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January 25, 2008

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その149回ーー「篠笛」の巻ー

小春日和の昼下がり、狂紫郎が港区のとある繁華街から少し入った静か住宅街の往還を歩いていた。
今日は背中にソプラノサックスの筒を背負ってはいない、脇差風の西陣織の煌びやかな笛袋だけを腰に差している。
とある、門の脇に姿のいいみこしの松のある日本家屋に入っていった。
狂紫郎は10畳ほどの日本間に正座していた、その向いに座っているのはもう80歳にならんとする村上アヤである。
Mikagura

福原流 篠笛の重鎮である、村上アヤは普通弟子をとらない。
ある日突然、玄関に現われた狂紫郎を見て、一度は断わったが二度目に現われた時に座敷に上げた。
襖戸を開けて部屋に入ると端座とはこのことだと思える姿勢で30分を待ちつづけた。
アヤの試験の一つであった。
続いて、笛を出させ、基音を出させた、唇の当てかた、息の吹き込みに難点があったが、ロングトーンにブレがなかった。基本は習得が終わっている、それを確認してアヤは狂紫郎を弟子にした。

村上アヤは鼓の名人でもあった、篠笛の基本技術を教え、むしろその笛に併せてアヤは鼓を打った。
篠笛と鼓の絶妙な間合いの練習をした、その合間に唇と笛の確度、唇の形などで音色の変化をだす技術をおしえた。
そしてフルートでいうところのタンギングは篠笛では「指打ち」という技術でだす、息の吹き込みと孔を指で叩く、このタイミングでタンギングと同じ効果をだせる。
今日はその練習が主だった。
Sinobue

「唇と笛口の角度がちがいます、右手が下がります」毅然と注意する。
ロングトーンを出しながら、笛の角度と息遣いを変えることでスラーをかけて半音を上下する、指のポジションでの半音だと西洋音階を表現するには良い、しかし、狂紫郎はもっと妖艶で無我の世界の音を表現したかったのだ。

「しかし、エリックはんの音色は七変化ですなぁ」京都なまりが混じった言葉でアヤは思わぬことを口にした。
そう、エリック・ドロフィーのフルートをしっていた。
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「さあ、稽古は今日はここまで、狂紫郎はんのメロディーを聴かせてください」
狂紫郎は一度背筋を伸ばし、息を静かに吐き出しきった。
「サマータイム」をノーリズムの世界で展開した。
メロディーの美しさを透明感をもった音色で吹ききった、アドリブに入った、ブルーノートやフラット5の音をスラーをかけて半音をずらし表現した。
一瞬、早いパッセージを吹いた、そして最高音へ運ぶとき、息の吹き込みと指打ちで細かいタンギング音を表現した。
音色に独特の煌きが走った。
エンディングは半音ずつ下降させ、7THの音で余韻を残し終わった。
「結構な音色ですなぁ、でも少し怖い音どすなぁ」
「怖い?」
「そう、音の中に殺気みたいな気を感じます」
しばし目を閉じて、「まだか・・」と独り言のようにつぶやいた。

<次回につづく>

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January 21, 2008

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その148「閑話休題・オスカー・ピーターソンのミスタッチ」の巻ー

