな曲」と言いかけて言葉を飲んだ。後ろに、真っ白な着物姿の水前寺清子さんが立っている。
一緒に行った女性共はサインなんかもらっている。
メンバーはスタジオミュージシャンのベテラン達だ。
「ちょうどいい奴が下にいたから連れてきた」と言っている。
「一度あわせよう」と、もう無理やりだ。
コード進行だけをもらって、例の二拍子のマーチにあわせた。
「TVでの洋服もってないですよ」
「いいんだ、ピアノは映さないから」全部、東本さんが仕切っていた。

ゼンさんは一年間、フルバンのドラムを叩いていた、フルバンのドラムは気持ちがよい、何しろ一番高い場所で目立つ、音が大きい、出だし、終わり、中間での小節の切れ目での決めの三連符やロール、そしてシンバルを思い切りひっぱたく。
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(写真は1967年頃のベーシー楽団のドラム、いったい誰でしょう、もの凄いバカテクです)

頭三連、中抜き三連、後打ち三連、いろいろな三連符も学んだ。
ゼンさんは今でもジャズを聴いている時、左足はハイハットを踏んでリズムを取るクセがある。
因みに、当時のドラムとベースはこの仮想のジャズクラブ「KIND OF BLUE」にもよく遊びにくる川島君と森君だ。
いまや彼らは、上場企業の重役とオーナー社長だ。

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March 15, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その115回「今週はヒロミツの追悼で・・」の巻ー

今回は、高校時代の親友で、このブログの昔話にも登場した、タレントの鈴木ヒロミツ君が2007年3月14日急逝した。
彼が登場する話は次回、オマージュとして書きたい。

「アノ頃お前はバカだった、いやお前の方がバカだった」という題で・・・。

今週は僕の部屋に彼が訪れた時の写真を掲げて彼への追悼としたい。

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今夜は彼の通夜である。

合掌

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March 08, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その114回「アイリーンの巻」ー

<前回より続く>

<「KIND OF BLUE」のご常連、DUKEさんは罪な人である。前回ご自分のサイトで
「ジャッキー&ロイ」を取り上げられている。ロイのフルネームはロイ・クラールであることはご存知の通り、ジャズ通の皆さんなら知っておられると思うが妹がアイリーン・クラールである。
私はこのアイリーン・クラールとは正に一期一会の辛い思い出がある・・。それを知ってDUKEさんは前回取り上げられたのだろうか・・・?>

1977年某月某日・・・私は六本木のジャズクラブ「バランタイン」のピアノサイドの席にいた。
隣の常連の男性と話をしていた。その日の出演は、峰純子さんで、有馬すすむハウストリオであった。
私も、隣の男性も峰さんのファンでよく峰さんを聴きにきていた。
休憩時間に峰さんを加えて話をしていた。
峰さんが「今度アイリーン・クラールが来日するの」と言い出した。
その月にはアイリーン・クラールの1974年末録音の新譜「恋の行方」がトリオレコードから1976年に出され1977年初めに「第10回ジャズディスク大賞ボーカル賞」を取ったばかりだった。
クラール来日の招聘は勿論峰さんのご主人の会社だ。カーメン・マックレイも絶賛のヴォーカリストだ。
「是非、聴きに来てね」と。

私は既にそのLPを入手し、まだ名前が知られてないその白人ボーカリストをいたく気に入っていた。
「来日したら当然聴きに行きますよ」と答えた。
峰さんは付け加えた「実はこれが初で最後の来日になるのよ・・・」と。
怪訝な顔の二人にそっと「実は彼女はガンに侵されていてもうそんなに長くはないの、自分で知っているのよ」と言う。
絶句してしまった。
暫くしてアイリーンが、ピアノのアラン・ブロードベントを伴って来日した、そして「バランタイン」でも歌った、当然聞き逃すまいと聴きにいった。
ピアノとのデュオでこのアルバムと同様、説得力のある渋い美しい陰翳のある表現で心に染み入った。

彼女のコンサートをABCホールで開催することになった。これが日本で生で聴ける最期の機会である事を皆知っていた・・・本人も・・でも誰もそれを口にする人はいなかった。

峰さんが手伝って欲しいと、そこで常連のその男性と手伝うことにした。
当日はプログラムやLPをロビーで売るのを手伝った、峰さんのお弟子さん達も一緒だった。
開幕のベルが鳴った、お客さんがみな会場に入ったのを見極めて、会場に入いり、会場の一番後ろの隅からステージを観ていた。
アイリーンが自分で余命を知って歌っている・・・その姿を観て聴いている。
これが最後の見納めかと思うととても感傷的になっていて、彼女の一挙手一投足を目に焼き付けていた。アランのピアノもいつになく静謐で甘さを抑えて素晴らしかった。
最後の曲はアルバムと同じく「DON‘T LOOK BACK」であった。

公演終了後、楽屋でアルバムにサインを貰った。
その日の公演を手伝ったことをどこかで聞いたのだろう、先ずお礼を言われた、そして、アイリーンとアランが私の名前を入れて書いてくれた。

そして、約1年後の1978年8月15日、彼女は他界した。
今になってみると峰純子さんもあの世へ・・・。
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私の大好きなピアニスト、ローランド・ハナと峰さんのアルバム「プリモーニング」に峰さんはサインをいれてくれた。
いま、私のLP棚にはこの二人のLPがサイン入りで並んでいる。

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<アイリーン・クラールのアルバム紹介。
「“恋の行方”WHERE IS LOVE」
VO:IRENE KRAL
P :ALAN BROADBENT
(A面)
1、 I LIKE YOU、YOU‘RE NICE
2、 WHEN I LOOK IN YOUR EYES
3、 A TIME FOR LOVE/SMALL WORLD
4、 LOVE CAME ON STEALTHY FINGERS
5、 NEVER LET ME GO
(B面)
1、 SPRING CAN REALLY HANG YOU UP THE MOST
2、 LUCKY TO BE ME/SOME OTHER TIME
3、 WHERE IS LOVE
4、 DON‘T LOOK BACK

最後の「DON‘T LOOK BACK」を静かに語りかけるように歌っている。
この余韻はなんなのだろうか・・・自分がガンであることを知り、余命を知ってこの歌を歌う・・。
DON‘T LOOK BACK,THE PAST DOESN’T MATTER NOW
YOU KNOW THAT LOVE CAN TURN INTO TEAR
DON‘T LOOK BACK、IF YOU WANT YOUR HEART HAS Sung
GO YOUR WAY AND DON’T LOOK BACK・・・・・・・・・

<場外情報>
1977年に、このアルバムの次にもう一枚スタジオ録音をしている、アランとのデュオで、ジョビンの曲などを録音している。正に絶唱と言ってもよい、最後の録音である。私はこのLPを聴き、テープにダビングしたものしかない、LPは持っていない。
機会と縁があれば欲しいと思う。

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March 01, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その113回ーー「ロージー&フランキー」の巻ー

<このところ、コンサートづいて、ゼンさんは店を留守にすることが多かった。そろそろまた店に腰を落ち着けてストーリーを元に戻そう>

・ ・・今回の話しは1983年の某月某日、六本木のあるジャズクラブであった事実をもとに・・・幻想と妄想と冗談をミックスしたカクテル・ストーリー「Fのブルース」を創造(想像)しました・・・

外は秋風が立ち始めていた。
クラブ「KIND OF BLUE」の中庭にも枯葉が音をたてている。
今日は閑な水曜日、店も半分ほどの席が埋まっている程度だ。
ドラムの大野をリーダーとするハウストリオが最初のステージを終えた。
フロアー係りのヤマちゃんが壁際の席に二人の外国人カップルを案内し、キャンドルに灯をともした。
ゼンさんはピアノの後ろで河田や大野と話していた。
ヤマちゃんがゼンさんに「アレ誰でしたっけ?」と壁際の席を指した。

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ゼンさんは目を疑った、「大野ちゃん、ちょっと凄いよ、ロージーだろうあれは」
大野が「うーん、そうだよねどう見ても、ローズマリー・クルーニーだ・・・でも突然か」「間違いないな」と河田が言った。
「ところであの連れの男性は?」と大野がゼンさんに聞いた。
ゼンさんが何か思い出そうとしている・・「そうだ、フランキーだ、フランキー・オルテガだよ」
「エッ、それ誰ですか」ヨーコちゃんが首をひねる。
「うん、ピアニストだ、知らないかな、サンセット77っていうTV番組があったの」とゼンさんが説明した。
「サンセット77は探偵二人が主人公でね、毎回事件があってそれを解決する話しでね、場所がLAのサンセット通りにある探偵事務所と近くの溜まり場のバークラブ「ディノス」が舞台になっていた、そのディノスのハウスピアノ役があそこにいる、オルテガさ、TVでも弾いているシーンがよくでてきたもんだ」とバンドや店のスタッフに言いながら立ち上がり、ロージーの方に近づいていった。

