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January 15, 2008

団塊のJAZZエッセイ「KIND OF BLUE」その147回ーー「本田竹広の命日に・・」の巻ー

2006年1月12日に「浄土」に旅立って今年でもう2年が経つ。
蛮からで無骨で不器用で繊細なピアニスト。
黒っぽいフレーズで強烈なリズムで、でもロマンティックな語り口もいれて、彼はジャズシーンに登場していらい、我々を魅了し続けた。
彼と個人的なかかわりをもって接した方、沢山のライブを共に聴いた方、そのような方々は沢山いらっしゃるだろうから、個人にまつわる話はその方々にお任せしよう。

この1月12日の命日には、本田さんのLPやCDを沢山聴きながら、徒然、こんなことを思い出し、考えていた。

1968年、彼がまだ音大の学生のころ、私は中学、高校時代からのジャズ友でジャズ評論をやっていた故軒口隆策君が「おい、凄いピアノがいるぜ、一緒に聴きにゆこう」という誘いで、ジャズクラブというより、今流に言うならカフェでのライブというような場所で彼を聴いた。
彼のファーストアルバム「本田竹広の魅力」が1969年の録音だからそれ以前だった。
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早稲田大学のジャズ研に所属していた軒口君の情報だったので、きっと鈴木チンさんや増尾好秋君から聞いて知ったのだろう。
音が大きい、音数が多い、早いフレーズが多い、しかしリズムが走る・・・でも、こんなピアノが弾けたらいいな・・・大学でジャズピアノを弾いていた私の最初の印象であった。
同時に、音大と聞いて羨ましかった、「それはそうだろう、ピアノは上手いはずだ」とも思った。

それからは、毎年数枚のアルバムをリリースし、話題の人となっていった。
「ネイティブ・サン」を結成する前、渡辺貞夫Gにいたときに初めて短い話をした。
夏の蒸し暑い夜、ライブハウス「ジロキチ」の表の歩道でだった。
この話は亡くなった時の追悼ブログにも書いたことがある。
何しろあのライブハウスは狭い、そして満員に詰め込む、3ステージのうち2ステージが終わり、休憩時間にはミュージシャンの居場所もない。
皆、涼みに表に出て一服していた。
私は歩道に腰掛けて仲間と一服してた・・そこに本田さんが横に座った、勿論グラズ片手にである。
「暑いな、汗だくだ」とヒゲモジャの顔で言った。そして「皆も暑いのに凄いね」とあまり普段喋らないと思っていた本田さんが話し掛けてきた。
皆、一列になって歩道に座って休憩をしていた。
「本田さん、何故音大行って、クラシックへは行かなかったの?」と、我々からみたら、得体の知れない学校、音大はみなクラシックの勉強にゆくと思っていた。ジャズなどやったら退学になるくらいに考えていたので、そんなことを聞いた。
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突然、横にいた貞夫さんが「同じじゃない、クラシックもジャズも」と言った。
「俺、好きなんだジャズのノリが」と本田さんが言った。
後は何を話したか覚えていない。
休憩が終わり、皆中に入った。
木製の長いベンチ椅子とやはり傷だらけのテーブルを店内の片隅に積み上げて、お店の中に皆立っている。
貞夫さんがカウウントを出す、サンバのリズムにのって「トリステーゼ」が始る。
店中が踊り出した。
貞夫さんも本田さんも延々とソロをとった。ドラムソロになると全員が空き缶をもって叩いた。
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本田さんは、間もなくNYへゆき、ローン・カーターとトニー・ウイリアムスと録音をした。
これを聴いたとき、このままNYで活動をすれば良いのにと思ったのは私だけだろうか。
何故なら、この時の二枚(「アナザー・ディパーチャー」と「リーチング・フォー・ヘブン」)の録音内容が素晴らしく、いつになく、ノリまくりながらも、抑制が効き、三人の内容が絶品に仕上がっていた。ロンもトニーも本田さんを認めて、対等にインスパイアーしあっているのが分かる。
そして、このまま、本田さんは大好きな黒い感性の息づく街NYでそのまま黒い世界で演奏をした方が良いのではないかと単純に考えた。