あのジャズピアノの最高峰に耀くピーターソンにもミスタッチが・・・あった。
あの名盤「ロンドン ハウス」の中にある。
1961年から62年にシカゴのジャズクラブ、ロンドンハウスで実況録音された歴史的な名盤である。
ピーターソンもレイ・ブラウンもエド・シグペンも絶妙のコンビネーションでその演奏に一点の曇りも無い。
私がこのLPを最初に聴いたのは1963年で、「ザ トリオ」と「ロンドン ハウス」が二枚組のボックス入りで発売されたときである。
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「トリクロティズム」や「オン ザ グリーンドロフィン ストリート」などを快適に聴き進んでいった。
曲が「シカゴ」にかかった。
この曲は、最初、ピーターソン独特のイントロのリフから入る、次いでご当地ソングとして有名なメロディがミディアムテンポにのって快適にスイングを始める。
ピーターソンのソロは益々ノリ、完全にピーターソンのバカテク・スイングの境地に入ってゆく。
後半、シグペンのレガートがアフロ的なリズムに切り替える、ブレイクする、ピーターソンが1音を最高速且つピアニッシモで連打する、「さあ、始まるぞ、倍テンポになるかな・・ならないかな・・」
と思わせ、再度高速ソロに入る、そして2小節のブレイク、溜め込んでレイとシグペンが行くぞと構えるその時、16分音符の連続フレーズの中の一音が抜ける・・・・聴いていて一瞬「ウッ」と息が詰まる瞬間である。
この速さで16分音符は80分の一秒くらの速さであろう。
しかし、連続的経過音なので一瞬抜けたと私は感じた。
曲はそのまま、何事も無かったようにドンドンと進みエンディングに入る。

私は、初めてこの盤を聴いていらい、ここはきっとピーターソンは一瞬指がひっかかったに違いないと思った。彼の頭の中ではいつもアドリブのメロを歌っている、彼はその時も歌っていたに違いない、しかし、頭の中でのインプロビゼーションのメロディラインからたった一音が抜けた。

今回、この文章を書くにあたって、再度聴き直した、何度も聴いた、やはり、一音抜けていると・・・。
完璧を期す名人だけに、これは抜けたに違いないと思うのである。
このLPを聴いたのは100回ではきかない、しかし、聴く度にこの個所で私はピーターソンは実は連続的に弾きたかったに違いないと・・・人のアラを探すようだし、別にこのミスがあったからと言ってこの演奏の値打ちが下がるわけではない。
いずれピーターソンにこのことを聞いてみたいと思っていたが、今はもう聞けない。

次ぎは、「ピーターソンの左手とレイ・ブラウンの音選びは、考え抜かれた計画的な音だ」というお話でもしようか。

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January 15, 2008

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その147回ーー「本田竹広の命日に・・」の巻ー

2006年1月12日に「浄土」に旅立って今年でもう2年が経つ。
蛮からで無骨で不器用で繊細なピアニスト。
黒っぽいフレーズで強烈なリズムで、でもロマンティックな語り口もいれて、彼はジャズシーンに登場していらい、我々を魅了し続けた。
彼と個人的なかかわりをもって接した方、沢山のライブを共に聴いた方、そのような方々は沢山いらっしゃるだろうから、個人にまつわる話はその方々にお任せしよう。

この1月12日の命日には、本田さんのLPやCDを沢山聴きながら、徒然、こんなことを思い出し、考えていた。

1968年、彼がまだ音大の学生のころ、私は中学、高校時代からのジャズ友でジャズ評論をやっていた故軒口隆策君が「おい、凄いピアノがいるぜ、一緒に聴きにゆこう」という誘いで、ジャズクラブというより、今流に言うならカフェでのライブというような場所で彼を聴いた。
彼のファーストアルバム「本田竹広の魅力」が1969年の録音だからそれ以前だった。
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早稲田大学のジャズ研に所属していた軒口君の情報だったので、きっと鈴木チンさんや増尾好秋君から聞いて知ったのだろう。
音が大きい、音数が多い、早いフレーズが多い、しかしリズムが走る・・・でも、こんなピアノが弾けたらいいな・・・大学でジャズピアノを弾いていた私の最初の印象であった。
同時に、音大と聞いて羨ましかった、「それはそうだろう、ピアノは上手いはずだ」とも思った。