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ゼンさんは、ロージーとオルテガに来店の挨拶をした。
フランキー・オルテガがここに来た経緯を説明した。
実は、豪華客船クイーン・エリザベス二世でショーを開く為に香港から乗り込んだ、そして、昨日、横浜について5日間横浜と東京に滞在すると言う。船の中では毎晩ディナーショーを開いているという。
ゼンさんは次のステージが始る前に二人をお客さんに紹介した。
みんな驚きの声を上げた。「おっ、ローズマリー・クルーニーが来ているんだって」と。
フランキー・オルテガが立ち上がってピアノに近づいた、そして河田に挨拶をした。
河田がどうぞと、椅子をすすめた。
フランキー・オルテガが弾きだした・・・否、キーを叩くのではない、左手でキーを抑え、右手で弦を直接はじいている。まるでハープの様な音を出している。
曲は「MISTY」だ、32小節のテーマを全部この調子で弾いた、そしてアドリブに入ってやおら、普通にキーを弾き始め、大野と山田がバックをつけた。
テーブルのキャンドルの瞬きとオルテガのピアノの弦をはじく響きが同調した。
オルテガは3コーラスをかなりのスローで弾き切った、そしてロージーを呼んだ。
ロージーが何をやるの?と聞いている、ゼンさんが横から「GIVE ME A SIMPLE LIFE」と囁いた・・ロージーがニヤッと笑って、うなずいた。
ロージーはピアノの傍に立っただけでエレガントだ、なんと言う絵柄だろう、ゼンさんはまさか自分の店でロージーが飛入りで歌うとは考えたことも無かった。
特にロージーの髪の毛のウエーブが何ともいえず美しい。
ロージーとオルテガは快適にスイングした、特にロージーの温かい声が包み込んでくる。

ジャズクラブをやっていると、突然の来訪者がある、そしてジャズミュージシャンはみんな演りたい、だからギャラなんか抜きで飛入りで・・ノレば何曲でも、何時間でも・・そいう場面を何度となく観て聴いてきた。
これがジャズのいいところだ。
次ぎは一体だれがここで歌うことになるのだろう・・・・。

因みに、オルテガは二枚のアルバムを出している。一枚はフランキーではなくフランクとクレジットされている。いずれも同じオルテガだ。
一枚は「SMOKIN’」(+BOB MAGNUSSON+ALEX ACUNA)もう一枚は「SWINGIN’ ABROAD」(+WALTER SAGE +BURT HUNSON)、いずれも小粋なジャジーなピアノトリオで僕の隠れたフェバリット盤だ。
ローズマリー・クルーニーにいたっては何枚出しているのだろうか?
ではロージーのBEST3はなんだろうか?・・・・コメント欄にどうぞ!
<次回に続く>

<話しの横道>
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「サンセット77」にでてきた「クラブ・ディノス」はディーン・マーチンがオーナーで実際にあったクラブだ。TVドラマではクラブの玄関にいつもいるバレーパーキングのクーキーが名物だった。
僕は1981年にLAに出張をした時に訪ねた、その時には「ディノス」は名前を変え、アラブ資本の店になってしまっていた。とても寄る気にはなれず、前でしばし眺めて、ホキの店へジャズを聴きに行った。当時LAのホキ・徳田さんの店では細川綾子さんが歌っていた。

<号外情報>
BASSCLEFさんに続き、「ジャズ批評・3月号」にこの「Fのブルース」が紹介されました。これも皆様のご支援のお陰です、ありがとうございます。
きっと次ぎはDUKEさんか・・・しんじさんか・・ブログのリンク友が掲載されることでしょう。
これからもこれを励みに「Fのブルース」を宜しくお願いいたします。

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February 26, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その112回「ジャズ批評に掲載」の巻ー

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「ジャズ批評・3月号」に私のジャズBLOG「Fのブルース」が取り上げられた。
仕事のことで、業界紙や専門誌に原稿を提供したこと等は多々あったが・・ジャズでは久々である。
久々と言うのは、ジャズドラマー大隅 寿男の後援会長などをしていて、SJ誌やジャパン・タイムス紙などに載ったことがある。
しかし、完全な趣味の世界でハンドル・ネームで取り上げて頂いたのは初めてである。
書きなぐりのBLOG,推敲なし、校正なしと開き直っての妄想と幻想のストーリーゆえ、自分でこれで良いのかと考えると忸怩たるものがある。
これも皆様のおかげ、ご支援の賜物です。

前回の1月号には、このBLOGのご常連、BASSCLEFさんのブログが取り上げられています。

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February 22, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その111ーー「ジャズピアノ6連弾」の巻ー

2月17日土曜日、サントリーホールへ「ジャズピアノ6連弾」を聴きにいった。
六台のベーゼンドルファーとスタンウエイーのフルコンが舞台に並んでいる。
これだけで圧巻である。
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出演者は、山下洋輔、島 健、佐山雅弘、国府弘子、塩谷 哲、小原 孝、以上の6人。
ここで分かるでしょう、6人中4人が国立音大で塩谷氏が東京芸大、島健だけが音大あがりでは無い、勿論、島健の父上は有名なタンゴピアニストだ、日本より米国で活躍して凱旋帰国した。

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プログラムは以下の通り。
1、 オープニング:TOKYO REBORN BLUES(6人全員)
2、 ミヨー:スカラムーシュ(小原、塩谷)
3、 スペイン:(佐山 島)
4、 寿限無+寿限無(山下、国府)
INTERMISSION
5、 島健作曲:SUITE FOR PIAZZOLLA(島、塩谷、山下)
6、 ミシェル・カミーロ:ON FIRE(国府、佐山、小原)
7、 ラベル:ボレロ(6人全員)
8、 アンコール:TAKE FIVE(全員)

一体6人が全員で弾き出すとどうなるか・・・この公演は2月3日に既に横須賀でやっている。
多分ここではかなり混乱があったのではと推測する。
忙しい6人が充分にリハをできるわけがない、6連弾といっても順番に弾く部分はいいけど合奏のパートは譜面があるとは言え、呼吸を合わせる必要がある・・。
結構苦しそうな場面もあったが、そこはジャズ屋、即座に合わせる。

「ジャズとは反射神経と自立神経のバランスを養成する音楽」と言ったのは秋吉敏子だ。
つまり、相手がこうきたら、こっちはこう出る・・・瞬間的に相手のフレーズに反応する、楽譜があるわけではない、しいてあるのはコード進行とか、モードの設定だけである。
これは反射神経のなせる技であるが・・・一方、バックのリズムに煽られて、調子に乗って、行け行けドンドンになると、内容の無いお祭りフレーズの連続になってしまうから、じっと我慢し冷静を保ち、自分を見失わない落ち着いたフレーズを創造することが大事である。

6人が弾き出す、あるテーマに基づいて各決められたパートを弾き終わると、インプロビゼーションに入る、6人が6人の個性を出す。
山下がかなりアグレッシブな音を入れてあえてかき回す、これが面白い、これに触発されて、途轍もない発展をする、ジャズのスリリングな部分だ。
予定調和などクソ喰らえ!これこそジャズだ。

佐山の左手が自由自在に動く、ブギウギ・ストライドでスイングさせると思わず相手が乗ってくる。
佐山のブルージーなフレーズがよりジャズらしい雰囲気を盛り上げる。
しかし、もっと強いスイング感をアッピールするのは、山下洋輔だ、最年長、国立の大先輩の貫禄であらゆる鍵盤を駆使し、凄いスピード感で加えて決してスイングするリズムを乱さない、聴衆の身体は自然に動き出す。

島のテクは音大出身者に劣らない、彼は華麗な指さばきを見せる、ある時は軽く、ある時は重量感を。
20年程まえ、米国から帰国したとき、ふらっとジャズクラブに現われ、飛入りで弾いた。
皆が驚いた、「あれ誰?」と。
一緒にいるピアニストは嫌がる・・・あの派手な、凄い早弾き、聴く者というか観る者を唖然とさせるテク、思わず、オーっと唸ってしまう。爾来シマケンの人気がウナギのぼりとなった。
でも今はやたらに早弾きばかりではない・・・が知らん顔して凄いテクを弾く、玄人っぽさを聴かせる。
国府弘子がジャズシーンに登場して久しい、もう大ベテランの部類に入る。
ジャズに出てきてジャズクラブで弾くようになったころ、そう25年くらい前、彼女は六本木や中央線沿線で聴くことができたが・・・内容不透明でいまひとつ、何を語っているのか、言いたいのか分からないピアノであった・・・・が久しぶりに聴くに、なんと骨っぽいジャズに変身したことか。
ジャズが何たるかを掴んだに違いない。