その後、本田さんは「ネイティブ・サン」をつくり、人気バンドとなった。
時代が望んでいた、そして、誰しも電気楽器で表現をしてみたい、そういう時代背景があった。
しかし、どれを聴いても表現内容に大きな差を感じないフージョンの世界は、半分は理解できても半分は理解できなかった。
何故、半分かというと、電気楽器を駆使したフージョンの世界は演奏するほうは実は音の世界に入り込み純粋に楽しいのだ。しかし、聴く側になると、同じリズムパターンが続き、アドリブ、インプロビゼーションの範囲が限られ、似て非なるサウンドの連続となる。
これで満腹感となり長く聴き続けられなくなるのである。
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1978年に録音した「イッツ・グレイト・アウトサイド」でコーネル・デュプリーとやった演奏がジャズの限界ではと・・・これは私の個人的な感性と価値感の問題だ。
彼はフュージョンからR&Bなどを取り込んだ、ブラック・ミュージックの世界に行きたかったのだろうか。アフリカに回帰したかったのだろうか・・。
この本質は、出発点から変わっていないなとも思う。

「I LOVE YOU」で4ビートで快適にスイングさせながら、当時のヒット曲「サニー」を8ビートでやっている。ジャズになりにくい、でも黒っぽいメロで内容はR&B的なソロになっている。
そして、彼の特長、ノリだすとリズムが走る・・この「サニー」でもそうである、気持ちがはやるのだろうか・・その気持ちは聴く側にもよく分かる。Imgp0107


しかし、70年代はNYでロンやトニーと大きな飛躍をしたにも関わらず、まだ別世界へとイメージを飛ばせていたに違いない。
70年代の本田竹広(本田竹彦、竹廣<変換が出ない日へんのヒロ>)が何故か私は好きだ。
「ミスティ」で弾く本田は伸び伸びとして、黒い雰囲気をたっぷりと味わいながら演奏をしている。
私はいつも彼はこんなお客の中で、このようにやりたかったのではと思う。

「ワッツ ゴーイング オン」にいたってはマービン・ゲイの曲まで取り上げている。
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最近、音源が発掘された「ライブ イン 鹿児島」は数すくないライブ盤で、まるでマッコイ・タイナーと古沢良治郎のエルビンがやっている凄い迫力だ。録音は悪いが、内容は素晴らしい。
「サラーム・サラーム」はオリジナル中心で構成されているが、その作曲について「ジャズ批評」のインタービューで答えている、作曲は作りこみではなく、浮んだイメージをそのまま書く方式だと。
インプロビゼーションと同様、思いついたメロをモチーフに作曲をしていたのだ。
「コードは単純に、アドリブがし易いように書く」とも言っている。

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ネイティブ・サンは峰厚介が抜け、藤原幹典がはいり、メンバーも徐々に変わってゆく。
この頃の演奏はあまり生でもCDでも聴こうという気を起こさせないのは単に趣味の問題なのだろうか、それとも彼はスランプの状態にいたのだろうか。
私が想像するに、もっと早く方向転換をしたかった・・・が売れに売れたネイティブ・サンをレコード会社が離さなかった。
ギャラもいい、経済的にも安定する、しかし、彼の中では既に違う世界が描かれていたに違いない。
その安定した世界には安住するつもりは無かった、彼は無頼の人であった。

無頼とは、自分を貫き通すという意味である、ある意味、孤高でもあり、自己のダンディズムを保持することである。

その後かれはアコースティックな世界へと回帰する。
ベース、鈴木良雄、ドラム、日野元彦で1990年から91年にかけて、素晴らしい録音を残している。「バック・オン・マイ・フィンガーズ」はその中でも秀逸で、70年代にくらべ垢抜けた、粒ぞろいの音色が見事である。そしてファンキーでグルーブさせる展開は以前にも増して一層パワーフルでもある。
「アーシアン エアー」もいいし、ソロ・アルバム「シー オール カインド」は完成度がとても高い本田のソロの世界を聴くことができる。

そして、本田竹広は次の目標を見つける。
「EASE」と名付けたグループで三管の分厚いサウンドを展開する。
「ブギ ブガ ブー」では、やはり本田の世界・・・そうあの黒い世界へと引き込んでくれる。

1994年、97年と病に倒れ、幾たびかの危機を乗り越え、ピアノを弾くためにリハビリをし、人口透析をしながら、まだリサイタル、演奏とつづけ、「ふるさと オン マイ マインド」をつくり、「ナウ オン ブルース」を、そして「紀尾井ホール リサイタル」まで、ピアノにこだわった。