それからは、毎年数枚のアルバムをリリースし、話題の人となっていった。
「ネイティブ・サン」を結成する前、渡辺貞夫Gにいたときに初めて短い話をした。
夏の蒸し暑い夜、ライブハウス「ジロキチ」の表の歩道でだった。
この話は亡くなった時の追悼ブログにも書いたことがある。
何しろあのライブハウスは狭い、そして満員に詰め込む、3ステージのうち2ステージが終わり、休憩時間にはミュージシャンの居場所もない。
皆、涼みに表に出て一服していた。
私は歩道に腰掛けて仲間と一服してた・・そこに本田さんが横に座った、勿論グラズ片手にである。
「暑いな、汗だくだ」とヒゲモジャの顔で言った。そして「皆も暑いのに凄いね」とあまり普段喋らないと思っていた本田さんが話し掛けてきた。
皆、一列になって歩道に座って休憩をしていた。
「本田さん、何故音大行って、クラシックへは行かなかったの?」と、我々からみたら、得体の知れない学校、音大はみなクラシックの勉強にゆくと思っていた。ジャズなどやったら退学になるくらいに考えていたので、そんなことを聞いた。
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突然、横にいた貞夫さんが「同じじゃない、クラシックもジャズも」と言った。
「俺、好きなんだジャズのノリが」と本田さんが言った。
後は何を話したか覚えていない。
休憩が終わり、皆中に入った。
木製の長いベンチ椅子とやはり傷だらけのテーブルを店内の片隅に積み上げて、お店の中に皆立っている。
貞夫さんがカウウントを出す、サンバのリズムにのって「トリステーゼ」が始る。
店中が踊り出した。
貞夫さんも本田さんも延々とソロをとった。ドラムソロになると全員が空き缶をもって叩いた。
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本田さんは、間もなくNYへゆき、ローン・カーターとトニー・ウイリアムスと録音をした。
これを聴いたとき、このままNYで活動をすれば良いのにと思ったのは私だけだろうか。
何故なら、この時の二枚(「アナザー・ディパーチャー」と「リーチング・フォー・ヘブン」)の録音内容が素晴らしく、いつになく、ノリまくりながらも、抑制が効き、三人の内容が絶品に仕上がっていた。ロンもトニーも本田さんを認めて、対等にインスパイアーしあっているのが分かる。
そして、このまま、本田さんは大好きな黒い感性の息づく街NYでそのまま黒い世界で演奏をした方が良いのではないかと単純に考えた。

その後、本田さんは「ネイティブ・サン」をつくり、人気バンドとなった。
時代が望んでいた、そして、誰しも電気楽器で表現をしてみたい、そういう時代背景があった。
しかし、どれを聴いても表現内容に大きな差を感じないフージョンの世界は、半分は理解できても半分は理解できなかった。
何故、半分かというと、電気楽器を駆使したフージョンの世界は演奏するほうは実は音の世界に入り込み純粋に楽しいのだ。しかし、聴く側になると、同じリズムパターンが続き、アドリブ、インプロビゼーションの範囲が限られ、似て非なるサウンドの連続となる。
これで満腹感となり長く聴き続けられなくなるのである。
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1978年に録音した「イッツ・グレイト・アウトサイド」でコーネル・デュプリーとやった演奏がジャズの限界ではと・・・これは私の個人的な感性と価値感の問題だ。
彼はフュージョンからR&Bなどを取り込んだ、ブラック・ミュージックの世界に行きたかったのだろうか。アフリカに回帰したかったのだろうか・・。
この本質は、出発点から変わっていないなとも思う。

「I LOVE YOU」で4ビートで快適にスイングさせながら、当時のヒット曲「サニー」を8ビートでやっている。ジャズになりにくい、でも黒っぽいメロで内容はR&B的なソロになっている。
そして、彼の特長、ノリだすとリズムが走る・・この「サニー」でもそうである、気持ちがはやるのだろうか・・その気持ちは聴く側にもよく分かる。Imgp0107


しかし、70年代はNYでロンやトニーと大きな飛躍をしたにも関わらず、まだ別世界へとイメージを飛ばせていたに違いない。
70年代の本田竹広(本田竹彦、竹廣<変換が出ない日へんのヒロ>)が何故か私は好きだ。
「ミスティ」で弾く本田は伸び伸びとして、黒い雰囲気をたっぷりと味わいながら演奏をしている。
私はいつも彼はこんなお客の中で、このようにやりたかったのではと思う。