塩谷 哲はこの中では若手である、最近出てきて売り出し、人気上昇中のピアニストだ。
今回の公演では彼は、小原孝とデュオになったが、小原がクラシックベースの奏者だけに、二人で弾くとアレンジ中心になり、ジャズとしてのスリリングな、予想外な発展がみられなかったのは残念だった。
小原はクラシックでのテクが抜群のピアニストである、何でも弾けてしまうが・・・彼の唯一の欠点はフリー・インプロビゼーションに弱いということであろうか。
その場で何が出てくるか分からない、そして予想外の対応に対して、これまた裏切りと想定外の対応で迎え撃つジャズ、これを彼にさせる環境、例えば、山下洋輔とデュオなんていうのも面白いかもしれない。

今回は100FINGERS(10PIANISTS)の企画と異なって、6人が6人同時に弾くという、それが一部は譜面があるものの、フリーの部分があって、幾ら1人がソロ、5人でバックと順番を決めてあっても、6台が一斉に鳴るというのは凄いものであった。
但し、途中の企画では、一つの曲を6人が順番でソロを取り、各自の個性を浮き立たせて欲しかったという・・・そしてそれが簡単なブルースか何かだとより面白いのではと・・・。

最後に6人、6台をオーケストラに見立てたアレンジ(塩谷)でボレロを演った・・・この単調にして長い曲をバレーという視覚的要素無しに保たせられるかという聴く側の不安があったが、段々盛り上がる例のボレロでやはり単調を感じたのか、山下洋輔が一人暴れ出したのは良かった、暴れてもちゃんとエンディングに纏める、やはり山下洋輔は只者ではない、曲者だ。
6時開演、20分の休憩を挟んで、9時まで、結構楽しませてもらった。
(サントリーホールだからという訳でもないと思うが、ジャズファンよりクラシックファンの方が多かったのだろうか・・場内の雰囲気をそう感じた、拍手の場所が違うし、ジャズファンは遠慮をしていたのだろうか、ジャズファンよ、もっと自由に聴くいつもの雰囲気でやろうぜ!)

この週は、秋吉敏子ソロを聴き、コンサートを二度も聴くことになった。
そろそろ大きな舞台のビッグネームではなく、小さなジャズクラブの隅っこで、深夜静かに、まだ名前もビッグでないミュージシャンのジャズを聴きたくなった。
良いフレーズを奏でれば「イェー」、下手を弾けば、まばらな拍手・・・ジャズクラブの客は厳しい。
ジャズ好きの屁理屈・・・聴きく前に能書きをたれ、聴いた後でまた能書きと知ったかぶりをする・・小さなジャズクラブの隅っこで欲求不満を解消といくか!
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<欄外編>
席について、プログラムを見た、最後にラベルの「ボレロ」とある。
このボレロをジャズに挑戦したのはルーシェだが、この単調な繰り返しはなかなかインプロビゼーションに発展しない、つい口から「ボレロってつまんないだよな」と言ってしまった。
隣の席にいたババーじゃなく・・高齢の婦人ににらまれた。
25-25さん曰く、6台も一緒じゃもう腹一杯でゲップがでそうだと・・。
そう、腹が満腹にななるか、満足にはならづで、何か聴き足りない感じがした。
というのは、一人ひとりの個性をまだ聴いてなかったと感じたのだ。
「満腹」と「満足」は違うのだ。
つまり胃袋か心か・・・だ!
僕なら簡単なブルースを一曲入れて、6人全員が順番に弾いて表現する・・・これをやったろう。
きっと6人の個性が顕著に出て面白かったのではと・・・「満足」できたと思うのです。
でもジャズでサントリーホール「満員」という快挙は初めてと思うが・・・・。

それにしても最近はブルース欠乏症だ・・・「誰かブブブブルーーースをくれ!もっとブルースを!ONE MORE BLUES」

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February 16, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その110回 「女性とジャズ」の巻き

2月14日、上野文化会館で、秋吉敏子 渡米50周年記念、ジャズマスター受賞記念、ソロコンサートを聴いてきた。このコンサートついでに余分な副題がついていた、ヴァレンタイン デイに因んで、「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」と・・・?
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第一印象は78歳にして、この迫力、こちらは還暦などと言ってられない、そいう意味では凄いパワーを得た。
15分の休憩を挟んで、2時間、10曲を会話を挟んで演奏した。
因みに当日の演奏曲目は
1、 LONG YELLOW ROAD
2、 BAD POWELLに捧げる曲
3、 UN POCO LOCO
4、 I WISH UPON A STAR
5、 CON ALMA
 <INTERMISSION>
6、 木更津甚句(アレンジ)
7、 MEMORY(オリジナル)
8、 オリジナル(食べ物の名前の曲)
9、 MY FUNNY VALENTINE
10、 JUST ONE OF THOSE THINGS
アンコール
HOPE(ヒロシマより、オリジナル)
鞠と殿様(童謡アレンジ)

先ず、楽器はベーゼンドルファーではなく、NYスタンウエイーだった、当然彼女の指定ピアノであろう。
ソロということで、左手が興味深かった、というのは、やはりベースがいないとピアニストはやはりベースラインの音が欲しくなり、常にベースラインを弾くという、または10度のストライドを使うことで、安定感を出すという奏法であった。

勿論、彼女の尊敬するアイドル、バッド・パウエルの奏法に忠実というか、最近益々、パウエルを発展させた展開と表現が特色となっているようだ。
左手のベースラインは4分音符で進行し、右手は8分と16分でかなり早いパッセージを弾く表現が多かった。このパターンは快適で、そして、良くスイングしていた。
この左手のスイング感は思わず身体が揺れだす力をもっていた。
しかし、会場を見回すに、身体を揺らし、頭を振りながら聴いている人はほとんど居なかった・・・何故だろう?

ほぼ満席の来場者を分析するに、平均年齢はかなり高かった、60歳くらいだろうか、いやそれ以上かもしれない、男女半々くらい。
ジャズファンにはもっと若い人もいるのに、秋吉さんをもっと若い人が聴いた方が良いと思う。
それにしても、あんなにスイングしノリの良い演奏なのに、何故もっとリラックスして、楽しみ感じないのだろうか・・・。
なんだか、クラシックのコンサートを聴いている雰囲気だった。

僕は、「CON ALMA」と10曲目の「JUST ONE OF~」のエンディングで彼女が「決め」のエンディングを展開し、パシッと終わったときには、思わず「イエッ」と言ったが・・・他からは何も聞こえてこなかった。
ヒロシマの悲劇に題材をとった「HOPE」みたいな曲を聴くには静謐さが肝要だと思うが・・。


彼女は2曲に一回くらいマイクをもって曲目の紹介やら昔話をした、そんな話の中で、「I WISH~ 」は主催者から女性が好む曲だからやって欲しいと言われて・・・とか、「MY FUNNY~ 」は今日はヴァレンタイン デイだから主催者がやってと言った、とか紹介したが・・・全く無意味な話ではないですか、彼女らしさから言えばもっと別の曲が聴きたかった・・・例えばブルース系の曲が無い・・・
主催者はジャズコンサートにおいて、曲の指定などはするものではない・・・と思うのです。
来場者は曲を聴きにくるのではなく、その人を聴きにくるのですから、否、そうでなくても、そうじゃなければいけない!
曲順だって、演奏者の個性なのだと思うのです。Photo_14


でも秋吉敏子に限らず、女性のプレイヤー全体にいえる共通感覚があるのです、男性プレイヤーと絶対にことなる点です。
それは、色気の表現です。
ジャズはある意味、色気の音楽です・・・もっと具体的に言えば、セクシャルな表現音楽です。
男性プレイヤーは、如何にスイート・スポットに沁みるフレーズとノリで表現するか・・これが苦心のしどころです。
やはり、そこの話になると、男女の差は性別の個性で、根本的なものだからしょうが無いのかもしれません。
そして、ジャズはその人、その「もの」を言わずと表現する音楽なので、ごく自然発生的にそう聴こえ、感じるのでしょう。
男性プレイヤーの焦らしの表現は・・・男性も女性も聴くことでは快感でしょうが、でも女性が演じることは???
(歌舞伎の女形役者でジャズプレイヤーがいたら面白い実験ができるかも・・)

最近は管楽器にも女性が登場してきましたが・・スイング・ガールズの影響とは思いませんが・・・程ほどにお願いしたいものです。
こちらの性感帯にうったえてこない人が多いのです・・・なら女性には女性の表現があるのでは、そのオリジナリティを聴かせて欲しいものです。

優れた女性プレイヤーは必ず、このオリジナリティを有しています、男性には無いものをね。
そういう意味でやはり秋吉敏子さんは、違うものを感じさせる人です。
そして音から厳しさまで伝えてくる人です。
彼女にピアノを教えてもらったら・・・かなり厳しいでしょうね。(そんなことは無いけど)

僕の知り合いで、一年前に亡くなった方がいます。テナーを吹くかたでした。
ご自分の会社がNYに進出し、10周年記念にNYのジャズクラブを借り切り、秋吉さんを招待して演奏してもらったそうです。そして自分でも飛び入りで吹いたそうです。
秋吉さん曰く、「まだまだですね、アレをなおしなさい」などアドバイスがあったそうです。
そして、一年後、秋吉さんが東京に来た時、自分達のたまり場であるクラブに招待し、やはりジャムったそうです。
秋吉さん曰く、「よく勉強されましたね」
とても喜んでいました、秋吉さんに誉められたと・・・それから一年もたたずして、その方は他界されてしまいました。(残念です)
今度、秋吉さん紹介してあげるねと、言ってくださっていただけに、それも残念でした。

そんな思いをめぐらせながら、今回のソロ・コンサートを聴いた次第です。
彼女、渡米して50年、私ジャズを聴いてやって、46年、そんな大差ないのに・・この大差は、比べるのが間違いか!(笑)
でもあの腕力と指力も凄い!