取り留めのないことを書いてきた・・・しかし、これも彼の命日がさせたのだろう。
そういう意味ではまだ彼は私の中で生きているのは確かだ・・・。
沢山のLPやCD、彼について書かれた書物を前にして、当時を思った。

私が、もし神様から「ピアノを自由に弾くことができるようにしてやる、どんなピアニストになりたいか」と問われたら・・・本田竹広・・と応えるだろう。

ジャズのLPやCDは沢山棚に並んでいる、しかし、繰り返し聴くアーティストはそんな沢山はいない。マイルス・デイビス、ホレス・シルバー、アート・ブレイキー、セロニアス・モンク、ウイントン・ケリー、ソニー・ロリンズ、ジョン・コルトレーン、オスカー・ピーターソン、そして本田竹広・・・。
みな、何度も聴きたくさせるエネルギーを内在させているアーティストだ。

本田竹広の三回忌命日にそんなことを思い出し、偲びながら彼の音を再現して聴き続けた。

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Comments

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Bassclefさん

・・・・変な衒(てら)いのない「真っ直ぐ」な感じがいいですね。・・・

そう、無骨なくらいに実直で、でも一直線にスイングしてね・・。
ゴスペルなど弾くときは、先ず弾き手の本田さんがその境地に入り込んで弾きますから、引き手と音が一体となってうねります。

しかし、人生の生き方も不器用でしたね。

Posted by: 4438miles(SHIN) | January 17, 2008 at 16:04

Kamiさん

本田さんの生の音を一度聴くと病みつきになりますね。
豪快にして繊細なニュアンス、最後はスイング感の境地で至福の時を感じます。

病みつきでライブ通い・・・分かります。

Posted by: 4438miles(SHIN) | January 17, 2008 at 16:01

Dukeさん
・・・「サラーム・サラーム 平和」は、彼の音楽思想であり語り口でした。・・・

そうですね、同感です。
そして、黒人になりたいといいつつ、実はとても日本人だった・・・
Dukeさんの挙げた三枚は何度も聴く盤ですね。
最後は、「ふるさとオン マイ マインド」へ回帰しました。

Posted by: shin(4438miles) | January 17, 2008 at 15:58

4438milesさん、dukeさん、KAMIさん、こんにちわ。みなさん、若い頃の本田竹彦を聴いてらっしゃるようで、うらやましいです。
僕の方、彼のレコードは初期の2枚~この記事でも紹介してある「H」文字ジャケット(トリオが発売したLP)~しか持ってませんので、これらが私的ベスト2です。

「白いH」に入ってるI fall in love too easilyがいいですね。
「黒いH」の方には、何曲かにナベサダが加わってるのですが、「星影のステラ」がとてもいい。
本田竹彦のピアノは・・・その名の通り・・・変な衒(てら)いのない「真っ直ぐ」な感じがいいですね。ノリが大きいし演奏に品格みたいなものがあるように思います。

Posted by: bassclef | January 17, 2008 at 12:57

4438miles様、こんばんは。
高校の時、紀伊国屋の横にあったピットインで本田竹彦さんを聴きました。
それからライブが好きになり、年100回ライブに通った事を思い出しました。

黒く粘り気のある音色・・それに加え暖かみがある・・。自分の世界を持っていたジャズメンだったと思います。

ベスト3は、敢えてパスします。
今の私には「ふるさとーOn My Mind」だけなのです。

Posted by: KAMI | January 17, 2008 at 00:38

4438miles さん、こんばんは。

忌まわしい記憶というより、私の世代にとっては記録に過ぎませんが、原爆は一瞬にして空中の温度を上昇したといわれております。ジャズの場、それがライブであり、しかも小さなクラブであるなら、原爆の威力を持ちえたのは本田竹広でしょう。「サラーム・サラーム 平和」は、彼の音楽思想であり語り口でした。

本田竹広ベスト3

ジス・イズ・ホンダ
サラーム・サラーム
ミスティ

ネイティブ・サンは一生に一度はかかるとも言われている麻疹でしょう。
挙げた3枚は、黒人になろうとした本田が、日本人として表現した最大限の黒人だったと思います。

Posted by: duke | January 16, 2008 at 23:31

皆さんの本田竹広はどんな印象ですか?

数多い録音の中で敢えてベスト3は?

何でも結構、コメントをお寄せください。

Posted by: 4438miles(SHIN) | January 16, 2008 at 14:44

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