「ワッツ ゴーイング オン」にいたってはマービン・ゲイの曲まで取り上げている。
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最近、音源が発掘された「ライブ イン 鹿児島」は数すくないライブ盤で、まるでマッコイ・タイナーと古沢良治郎のエルビンがやっている凄い迫力だ。録音は悪いが、内容は素晴らしい。
「サラーム・サラーム」はオリジナル中心で構成されているが、その作曲について「ジャズ批評」のインタービューで答えている、作曲は作りこみではなく、浮んだイメージをそのまま書く方式だと。
インプロビゼーションと同様、思いついたメロをモチーフに作曲をしていたのだ。
「コードは単純に、アドリブがし易いように書く」とも言っている。

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ネイティブ・サンは峰厚介が抜け、藤原幹典がはいり、メンバーも徐々に変わってゆく。
この頃の演奏はあまり生でもCDでも聴こうという気を起こさせないのは単に趣味の問題なのだろうか、それとも彼はスランプの状態にいたのだろうか。
私が想像するに、もっと早く方向転換をしたかった・・・が売れに売れたネイティブ・サンをレコード会社が離さなかった。
ギャラもいい、経済的にも安定する、しかし、彼の中では既に違う世界が描かれていたに違いない。
その安定した世界には安住するつもりは無かった、彼は無頼の人であった。

無頼とは、自分を貫き通すという意味である、ある意味、孤高でもあり、自己のダンディズムを保持することである。

その後かれはアコースティックな世界へと回帰する。
ベース、鈴木良雄、ドラム、日野元彦で1990年から91年にかけて、素晴らしい録音を残している。「バック・オン・マイ・フィンガーズ」はその中でも秀逸で、70年代にくらべ垢抜けた、粒ぞろいの音色が見事である。そしてファンキーでグルーブさせる展開は以前にも増して一層パワーフルでもある。
「アーシアン エアー」もいいし、ソロ・アルバム「シー オール カインド」は完成度がとても高い本田のソロの世界を聴くことができる。

そして、本田竹広は次の目標を見つける。
「EASE」と名付けたグループで三管の分厚いサウンドを展開する。
「ブギ ブガ ブー」では、やはり本田の世界・・・そうあの黒い世界へと引き込んでくれる。

1994年、97年と病に倒れ、幾たびかの危機を乗り越え、ピアノを弾くためにリハビリをし、人口透析をしながら、まだリサイタル、演奏とつづけ、「ふるさと オン マイ マインド」をつくり、「ナウ オン ブルース」を、そして「紀尾井ホール リサイタル」まで、ピアノにこだわった。

取り留めのないことを書いてきた・・・しかし、これも彼の命日がさせたのだろう。
そういう意味ではまだ彼は私の中で生きているのは確かだ・・・。
沢山のLPやCD、彼について書かれた書物を前にして、当時を思った。

私が、もし神様から「ピアノを自由に弾くことができるようにしてやる、どんなピアニストになりたいか」と問われたら・・・本田竹広・・と応えるだろう。

ジャズのLPやCDは沢山棚に並んでいる、しかし、繰り返し聴くアーティストはそんな沢山はいない。マイルス・デイビス、ホレス・シルバー、アート・ブレイキー、セロニアス・モンク、ウイントン・ケリー、ソニー・ロリンズ、ジョン・コルトレーン、オスカー・ピーターソン、そして本田竹広・・・。
みな、何度も聴きたくさせるエネルギーを内在させているアーティストだ。