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February 09, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その109ーー「日本初のジャズ講談」の巻ー

<前回より続く>

先週から「KIND OF BLUE」の壁に奇妙なポスターが貼りだされた。
「世界初のジャズ講談 第一回・・・講釈師 神田川黄昏 予約はお早めに!」とある。
女講釈師の黄昏さんが、デザイナーのコシタ・テツコさんに連れられてこのジャズクラブにジャズを聴きに来たのは1年前だった。
その間、黄昏さんのジャズ修業は凄かった、ゼンさんはじめ、常連客からミュージシャンまで質問攻めにあった。DUKEさん等はもう北海道から来たくないと言うくらい質問攻めにあった。
それと言うのもDUKEさんが物知りだったからで、本来物知りの講釈師から物知りと言われれば本望と思うのだが・・・。
そして神田川黄昏さんが、ある日ゼンさんに「出来た、試したい」と申し出た。
常連さんもミュージシャンも面白いやろうということで今日の「ジャズ講談」と相成った。

ジャズ落語というものはあった、先代春風亭竜昇が高座にトロンボーンを持ち込み、パンパカパーンとやったり・・・横丁の旦那の息子がジャズに狂って、♪アニキャ二階で木遣りの稽古♪ とは行かず、二階でジャムセッションというもので、オチは・・・教えない。

第一ステージはいつもの様に大野寿和トリオ、そして続いてジャズ講談、最後にまたトリオ演奏となる。
7時の音だしでお店のテーマ曲、「マイルストーン」から入った。
二曲目は「WHAT A DIFFERENCE A DAY MADE」を軽快にでもリリカルに、ダイナ・ワシントンで有名になった曲だ、サラもいいし、ミルト・ジャクソンやジャッキー・テラソンもいい、でも今日のピアノの河田吾郎の演奏はワイルドなラテンの雰囲気をそのままに、でも所々に入るリリカルなフレーズが琴線に触れ染み込む。
三曲目は「THE NIGHT HAS A THOUSAND EYES」ロリンズやコルトレーンなどテナー奏者の好きな曲だ。デスモンドやゲッツもいい。
これには伏線があった、次が出番のジャズ講談につなげるためだ。

「では、みなさんお待ちかねの、神田川黄昏さんのジャズ講談の登場です」
グランドピアノの脇に高座をこしらえ、小さな机をヤマちゃんが置いた。
黄昏さんはピンクの着物に黒の袴で右手に白い張り扇をもって登場だ。
「よー待ってました!」会場から声がかかる、「いーぞ、タソガレ、ガンバレ!」
「さあ、今日は初講演、上手くゆくやら、出来ぬやら、まずは耳をほじくって聞け!、おいそこの若いの」
「三国志をやってくれ」
「今日はやらないよ、今日はジャズ講談だ、パッパン!(張り扇の叩く音)」
「時は元禄14年じゃない、今を去ること40と数年前、日本にソニー・ロリンズがやってきた」
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「東京の街はオリンピックを控えて工事ラッシュ、新幹線に高速道路ときたもんだ、おいそこの若いの、お前なんか生まれるまえだぞ、歴史物語だと思ってよく聞け」
「時のメンバーは親分がロリンズ、ピアノにポール・ブレイ、ヘンリー・グライムズがベースで、ドラムはロイ・マッカディーときたもんだが、ついでにもう一人、ラシッド・アリという、なんだかボクサーみたいなトランペッターがついてきた。」
「ロリンズは何が偉いって、おい分かるか!、いくら挫折しても沈黙に入り、橋の上で練習を重ね、
これが俺の音だ、フレーズだという個性が確立しないと世に出てこない、凡人のできることではない、アルコールやヤクから決別する際にはバラ十字会に入り修業をする、おいそこのノンベー聞いているか!パパンパン」
「この時はロリンズは永の沈黙からモヒカン刈で再登場となった」

「おい、モヒカン刈だぞ、ゼンさんの友人ノキヤマが言った」
「「アワ マン イン ジャズ」聴いたか?」
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「凄いんだ、ドン・チェリーと、あれは前衛かな?」
「いや、前衛までではないだろう、でも、オーネット・コールマンの影響を受けた、ロリンズの迫力は凄いな」
「これ、当時のゼンさん達高校生バンドの会話だ、パパンパン」
「ところで、こんどロリンズ聴きにゆく時は写真を撮りたいな、ドラムのコバがいう」
「でも見つかったらつまみ出されるぜ」
「写真部のヨシオカあいつ最近ジャズが好きだとかいっていたから連れてゆこうとノキヤマが言う」
「早速写真部のヨシオカにロリンズの雑誌の写真を見せ、こんどコンサートに行って写真をとって欲しいんだ」
「でも許可がないと撮らせてもらえないぜ」
「いいじゃないか、ボストンバッグに隠して、何とか撮れないか?」
「まあ、やれると思うけど、ちょっとヤバイな」
「という訳で当日ゼンさんご一行が産経ホールの二階最前列に並ぶ」
「カメラをもったヨシオカを真中にして、ヨシオカはカメラの距離を目測で合わせている、演奏中はファインダーを覗くわけにはゆかない」
「さあああ、いよいよ幕が開く、いきなりオレオだ!一気にロリンズテーマを吹き上げるそしてインプロビゼーションに入る、ペットのアリとやらは舞台の袖に引っ込んでしまう。延々とロリンズが吹く、大きな身体、モヒカン刈がよけいに存在を大きく見せているようだ。テナーを頭上に振り上げ、水平に寝かせて吹く、もうテナーがアルトくらいの大きさにしか見えない。
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そして、ななななななんと、テナーの指使いが極致に達したのだ!パパンパンパン!」
「ノキヤマが、声をあげた、あれは何だ!、テナーのクロスハンドなんて初めてみたぞ!パパンパン!」
「左手はそのまま、右手が突然テナー本体の裏から回りオクターブキーを叩く、高音がピロピロピロと・・・」
「おいヨシオカ撮ったかとノキヤマ、ウン撮れているとおもうよ」
「ソロは延々20分、そして出てきたラシッド・アリ・・本当はドン・チェリーならいいのにと内心思いつつ、このアリとやらを聴いたがイカサナイ・・・ホッペタの片方がやたらに膨らむ、風船みいだ、と言ってガレスピーのそれとはまた違う、なんだあれ?」
「ゼンさんはピアノのポール・ブレイを聴いている、分からないな、何を弾きたいのだろうか、でも不思議なフレーズというか、打楽器みたいな硬質な音に聴こえる、キーンカーンコーンという感じだ、パパンパン」
「ドラムのコバが囁く、おいマッカーディーっていいじゃないか、あの左のアクセントの切れと、レガートが綺麗だぜと」
「続く曲は、ディアリー・ビラブドだ、奔放な展開のロリンズのソロが続く、オーネット・コールマンの影響を受けたロリンズが米国ではドンチェリーを加えてピアノレスでアグレッシブな演奏をした、これが、アワ マン イン ジャズとしてビレッジゲートで記録された。ゼンさん達はこの再演を期待していたが、ちょっとフォーマットが異なった。アリは期待はずれ、でもドン・チェリーの触発する役目をピアノのブレイがやっているのだ、それにゼンさんは気がついた。だからブレイはコードを叩くより、コードよりもインスパイアーさせる打楽器的フィルイン、カンバセーション的フレースを弾いている、ゼンさん、おおそうかと・・・心の中であいずちを打った。凄いインプロビゼーションだ!パパンパンン!」
「ゼンさんの頭、いや、耳で聴こえるものは、ロリンズの爆発的な音の洪水とブレイやグライムズ、マッカーディーの音のタペストリー、そう、音が織物になって色彩が織り綾になり模様を描きだすのだ!パパンパン」
「後日、ロリンズは宮沢昭とTVで共演した、宮沢は一歩も引けをとらず、堂々とロリンズとそん色の無い豪快な、でも抑制された音を出し、ロリンズにして日本に宮沢という凄いテナーがいると言わさしめた。因みにアリというトランペッターは東京公演だけで、帰された。」