本田竹広の三回忌命日にそんなことを思い出し、偲びながら彼の音を再現して聴き続けた。

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January 11, 2008

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その146回ーー「ジャズ無頼帖その1」の巻ー

正月の音出し始めも終わり、振る舞いのただ酒をいいことに飲みすぎたコメント常連客もやっと引き上げた。
店の片付けも終わり、スタッフとハウストリオのメンバー、そしてスリーピーも加わって母屋での夜食会となった。
この夜食会はすでにこの物語の初めの部分で度々登場している。
しかし、途中から読み始めた方の為に状況シーンを少々説明しよう。

ジャズクラブ「KIND OF BLUE」の入口とキャッシャー、クロークは一階にあり階段を降りて地下がライブハウスと厨房になっている。
一階は小さな洒落た小さな家という感じである。中庭を挟んで母屋があり二階建てでこの主人公ゼンさんの住まいだ。
中庭には、大きな欅が一本ドッシとたっている。ゼンさんの車二台とシェフの長さんのバイク、ドゥガッティーが停めてある。
母屋は扉を開けると、大きなリビングがあり、30人の食事会ができそうな広さと大きなテーブル、趣味の良い食器棚と食器、グラス類、シンプルなオーディオセット、ソファー、ホームバーが片隅に、そして以前ライブハウスで使っていたスタンウエイのコンサート・グランドが置いてある。

週に二度、スタッフが集まり夜食会を行う、簡単で美味しい賄い料理をつくってくれるのは、シェフの長さん、そしてスタッフの二人、ギャルソンの山ちゃんとキャッシャーのヨーコちゃんだ。
これに、レギュラートリオの面々が加わる。
このジャズクラブはご存知のように、ゼンさんが主宰する株の投資で経営・運営をしている。
お客さんからのチャージだけではこれだけのジャズクラブを隆々とやっていける訳がない。
そう、株で稼いで、経営上の運転資金を賄っている。
ジャズクラブや株投資をやっている会社を「BLUE IN GREEN 社」という、略して「BIG」という会社だ。スタッフの面々も少額ながら出資している。
そして、タップリと給与と配当を受けている。
ここの夜食会がいつも投資先相談会議の場であり、投資状況の報告の場でもある。

「どうだろうか、今日は狂紫朗こと恩田君が参加している、新年会でもあり昨年末の他のジャズクラブの話など聞きたいと思うのだが・・」とゼンさんが切り出した。
「ききたいなぁ」と山ちゃんが言い出した。
食卓には3種のパスタと5種ほどのチーズがもってあった。
「今日は正月だ、シャトー・ラトゥール97年でも開けるか」とゼンさんが山ちゃんに指示した。
バカラのワイングラスが何気なく配られ、乾杯となった。

「じゃあ、少し話してみようか」とスリーピーが話し出した。
音楽はエセル・エニスがかかっている。

「それは暮れの横浜での話なんだ」
俺は昔よく通ったジャズクラブがあるはずだと探しに行ったがもう見つからなかった。
そう20年も経てば変わるさ。
そこでその傍にあったジャズクラブに飛び込んだ、「D」というクラブだ。
内装もまあまあ、当日の演奏者というかメンバーはここによく出ている名で、ピアノトリオだ。
見るからに真面目な若いジャズ研究者という様相だった。
演奏技術は稚拙でもいいからマインドのいい音やフレーズが聴きたいものだと入っていた。

店のヤツは俺の格好を見て一瞬引いたが、ジャズクラブには変なヤツもよく来る、何も無かった様に6分ほど埋まった席の一つに案内された。
俺は、先ず、いつもの通り、ドライマティーニを注文した、そう「ドライだぜ」と念を押してね。
「ジンは一滴でいい」とも付け加えた。
やがて演奏が始った、そのトリオは二曲ばかりスタンダードを演奏した、そして一人の若い女性ヴォーカルが出てきた。
まだ、歌いはじめで、歌の歌い方にその若さが出ていた、でもそれも真面目に歌おうという気持ちが伝わったので、まあいいかと、マティーニを舐めていた。
最初の曲「There Will Never Be Another You」をミディアムテンポで歌い終えた。

その時、店の奥でなにやら騒がしい一団が、「リクエストだ」という声も聞こえた。
ジャズクラブでリクエストとは随分無粋な奴らだなと思った。
でも、その歌手はなにやらおびえ気味にその方向を見ている。
「You Be So・・・」と「柳・・・」をやれと酔って言っている。
普通は無視であるが、若いヴォーカルはそっとピアノの彼をみた。
ピアノ君は少しうなずいて、「You Be So Nice Come Home To 」のイントロを弾き始めた。
しかし、このヴォーカル嬢にはこの歌は似合わないし、先ず歌いたいという気がない。
いやいや歌っているのがミエミエである。
「やはりこれだよな****」という声が聞こえた。
近くを通った店のスタッフを呼び止めた、マティーニのお代わりを頼みついでに聞いた。
「あれは何者なんだ」「えーー、少し言葉に詰まったが、声を一層低くして、ちょっと恐い人たちで、あの子のファンでいつもあの子が出るとやってくるんです、騒がしくてすみません」と申し訳なさそうな顔をした。

「おい、どした、次ぎは柳だ、あのウイロウ何とかだ!」とどなっている。
俺はそっと脇差から篠笛を抜いて、ピアノの傍に行った、そして言ったんだ。
「俺も参加させてくれ、悪いようにはしないさ、君はこの歌知っているのか?」とヴォーカルに聞いた。「なんとか歌詞は・・・」
「まあいいさ、おれは勝手につけるから、任せておけ、そして君たちの自由にやれよ」
そう言われてピアノ君もヴォーカル嬢もベースやドラム君達も、「じゃあやろうか」という顔になった。
「おい、なんだ今度は笛も加わるのか」「なんだアイツの格好は、ポニーテールちょんまげに、紫の着物・・・変な格好だな」「いいからささっとやれ!」

「WILLOW WEEP FOR ME」のイントロはピアノがつけた。
そしてテーマの歌に入った、このブルージー満点な曲に俺は篠笛で、かすかにブルーノート・フレーズを絡めた。
歌がノリだした、無意識にフェイクする音が見つかるらしい、よりブルージーな装飾音が自然に入る。
俺は小声で、グッドと言ってやった。彼女はニヤと笑って歌を終えた。
続いてピアノがソロをとった、俺は2コーラス目からバックリフをつけた、3コーラス目にはピアノ君のソロフレーズに篠笛を絡めていった、ピアノ君は俺の顔見て次には途轍もないフリキーなフレーズを弾き始めた、「いいぜ」と小声で囁いてやった、ベースもドラムも自然に音の中に入っている。
ドラムのレガートとベースがピタリと一致している、これはやろうと思ってできることではないが、相手の音を自然に聴けるときは自然に一致するものなのだ。

4コーラス目で俺はピアノ君のソロさせたまま、篠笛のソロをかぶせていった。
演奏全体が大きくスイングしだした、それまでのシンバルレガートとベースの4ビートによる刻みとは違うもっと大きな弧を描いたスイング感になっていった。
笛の音色は澄みわたり、研ぎすまされ、大きなスイングの弧の上で空気を切り裂くような一音を発した。
いままで騒いでいた集団が皆何事かとバンドに注目し、目が点になっていた、口は間抜けにも空いていた。
早いフレーズ、キレのよい音、和笛独特の音程の不安定さもなく、一本の光りのような音色が空中を飛び回り始めた、目を閉じるとまるで100色の色彩をもった星がちりばめられているようだ。
低音から最高音まで半音階づつ素早くせりあがった、その瞬間、その店全体が大きく揺れ出したように感じた。
あの恐いお兄さんの集団は立ち上がって何か言おうとしているが、立ち上がれないでフラフラしている。
俺はテンションをすこし緩めて、歌に戻した、ヴォーカル嬢はどこから入るか普通ならかなり難しい状況だったが、我々の演奏をしっかりと追ってきたのだろう、素直にテーマに入った。
お客もお店のスタッフも皆時間が止ったような顔をしていた。
そして暫しの間のあと、大きな拍手がきた・・・がアノ集団だけは白けた顔をして不満そうだった。