「おい、ヨシオカ、写真とれたかよ」
「うん、結構いいぜ、カッコいい写真になっているよと・・・四つ切に引き伸ばしたモヒカン刈のロリンズが写っている」
「おお、いいな俺達みんなにくれよ!」
「いまだから話せる、肖像権侵害の話・・・そのヨシオカ君はいまや都心の大きな本屋チェーンの社長、ドラムのコバは有名TVドラマの脚本を書き、BBC放送の翻訳脚本もやる、ベースのアンちゃんは、大手住宅建築会社の重役、皆のリーダー、アルトのノキヤマ君は一足お先にあの世に、ゼンさんはご覧のとおり・・・ときたもんだ! パパンパン!」
「ゼンさん、ロリンズに初めて会う・・・青春ジャズ・グラフティーの巻、一巻の終わりときたもんだ!さあ、乞うご期待、次回はそうだな、次ぎは「ジャズ三国志」だ!パパンパン!」
「よっ!いいぞ、もっとやっれ!」
「そう簡単にできるか、高座の木戸銭もっと払うか!パパンパン」
「テヤンデェー、初高座のクセに聴いてやってんだ!修業をしろ修業を、橋の上でやってこい!」
ここで大野がスネアドラムのロールを始めた・・・そしてやおら「オレオ」が始った。
やんやの喝采が神田川黄昏さんと、続く演奏を始めた大野トリオに向けられた。

<次回に続く>
(作者注:この時の写真があるはずだが、いくら探しても無い、おかしい、でもこのような公衆の場にはいくら40年以上前とは言え、貼り出せないな。)

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February 01, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その109回「LOUISEの巻」

<前回より続く>
ゼンさんはピアノを弾くたびにおもう、ステージの中央に立ち、カッコイイフレーズを吹いて、管楽器はなんていいのだろう・・・一種憧れの楽器であった。
ゼンさんは得意の空想の世界に入った。


もし、神様が「お前をテナーサックスの名手にしてやる、誰がいいか言ってみろ、ならせてやろう」と言われたら、貴方は誰を選ぶか?
コルトレーンかロリンズか、はたまたゲッツか・・・・。
聴くなら、トレーンもロリンズもゲッツもモブレイもシムスもである・・・が自分で如何様にも自由に吹けるとなると・・・プレスこと、レスター・ヤングである。
それも、共演のピアノはテディ・ウイイルソンでとお願いしたい。
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「PRES AND TEDDY」
レスター・ヤング(TS)
テディ・ウイルソン(P)
ジーン・ラミー(B)
ジョー・ジョーンズ(DS)
1、 ALL OF ME
2、 PRISONER OF LOVE
3、 LOUISE
4、 LOVE ME OR LEAVE ME
5、 TAKING A CHANCE ON LOVE
6、 LOVE IS HERE TO STAY

酸いも甘いもかみ分けたこの二人が、シットリと余裕たっぷりのソロを展開する。
「ALL OF ME」をこんな余裕で吹いてみたいし、「PRISONER OF LOVE」などはこれ以上のアドリブは無いというフレーズで構成されている、テーマとアドリブが自然に一体化している。
「LOUISE」は1929年頃の映画のフランス映画のテーマである。歌はたしかシュバリエが歌ったのではと思う。
AABAの典型的なスタンダードをサビはサビらしく、これがスタンダードの語り方という吹き方をする。
最後の「LOVE IS・・・」まで全て愛をテーマにした曲を一気に飽きさせず、ダルにならずに、でも適度の緊張感と余裕、何度でも聴きたくなるレコードとはこのことかと。

PRESのサブトーンが効いた音質で・・・テーマからアドリブまでごく自然に入ってゆく、歌うフレーズの連続、こんなテナーが吹けたらなと・・・。
このレコードを、レスター・ヤングの最高の時期は過ぎたと言う人がいるが、人生の絶頂期にいる時より、ビリー・ホリデイもあの世に逝って、ああ、寂しいな・・アノ頃は・・と落ち着いて思い出せる時期のプレスが吹くフレーズが堪らなく良いのだ・・。
ジャズが毎度言うように人生と言う譜面を演奏するのなら、ピークの時期より、少し落ち着いた時期がいいと思う。
「年々去来の花」とは世阿弥の「風姿花伝」にある言葉である。
もし、神様が叶えてくれるなら、こんな心境でこんなテナー吹きになりたいと思うのである。

ゼンさんの得意の空想から目が覚めた。
はたと、ゼンさんは自分の別名を思いついた・・・夢幻庵遊雲斎・・・今度からこの名を使おう。

<次回に続く>

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January 26, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その108回ーー「人間は考える葦(足)である」の巻ー

<前回よりつづく>
(このBLOGは小野田善一という仮説の主人公が、こうあったらいいな・・・という幻想をもって、架空のジャズクラブ、「KIND OF BLUE」を舞台に、言いたい放題を言うBLOGです。従ってコメントは自由、罵詈雑言、テーマを外れた場外乱闘、寒いギャグ・・・人生訓、為になる話、ならない話、おせいじ、おだて、大歓迎です!)
<ABOUTでプロフィールが、ACHIEVEでこのBLOGの最初からがご覧になれます。)

<COOL STRUTIN‘>
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勿論、BLUE NOTEの名盤というより、ジャズの名盤である・・・日本では。
SONNY CLARKがリーダーなため、CLARKの名盤と言われているが、僕は参加者全員が後に残る演奏をしたと思っている。
そして、今回は敢えてまたこのレコードについて話そうとは思っていない・・・が「蛇足」というか得意の話のわき道である。
オリジナルのLPは4曲が収録されているが、実は再発CDには例によって+2とか言って、載せないでよいテイクを載せるものだが、これは違う。
+2で、CLARKのオリジナル、「ROYAL FLASH」と、ロジャース&ハートの名曲、「LOVER」が加えられている。
実は、この「LOVER」がいい、飛んでもなく良い、アップテンポでこの曲の特長のコード進行、CHAMBERSの半音階下降進行で小気味よくリズムがスイングし、そしてFAMERのペットとマックリーンのアルトが切れ味良くテーマを演奏する・・もうこれだで充分だ、思わず身体が揺れだす。何故このテイクをLPに入れなかったか・・・随分考えたが、答えが出なかった、収録時間の関係だけでは無いと思うのだが・・・。

因みに、油井正一さんのパロディー盤で非売品がこれ。女性の足の意思が若干弱い感じがする、モデルは日本人か?
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では本論に入ろう。
まず、この「COOL STRUTIN‘」のジャケットである。
「人間は考える葦である」と昔の哲人はおっしゃった・・・が私は「人間は足で考える」と言い換えてきた。
「人は外見で判断するな」というが「人は外見で99%わかる」とも思う。
足は大根足よりスマートな足がいい、特に女性は・・・膝から下の長さと形で・・・話が何だか足フェッチみたいになってきた。
私は新入社員間もない頃、エレベーターホールで当時の社長に出会った。
「ボケっと立ってエレベーターを待つな」と、「目的意識をもった目で、すくっと立て」とも。
かなりデレと立っていたのだろう。その社長は優秀な経営者でありまた文化人でもあった。
憧れにたるスマートな国際人で、そう言われて見ると、エレベーターを待つ姿からして違うことに気がついた。
後年、頻繁に海外へ仕事で出かける用事が増えた。
飛行場、街中、名所旧跡など海外で見かける日本人はなんとも野暮ったい。
自分であれではいけないぞ・・と言い聞かせ、背筋を伸ばしたものだ。
では何が野暮ったくさせているのか・・・・姿勢である、立ち姿である、歩く姿勢である。
(DUKE更家とか言うDUKEさんの親戚のような変なオッサンが外国での歩く姿勢を言うのは、一理あると内心思っている)
特に日本人は背が低い、だからこそ姿勢をよくすると、大きく見えるし、威厳も出てくる。
また、女性は洋装では膝から下が見える、この膝から下が知性を現している、座った時の足の置き方、揃え方、歩き方、立った時の足から背中への筋が通っているか・・・ここでインテリジェンスが現われる・・・と確信している。
いっておくが、太い、細いを言っているのではない。
男も同じである。
立った時、座った時、足さばきで、人柄から知性まで・・・知らずのうちに現われているのである。
そして話を最初のジャケットに戻す。
この女性の足は颯爽としている、目的意識を持ち、歩いてゆく方向づけがシッカリしている。
一方、後ろの男性の足はどうか・・・。
先ず、歩幅が狭い、左膝が伸びていない、寒そうで、シュリンクしていそうである。
そして、蹴りだす後ろ足の力強さに差があるように見えるのである。
ちょっと、この女性と男性の歩く方向が、後数歩で並びそうである・・。
この男性がこの女性に声をかけたとして、結果は見えている。
これがゼンさんの「人間は足でわかる」という、方程式である。
毎回、「KIND OF BLUE」の階段を下りてくるお客さんの足が先ずは先に見える。
これだけで、ゼンさんは、どんな人かほぼ判断できるのである。
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January 23, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その107ーー「故本田竹広の一周忌に・・」の巻ー

<早いもので、本田竹広さんの一周忌が1月12日にきた。これを機に各社が復刻盤をいっせいに発売・・・思い出と共に復刻盤を語るのが供養かなと・・・これは他のSNSにも掲載した記事です。>


たかがジャズ・されどジャズ ~本田竹広へのオマージュ~
「本田竹広・REACHING FOR HEAVEN」

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1月12日は本田竹広氏の1周忌である。その日から今日21日まで、彼のレコードを聴き続けていた。
その一枚がこれである。
ベースにロン・カーター、ドラムにいまは亡きトニー・ウイリアムス
1977年5月NYでの録音である。同時に録音したものに、「ANOTHER DEPATUER」がある。同じメンバーで本田竹広がピアノとフェンダーローズを弾いており、全編オリジナルである。
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1977年といえば、本田がプロ活動をはじめてから10年ほど経ったころである。
色々と試行錯誤を繰り返し、武田和命とバンドを組み、その後、トリオで活動、そして渡辺貞夫のバンドに加わる、徐々に洗練され、磨かれてゆく過程が鮮明に浮かび上がる。
この録音はネイティブサンを編成する前夜である。

私はこの二枚のうち、オリジナルで占めた「ANOTHER  DEPATUER」はかなり肩に力が入っているように聴こえる。上手い下手を論じる次元ではない。
曲に迷いが見えるのは穿ちすぎか、アルバムを最初から最期まで聴きとおすと、何か曲の順とかアルバムとしての整合性が今ひとつ欠けるような気がするのである。
1曲づつ聴けば、それはそれで独立して面白い、特に「LONGING」は77年時代のハンコックを彷彿とさせるスリリングな曲であり、インプロビゼーションの展開も見事である。

一方、「REACHING FOR HEAVEN」はオリジナルは一曲で他はスタンダードや他のアーティストの曲である。
全編を聴き通して、充実感が漲る、サポートしてる、ロンとトニーとも三者の一体感、まとまりがあり、互いのインスパイアーが円滑に行われている。
嘗て本田竹広は抑制から脱け出すために、敢えてパワーピアノを弾きまくった。
武田と一緒だったころ特にそうだった。
でもここでは、いい意味での抑制と構成が美しく開花している。
最期に、ホレス・シルバーの「PEACE」を取り上げている。
シルバーのトリオ演奏とは全く違う解釈で、実に落ち着いた、静かなPEACEを奏でている。
(因みにホレス・シルバーのPEACEはこのBLOGの表紙になっている、「BLOWING THE BLUES AWAY」のB面の最後にホレスがトリオで演奏している)

本田のテクニックについては何も言うことは無い、その技量をもって何を表現すべきなのか・・・その迷いから脱するために彼は多くの時間を割いた。
最期に彼は行き着いた。

1975年夏、蒸し暑い夜だった。高円寺のジロキチで本田+渡辺貞夫というセッションがあった。
狭い店内は満員でむせ返っていた。
最終ステージを残して休憩に入った、皆表の道路に出て涼をとった、僕もグラスをもって歩道の縁石に腰掛けていた。右に本田さんが座った、左に貞夫さんが座った、僕は挟まれた格好になった。
そんな雰囲気で、僕は本田さんに聞いた、「何故、クラシックに行かなかったの?」本田さんは少し考えた様子だった、貞夫さんが「同じじゃないか」とボツと言った。本田さんが「ウン、同じだよな」と・・・。
そんな短い会話をとてもよく覚えている。

そして最終のステージになった、お客は知っている、皆でジロキチの板張りの椅子と机を隅っこに積み上げて片付けた。
全員が立っている。
貞夫さんが「さあ、やるか!」といってアフロのリズムが始った。
「トリスターゼ」だ!貞夫さんの吹くテーマを全員で合唱しながらサンバを踊っている。
長い貞夫さんのソロが終わると本田さんがソロをとる、お客さんが全員で歌う「トリスターゼ」に載せてソロフレーズを絡めてくる、もう止まらない、何コーラスも歌いながらアドリブを絡める、皆で歌うテーマがバックリフになっている。
お店全体がサンバに揺れていた・・・・1975年夏の思い出・・・100回以上聴いているだろう本田竹広のピアノ、でも何故かこの時のことを鮮明に覚えている。
またやろうよ!竹さん、「トリスターゼ」を!
NOW,HONDA IS TAKEHIRO REACHING FOR THE HEAVEN.
本田さん、しなやかで、粒の揃った、あの音はいつまでも耳の奥で響いています、ありがとう。

合掌


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January 18, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その106回「NYがやって来た」の巻ー

<前回より続く、今週のテーマは、BASS>
(幻想と妄想のヴァーチァル・ジャズクラブ「KIND OF BLUE」へようこそ。入店時はコメント欄にお名前をお書き下さると幸いです。罵詈雑言、励まし、おだて、抽象誹謗・・・なんでも結構です。店主軽薄じゃなかった敬白)
「好店 三年 客を変えず、好客 三年 店を変えず」

年末年始の喧騒も去った。
松もとれて、寒さも厳しくなり、木枯らしも吹くようになってきた。
寒い日であった。
今日もいつも通りの音だしで店は始った。
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最初の演奏時間が30分程たって、一人の男が入ってきて無言で空いた席についた。
黒のツバ広の帽子を目深にかぶり、顔はひげ面だった。
黒のシャツの襟をたて、チャコールグレイのパンツ、パンツの裾から靴を見ればそれが黒のブーツである事が分かる。
スコッチのロックとチェイサーをオーダーし、静かにグラスを傾けていた。
店は7分の入り、河田トリオは「オータム イン ニューヨーク」を演奏していた。
ゼンさんが母屋から本を一冊もってきた、その留守にその男は一人で入ってきたのだ。
マネジャーの山ちゃんが席に案内した。
「初めてみる顔だ」とゼンさんは思った。「雰囲気はプロのミュージシャンかと、でも誰だろうか、分からない」
ゼンさんは暫く話し掛けることはしなかった。
河田は第一ステージの最後の曲はバラードにした、「ハッシャ バイ」だ。
そしてテーマをベースの山田君がアルコで弾いた、まるでカデンツアで唄うように、この曲独特のウネリが弦で表現された。
ソロになってリズムが入り、ピアノが引き継いだ。
「おお、いいじゃないか」ゼンさんは思わず声に出しそうになった。
そして壁際にいる帽子の男に目をやった。
「あれ」横顔に見覚えがあった。
ピアノが最後のテーマに入った、トレモロでエンディングを盛り上げている、お客は何時にない展開の「ハッシャ バイ」に聴き入っている。
演奏が終わって休憩に入った。
「おい、深谷じゃないか、そうだろう、久しぶりだな、25年くらいか」
「うん、25年ぶりの日本だ」
「いつ帰ってきたんだ」
「一昨日だ、君がここでライブをやっているって聞いたから」
「誰からだ」
「アメリカから日本にきたミュージシャンがよく来るだろう、東京に良いクラブがあると聞いていたんだ、あの河田もNYにいた時言っていたよ、ゼンさんの店で弾いていたって」
「君の評判は聞いているぞ、NYでの評判は凄いじゃないか」
伝説の日本人べーシスト、深谷 純、ゼンさんと学生時代バンドを組んでいた。
大学を出るとプロになるといってライブハウスで中堅のピアニストと組み仕事をしていた。30歳を過ぎた頃に日本から姿を消した。そして彼はNYに居るとウワサに聞いた。
そして彼が消えて10年くらい経って、アメリカから来たミュージシャンに噂を聞いた。
「NYにJUNという名の凄い日本人ベーシストがいる、彼は、ジャズが何だか、ベースが何だか、そしてブルースが何だか分かっている」とゼンさんは聞いていた。
それがあの深谷君だとは分かっていてもその音を聴いていないので実感がわかなかった。
その彼が今25年ぶりでやってきた。
日本からNYへ行ったミュージシャンが言う、彼の音は一音でわかる、ブーンと弾いたらもうニューヨークの音なんだと。
ジャズは音質が大事だ、これが個性にもなる、表現の半分は音質だ。
特にベースは音質がイコール個性だ、太くてシッカリした音を誰しもが求める。