俺は席に戻った、そして冷えたマティーニを一気に飲み干した。
ピアノ君が傍にやってきた、「ありがとうございます」礼儀正しく挨拶をした。
そして「あんな笛、聴いたことないです」とも付け加えた、そして傍らにあった、細長い筒をみて「ソプラノも吹くのですか・・」と。

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その時、例の集団がヴォーカル嬢を呼んでいた、親分格と見られる男が「おう、もう仕事を終わりにして食事に付き合えよ」などと言っている。「もうあんな音楽やるなよ、うるさいだけじゃないか、話もできないぜ」と若いものが言う。

「あいつら何なんだ」と俺は再度ピアノ君に聞いた。
「あれは地元のヤクザさんでね、暴れるわけではないけど、ジャズが好きだとか、あの親分みたいな人、横野さんっていうらしいけど・・、いつも歌のあの子がお目当てで、でも迷惑みたいで、逃げているけど・・結構うるさいんだ、それで店はいつも料金はダータ(無料)でね、おまけにミカジメ料っていうのかな、お店が渡して引き取ってもらっているらしい」
「アイツラが来ていると、演奏をやる気が失せてしまってね、やっていてもみな乗り気では無くなってしまうんだ」とも言った。

スリーピーは静かに立ち上がると彼らに近づいていった。
「もういいだろう、十分に飲んだらしいし、お前達が音楽を聴く場所じゃないな、ここは」と親分格の人物に言った。
一瞬、周囲が色めきたった。
「なにを!このチョンマゲ野郎!」と若い一人が詰め寄った。
「兄貴、どうします?」
「・・・・どこかで見た顔だな・・・」親分格の兄貴と呼ばれた男がつぶやいた。
「旦那、お久しぶりです、その節はお世話になりました」と丁寧な挨拶をした。
そして「さああ、帰るぜ」と号令をかけた。
「まだ帰さない、ちゃんと料金を払って帰れよ、ツリはチップだよな、リクエストまでしているんだから」そう念を押した。
傍でマスターが縮こまってただ立っているだけだった。
「これで」と1万円札を5枚ほど置いて、足早に立ち去った。

他のお客もスタッフもただじっと見ているだけだった。
マスターが恐々と話かけた、「また仕返しにくるのでは?」
「いや、来ない、二度とこの店には来ない」と自信をもって言い切った。

「さあ、次のステージでも一曲お手合わせしてもらおうか」

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January 07, 2008

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その145回ーー「新春共演」の巻ー

<明けましておめでとうございます、新春ブログ初めです! 今年も荒唐無稽なお話を宜しく御願いします>

「スリーピー・狂紫朗 新春共演の巻」

長い正月休みも終わり、街にも喧騒が戻ってきた。
「KIND OF BLUE」の音だし初めも今夜からだ。
特にイヴェントを企画する訳ではないが常連はいつものように集まってきた。
正月らしいといえば、振舞い酒の為に菰かぶりの一斗樽が入口に据えられていた。
北海道からはDUKEさん、近隣のKAMIさん、しんじさんに、Basscleffさん、みんなただ酒が飲めるというので早くから出来上がっている。

ハウストリオのメンバーも常連も一合升を片手ににぎやかだ。
「さあ、そろそろゆくか」とリーダーの大野が声を掛けた。
ピアノの河田吾郎がブロックコードを叩いた、ベースの山田と大野がすかさずミディアムスローでバックをつけた、「サテンドール」からの始まりだ。
落ち着いたフレーズで大きくスイングしている、まるで年末に亡くなったピーターソンに捧げているような雰囲気だ。次第に音数が増してくる、密度の高い音でウネリを作り出す、粘っこいスイングに練りあがってくる、そこでテンポが倍になる、ここからは超アップテンポになる切れの良いシングルトーンフレーズが途切れなく続く、2コーラスをアップテンポで進み、二拍三連を二小節続けてもとのテンポに戻った・・・ここで拍手がきた。
一曲目からみなノッテいる。