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ゼンさんは河田や大野、山田を紹介した。河田は「やあ、久し振り」と挨拶をした。
河田もNYで5年修業をした、その間に彼等は会っていた。二人ともNYの音を追求していた時だ。
特にべースの山田君は緊張して挨拶をしていた。
彼は簡単には飛入りでは演奏しない、山田君が敬意を表して、「どうぞ」と言ったが、その日は最後まで静かに聴いていた。
そして最後のステージでやおら立ち上がってベースのところに来て交代した。
河田が「何を」と振り向いた。
深谷はアルコを取り出すとソロで弾き始めた、「YESTERDAYS」だ、うねるようなメロディを弦独特の伸びのある音でテーマを弾く。まるでチェロを弾いているようだ。
お客さんはとてつもないゲストに聴き入っている、誰も帰ろうとしない。
深谷のテーマの解釈には万感が込められていた、25年間の思いがこの曲の歌詞を思い出させるように奏でられれてゆく。
無伴奏でテーマを弾ききったそして、ピッチカートに入ってインテンポとなり、河田がピアノソロを取った。
バックで弾く深谷の音は重かった、でも音程はクリアーで太い、低音が通る、ベーゼンドルファーの音質に見事に絡まっている。
ゼンさんはこれがNYの音かと感じながら、まるで違う音を出す深谷に25年間で何があってこうなったのかと考えていた。
河田のソロが終わると、深谷がソロをとった。
ベースの音域を全部使うという表現がいいのか、最低音から最高音まで使って、哀愁の調べを奏でてゆく、ベースがこんなにも表現豊かな楽器かとゼンさんは再認識した。
アンプの音量に頼らず、できるだけ生の音を出している、決して音量の大きい楽器ではないが存在感のある音で勝負している。
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エンディングは河田のピアノで終えた。
拍手が凄い、終わらない。

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January 11, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その105ーー「初音出し、お年玉、初夢」の巻ー

<前回より続く>
「初音出し、お年玉、初夢、初笑い・・・の巻き」

今年も、幻想と妄想の産物、「KIND OF BLUE」の音出し始めが開催された。
ジャズクラブの入り口に一斗樽を置き、升での振る舞い酒が用意された。
来場者記帳のコメント・ノートもある、「皆さん、名前だけでも記帳していってくださいね!」

近隣のいつもの常連さん、富田さん、船橋さん、コシノテツコさん、神田川黄昏さん、吉川さん夫婦、京子ちゃん、等など、そして今日はお年玉があると聞きつけて、全国からのコメント常連さんが集合していた・・・が北の代表DUKEさんは天候不順で飛行機が遅れ未だ着いていない。
ヤマチャンとヨーコが忙しく升酒を配っている、厨房の長さんは、お目出度いメニューで、「海老の旨焚き」と「田作」、「黒豆」「カニのふきよせ酢」、「フォアグラのゼリー寄せ」などを用意した。

皆が口々に新年の挨拶をしている。
和やかな雰囲気だ。振る舞いのただ酒だと飲むスピードが速い、げんきんなもんだ。
7時に初音出しだ、今年の音出しは、「ワンダフル ワールド」だ、リクエストの源のDUKEさんが未だ来ていない・・・が25-25さんの始めようの声で・・・・。

ドラムの大野が長い長いスネアのロールを始めた、「ドゥルルルルル・・・・・」決して大きな音ではない。
少しずつ音量が小さくなり、ロールが止まる瞬間、ピアノがメロを静かに弾き始めた、二小節目でベースも静かに入った。
スローテンポの「ワンダフル ワールド」が始まった。
KAMIさんやしんじさん、BASSCLEFFさんの顔もある、新たに加わった、えるさんの顔も見える。
あそこに来ているのはMIEKOさん、そして日ごろ大人しいNARUさんもカメラを構えている。
船橋君が思わず「イェー」とつぶやいた、そして「DUKEさんは日ごろの心がけが悪いから、飛行機が遅れるのだ」と言わないでもいい余計なことを言った。
BASSCLEFさんが、思わず「シッー」と目で制した。

河田吾郎のピアノが徐々に盛り上がってきた。
サッチモのワンダフル ワールドとは又、一味違う仕上がりになっている。
左手はコードをトレモロで、右手はビハインド ザ ビートで、粘ってメロを弾く・・・たまらない至福の一瞬だ。
このエンディングの時、一人の小柄な紳士が階段を下りて来たのに気がついたのは、ゼンさんだけだった。

大野トリオは続いて、「世界は日の出を待っている」を・・・これもDUKEさんのリクエストだが・・・まだ来ない。
ピアノトリオでやるこの曲も、モダンなアレンジで軽快にスイングする。

以前、ゼンさんはアート・ブレイキーと二人で深夜の2時頃、霞町の小さなピアノバーへ行った。
突然の大物来客に、お客二人を相手にピアノを弾いていた初老のピアニストはガチガチにあがってしまった。
やおらブレイキーに「何を演奏しましょうか?」と聞いた、パパ・ブレイキーは「好きなものをやってくれ」と一言いった。
そして始めたのが「世界は日の出を待っている」だった・・・が、もうハチャメチャで、リズムは狂うし、ミストーンは多いしで、冷や汗をかいている。
それを見て、ブレイキーは僕にウインクして、「あれでいい」と言った、そんな光景を思い出していた。

この曲が終わったところで、ゼンさんが口を開いた。
『みなさん、おめでとうございます、遠路はるばるようそこイラッシャイました。今日は新年につき特別なゲストをお呼びしました。津川さんです。津川さんは今日は特別に皆さんにお年玉を差し上げたいと・・・、そうです、日ごろ行いが良く、ジャズを愛している皆さんの中から3名の方に、マレロのバンジョーによる「世界は日の出を待っている」の原盤を差し上げようというお年玉です。』
店内はざわめきたった。
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「そう津川さんは世界でも10組しかない原盤を5組も所有している、そのうち、4組はジャケットも完璧な状態だ。ジャケットと言ってもSP二枚組みが入る見開き形の箱になっている。外国のレコード会社が復刻を作製する時には頭を下げて借りにくる代物だ!」
「音質もいい、いまやマスターテープはない、従って、音源はここから取るしかない。LPやCDを作成する時も津川さんからお借りしてコピーをするのです」とゼンさんが説明した。
「そして、津川さんは5組を持っていてもしょうがない、このうち3組をここで抽選で差し上げようというお年玉です」と続けた。

津川さんはにこやかに袋から3組のマレロのバンジョー演奏の原盤をだした。
皆が一斉に身を乗り出して見入っている。
「これがそうか、幻の原盤だ」とBASSCLEFさんが言った。

「では阿弥陀クジで決めましょう」とゼンさんが言った。
「実は昨夜、このお申し出があったので、30人分の阿弥陀クジを作っておきました、これがそうです」と壁から幕を外すと、大きな阿弥陀クジが出てきた。
「公正に行うため、皆で横棒を書いてください」
みんなは夫々に横棒を書き入れた。

「では1番から30番までご自分の名前を書いてください」
みんなはワクワクする心を抑えて、自分の名を書き入れた、1人あまった。
「おかしいな?・・あっそうか、DUKEさんが未だ来ていないからだ」
ゼンさんは皆に聞いた、「どうしますか?DUKEさんが未だなんですが」
「時間切れ!」と冷ややかな声が会場から上がった。

「では始めますか」とゼンさんが開始の宣言をした瞬間、階段から転げ落ちるように一人の人が入って来た。
「ちょっと待ってください、僕にも名前を書かせてください、お願いです!」
DUKEさんだ、必死の形相で皆の目をみた。
ジャズファンは心が温かい、遠くから来たのだし、このレコードには一番思いいれのあるかただからと、最後に空いたクジにDUKEと書いた。

そして、名前を隠し、今度は、当りのクジを三箇所に丸をつけた。
「先ず、最初の当選者」とゼンさんが阿弥陀クジを辿った、ドラムが盛り上げのロールを始めた。
「最初の当選は、富田さん!」「おお、やった、買ったら100万円はくだらないだろう」と感激している。
「続いては、・・・・・吉川さん」、新婚ほやほやの吉川君が呼ばれた。
「いいのかな僕で、嬉しいけど、皆の目が凄いな」と。

「最後の1組ですよ、では・・・・・、さすが、残り物には福があるとはよく言ったものです、最北のゲスト、DUKEさんです」
「ウオー」と歓声が上がった。

「やった!」と叫んだ・・ところで、「DUKEさん起きてください!看板ですよ」という声が遠くに聞こえる。
「エッ、邪魔するな、そのマレロは俺の物だ」
「何ですか、マグロは俺のものだ?寝ぼけないでくさいよ、ちょっと飲みすぎじゃないの」と赤提灯の女将の声で目が覚めた。


当BLOGはDUKEさんの「デューク・アドリブ帖」とのインタープレイ・ブログとなっております。この話の経緯を詳しくお知りになりたいかたは、当ブログのリンクサイト「デュークアドリブ帖」へお越しください。