そんな時、階段を濃い紫色の着流し姿で階段を降りてきたのはスリーピー・狂紫朗だ。
みな、もう前回の登場で彼が何者か分かっている、年末は都内のライブハウスに飛入りして演奏者の度肝を抜いたらしいが、演奏の内容が刺激的ではあるがジャズ以外の何者でもない、むしろ本質をついた音を出すのでその場に居合わせた人たちはかなり喜んだらしい。
但し、いい加減な音で対応した共演者は例によって、円音奏法により金縛りにあい一音も出せなかったと噂が飛んでいた。
彼は一人の連れを伴って入ってきた。
細身の黒人でボルサリーノを目深にかぶり静かな雰囲気をもっていた。

ドラムの大野が声を掛けた、「何かやりますか?」
スリーピーは帯から脇差風の篠笛を袋から取り出した、「彼も一緒にいいか?」と大野に聞いた。
「彼も何かやるのですか?」「うん」それしか言わなかった。

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その彼はポケットから小さな楽器を取り出した。
お客が少しざわめいた、「何あれ?」と見慣れない楽器だ。
「もの知りの富田さんがいった、ポケット・トランペットだ!」
スリーピーが吾郎にキーを囁いた、スリーピーの篠笛とポケットトランペットがユニゾンでテーマを吹き出した。「WELL YOU NEED’T」だ。
その男はポケットトランペットにミュートをつけていた。
テンポの間合いがタイトだ、リズムとフレーズの乗りに緩んだ間がない、間あるが100分の1拍すら感じさせる演奏だ。
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ソロは最初はスリーピーがとった、45センチの篠笛でD♭キーがベースになっている。
ロングトーンはあくまで澄んだ音色を震わせ、早いパッセージではキレの良いフレーズを吹いた。
和笛にある音程の不安定さは無い、むしろ吹き込む息つかいが音色にかぶって緊張感を高める。
2コーラスが終わって次にポケットトランペットが登場した。
そのノリはリズムの微妙なタイミングに音を置いてゆくようなフレーズだった。
まるでモンクがペットを吹いたらこんな音のおき方になるのではと思うような、ノリだ。
でも不思議なスイング感をもっているし、フレーズと音色はブルージーだ。
2コーラスが終わってテーマに戻った、スリーピーの篠笛がメロをとりポケット・トランペットがオブリガートを絡めた、そして最終のメロをペットが篠笛を追って最終音でピッタと一致して終わった。
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場内は心地よい緊張から解きほぐされた、そして拍手が起きた。
ゼンさんが皆に紹介した「ドン・チェリー!」
お客が顔を見合わせた、その男がシャイなのだろう、恥ずかしそうに会釈をした。

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そう、ペットのドロフィーとでも言えばよいだろうか、モヒカン刈でカムバックしたロリンズを一層過激にインスパイアーしつづけた「OUR MAN IN JAZZ」での存在はいまだに新鮮であり、凄い。
でも一方においては、シンプルなブルースを温かい音でやさしく吹く男でもある。
ドロフィーはコルトレーンを触発しドン・チェリーはロリンズを触発した。
のみならず、彼は色々なセッションで周囲を煽り、インスパイアーしつづけた、サラ・ボーンは彼とブルースを演奏するのが好きだった。

「KIND OF BLUE」の新春最初の飛入りゲストはドン・チェリーだった。
ゼンさんがスリーピーに話し掛けた「今夜店が終わったら久し振りに母屋で夜食会にでも参加していってよ、他のライブハウスでの出来事も知りたいし・・」
「いいさ、まだ正月気分だ」とスリーピー・狂紫朗が応えた。

<次回に続く>

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