<次回につづく>

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January 04, 2007

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その104回「謹賀新年」の巻ー

皆様、明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします。
ということで、「KIND OF BLUE」の新年は特別の催しものもなく、静かに明けた。
ゼンさんは、元旦の昼下がり、全く見るべきものがないTVプログラムにうんざりしながら、レコード棚を見ていた。
元旦の初日は薄曇りだったが、柔らかな日差しが窓から差し込んでいた。
そうだ、「SOFTLY AS IN A MORNING SUNRISE」を聴こう。
さあ、誰のがいいかな・・・・と。

先ずはお定まりのソニー・クラーク トリオ(BN)を聴いた。
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ゼンさんはソニー・クラークというピアニストは雰囲気がビバップ時代のジャズっぽいという典型的印象を与えるピアニストで、繰り返し聴きたくなるピアニストではなかった。
チェンバースとフィーリー・ジョー・ジョーンズのコンビネーションは見事だが。
でも、世の中ではもてはやされている・・・きっとモダン・ジャズ喫茶が台頭してきた頃、それらしい雰囲気を出すに良い音だったのではと当時を振り返った。
モダン・ジャズには退廃と虚無の雰囲気が必要だった、そんな音が紫煙と一緒に狭い店の中を流れ、若者は哲学的内省を試みていた・・50年代から60年代前半の時代だ。

つづいてMJQのSAVOY盤を聴いた、「ウーン、ミルト・ジャクソンの為にあるような曲だな」と一人ごとをつぶやいた。ヴァイブの音質が「朝日の如くさわやかに」と言うタイトルと合致して聴こえる。(しかし、本当はミュージカル曲で歌詞の内容は全く異なる、さわやかイメージではない)
一体、このタイトルの日本語訳は誰がしたのだろうか?
名訳であり迷訳でもあるなと。

次ぎは、やはりウイントン・ケリーだろう、「KELLY BLUE」(REVERSIDE盤)と名盤をかけた。
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一曲目の「KELLY BLUE」のテーマが先ずもってさわやかだ、特にボビー・ジャスパーのフルートが特に爽やかさを際立たせていながらファンキーでいい。
つづく、ケリー トリオで奏でる「SOFTLY~・・」がまたまた落ち着いた雰囲気でゼンさんは好きだ。

元旦から、「SOFTLY~」とはいえ、ロリンズやコルトレーンは少々重い感じがした。
締めくくりは。歌もので聴きたいな・・・「そうだ、ダイアン・リーヴスでゆこう」とダイアン・リーブスの「ニアネス オブ ユー」を聴いた。
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元旦のお雑煮を食べなら聴く「SOFTLY AS IN A MORINIG SUNRISE」であった。
翌日、2007年1月2日はゼンさんの「ジャズに魅せられた記念日」である。
今年で46周年記念である。
1961年1月2日、14歳の時だ、来日中のアート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズを産経ホールへ今は亡き友人の軒口君と聴きにいった。
レコードで事前に聴いていたが、これほどまでに凄い衝撃があろうとは思っていなかった。
ゼンさんは、1961年の来日時にスタジオで録画したVTRを毎年正月2日に観ることにしている。

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ブレイキーもティモンズもショーターもリー・モーガンも皆が若々しく新鮮で躍動している。
あれからもう46年も経過したのか・・・と感慨深い。
爾来、ジャズに情熱を燃やし、いつも楽しいときも、苦しいときも、悲しいときも、ジャズが傍にあった。
ジャズはある時は癒しであり、ある時はエネルギーになる。
そして、ジャズを通じて多くの出会いがあり友人を得ることができた、共通の趣味や話題は人をつなぎ、理解を深める・・・不思議にジャズ好きに悪いやつがいない。
また今年も、ジャズを聴いたり、演ったり、書いたり、一年を無事に平穏に過ごしたいと思っている。
「たががジャズ・されどジャズ」である。

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December 29, 2006

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その103回ーー「2006年エンディングの巻ー

今年もみなさん、お世話になりました。
おかげさまで、100回を達成することもできました。
せめて、写真だけでも感謝を込めて、薔薇をお贈りします。
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一年の締めくくりです、一年を振り返れば悲喜こもごも、でもあっという間に過ぎ去って・・年齢とともに時間の経過は加速度的に速さを増すと、これは法則があるようです。
小学生の頃、一年が経過するのは随分と長く感じたものですが・・・今じゃあっと言う間です。
でも、そのあっという間に、皆さんのような志の高い方々と交歓できたことは無類の喜びです。
ありがとうございました。
正に一期一会とはこのことかと・・。

ジャズに魅せられたのは、1961年1月2日、この日をジャズ記念日としています。
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爾来、46年、いつも何かにつけジャズがありました。
だから、「たかがジャズ・されどジャズ」なのです。
心象と具象の間にある、空間を如何に表現したらよいか・・・みんな色々と考えているのでしょう、ある人は絵をもって表現し、ある人は文章をもって・・・そしてある人は音楽をもって表現します。
今振り返ると、ジャズとの出会い、音楽や文学との出会いは、そんな存在であり、それが表現できたら良いなと、いつも考えています。(なかなか上手くゆかないけど・・)

皆さんは、一年の締めくくりに何を聴きますか?
そして、「締めくくりの音・・・・エンディング」で印象に残るエンディングは?
ジャズにも色々な出だしがある、イントロがある、ヴァースがあると言ってきましたが、反対に最後には、エンディングがありますね、いろいろなエンディングがね。

私は、エンディングは7THで終わりたいと思っています。トニック(母音)で終わると「はい、そこで全部終わり」となって落ち着きはいいのですが、余韻というものが無い。
そこで、次にまた期待をもたせ、まだ何かありそう・・・と聴く者に余韻を残す音で終わって欲しいものです。

でも凄い裏切りのエンディングもあります。
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モンティ・アレキサンダー・トリオのモントルージャズ祭・ライブ盤での「サテン・ドール」は前から順に盛り上がってくるなかのピークで演奏します。
例のモンティ調で盛り上げてエンディングにはいります・・・・ジャーーーンンン、ドラムが、バスドラとシンバルを叩きまくり、ピアノが・・ダダダダダダーン・・・ベースもボボボボボボーーン・・・・。
これで終わりと思いきや、モンティがカウントを出します「1,2,3、4!」すると、ドラムとベースが再度4ビートを始め、モンティのアドリブが続きます。
聴衆はもう終わると思っていたのに、再度、スイングが始まるのです、聴衆は「ウヲー」と歓声を上げます。
こんな気持ちよい裏切りのエンディングもあります。

お祭り騒ぎのときはこの様なエンディングも良いですが・・・バラードのときは、静かな余韻が欲しいなと思います。
大晦日には「ジョニー・ハートマン&コルトレーン」の「THEY SAY ITS WONDERFUL」を聴いて、余韻を楽しみ、来年の2007年につなげたいと思います。
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きっと、除夜の鐘の音も、その静寂をもって旧年を祓い、新年への期待の余韻の響きを表しているのではと思うのです。

では、また来年も皆さんと、良いジャズが聴けますように、そしてお互いのBLOGとコメント・ジャムセッションや駄洒落が一層盛んになりますようにお祈りして、本年最後の締めとさせて頂きます。

良いお年をお迎えください。
来年も「KIND OF BLUE]<Fのブルース>を宜しくお願いします。
最後に、せめて写真だけでもワインで乾杯!
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<最後の蛇足>
門松の由来:これは江戸初期に徳川家が始めた、家康がね。だから、青い松、そして竹はスパット切り口を斜めに鮮やかにして・・・・松は松平を意味し、青々と・・・竹は武田氏と意味して、首をスパット切り落とした図になっている。松平の隆盛と武田の滅亡を正月に祝った。
だから・・・武田色の強い地方では、何となくの反抗心から、松より背の高い、葉の茂った竹を飾る・・・と言う訳です。
貴方の、ご先祖は・・どちらでした?

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December 22, 2006

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その102回ーー「ジャズとダンディズムの巻ー

<前回より続く>

(歌詞を忘れたヴォーカルは♪なんで名盤になってしまうのだろうか・・・)

ゼンさんは開店前のまだ誰も居ない店で、一人考えていた。
ジャズとはダンディズムの象徴的芸術ではないか・・・と。
そして次のような言葉を思い起こしていた。

<以下は柴田錬三郎著「柴錬ひとりごと」より一部引用>
ダンディは英語である。日本では伊達者、キザな洒落者と片付けられるが、それはきわめてウスッペラの面を示している。
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見ているだけの皮相な考えかたでダンディというのは、イングランドのつくり上げた一つの存在方式である。
はっきり言えば、ダンディズムとは、他人に似ることを厳しく警戒する独創性の追求によって、真価を発揮する。
もっと極端な言い方をすれば、ローマ人以上の英国人のエゴイズムの華なのである。
ダンディズムを研究している故斎藤磯雄氏(リラダンを研究し翻訳に優れた業績を残した、柴田錬三郎氏の義兄)によれば、イギリスの貴族ボオ・ブランメルを完璧な一典型とするらしい。バイロンは「余はナポレオンたらんより